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靴下に魔石を詰めて客の剣を壊せと言われたので、七年前に壊された形見の剣ごと告発します

作者: あゆと
掲載日:2026/09/09

「魔石を靴下に三つ詰めろ。金槌だと跡が残るから」


入社初日の午前九時十五分。教育係のバルド主任は、使い古した厚手の靴下と、握り拳ほどの魔石を俺の作業台へ置いた。


「……何に使うんです?」

「客の剣を叩く。さっきお前が点検したやつ」


作業台には、若い冒険者から預かった長剣がある。刃こぼれが二か所あるだけで、歪みも内部亀裂もない。研ぎ直せば銀貨四枚で済む。


俺は剣を持ち上げ、バルドから離した。


「待ってください。これ、叩いたら壊れますよ?」

「そうだな」

「そうだなって……じゃあ、なんで叩くんです?」

「壊すためだよ」

「はあ!?」


思わず声が裏返った。近くで盾を磨いていた整備士がこちらを見たが、すぐに目を逸らす。驚いているのは、どうやら俺だけだった。


「いやいや、研ぎ直しで直りますよ!? 銀貨四枚です!」

「四枚じゃ十枚足りない」

「何にです?」

「十四枚に」


十五分前、俺はその数字を初めて聞いたばかりだった。


◇


午前九時。《グランドル装備商会・王都中央店》の壁いっぱいに、小柄な男の姿が映し出されていた。


副社長のマルセル。四十を越えているらしいが肩幅は狭く、大きな革張りの椅子に座っているせいで身体が余計に小さく見える。


「今月も、一件あたり粗利は銀貨十四枚。これは目標じゃないからね。最低ラインです」


王都から地方まで、全店舗へ流される朝礼だった。中央店の支店長も主任たちも整列し、黙って壁を見上げている。


「軽い修理が多いとか、客層が悪いとか、そういう説明はいらないよ。だって十八枚、二十枚取れてる店もあるんだから。できてる店、あるよね?」


マルセルは少し高い声で笑った。


「数字が出ないなら教育。技術が足りないなら技術教育。意識が足りないなら意識教育。教育してもできないなら、できるまで教育する。それだけだから」


手元の紙を一枚めくり、明るい声を張る。


「今月も、教育! 教育! 教育! 教育! 教育! でいきましょう!」


投影が消えると、壁には中央店の個人成績表が残った。


十四枚以上は白。十四枚未満は赤。十人ほどいる整備士のうち三人が赤く、その中に俺の教育係として紹介されたバルド主任の名前もあった。


「赤い名前は?」

「一件平均粗利十四枚未満。最低ライン未達だ」

「続くと、どうなるんです?」

「教育。それでも駄目なら異動」

「異動って、普通の異動ですか?」

「……さあな」


バルドは自分の名前を一度だけ見上げ、そのまま作業場へ向かった。


そして十五分後、俺の前に靴下と魔石が置かれた。


◇


「その十四枚を作るために、客の剣を壊すんですか?」


バルドは答えず、魔石を一つずつ靴下へ入れ始めた。


「ちょっと待ってください! 預かり物ですよ!?」

「分かってる」

「分かってるならやめましょうよ!」

「分かってるって言ってんだよ!」


怒鳴り声で、周囲の手が一瞬止まった。


バルドは額を押さえ、作業場の奥にある空の台を指さした。工具箱はなく、椅子だけが半端に引かれている。


「昨日まで、あそこにロイって主任がいた。先月平均十二枚。今日から北部倉庫だ。嫁と子どもは王都に残して、一人でな」

「……それで次は自分だから?」

「そうだよ! 悪いか!」


怒っているのに、靴下へ魔石を詰める手には迷いがなかった。


「俺だって四枚で直るなら四枚で返してえよ! でもお前が四枚で返したら、足りない十枚は誰かが別の客から作らなきゃならねえ! 店の平均は十四枚から逃げられねえんだよ!」

「だからって、その十枚を客に払わせるんですか!?」

「俺に聞くなよ!」

「主任が今から壊すんでしょうが!」

「分かってるよ! そんなことは!」


バルドの顔が歪んだ。


「毎回分かってるんだよ……!」


ゴンッ!


