緑の空と茜の大地
再び目が覚めたら、夢だといいと思っていた。
だけど、眠りから目が覚めてもやっぱり、目の前の
景色は変わらなかった。
ベットはマットもない固い台に布が敷かれているだけのものだ。
見上げる天井は、石が組まれた暗色。
私の部屋の天井は、真っ白い壁紙だったのに。
窓も小さい窓が一つだけ。
そのせいで部屋の中は薄暗い。
いったい、どうしちゃったんだろう。
死のうとしたから、罰が当たったのかな。
それにしても、ここはどこなのだろう。
私は元の世界に帰れるのかな……。
ふと、涙が流れた。
……だって、帰れる場所なんて、私にあるの……?
家が嫌で、死のうとした私。
きっと私がいなくなっても、母は探さない。
父もきっと、気にしない。
そんな家に、私は帰れるの……?
帰った方がいいの……?
「目が覚めたのか?」
声をかけられて、跳ね起きた。
一人だと思っていたから、いきなり声が聞こえて驚いた。
「サイスさん……」
名前を呼ぶと、彼はふっと微笑んだ。
こうしてみると、やはり不思議だ。
髪の色や眼の色だけではない。それだけなら、外国人だと思える。
だけど、彼は、私の知っているどの人種とも違う。
人間は、そんなに首が長くない。
彼は、一目見て私が知っている人類よりも長いと思うほど、首が長かった。
首だけで、50センチほどはありそうだ。
それに、肌が白かった。本当に、真っ白だ。
白人の人の肌よりもまだ白い。透き通るようだった。
サイスさんだけではない。アンナムさんも同じような風貌だった。
だけど、サイスさんよりもアンナムさんの方が背が低い。
「お前、腹がすかないか?
食事がまだだろう?」
サイスさんに言われ、顔を上げる。
「私はまだなんだ。用意をさせるから、付き合え」
有無を言わさず、サイスさんは私の手を掴むと起き上がらせた。
あれ?
立ち上がった時に違和感を感じた。
肌に当たる服の感触が、違う。
なんだか体がチクチクする。
服が変わってるんだ。
見下ろした自分の足元に見えたのは、
白い、ワンピースのようなずるっとした布だった。
麻みたいな感触だ。
「ああ、侍女に言って着替えさせた。
済まない。お前が来ていた服は、濡れてしまっていたからな」
そういえば、泉の横に倒れていたって言ってたっけ。
「元の服は、そこに置いてある」
確かにそれまで着ていた高校の制服がきれいに畳まれて、
ベット脇にあるサイドテーブルの上に置かれている。
「ありがとうございます……」
「大したことじゃない。それよりも、食事だ」
サイスさんに言われて、席に着く。
アンナムさんが食事を2人分、並べている。
食卓に並んだのは、大皿に盛られた(何のかはわからない)肉の串焼きと
丸い平べったいナンみたいなパンと、
それぞれの前に置かれたスープだった。
「いただきます」
両手を合わせて声を上げると、サイスさんが笑う。
「それが、お前の国の食べ方か?」
「はい。食べるときは、いただきますっていうんです」
テーブルを見ると、フォークやナイフはなさそうだった。
木でできたスプーンがスープの入った器に入っていた。
スープの横に、未使用の皿が置かれている。
どうやら大皿から各々一人分を取り分けるスタイルのようだった。
食事の形態は、どうやら混乱しないで済みそうだ。
「あの、サイスさん……」
「何だ?」
サイスさんは食事をしながら顔をこちらに向ける。
「さっきの、何をやったんですか?」
「何とは?」
「あの、言葉が分かるようになったの……」
「ああ、あれか」
思い出したように頷く。
それからサイスさんはまじまじと私の顔を見つめた。
それからゆっくりと視線を移し、上半身を観察するように見ていた。
「感応力……という言葉を知っているか?」
聞きなれない言葉だった。
「この星の種族は二種。
竜族と猿族がいる。われらは共通の言語を持たない。
それでも、会話が可能だ。
言語はお互い、それぞれの種族の言語を使っている。
しかし、互いに何を言っているのかはわかる。
その理由が、感応力だ。
私たちは太古の昔、今よりももっと強い力を持っていた。
幻視覚と言うのだが、我々は心の中で思い浮かべるだけで、意思を伝達することが
出来たと言われている」
「今は、できないの?」
「ああ。人々は世代を重ねるにつれて、幻視覚能力を失っていった。
そして、今の我々に残っているのは、その残滓だけだ」
「それが、感応力……」
言葉の響きからすると、テレパシーみたいなものだろう。
「じゃあ、サイスさんは私が何を考えてるか、
わかるの?」
言葉の合間にナンをちぎっていた彼は、手を止めた。
「いや、今の感能力にそれほどの能力はない。
感応力は、言葉に浮かぶ心の中の感情を伝えるようなものだ。
たとえば、お前がお前の国の言葉で私に”悲しい”、と伝えるとしよう。
すると、私の頭の中に、お前の”悲しい”という感情が流れてくるんだ。
それで、言いたいことがわかる。
人の思考というのは割と感情に左右されている。
その感情を読み取ることができれば、会話というのは
あまり必要なかったんだ。昔は。
しかし、人は情報を手に入れるにつれて、感情のやり取りだけではなく、
情報のやり取りが必要となっていった。
そのために言語は発達した。
その時に発揮されたのが、感応力だ。
我々の二つの種族は長い間隔絶していた。
だから、出会ったときお互いの話す言葉が分からなかった。
その時、感応力のおかげで相手の言いたいことが
頭の中に浮かんだそうだ。
それから、感応力が研ぎ澄まされ、相手の言語を翻訳するような、
能力を得ることができたというわけだ。
だから、私たちの種族はお互い異なる言語で会話をしている。
それでも話している内容は理解できる。
もっとも専門用語やそれぞれの種族にしかないような単語は
感能力でも理解できないから、
高度な取引をする人々なんかは、
お互いの種族を理解しあうためには言語の習得は必要になってくる。
私の言っていることが、わかるか?」
サイスさんに言われ、頷いた。
でも……。
「わからないことがいくつか。
あなたが感応力を使って私の言いたいことがわかるのは、わかった。
でも、私は感能力がないのに、どうして言葉がわかるの?」
「お前の言葉が分からなかったとき、お前の手のひらと私の手のひらを
当てただろう?
