第十六話
お茶会が終わった翌日。
後宮監督官に連れられて、先日の男の子がやってきた。
この国のご挨拶である手のひらを胸の前で掲げる姿勢をして一礼をしてから、後宮監督官が口上を述べた。
「妾妃トゥヤ様に置かれましては、本日もご健勝のご様子。誠に喜ばしく思います。正妃後候補フィナ様より、ご恵送のお品をお持ちいたしました。お納めください」
一通り口上を述べた後、奴隷の男の子がイゾルに引き渡された。私はそれに返礼の向上を告げると、監督官は頭を下げて部屋を出て行った。
――さてと。
男の子は所在無げにあたりを見回して肩をすくめている。それからイゾルとシャナヤを見て、ますます小さくなってから、私を見て一瞬驚いてから、すぐさま視線を逸らした。
「こんにちは。初めまして。私トゥヤっていうの。よろしくね」
初対面は挨拶から。
男の子は小学三,四年生くらいの猿人だった。いきなり声をかけたから、面食らったみたいではっと顔を上げて私を見てから、きょろきょろあたりを見回して、ちょっと挙動不審になってる。
「トゥヤ様、以前お教えいたしましたよ。下々の者とお話しするときは侍女がその者に声をかけてからと」
またまたイゾルに怒られました。
ほんとに習慣が違うから、ポッと出ちゃうんだよ。ごめんね、覚えられなくて。
「まあまあ、固いこと言わないで。
その子緊張してるじゃん。その緊張をほぐしてあげようよ」
イゾルさんに言うと、イゾルはあからさまにやれやれ、と言わんばかりの表情をして見せた。
男の子が震えていると、イゾルがその子に向き直って、上から無表情で見下ろした。
イゾルさん、何その顔!! こわっ!
背中にブリザード吹いてるよ、雹が見えます、お姉さま!!
「トゥヤ様が直々にお声をかけていらっしゃるのですよ。その態度は何事ですか!!」
厳しい! イゾルさん、厳しい!!
他人に対してそんな怖い態度のイゾルさん、初めて見ました。シャナヤ~~!!
ヘルプミーと、シャナヤの顔を見ると、シャナヤは目を伏せて黙って首を横に振った。
……イゾルさんの本性、実はこれ!?
男の子はイゾルの剣幕に押され、慌てて膝をついて跪いた。
彼の衣服は腰布だけだった。それに、せっかくの金髪がぱさぱさになって梳いたことがないのだろう、くしゃくしゃに固まって、毛玉になっている。
そして、その背中には無数の蚯蚓腫れが走っている。その後は皮膚が盛り上がって消えない傷となってしまっていた。
「とにかく、奴隷が何をするか知らないから仕事とか詳しいことはイゾルとシャナヤに聞いてね。で、君はまずお風呂と着替え。
シャナヤ、この子お風呂入れてあげて。
イゾルは着替えを用意してくれる?」
二人に頼むと、二人ははあっ!?っと声を上げた。
「トゥヤ様、この子は奴隷ですよ?」
イゾルに念を押される。
「……はあ、さんざん聞いてます」
「奴隷が入浴など、聞いたことがございませんが?」
「え? そうなの? 一生懸命仕事してるんだから、お風呂は入った方がいいよ。汗流したほうが気持ちいいでしょ?」
私は普通に毎日お風呂をいただいていたけど……、あれ、もしかして、それも常識じゃなかったのかな?
「それに奴隷の服は新年に一枚下賜されることになっておりまして、それ以外で奴隷に着替えなどと……」
「ええ!! 一年で一枚!? こんな育ちざかりな子、それじゃ間に合わないでしょ。それに、洗い替えはどうするの!?」
私は毎日衣装を取り替えてもらって、洗濯もしてもらってる。おんなじ服は着たことない、というほど贅沢はしてないけど、一か月同じ服を着たことはない。
それが……。
「それに、腰だけじゃなくてきちんとした服を着させてあげて」
イゾルとシャナヤと押し問答していると、「ふ、ふっ――えぐ」と、背後で喉が詰まったような声がしてきた。
三人で振り返ると、奴隷の子が声を殺しながら泣いている。
「どうしたの!?」
びっくりして声をかける。いきなり傷が痛んだとか、ずっと座ってて足がしびれたとか? そんなことならいいけど、どこか具合でも悪いのか?!