靴下に包まれた魔石が、長剣の根元へ叩きつけられた。


「ちょっ……!」


二度目。


ゴンッ!


近くにいた整備士が、わずかに顔をしかめた。


バルドが剣を俺へ押し戻す。


「ほら。検査しろ」

「……」


検査具を当てると、さっきまでなかった細い亀裂が刀身の根元に走っていた。


「これで刃交換。部品に上乗せすれば粗利十五枚くらいだ。細身なら魔石二個、厚い剣なら三個。金槌は使うな。打痕が残る」

「それ……新人教育で教えることですか?」

「ここじゃ必要な技術だ」


説明を終えたところで、後ろから笑い声がした。


「ははっ。新人は最初みんなそんな顔するんだよ。三か月もいりゃ慣れるって」


古参整備士のデインだった。腰には高価な魔導工具が並び、袖口から銀の腕輪が覗いている。


「デイン、余計なこと言うな」

「本当のことだろ、主任。ここ、町工房の倍近く給料出るんだぞ? 数字出せば歩合もでかいしな」


俺は亀裂の入った剣を指した。


「給料のためなら、客の装備を壊していいのか?」

「おいおい。いい悪いって、いつまで学生みたいな話してんだよ」

「客の剣ですよ!?」

「客は新品になって喜ぶ。保険なら負担も軽い。店は儲かる。俺らの給料も上がる。何が問題なんだ?」

「壊されなければ交換自体がいらないだろ!」

「細けえなあ!」


デインは笑いながら俺の肩を叩いた。


「そういう奴、ここじゃ長続きしねえよ」


俺は返事をしなかった。


頭に浮かんでいたのは、この剣ではない。


七年前、俺がこのグランドルへ預けた一本の長剣だった。


軽い刃こぼれで預けた翌日、突然「内部亀裂が見つかった」と言われた剣。


証拠を掴むまで半年はかかると思っていた。


まさか入社十五分で、客の剣に内部亀裂を作る現場を見るとは思わなかった。


◇


七年前の俺は、二十歳になったばかりの駆け出し冒険者だった。


オズワルドという男に育てられた。血は繋がっていなかったが、孤児だった俺に飯を食わせ、剣を教え、一人で仕事を取れるところまで面倒を見てくれた。


最後も俺を庇った。


大型魔獣の爪をまともに受け、その傷がもとで三日後に死んだ。


形見として残ったのが、二十年以上使い込まれた一本の長剣だった。名剣でも魔剣でもない。柄の革にはオズワルドの握り癖が残り、鍔の右側には俺を庇った時についた欠けがあった。