あれが、お互いの心を繋げたんだ。
”心を開く”というんだが、お互い故意に体の一部が触れ合うと、
感応力がお互いに流れあう。
今では、心を開く必要がないので形式的なあいさつでしかないが、
トゥヤ、君は感能力を持たないから、私には何の影響もないが、
君には私の感能力の片鱗が流れ込んだんだろう」
不思議な説明だった。
やっぱり、ここは私の知らない世界なんだと、思った。
不思議なテレパシーの一種「感応力」が当たり前に使われている世界。
昔あったアニメの自動翻訳機みたいなものなのだろうか。
「サイスさんだけじゃなくて、アンナムさんとも会話ができるように
なったのは、どうして?」
ワインを傾けながら、私の問いにサイスさんが答える。
「私の感能力が流れたから、君の心は龍族に対する感情と
言語が開かれた。だから、龍族となら一般会話は
可能になった。
だが異なる種族との会話は、その種族のだれかと心を開かなければ
可能にはならない。
この屋敷は私の屋敷だから、龍族しかいない。
当面は不自由しないだろう。
もしも、猿族に出会うことがあったら、手のひらを見せるといい。
相手が手のひらを当ててくる。
そうすれば、猿族とも会話することができる」
サイスさんはアンナムさんに注いでもらったワインを、一気に飲み干した。
この国には二つの種族がいて、一方がサイスさんたちの龍族、
そしてもう一方が猿族と言うらしい。
……これももしかしたら、感応力で翻訳されているんだろうか。
サイスさんは食事が終わったようで、テーブルに置かれていた布で
口元をぬぐう。
それから、アンナムさんに何事かを言いつけている。
アンナムさんは心得たように、部屋を出ていく。
アンナムさんはすぐに戻ると、手には石の箱を持っていた。
「とりあえず、着替えだ。
今日、ウラヌス・ラーから御下問がある。
御前に出るのだから、見苦しくない格好をしろ。
これで足りると思うが、足りない分はアンナムに言いつけろ」
箱は、衣装箱のようだった。
中には、女性の服だと思われる衣が入っている。
それに、アクセサリーも入っていた。
身に着けてみると、サイズはピッタリだった。
筒長のシンプルなワンピースの上に、
生地の厚い表着を重ね、金のベルトを巻いた。
「もと着ていた服よりも、そちらの方が似合う」
サイスさんが満足そうにうなずく。
「これならば、ウラヌス・ラーも
ご不快にならないだろう」
アンナムさんが私の髪の毛を器用に編み、
革ひもでまとめてくれた。
準備が整った私は、サイスさんに連れられて外に出た。
外に出てまず驚いたのは、空が青くなかったことだった。
「!!空が、緑!」
思わず声に出すと、サイスさんが笑う。
「空が緑でなくて何色だというのだ?」
サイスさんにとってはそれが当たり前かもしれないけど、
私の知ってる空は、青だ。
そして、大地が赤かった。
はるか遠くに見える山は、赤茶色をしている。
この大地はその山と同じ、赤茶色だった。
テラコッタを粉々に砕いたような赤茶色の砂。
赤い街並み。
赤と緑の、国。
「赤と、緑の……国」
風が、通り抜けていく。
なんて、なんてきれいなんだろう。
こんな不思議な色の星があるなんて。
「……きれい」
「だろう。この星は、神の星だ。
聖なる神が守る聖なる星だ」
サイスさんの言葉に、黙って頷く。
ここは、私の知っている青い星の地球とは違う。
緑色の空、茜の大地。
なんという色彩だろう。
こんな美しい星があるなんて……。




