さよなら、春
おはようございます、とどこからともなく折り目正しい挨拶が聞こえてくる朝。
ここ、私立聖麗学園の正面玄関は賑わっていた。
眩しい光の中、制服をきちんと着こなす生徒が学友と談笑しながら各々の靴箱に向かう。
由緒ある学園に通うに相応しい紳士淑女達の優美な一日の始まり。何の変哲もない日常的な光景に思えたが。
一女子高生、歌川真藤花にとって今日という日は一味違うものに変貌する。
***
「あら……?」
御機嫌麗しゅう、読者の皆様。
わたくし、ここ私立聖麗学園に通う歌川真藤花と申し上げます。二年雪組に在籍し、日々学業に励んでおります。
さて、突然ですが今日、わたくしは一風変わった朝を迎えてしまいました。
いえ、つい先刻までは先日となんら差異の見当たらない朝を過ごしていたのですが、それが一変しまして異質なものがわたくしの目に飛び込んできたのです。
それは靴箱を開けた時のことでした。
きちんと踵を揃え並べられた上履きの上にある其れ。白い封筒でした。訝しげに手に取ってみると、「歌川真藤花様」と宛名の文字が表に並んでいます。手蹟は流れるように美しく、かつ見覚えの無いものでした。
疑問符を浮かべながら封筒を裏返せば、やはり達筆な手で送り主の名が黒々と綴られていました。
九鬼誠、余りにも有名すぎるその名が。
九鬼様はわたくしより一つ上、三年月組に所属する先輩でございます。
才色兼備清廉潔白品行方正公明正大。ありとあらゆる美辞麗句をここに記しても間に合わないほど、その気品さや聡明さは言い表せません。
とにかく、生まれも育ちも正しい九鬼様は学園中の女子の憧れの的で、何を隠そう私もその一人でした。
しかして一体何用で九鬼様はわたくしにこのような御手紙を?
封はされておらず、手早く便箋を取り出し中身を確認します。
「まあ……っ」
九鬼様からの御手紙。それは、艶書でした。
***
「胡蝶さん!」
教室に入るや否や、わたくしは一番の御学友秋原胡蝶さんの元へ駆け寄りました。
胡蝶さんはこの学年屈指の才媛で詠雪の才、大層文学に精通した御方です。
人柄は春の日のごとく温厚で、租忽な振る舞いはわたくしの知る限り一度も目にしたことはございません。この学園に通うに相応しい、女性の鑑と呼ばれるような見事な存在であります。
「どうされたのですか、真藤花さん。朝から慌てて、みっともないですよ」
古めかしい書籍から顔をこちらに向け、わたくしの蛮行をやんわりと窘める胡蝶さん。浮かべた笑顔は菩薩のようで、朝日がさながら後光のように神々しく彼女を照らします。
「すみません。少し興奮してしまって……」
「興奮? 珍しいですね。猫のように自分調子で周囲に中々動じない真藤花さんがそんなに慌てるなんて。如何しました?」
「実はですね……」
かくかくしかじか。
ついでに届いた艶書もお見せします。
多少自慢のようで気が引けましたが、実際憧れの殿方からの求愛なのですから無理もありません。半ば誇らしげに、わたくしは今朝の出来事を事細やかに包み隠さず打ち明けました。
事情を一通り説明し、胡蝶さんが九鬼様からわたくしへの愛を詳細に書き記した文章を読み終えた時、彼女は。
「き……」
「き?」
「きえええええええぇぇぇぇぇいっ!」
「胡蝶さあああんんん!?」
奇声を上げました。
何というかそう、ご乱心。
大口を開け叫び倒すなんて、普段の胡蝶さんからはとても想像がつきません。
何か物怪でも憑依したのか、果てまた天変地異の前触れか。初めて目の当たりにする胡蝶さんの取り乱した姿を、周囲を含めみな珍妙なものを見る目つきで眺めます。
「何が……」
ぐしゃり。艶書を握りしめた胡蝶さんは低く呻くように、二言目を発します。
「ぬゎにが、貴女の瞳に心を奪われただ夜密かに思っては溜息を夜風に攫って貰っていますだ言うことが一々クサい! 砂吐きそう! 素直に言えよ馬鹿! ええいリア充爆発しろ!」
「ちょ、リア充って何胡蝶さん!」
「こんなもの、こんなものぉぉぉぉっっっっ」
間髪入れず響くのは紙を引き裂く音。
びりびりと、いつもは慈しむように書物の頁を捲るその指先が今は嬉し恥ずかしの恋文を一心不乱に千切っています。
「ちょ、ええええぇぇっ!?」
そうしてそれを、勢いよく窓の外へ捨てる胡蝶さん。折しも丁度いたずらな風が一陣爽やかに吹きこみ、白い紙片をあっと言う間に飛ばしていきました。
「そんなぁぁぁぁ……」
恨みがましく落胆の声を上げながら、わたくしは窓際に駆け込み身を乗り出してそれらの行方を目で追いかけます。
空中を舞う紙切れは、わたくしの短い春を祝福する紙吹雪のようにヒラヒラと優雅に舞っていました。
(ラブレターが辻斬りにあいました)
やってみたかった現代っぽい一昔前のおはなし。
ちなみにこの学校は雪組・月組・花組と某有名演劇学校のようにクラス編成をしているという裏設定があります。
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