だから軽い刃こぼれができた時、自分では触らなかった。


王都最大手なら間違いない。


そう思って、グランドルへ持ち込んだ。


翌日、店から呼び出された。


『刀身内部に重大な亀裂があります。このまま使えば、戦闘中に折れる危険があります』


刃交換、鍔交換、柄交換。請求は銀貨十六枚。


高いとは思った。


だが、「命に関わります」と言われれば、知識のなかった俺には断れなかった。


一週間後、戻ってきた剣を見て、俺は店内で声を上げた。


「……これ、俺の剣ですか?」

「はい。修理完了しております」

「いや、柄は!? 元の柄と鍔はどこですか!?」

「安全基準を満たさなかったため廃棄しました」

「はあ!? 残してくれって頼んだだろ! 修理票にも書いた!」

「申し訳ありません。ただ、命に関わる部品でしたので」

「だからって勝手に捨てるのかよ!? 返してくれよ!」

「すでに廃棄処理が完了しております」

「そんな……」


柄も鍔も新品になり、重心まで変わっていた。


オズワルドが握った跡も、俺を庇った時の傷も、全部なくなっていた。


何を言っても戻らなかった。


俺には専門家へ反論する知識もなく、最後には別物になった剣を抱えて帰るしかなかった。


それから装備について学び始めた。


冒険者を辞め、整備士になり、七年かけて剣、鎧、魔石、魔導具を覚えた。折れた魔剣の再生まで任されるようになると、七年前の診断がおかしかったことも分かってきた。


そんな時、グランドルが経験者を募集した。


俺が持っているのは、七年前の修理票だけだった。受付時の申告、交換部品、請求額、修理番号。それだけでは何も証明できない。


社内で何があったのか確かめるには、中へ入るしかない。


だから俺は応募した。


半年でも一年でも潜るつもりだった。


初日の十五分前までは。


◇


その日の帰り、俺は小型の記録魔石を二つ買った。


冒険者が魔獣討伐の証明に使う安物で、作業着の裏へ縫いつけられるほど小さい。一つで半日ほど、音と映像を残せる。


初日の靴下は記録できなかった。


あれを見ておきながら、証拠が何一つない。


「くそ……!」


二度目からは逃さない。


翌朝、俺は胸元に記録魔石を仕込んで店へ入った。


◇


俺は靴下を使わなかった。


壊れていない部品は替えず、研ぎで済む剣は研ぎだけで返す。当然、俺の平均粗利は低かった。


だが再修理も苦情も出ない。数日すると「あの新人に見てもらいたい」と受付で名前を出す客まで現れた。


一方、グランドルの給料がいいというデインの話も本当だった。基本給だけで前の工房の一・八倍。十四枚を超えれば歩合がつき、十八枚、二十枚と上がるほど賞与も増える。


昼休み、デインは壁の成績表を眺めながらパンを齧っていた。


「十九枚か! よし、あとちょいで特別歩合だな」

「必要ない部品まで替えてるからだろ」

「お前、まだ言ってんのかよ?」

「まだも何も、壊れてない物まで替えてるだろ」

「客には分かんねえって!」


胸元に記録魔石があるとも知らず、デインは笑った。


「剣の中なんか見えねえし、俺らが『危ないですよ』って言えば替える。保険ならなおさらだ」

「壊れてなくても?」

「新品になるんだからいいだろ? 店も儲かる、俺らも儲かる。誰が損してんだよ?」

「客だよ!」

「細けえなあ、お前!」


その日の夕方、本社から支店長用の連絡魔導板へ伝信が届いた。


『中央店、二名未達。教育!』


翌日は、


『まだ一名未達。教育! 教育!』


さらに翌日には、


『主任が教育! 店長が教育! 数字が出るまで教育! 教育! 教育! 教育!』


「また教育かよ!」


デインが笑う。


バルドは笑わなかった。


何をどう改善しろとは、一行も書かれていない。


数字と「教育」だけだった。


その横でデインは、まだ使える魔石を交換品の箱へ放り込んだ。


記録魔石には、その全部が残っていった。


◇


入社一週間後、本社の環境整備査察が入った。


店へ入ってきたのは、毎朝壁に映っていた副社長のマルセル本人だった。本社社員を六人従え、床の埃、工具の向き、棚と壁の隙間まで順番に採点していく。


