閉じられた世界の悪魔
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芥川くんの頭蓋骨の形が変わって脳味噌がぺしゃんこになった。クラスメイトが死んだことで学校がお休みになったので、ボクは不登校のイナイ君の家に遊びに行くことにした。
「やあやあ」
イナイ君のマンションにボクが訪ねると、イナイ君は頬の太った顔をくしゃくしゃにして微笑んでくれる。何かがあるのかもしれないと思った。
「どうしたんだい?」
「すごいんだよ」
イナイ君は興奮しがちにそう言った。こんな時のイナイ君は、おかしなものを手に入れた時だ。悪魔を償還する為の本だとか、昔UFOが飛来した時の詳細なビデオだとか。
「どうしたんだい?」
「天使と悪魔と宇宙人なんだ」
気のないような声でちょっとだけ期待しているボクが言うと、イナイ君はそう返事をしてから自分の部屋に入って行った。それに付いていったボクが最初に目に入って来たのは、黒い檻の中で女の子座りをする十歳くらいの裸の子だった。
「イナイ君、これはいけないよ」
ボクは言った。イナイ君は少しだけ得意そうに笑うだけだったので、ボクは怪訝に首を傾げる。
「違う。これは天使なんだ」
イナイ君がそんなことを言った。意味が分からないのと、少しおもしろいのとで、ボクは檻の中の女の子を覗き込む。柔らかそうな栗色の髪に、シルクのような肌。大きいだけでなくつぶらな瞳。奇跡のように可愛らしいので、ボクはこの少女が人形なんだと結論しようとした。
「如何にも。私は天使である」
そうしていると、女の子はボクに向かってそう言った。風鈴を鳴らすような、幼いながらに透き通った声調だった。
「どうして天使がここでこのようにいるのかと貴様も問いたいことだろう。私も退屈だ。説明してやるから、どうか話し相手になって欲しいところである」
「はあ」
「我々座天使の仕事は、貴様ら人間でいうところの農業に似ておる。遊牧でも良かろう。まず環境を整え、種を巻いて育て、引っこ抜いてから売り払う。私は数千年前より、貴様らが宇宙と読んでいるこの畑を仲間から引き継いだのであるが、少し様子のおかしな作物を見付けてな。ついつい様子を見ようと手を伸ばしたところ、その手を取られ、引きずりこまれた挙句このようにして捕らえられてしまった。まったく部下に合わせる顔がない。いくらか嘲笑されるのを覚悟せねばならないだろう」
仰々しいが、おだやかでどこか余裕のある口調であった。ボクが首を傾げていると、背後から通りの良い声がかけられる。
「そちらの天使様のおっしゃることは、全て本当ですよ」
二十歳を過ぎたくらいの、起伏ある体をした美人だった。イナイ君のベッドで艶めかしく横たわる姿を、ボクはどこかで見たことのあるような気がした。
「彼女は宇宙人だ」
イナイ君は言った。
「宇宙人な訳ないじゃん。思いっきり人間と同じ格好だし。だいたいこの人は、君のお姉さんじゃなかったかな?」
「体を借りておりますので。一時的に、脳を移植しているのです。そして残念ながら頭の大きなタコの形状を取ることは適いません。ご期待に沿えず申し訳ない限りです」
「あっそう。地球には観光ですか?」
ボクはからかうようにそんなことを言った。姉弟でボクをからかっているのだと思ったのだ。
「いえいえとんでもありません。このような星屑にわざわざ観光に至る物好きは、母星のどこを探しても見付からないことでしょう。恥ずかしながら、私は母星では犯罪者。粗末な宇宙船に乗せられて島流しの刑にあい、鉄のコケが繁殖しまくった崩壊寸前の惑星に流れ着いたという訳ですよ」
「ほら。覚えてるだろう?」
イナイ君が得意げに言った。
「七年前地球にUFOが飛来した事件があったじゃないか。都市を一つ崩壊させた事件。乗ってた宇宙人は皆地球の大気にやられて死んでいて、中では地球の小学生がゲームの感覚でレーザー光線打ちまくってたって奴」
「操縦の仕方は私が教えました」
女性は少し誇らしげに