なんて駆け寄ってみると、男の子はえぐえぐ泣いている。
「……僕、女性の方を喜ばせたことはないのです……。
トゥヤ様のお役に立てないかもしれません……。
娼のお役目を果たせなければ、やはり罰があるのでしょうか……」
声を出すと、ひっくひっくとしゃくりあげる。
……え?
ぽくぽくぽくぽく――
は? ええ!?
「これ、奴隷!! トゥヤ様の前で何を申し上げるか!!」
真っ赤な顔をして男の子に怒鳴りつける。さっきの静かなイゾルさんも怖かったけど、こちらのイゾルさんは明らかに怒りを爆発させている。
「申し訳ありません。
……あの、さっきの方に言われたのです」
嗚咽が混じる。
「……妃には逆らうなと。王の寵愛を欲しいままにしてるんだから、相当な手管だろうって。
お前はこれからその妃のお相手をするんだ。
こんな小さな子どもを所望するぐらいだから、そっちの趣味なんだろうって。
……だから、僕、覚悟を決めてきたんです。僕、女の人でそういう奴隷の人を見てきたことあったから、僕もそういうことしないといけないんだろうって……。
お風呂に着替えっておっしゃるから、来て早々お役目が待っていたんだって。
でも、僕、そういうことしたことないから、わからなくて……。
失敗して、ご不快な思いをさせてしまったらどうしようって……」
えぐえぐととうとう声に出して泣き出した。
……。
……。
……。
「えーと、イゾルさん。 さっきの方って、後宮監督官だったよね?」
問いかけると、イゾルの顔が真っ赤になって目がつりあがっていたので、恐ろしくてもう何も言えませんでした。
「……こ、好色一代女……!?」
自分で自分を指差してみる。
……産まれてこの方、そっち方面には疎いつもりだったんですけど……。
シャナヤもイゾルも、笑ってくれなかった。
「と、とりあえず。お仕事のことは考えなくていいから、お風呂入ってこようか?」
このブリザードな空気をどうにかしなければ……と思って、男の子に話しかけた。
笑顔が引きつっていませんように……。
シャナヤにお風呂に連れて行かせた。残された部屋には、怒りのオーラを全開にしているイゾルさんが何やらぶつぶつと小声で呟いている。
近づいたら、「コロス!」とか地味に聞こえてきそうなので、あんまりそばに寄りませんけど。
何も聞いてませんよ――!
明日には後宮監督官が変わってても、私のせいじゃないですよ――!!
……まじめな話、後宮監督官とは初めて顔を合わせたけれど、そんなに悪意を持たれていたとは思わなかった。ほんとにこの後宮内では、私の居場所はないんだな……私、なんでこんなところにいるんだろう。
もう、帰りたいよ……。
ここにきて初めのうちはわけがわからず、いろんなことがあって、帰りたいってずっと思ってた。一人で涙を流したことも、実は結構数限りない。でも、帰れそうな感じもしないし、無理を言っても仕方ないからずっと黙ってた。
でも、本当に帰る手立てはないんだろうか。
同じシチュエーションになったら、とか考えてみたんだけど、再び高いところから飛び降りる勇気はなくて、挑戦はしてない。
それに、帰りたい世界でもなかったしな……。
普通なら両親とか友達とかを思い出して、「みんな心配してるよね。早く帰らなくちゃ」って思うんだろうけど、あいにくそんな感慨はない。
だって、ずっと考えていたんだもの。
――ここではない、どこかへ――
それが叶った今、私の思った「ここではないどこか」の世界とはかけ離れているけど。
だから私は真剣に帰りたいと願ったことがなかったんだ……。
じゃあ、私をここに連れてきたのはいったい誰で、それはどうしてなんだろう……。