最後に個人成績表の前で足を止めた。


「ラルフって誰?」


俺が手を上げると、マルセルは俺と成績表を見比べた。


「君か。腕がいいんだって?」

「そう言ってくれる客はいます」

「へえ。それで平均、銀貨五枚?」

「はい」

「五枚!?」


マルセルは大袈裟に目を丸くした。


「それ、腕がいいんじゃなくて商売が下手なんじゃない?」

「必要のない交換をしてませんから」

「でも他の人は十四枚取ってるよね?」

「十八枚とか二十枚の店もあるんですよね?」

「あるよ」

「普通に整備して、どうやって一件二十枚取るんです?」

「それを考えるのが現場でしょ」

「本社は見に行ったんですか?」

「……何を?」

「二十枚取ってる店が、どうやってその数字を出してるのか」

「なんで?」


マルセルは、本当に分からないという顔で首を傾げた。


「十四枚も難しいのに二十枚ですよ!? 何かおかしいとは思わないんですか?」

「数字出してる店を、なんで疑うの?」


横にいた支店長の表情が固まった。


俺はマルセルの顔を見た。


冗談を言っている様子はない。


「……本気で言ってます?」

「何が?」

「二十枚取れてるなら、調べる必要はないって?」

「成果が出てる店を疑ってどうするの?」


マルセルは軽く手を振った。


「この子、教育対象に入れといて」

「はい」

「数字が出るまでね。教育! 教育! 教育!」


三回言って笑うと、もう俺への興味を失ったらしい。


胸元の記録魔石だけが、その笑顔を見ていた。


査察の最後、マルセルは店の外へ出た。


王都管理の大きな街路樹が枝を広げ、黄色い獅子の看板を半分ほど隠している。


「これ、見えにくいね。減点」

「えっ!? 剪定申請は出しています。ただ、王都の許可待ちで半年ほどかかると」

「うん。でも今は見えないよね?」

「店では切れません!」

「対処方法まで本社で考えるの?」

「いや、ですが……!」


マルセルは話を聞かず、採点表へ赤い印をつけた。


◇


四日後、街路樹の葉が茶色くなった。


根元の土から、鼻につく妙な臭いがする。


俺がしゃがんで確かめていると、バルドが後ろから腕を掴んだ。


「主任、この木」

「聞くな」

「まだ何も言ってませんよ?」

「頼むから聞くな!」


バルドは俺の腕を掴んだまま、声を落とした。


「聞かれたら、俺は答えなきゃならなくなる」

「……知ってるんですか?」

「聞くなって言ってんだろ」


少し離れたところでは、デインが前よりよく見えるようになった看板を眺めていた。


「おお、見やすくなったじゃん。これで次は減点されねえな!」


誰も笑わなかった。


俺も木から手を離した。


◇


その翌日、若い冒険者から長剣を預かった。


柄の巻きが緩み、刃が少し欠けているだけだ。内部にも異常はない。


「研ぎ直しと柄の巻き直しで銀貨三枚。夕方には終わります」

「えっ、三枚!? 助かる! 別の店じゃ刃交換もあるかもって言われてさ」

「刃は問題ありません。このまま使えますよ」

「よかったぁ……!」


客は露骨にほっとした顔をした。


俺は整備票へ書き込む。


『内部異常なし。研ぎ直し、柄巻き直しのみ』


時刻は十五時二分。


担当者名を入れ、念のため最終検査まで済ませた。


直後、支店長から呼ばれた。


「ラルフ! こっちの魔剣を見てくれ。異音がある」

「今ですか?」

「急ぎだ!」


十分ほど調べた。


何もおかしくない。


「……問題ありませんけど?」

「そうか。ならいい」

「え? それだけですか?」

「戻れ」


妙な依頼だと思いながら自分の持ち場へ戻ると、受付から怒鳴り声が聞こえた。


「おい! 三枚って言っただろ!? なんで十八枚になってんだよ!」


さっきの客だった。


前には支店長とデインが立ち、作業台には俺が整備した長剣が置かれている。


嫌な予感がした。


「何があったんです?」

「何がじゃねえよ! お前、三枚で直るって言ったよな!?」

「言いました!」


支店長が横から新しい整備票を出した。