「このままでは体が溶けてしまうと判断しましたので。好奇心で中に入って来た少年の持っていた虫籠の中に入っていたカナブンに寄生したのです。三秒で脳を移植しました。それが他の罪人の誰より早かったので、私は今も生きられているのですよ」
などと言い出した。それはつまり、都市が一つ壊滅したのはこの女性の責任だという、そういうことではないだろうか。そう思ったボクは、若干眉を潜めながらイナイ君の方を向いた。
「あれに乗れるかもしれないんだ」
だがイナイ君はボクの気持ちなんかおかまいなしに言った。
「嬉しいだろ? テレビのニュースで初めて知った時、約束したじゃないか。それが適うんだよ。いつか三人で、一緒にあれに乗ろうって」
「三人って? ショーコはどうするんだい?」
「あ、……いや」
イナイ君は困ったように頬をかいた。女性はそれを嘲るように見ながら、親指を突き付けて口を開く。
「あれが悪魔です。そのことなら、彼女に相談するのが良いでしょう。まあしょせんは味噌っかすなので期待はできませんが」
「何よ味噌っかすって!」
わめくような声が聞こえた。
「あんたこそあばずれじゃないこの犯罪者! やーい追い出されてやんの間抜けー。あんたなんかゴキブリにでも寄生していたら良いのよバーカ!」
十三歳そこらの少女である。ボロ衣同然の黒い布を体に巻きつけ、二本のアホ毛をぴょんと生やした姿は、まだしも悪魔らしかった。
「そこの出来損ないに何でも申し付けると良いでしょう。二束三文で馬車馬のように働きます。成果は知れていますが」
飄々と言う女性に、少女は顔を真っ赤にして口を開閉する。出来損ない、と言われたのがよっぽど応えたらしい。
「まず最初に、宇宙人がやって来た」
イナイ君が説明を始める。
「姉さんの姿でこの部屋にやって来た宇宙人は、悪魔を呼び出そうとしていた僕の手伝いをしてくれた。そして悪魔が召喚されると同時に、そこの天使がこの部屋に現れた。悪魔に僕の魂をあげたら、悪魔はこのとおり天使を檻の中に閉じ込めてくれた」
「そのとおりである」
女の子が仰々しくうなずく。
「何事かと思って来てみれば、悪魔が償還されていたので驚いた。その上、このように檻の中に囚われてしまった次第である。酷く滑稽な姿であろう。せめて嘲笑してくれると気持も安らぐ」
「あははは」
ボクは笑って見せて
「でもイナイ君。悪魔に魂なんてあげちゃって良いのかい? 地獄に連れて行かれちゃうよ」
「それにも私が答えよう」
そこでまたしても女の子が口を出す。
「悪魔と契約しようが何事も無く死に絶えようが、しょせん人の魂などその末路は似たようなものだ。浮遊する人の魂を死神を使って回収し、悪魔や魔人などのけったいな者達に一山いくらで売り払うのは、私の部下である下級天使どもの仕事だからな。ようは、私達の手を介するかその否かというだけの問題である。わざわざ畑泥棒にやって来る悪魔どもにはご苦労なことだ」
「生意気なお子様ね! あたしに封印されちゃってるくせに! 天使の癖に!」
「返す言葉もない。まことにあっぱれな小悪魔である」
「小悪魔って言った!」
それからも少女は顔を真っ赤にしてわめき続けている。女の子はその騒ぎを無表情で楽しんでおり、女性はただ肩を竦めるだけ。イナイ君は気にもしていないようだった。
「それで。悪魔さん? ボクの話を聞いてくれるかい?」
「何よ! 女の癖にけったいなしゃべり方ね!」
少女はうるさくそう口にする。ボクはそれには何も言わずに
「生き返らせたい人がいるんだ。魂でもなんでもやる。できるかな?」
「無理に決まってんでしょバカぁ!」
少女は絶叫した。
「ねぇ君。まさかまだ、ショーコのこと引きずってんのかい?」
イナイ君は意外そうに言った。
「……君は違うのかい?」
「いや。一応ボクからも悪魔に頼もうかなって考えてはいたんだ。それが無理だというならがっかりだ」
「しょせんは出来損ないってことですね。これではっきりしましたね」
