君が残したメロディー
「ごめん、そういうの重いわ」
そう言って、彼は部屋から出ていった。
――私が好きになったのは、バンドマン。
ステージの上の彼は、本当に輝いていた。一心不乱にギターを鳴らす姿、汗に濡れた髪。
曲と曲の合間に見せる無邪気な笑顔。
世界中の誰より、可愛くて、かっこよかった。
ライブ後にはよく感想をSNSでリプしたりした。
もちろん返信などはなかったし、別に期待もしていなかった。
その日は、思い切って「今日も素敵でした」メッセージを送ってみた。
するとまさかのDMの返信が――!?
「いつも見に来てくれてありがとう」
うそ……。
本物――!??
スマホを持つ手が震えて、一度、画面を閉じた。
そっと画面を開きよく見てみる。本当に!?
信じられない気持ちと高揚。
本物か?と何度も見返して確認しては、
「やっぱり、本人からだ!!」
と舞い上がって床に転がり続けた。
たった一言。
でも、すごく嬉しかった。
その一言だけで、一日を頑張れる気がした。
それから私は、彼のライブに足繁く通った。
できるだけ早く行って、前の方で見つめた。
気のせいかもしれないけど、
(今日はよく目が合う気がする……)
ライブ後、「今日もかっこよかったです!」とメッセージを送った。
そのまますぐに寝落ちして、翌朝。
寝ぼけたまま、SNSを開くと、驚きの奇跡がそこにあった。
「ありがとう」
「君のこと、ステージから見てたよ」
――……え!!!?――
「今度、よかったら会わない?」
「でも、バレたら困るから、このことは誰にも言わないでね。」
息が止まった。頭が真っ白になった。
夢かと思ってほっぺを両手でポンと叩いてみた。
痛い…。これは……夢じゃない!!
「きゃーー!!どうしよう!?」
心の中で何度も叫んだ。
――誰にも言えない、2人だけの秘密。
それが何より嬉しかった。
「バンドマンなんて、ろくな奴いないよ」
そんな言葉を、今まで何度も聞き飽きるくらい聞いた。
でも、私は信じたかった。
“彼だけは違う”
“私だけは違う“と。
――約束の日。
30分前に待ち合わせの居酒屋に着く。ソワソワと落ち着かなかった。
本当に来てくれるのだろうか。
心配で、一睡もできなかった。
いつもより念入りにメイクをしたけれど、もしかしたら、目の下にはクマが出来ていたかもしれない。
でも緊張でいっぱいで余裕がなかった私は、
何も考えられなかった。
期待と不安で胸が押しつぶされそうだ……。
一分一秒がこんなに長く感じるなんて、初めてかもしれない。
ついに待ち合わせ時間になり……何度もスマホをチェックする。
来ない……やっぱり来ない……。
うそだったのかなぁ……。
だってほら、こんなこと普通にあり得ないし…。
でももう少し、もう少しだけ待ちたい。
それでも来なかったら、帰ろう。
スマホとにらめっこする。
どれほどの時間が経っただろう……。
そろそろ帰ろうかな……と席を立とうとしたその時――。
「ごめん、遅くなっちゃって!」
慌てて走ってきたのか、彼は額に汗をかいていた。
「ほんっっっとごめんね」
と顔の前に手を合わせ申し訳なさそうに謝ってくる彼。
「い、いえ…大丈夫です!」
精一杯、声を絞り出す。緊張で声が震える。
怒りよりもまず先に、信じられなかった。
あの憧れの彼が、今、目の前にいるなんて。
遅れてでもちゃんと来てくれたことが、何よりも嬉しかった。
「おなか、すいたよね?」
彼は、固まった私の緊張をゆるく解くように、優しく話しかけてくれた。
終始、他愛もない話をしたのだろうが、ただただあの彼が、目の前で笑いながら喋ってる。
おつまみをつまんだりしているこの状況は現実味がなく、内容はあまり覚えていない。
一通り食べ終わって店を後にした。
「この後どうする?」
と彼がふいに私の顔を覗き込む。どうするもなにもそれは……。
一緒にいたいに決まってる。
でも、何も言えず下を向きうつむいていると、見透かされたのか、
「……うち、来る?」
低くて落ち着いた声だった。私はただ、こくりと頷いた。
彼は私の手を取って、彼の部屋へと歩き始めた。
部屋に着くと、そこに座っててとベッドの横にあるクッションを指さした。