「再確認で内部亀裂が見つかった。刃交換が必要だ。銀貨十八枚」

「……は?」


俺は整備票と剣を見比べた。


「貸してください!」


検査具を当てる。


確かに亀裂がある。


刀身の根元に、細く斜めに走っていた。


初日にバルドが靴下で作ったものとよく似た位置だ。


「……俺の最終検査ではありませんでした」

「見落としたんだろ」

「見落としてません! 十五時二分に『内部異常なし』と記録してます!」

「その診断が間違ってたんだ」

「そんなわけあるか!」


追加の整備票を見る。


十五時十四分。


承認者は支店長。追加作業者はデイン。


「十二分ですよ!?」

「何がだ」

「内部異常なしから、たった十二分で内部亀裂が見つかった! その間、この剣は店から出てない!」

「再検査した。それだけだ」

「誰が触りました?」

「知らん」

「ここにデインって書いてあるだろ!」

「知らんって言ってるだろ!」


客が俺たちを交互に見ていた。


「ちょっと待てよ……何なんだよ? 俺の剣、どうなってんだよ?」


俺は剣を作業台へ置いた。


「原因が分かるまで追加修理を止めてください」

「お前にそんな権限はない」

「俺の見落としとして処理する気ですか!?」

「俺の部屋に来い!」


支店長は吐き捨てるように言って、奥へ歩いていった。


俺は胸元へ一度だけ触れ、そのあとを追った。


◇


支店長室の扉が閉まった。


「何のつもりだ、お前!」

「こっちの台詞ですよ。俺を別の作業台へ呼んだの、あなたですよね?」

「だから何だ!」

「その十分で客の剣が壊れた!」

「壊れてない! 亀裂が見つかったんだ!」

「初日に見ましたよ! 同じやり方で亀裂を作るところを!」


支店長の頬が引きつった。


俺は一歩踏み込んだ。


「靴下に魔石を入れるんですよね?」

「……」

「金槌だと跡が残るから!」

「声がでけえ!」


支店長が机を叩いた。


「何なんだよ、お前は! 新人のくせに、いちいち正論振りかざしやがって!」

「正論とかどうでもいい! 俺が直した剣、壊しましたよね!?」

「十四枚に合わせただけだ!」


怒鳴り声が狭い部屋に響いた。


俺は口を閉じた。


支店長は止まらない。


「お前が三枚だ五枚だで返すからだろ! マルセル副社長に教育対象って言われたの、聞いてただろうが! お前の数字が低けりゃ、次に詰められるのは俺なんだよ!」

「だからデインに壊させたんですか!?」

「誰がやったかなんてどうでもいい! 十八枚になった! 店の数字は上がる! 客には新品の刃が入る! 何が不満なんだよ!」

「俺の見落としにしたことは!?」

「お前が最初から十四枚作ってりゃ、こんな面倒なことする必要もなかったんだよ!」


支店長は肩で息をしていた。


俺は胸元で熱を持ち始めた記録魔石を確かめた。


「……分かりました」

「何がだ?」

「聞きたかったことは、全部聞けました」


その瞬間、支店長の顔から怒りが消えた。


「……お前」


目が俺の胸元へ落ちる。


「お前、まさか……」


俺は椅子から立った。


「失礼します」

「待て!」


扉を開ける。


「ラルフ! 止まれ!」


廊下へ出ると、支店長も追ってきた。作業場の整備士たちが一斉にこちらを見る。


「何持ってる!? 作業着見せろ!」

「触らないでください」

「記録魔石か!? おい! 誰かこいつを止めろ!」


数人の整備士が立ち上がった。


デインもこちらへ歩いてくる。


「お前……録ってたのか?」


記録魔石を取り上げられたら、ここまで集めた証拠が消える。


俺は出口へ一直線には向かわず、客が並ぶ受付へ進んだ。


「待てって言ってるだろ!」


支店長の手が肩へ伸びる。


俺は腕を振り払った。


「触るな!」

「逃げるな!」

「逃げてませんよ!」


受付の真ん中まで来て振り返る。


十人以上の客が、何事かと俺たちを見ていた。


俺は胸元へ手を入れ、記録魔石を二つ取り出した。


デインの足が止まった。


バルドの顔から血の気が引いた。


「返せ」

「俺の物です」

「社内情報を勝手に記録したな!?」