少女に向けて、女性は嘲笑を寄越した。少女は顔を真っ赤にする。
「うるさいバーカ! 人間の魂なんてちびっこ過ぎて簡単には見つけられないんだってば! 何も知らないのに勝手なこと言わないでよね!」
「だいたいですよ」
騒ぎ始める少女にお構いなく、女性は軽く部屋の隅っこを指差して
「あんな儀式で償還ができてしまう時点で、この悪魔さんの力など知れているのですよ」
文庫本を三つ重ねたもの、二つ重ねたもの、一つだけのものを並べた階段のようなものがあった。それが二組あり、右側には上から順に、ネコの頭を煮詰めて作ったガイコツ、カマキリの死骸、バッタの死骸が置かれている。左側は上の段には何もなく、中段に人間の形をした白い人形、下の段にはハエの死骸があった。
「うるさいな!」
少女は泣き出しそうにわめいた。
「あたしを呼んでくれる人なんて初めてだったのよ!」
言ってから自分の失敗に気付いたらしい。顔を真っ赤にし、少女はそっぽを向いてしまった。そして儀式とやらの仕掛けからハエの死骸を指でつまみ、口に放り込む。
「悪魔の王はハエの姿をしていると言われる」
そこで女の子が軽く説明を加えた。
「悪魔を償還する為の儀式の内容はこうだ。上中下、またはそれ以上の段のある設備を作り、右側は食物連鎖を現すように生き物の死骸を並べて行く。左側の一番上の段は空けておき、そのすぐしたに人間またはそれを現すものを配置し、その下に悪魔が納得しそうなものを置いておく。儀式を行う者に十分な邪気が備わって折れば、それに誘き寄せられた悪魔が左の最上段に現れるのだ」
「単純ですね。その悪魔が納得しそうなもの、というのがハエの死骸だった訳ですか」
「如何にも。単純ほど偉大なものは存在しない。貴様ほどの知的生命体であれば、理解もできよう。最下層のハエは生け贄だ、これが如何によいものかで召還できる悪魔の質も変わる」
「ですってね。かわいい小悪魔さん」
「うるさいわね!」
またしても大騒ぎが始まる。ボクはそれから目を逸らし、イナイ君の方を見た。
「それで。君の目的はなんだい?」
「召還した悪魔に軍事施設に匿われてるUFOを取ってきて貰おうと思ったんだ。最後は宇宙人がそれを使って星へ帰るんだけれど、その前にボクらに遊ばせてくれる約束だよ。だけれど悪魔の奴、そんな大仕事だったら相応の対価を支払えって応じないんだよ」
「ふうん」
ボクは少女の方を向いた。
「ねぇ悪魔さん。天使さんが閉じ込められてるその檻を、とびっきり軽くすることはできる?」
「はぁ? だったらなんだっていうの?」
「できないの? そうなんだ」
「……ちょっと待って! できるできるっ。できるってば」
少女は顔を赤くして、女の子の檻に触れる。ボクが檻を持ち上げようとすると、驚くことに、それは羽のような軽さになっていた。
「どう? どう?」
「流石悪魔だ」
「当たり前でしょ!」
少女は嬉しそうに声をあげた。女性が肩を竦める。女の子は何でもよさそうな顔をしていた。
ボクはネコの頭蓋骨とカマキリとバッタの死骸を鞄に放り込み、天使の檻を持ち上げてイナイ君の部屋を出た。
「どこに行くんだい?」
その質問には答えずにボクは
「イナイ君。悪魔の力を使って芥川を殺したのは、君だね」
それだけ言って、外に出た。
エレベーターを使ってイナイ君のマンションを下の階に降りていると、女の子が唐突に口を開いた。
「貴様が何をしようとしているのかは理解できる。ただ理由を聞かせてはくれぬか?」
「どうして?」
「私はこのとおり悪魔に閉じ込められているが、出て来れないとでも思ったか?」
女の子は得意そうにするでもなくそう言った。
「ここで天使の羽を召還すれば、悪魔の邪悪な鉄檻など簡単に破れる。そうせぬのは、そんなことをすれば我が翼の先っぽがちょっとだけだが汚れてしまう故。どうせあの悪魔の寿命など長く見積もってもあと六万年ほど、私はそこまでせっかちな性格ではない。むしろのんびりとしていると同僚には良く言われる」
「そんな感じだねぇ」