彼のステージカラーに似たブラックを基調にしたトーンの落ち着いた、質素な部屋だった。
「今お茶しかないんだけどいい?」
と小さな冷蔵庫からペットボトルのお茶をくれた。
横にちょこんと座る彼。距離が先ほどより近い気がした。
そして、私のことをステージから見えていたこと。
「前から、可愛いと思ってたんだよね」
など言って、私の髪を指でそっとすくって耳にかける。
電気を消して、甘い夜の闇に落ちていった。
――自分でもバカかと思うくらい軽い行動だって、分かってた。
でも――チャンスだと思った。
逃したくない。
だってもしかしたら、彼女になれるかもしれない、たった一度のチャンス。
それからは彼が日常の一部になった。
最初こそ緊張していたもののだんだんと慣れて、普通に接しれるようになっていった。
彼のためなら何でもできた。
料理を作り、欲しいと言ったものを買い、時間も気持ちも全部、彼に捧げた。
「好きだよ」って言われるだけで全て帳消しになるくらい。
彼の無防備な姿や、素のままの笑顔を見られるのは、私だけ。
それが優越感だった。
それは完全に、愛。
だと思っていた。
一緒にギターを弾いて、歌詞を書いた夜もあった。
“好き”と“依存”の境界なんて、知らなかった。
与えてばかりで、何も貰っていなかったことに、その時は気づけなかった。
――ある夜、彼に連れられて行ったバー。
そこには、元カノのユリサさんがいた。
ファンの間でも有名な名前。
彼女は、軽く彼と挨拶して私の方へチラッと目をやる。
私のてっぺんからつま先まで、じっと見ながら言った。
「あら、新しい子?なんか…タイプ違くない?」
「からかうなよ、こいつ真面目ちゃんだから」
咄嗟に彼がフォローした。
「よ…よろしくお願いします……」
私は居心地が悪そうに、頭を下げる。
彼がトイレへ立つと、彼女は私に顔を近づけ、耳打ちした。
「あんた真面目そうだから言うけど――」
「あいつ、他にも女いるから、気をつけな」
「私はもう、愛想つかしたけどね。」
その後、彼が席に戻ってもさっきの彼女の言葉たちが、頭の中でリフレインする。
今思えば、それは彼女からの警告だったと思う。
でも、その時はどうしても、信じたくなかった。
はっきりいってムカついた。
“あなたのときはそうだったとしても、私は違う!!”と。
しかし、無常にも彼女の言葉はすぐに現実のものとになった――。
彼からの返信はだんだんと遅くなり、
いざ会っても、どこか冷たくなっているように感じた。
「何か食べたいのない?」
「別にない」
素っ気ない返事にしょんぼりする日が多くなった。
――そんなある日。
「今夜、煮物が食べたいな」
珍しく夕飯のリクエストがきた。
彼のために材料を買いに走り、時間をかけて煮物を作った。
完成して、彼が喜ぶ顔を想像しながら、待っていた。
けれど、待てど暮らせど来ない。
夕飯時間は過ぎ、寝る時間も過ぎ、虚しい時計の秒針音だけが部屋に響く。
待つことなんて慣れていたはずなのに、胸が締め付けられる。
そして、やっと届いたのは、短いメッセージだった。
「やっぱごめん、今日行けなくなった」
時計の針は、深夜を指していた。
「おっそ……」
ぽつり呟くと目の前がぐらついた。
キッチンの床にへたり込んで、
泣きながら、とっくに冷めている煮物を見つめた。
それから、彼との距離は明らかに遠のいていった。
連絡も減り、会う頻度も落ちていた。
数日後、忘れ物を取りに彼の部屋に行った。
――ガチャっと玄関が開いた。
部屋からは、金髪のギャルが出てきた。
私とは全然違う女の子。似ても似つかない別の人。
瞬間――。
全てが音をたてるように崩れた。
問い詰めても、泣き喚いても、
彼は私を抱き寄せようともしなかった。
愛されたかった。
一番に、選ばれたかった。
だけど、貢いだ分の見返りなんて、どこにもなかった――。
それから数年が経ち、今でも、たまに彼の曲を耳にすると、ぎりっと苦い味がする。
ずっしりと重く、胸が痛む時がある。
それでも。
あの時一緒に過ごした日々は本物で、幸せに満ち、楽しい日々もあった。
それは嘘じゃない。
かけがえのないものだった。
軽やかなリズムが、耳を掠めながら、今日の私をまた1歩、前へと進ませてくれている
――。