「客の剣を壊す音も、社内情報ですか?」


受付が静まり返った。


さっきの若い冒険者が、ゆっくり支店長を見る。


「……え?」


支店長が固まる。


「今、何て言った?」

「いや、それは」

「俺の剣、壊したのか!?」


客の声が響いた。


周囲がざわめき始める。


「壊したって何だ?」

「グランドルが?」

「おい、説明しろよ!」


支店長が俺を睨んだ。


「ラルフ! お前、何を」

「もういいです」


俺は記録魔石を握ったまま、店の外へ出た。


今度は誰も追ってこなかった。


◇


三本先の通りまで来て、ようやく足を緩めた。


七年前の修理票を取り出す。


『受付内容 刃こぼれ』

『依頼事項 柄・鍔は交換せず保存希望』

『翌日追加診断 刀身内部亀裂』

『刀身・柄・鍔交換』

『請求 銀貨十六枚』


今の客と流れが同じだった。


最初は軽い修理。


その後、店に預けている間に内部亀裂が見つかり、高額な部品交換へ変わる。


「……まさか」


喉の奥が乾いた。


七年前の俺の剣まで同じように壊されたのか。


だが、まだ決めつけるわけにはいかない。


当時の受付検査で本当に亀裂がなかったのか。翌日までに誰が剣へ触れたのか。その記録を俺は持っていない。


調べられる相手へ渡すしかなかった。


◇


その夜、俺はグランドルの技術研修用魔導板を開いた。


本社が過去の修理例を匿名化し、全整備士へ公開している教材だ。修理種別、部品、金額、再修理の有無などを条件指定して検索できる。


俺は『入庫時診断と実施修理が一致』『追加故障なし』『再修理なし』で絞り込み、適正整備例だけを抽出した。


七百十二件。


剣の研ぎ直し、鎧の補修、魔石清掃、高級魔剣の大修理まで含め、一件あたりの平均粗利は銀貨七枚にも届かなかった。


「……七枚?」


条件を確認する。


間違っていない。


今度は高額修理だけを抜く。次に剣だけ。魔導具だけ。


それでも全体平均は大きく動かなかった。


「十四枚なんて……普通にやってたら届かないじゃねえか!」


本社自身が「適正」として教材に載せている整備だけでは、最低ラインの半分ほどしかない。


俺は机に証拠を並べた。


デインの声。


『客には分かんねえって。俺らが「危ない」って言えば替える』


マルセルの声。


『数字出してる店を、なんで疑うの?』


支店長の声。


『十四枚に合わせただけだ!』


現在の客の整備票。


十五時二分、内部異常なし。


十五時十四分、内部亀裂あり。


最後に、七年前の修理番号を添えた。


送り先は王国査察局、冒険者組合、装備保険組合。


文章の最後に一行だけ加えた。


『七年前の修理番号について、当時の受付検査記録と担当者を確認してください』


送信石へ資料を載せる。


一通目。


二通目。


三通目。


青い光が消えるまで、俺はその場から動かなかった。


◇


翌朝、店へ向かうと、入口の前に支店長が立っていた。


扉は開いているが、その身体で俺の前を塞いでいる。


「入るな」

「……そうですか」


支店長は一枚の紙を差し出した。


「本社決裁だ。今日付で解雇」

「早いですね」

「業務指示への度重なる不服従。上長への暴言。店舗運営を著しく妨げた行為」


紙を読む。


不正な追加修理を拒否したことも、客の前で異議を唱えたことも、全部まとめて『店舗運営の妨害』になっていた。


「副社長は?」

「会わないそうだ」

「そうですか」

「制服と店の工具を置いて帰れ」

「俺の工具は?」

「まとめてある」


支店長が足元の箱を顎で示した。


俺は自分の工具を確認し、その場で制服の上着を脱いだ。


「……何だよ」


支店長が苛立ったように言う。


「何も」

「なら、その顔やめろ」

「最後まで数字通りに動く会社なんだなと思って」


支店長は返事をしなかった。


その日の昼、グランドルは公式発表を出した。


『当社は、整備手順の不遵守および顧客対応上の問題が確認された社員一名を解雇しました。なお、一部で指摘されている不正整備について、本社がこれを指示した事実はありません』