ボクは諦めて、天使の女の子に向かって話し始めた。
「ボクと稲井和馬はずっと昔から仲良しだが、前はもう一人いたんだ」
「そのようであるな」
「芥川っていじめっ子がいてね。ずっと前、奴はまずはイナイ君をいじめはじめて、次にもう一人をいじめはじめて、二度といじめられたくなかったイナイ君は一緒になってその一人をいじめたんだ」
「私も天使である。そのような話を聞かされれば、やはり心が痛む」
「その時にね、ボクはどちらにでも付くことができた。でもやっぱりボクはイナイ君と芥川に付いたんだ。そしてもう一人はこの世にいなくなった。イナイ君は不登校になって、今のあだ名で呼ばれるようになった」
「そうであるか。それで、貴様は何がしたい?」
「もう一人。ショーコっていうんだけれど、彼女に謝りたい」
「なるほど」
ボクは天使をマンションの一階の左端に置いて、右端にバッタの死骸を放った。階段をを使って上の階へ行き、作業を済ませて行く。それから、ボクは二階の右端に立った。
「来いっ」
叫んだ。
「来いっ。来いっ。来いっ」
何度も叫んだ。これによって、幼く愚かなボクを幼く愚かなまま、何年にも渡って閉じ込めて来た檻から出られるのだと思うと、どんな悪魔でもこの身に宿してみせると、そう誓った。
「来いっ」
六百回目だった。
ボクはためしにと、下の階に降りてみた。
一階の天使の檻の上に、悠然と座り込む長身の男がいた。
「おまえが俺の主人らしい。俺はそう判断した。よって俺はおまえの願いを訊くが、相当の対価はいただくことになっている。よろしいな」
こちらに顔を向けようともしない、黒ずくめの男は投げやりで事務的な声でそう口にする。だがしかし、ボクにはまるで彼の全身に目が付いているのかのように感じられた。試されているのだ、ボクに飛び出す権利があるのかどうか。試しているのもボク自身だ。ただここで、ボクがちゃんと願いを口にできるのかどうかということだ。
「友達を生き返らせてください」
ボクははっきりと言った。
「ボクを開放してください。何でも払います。魂でも何でも」
「それはまことか?」
「はい」
悪魔は立ち上がった。
「承知した」
嘲笑さえくれなかった。
生き返った少女は何も言わずに友の言葉を待った。
だがしかしもう一人の、蘇らせたほうの少女は何も言わなかった。何がなんだか分からず、その場を逃げ出してしまった。
少年が部屋から飛び出して来る。宇宙人を連れていた。小悪魔はもういなかった。UFOマンションの前に浮遊していた。少年は一目散にそこに向かい、どちらの少女にも一言もくれなかった。
UFOから光が伸びて、宇宙人と少年を吸い込んで行く。宇宙人は晴れ渡った表情をしていた。隣の少年はどこか、意味のない義務感と不可解な憂鬱で曇っているように見えた。
「彼女の絆を対価にしたな」
天使は言った。
「人一人蘇らせる代わりに、絆を断ち切った。絆とはその想いだ」
「彼女に嘘はついていない」
悪魔は言った。
「彼女はその願い通り自らを縛る牢獄から開放された。友達を蘇らせることによって」
「この悪魔め」
天使は言った。まったくそのとおりであるように思えた。
「如何にも俺は悪魔だ。そして使い魔だ。主人に忠実で、背くことなくその願いを適え、僅かも不愉快にさせることもない。主人は満足していた」
悪魔は天使に歩み寄り、その檻を両手で持ち上げた。
「だから俺はおまえをいただく権利がある」
言って、悪魔は歩き出す。
最後には、少女がたった一人で残される。少女は目を見開いた。少女は幼く愚かで弱かった。脇の階段の方を向き、いつかのように少女はそこに歩き出していた。
「待つことだ」
天使は言った。
「例えこうして悪魔にとらわれていようとも、焦って良いことなど一つもない。こんな時こそ、のんびりとしているのだ。私はそうする」
少女がそちらを振り向くと、その時には全ての超常は霧散していた。
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