「俺がやらかしたみたいじゃねえか……」


思わず笑った。


だが、その日の夕方には装備保険組合が動いた。


俺の客の長剣について、銀貨十八枚の請求が停止された。


翌朝、王国査察局がグランドル本社と中央店へ記録保全命令を出した。


帳簿も整備票も、古い会議記録も、勝手に処分できなくなった。


俺には開けられなかった保管庫へ、査察官が入った。


◇


三週間後。


王国査察局の公開聴聞が、中央広場で行われた。


壇上には査察局、冒険者組合、装備保険組合、そしてグランドルの経営陣が並んでいる。


マルセルは中央の大きな椅子に座っていた。


毎朝の投影では余裕たっぷりに見えた男が、今日は何度も指を組み直している。


査察官が最初の資料を映した。


『十五時二分 内部異常なし』

『十五時十四分 内部亀裂あり』


「この十二分間、装備はグランドル中央店から一度も外へ出ていません。十五時二分の整備票には、担当整備士による『内部異常なし』の検査結果が記録されています」


次に、俺の記録魔石が再生された。


『十四枚に合わせただけだ!』

『お前が三枚だ五枚だで返すからだろ!』

『十八枚になった! 店の数字は上がる!』


広場が一気にざわめいた。


「何だそれ!?」

「わざと壊したのか!?」

「俺の剣も調べろ!」


続いてデインの声。


『客には分かんねえって。剣の中なんか見えねえし、俺らが「危ない」って言えば替える』


怒号が飛ぶ。


最後にマルセル。


『十四枚も難しいのに二十枚ですよ。調べないんですか?』

『数字出してる店を、なんで疑うの?』


マルセルが勢いよく顔を上げた。


「待ってください! 私は装備を壊せなどとは一度も指示していません!」

「直接の破損指示は、現時点で確認されていません」


ほんの少し、マルセルの肩が下がった。


査察官は次の資料を映した。


七年前の本部通達だった。


『全店舗、一件平均粗利銀貨十四枚を最低基準とする。未達店舗は管理職による徹底指導を行うこと』


発信者は、当時営業本部長だったマルセル。


続いて、本社の管理職会議記録。


『通常整備だけでは十四枚を継続達成できません!』

『でも、できてる店あるよ?』

『平均二十枚の店舗があります! 一度監査してください!』

『なんで?』

『正規整備では考えにくい数字です!』

『数字出してる店を、なんで疑うの? それより未達店を教育しようよ』


さらに一枚。


『本社技術研修資料 適正整備七百十二件』

『平均粗利 銀貨七枚未満』


広場が静かになった。


査察官がマルセルを見る。


「副社長。本社自身が適正整備例として公開していた案件を集計すると、平均粗利は銀貨七枚未満でした」

「案件によって利益率は違います!」

「高額な魔剣修理を含めた数値です」

「現場には営業努力というものがあるでしょう!」

「銀貨三枚で適正に直せる剣から、どう営業努力をすれば銀貨十四枚の粗利が出るのでしょう?」


マルセルの指が止まった。


「それは……」

「具体的にお願いします」

「だから……それを考えるのが、現場です!」


聞き慣れた言葉だった。


査察官は次の資料へ進んだ。


「今回の調査では、複数の店舗から、靴下に魔石を詰めて客の剣を破損させる手口について証言が得られています」

「それは現場が勝手にやったんだろう!?」

「平均二十枚を超えた店舗もありましたね?」

「あります!」

「本社は監査した?」

「していません」

「なぜです?」

「数字が出ていたからです!」

「正規整備では考えにくいと、管理職から監査を求められています」

「だから何です!?」

「その店に対して、本社は何をしました?」


マルセルの口が止まった。


「副社長。監査をせず、何をしたんですか?」


唇を噛み、しばらく黙ったあと、小さな声が出た。


「……表彰しました」

「監査ではなく?」

「はい」


広場の後ろから声が飛んだ。


「そこを調べろよ!」


「そうだよ! 二十枚っておかしいだろ!」


乾いた笑いと怒声が混じった。


査察官は表情を変えず、次の資料を映した。


「続いて、告発者から照会のあった七年前の修理番号について報告します」


俺の背中が強張った。


壁に、見慣れた修理票が映る。


『受付時診断 刃こぼれ二か所。内部異常なし』

『顧客要望 柄・鍔保存』

『翌日追加診断 刀身内部亀裂』

『刀身交換・柄交換・鍔交換』


「……!」


やはり。


受付した時点では、亀裂はなかった。


査察官が続ける。


「当時の担当整備士を特定し、事情聴取を行いました。本日は本人の申し出により、証言してもらいます」


壇上の端から、白髪交じりの男が出てきた。


知らない男だった。


だが向こうは俺を見ると、すぐに目を伏せた。


査察官が問う。


「最初の検査時、この剣に内部亀裂はありましたか?」

「……ありませんでした」

「翌日に亀裂が見つかっています。何がありましたか?」


男の喉が動いた。


「俺が……作りました」


広場から声が消えた。


俺も動けなかった。


「方法は?」

「魔石を三つ、靴下に入れて……刀身の根元を叩きました」

「なぜ靴下を?」

「金槌じゃ……跡が残るから」


頭の中で、あの音が鳴った。


ゴンッ!


七年前には聞こえなかった音。


入社初日に聞いた音。


「なぜ、その剣を壊したんですか?」

「その月、俺の平均粗利が三枚台まで落ちてました。主任から十四枚まで戻せと言われて……刃まで替えれば数字が作れると思った」

「顧客は柄と鍔を残してほしいと明記しています」

「……覚えてます」

「なぜ捨てたんです?」

「安全部品だと言えば、交換できたからです」


男はそこで俺を見た。


「すまなかった」


胸の奥が熱くなった。


七年前なら、たぶん殴っていた。


でも今、聞きたいのはそこじゃなかった。


「一つだけ聞かせてください」

「……はい」

「悪いことだって、分かってたんですか?」

「……分かってました」

「分かっててやった?」

「はい」


拳に力が入った。


爪が手のひらへ食い込む。


「そうですか」


俺は椅子へ座った。


謝られても、オズワルドの手の跡は戻ってこない。


◇


査察はその後も続いた。


各店舗の修理履歴から、似た案件が次々に見つかった。入庫時には軽微だった故障が、店内にある間に突然内部亀裂や魔石異常を起こし、高額な交換修理へ変わっていた。


退職した整備士からも証言が集まった。


靴下に魔石を入れる方法だけではなかった。検査用の魔力を過剰に流して魔導具を壊した者もいれば、正常な部品へ故障品を混ぜた者もいた。


バルドは自分が行った故意損傷を認め、過去の案件と手口について査察へ全面協力した。整備資格は長期停止となった。


デインについては、複数の客の装備を故意に壊した記録に加え、虚偽診断と保険請求への関与まで確認された。整備資格そのものを取り消された。


中央店の支店長も、不正整備への指示と関与を認定された。


本社の環境整備査察後に街路樹が不自然に枯れていた店舗も複数見つかり、こちらは王都警備隊の捜査に回った。


平均二十枚で表彰された店舗の盾も押収された。


マルセルは副社長を解任された。


客の装備を壊せ。


そう直接書かれた本社命令は、最後まで見つからなかった。


残っていたのは、適正な整備では届かない十四枚を最低ラインとして課した通達と、異常な利益を上げた店を監査せず、未達者だけを「教育」し続けた七年分の記録だった。


◇


一年後。


俺は王都の外れで、小さな装備工房を開いていた。


午後、若い冒険者が傷だらけの長剣を持ってきた。柄は緩み、刃こぼれもある。内部まで検査したが、刀身そのものはまだ十分使える。


「どうです? やっぱり刃ごと交換ですかね……。銀貨十五枚くらいは覚悟してます」

「いや。研ぎ直しと柄の巻き直しだけで大丈夫です」

「本当ですか!?」

「銀貨三枚。明日の夕方には返せます」

「……三枚?」

「はい」

「いやいや、本当に? もっと取らなくて大丈夫なんですか?」


俺は整備票へ銀貨三枚と書き、長剣を作業台へ置いた。


「三枚分しか壊れてませんから」

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