婚約者は私ですよね?~口は災いの元だと言葉が足りないのもいかがなものでしょう~
オレリアは今花嫁修業中だ。
これはこの国の女学院に通うご令嬢の実習の一貫だった。
婚約者の家に通い、行儀見習いをしたり女主人の仕事を学ぶというもの。職業婦人もいるこの世の中、長子であっても一通りのことを知っておくことは大切であるという女学院の教えの元、貴族令嬢でも嫁入り前のこの時期に邸内の仕事を一通り体験している。動きやすいようにお仕着せを着て、将来義母となるセレスティーヌから教わっていた。
「オレリア、貴女は勘が良いわね」
「ありがとうございます、奥様」
この日の実習を終えると評価の言葉をもらった。
「週末に帰省するとフィリベールから知らせがあったわ。貴女はご存知?」
「いえ、私は特に何も…」
「そう。…では、明日はお休みにして週末にここに来るようにしなさい。今日の続きはその時にしましょう」
「はい、奥様」
フィリベールはアルトー伯爵家の長男だ。オレリアの婚約者なのだが、どうにも愛想がない上に口数も少ない。二人では会話も続かないし、手紙のやりとりも数えるほどだ。その状況を知っているのか否か、セレスティーヌからの一方的な指示だった。少しでも親睦を深める為にフィリベールの滞在予定である週末に合わせてオレリアも滞在しろということか。しかし、少々勝手でもある。
(私の週末の予定を聞かれなかったわ。お兄様と観劇する予定でしたのに…。急に明日お休みにされてもお兄様はお休みには出来ませんわ。でも仕方ありませんね。奥様には逆らえませんもの)
セレスティーヌ・アルトー伯爵はフィリベールの母親なだけあり、こちらも口数は多くない。アルトー伯爵の現在の当主はセレスティーヌで、女傑という言葉が合うだろうか、少々冷たい印象を受ける。それが余計にオレリアを萎縮させるのであった。
オレリアはブリュネル伯爵家の長女だ。兄が家督を継ぐことになっている。生真面目で勤勉な家門で父は学院で教職を、兄は文官になった。オレリアの婚約は女学院に進学する前に結ばれたもの。父の話ではアルトー側から持ち込まれた縁談とのことだった。オレリアの持参金は今はまだ確定していないが、ブリュネルの広大な農地を持たせることになるだろうと聞いている。学問に精通することを生業としているブリュネルとしては余らせている土地であり、農地改革を得意とするアルトーとの結び付きは互いに利のあるものだと納得できるものであった。
オレリアは婚約については素直に受け入れた。初めて顔を合わせた際の印象は好感を持つものであったからだ。フィリベールはスッと鼻筋の通った美しい顔立ちをしていて、物腰も落ち着いた人であった。父や兄と似たような真面目そうな雰囲気を持つフィリベールをすんなりと受け入れることが出来たのだ。
だが最近は不安に駆られることが増えてきた。アルトー伯爵家に入ることは自分にとって望ましいことなのかということに悩み始めていた。貴族である限り、爵位の維持や責務が伴う為、己の犠牲は致し方ないとは理解しているものの、アルトー家と家族になれる気がしないのだ。
◇◇◇
週末を迎えた。この日は朝から慌ただしかった。久しぶりに息子が帰省するとあって、セレスティーヌの指示も入念であった。
「オレリア、貴女は私の横に付いていなさい」
「はい、奥様」
フィリベールは貴族学院に通っているのだが、ここは全寮制の為普段は王都にいる。今回は次期伯爵の帰省ということで邸内もその仕様に変えていくようだ。
そうこうしていると、フィリベールが邸に到着した。オレリアはセレスティーヌに付いて玄関ホールまで迎えに出た。すると目の前にはフィリベールと、その彼の腕に絡まる一人の令嬢がいた。
「…」「…!」
オレリアはその光景に固まり、フィリベールはオレリアの姿を見つけ目を見開いていた。
「おかえりなさい、フィリベール。あら、ナディア様も一緒なの?」
セレスティーヌの声かけで、令嬢は知り合いであることがわかった。
「ご無沙汰しておりますわ、セレスティーヌ様!フィルが帰るって言うものですから私もご一緒したんです。この街への帰省も久しぶりですわ」
「そうなの。でしたら貴女はこちらにいらして」
そういうなりセレスティーヌはナディアを連れて移動を始めた。
「あっ、オレリア。応接室にティーセットの準備の指示を。あとはジゼルに確認を」
「かしこまりました」
ジゼルは家政婦長だ。セレスティーヌはナディアの相手をするのだろう。彼女に付いて回る予定が変更された。
(彼女は確か、ダンドロ子爵家の?)
アルトー伯爵家に関わる交友関係については既に習得済みだ。親密であることは知らされていたが、それにしても距離感が近いことが気になった。ちらりとフィリベールの方に振り返るとバチッと目があった。しかし、ふいっと目を逸らされてしまった。
(婚約者は私です、よね?)
オレリアはフィリベールの態度に悲しさを覚えた。
オレリアは侍女にティーセットの用意を指示するとジゼルの元へ向かった。
ジゼルは事情を把握すると女主人としての来客対応について指南してくれた。
「お客様が女性である時は、お帰りの際にお花を差し上げているのです。見繕う花の種類をお決めになるのが奥様のお仕事になりますよ。本日はナディア様ですからピンクの花束がよろしいかと思います」
ナディアは愛らしい色を好むのだろう。この日も暖色系の淡い色合いの服を着ていた。
「衣装に合わせてということかしら?」
「いえ、あの方は少々こだわりがお強いですので、手土産の花束はピンクなのです」
「あの方は特別なのですね…」
アルトーの総意で彼女の扱いが特別ということなのかとオレリアの心はもやっとした。なぜならフィリベールの腕に絡まっていた彼女は、明らかにオレリアに敵意のある視線を向けたからだ。上から下までなめ回すように見るなり鼻で笑っていた。
(私なんて手すら繋いだこともないのに…)
庭師にピンクの花束を1つ用意するように指示すると、ジゼルから東屋に行くよう勧められた。
東屋に行くとちょうどフィリベールも東屋に到着したところだった。
「フィリベール様…」
「オレリア嬢…、なぜここに?」
「ジゼルからここに行くよう勧められたので」
「…、今ではなく、なぜ邸にいるのかと…」
なぜと言われても、前に手紙で伝えたことがあるとおり女学院の課題の1つである現地実習となる花嫁修行のためなのだが、休日だからいるはずがないとでも思われたのだろうか?そもそも帰省する連絡をしなかった時点で会う気など毛頭もなかったのだろう。
「セレスティーヌ様から本日フィリベール様が帰省されるのでこの日に合わせてこちらに来たらどうかと提案していただきました」
「そうですか」
「…」
「…」
オレリアに連絡しなかったことにも、今日会ったことについてにも触れてこない。話は振らないと続かないためオレリアは質問をした。
「フィリベール様はなぜ帰省されたのですか?」
「最終学年になり物入りが増えてその相談に」
「そうですか。ナディア様をお連れになって?」
「ナディは勝手に付いてきただけで連れてきたわけではない」
(ナディ…。そういえばナディア様もフィルと呼んでいたわね。愛称で呼び合うなんて…)
オレリアの心にはまた靄がかかる。
「そうですか。そういえばフィリベール様はなぜ今東屋に?」
「ジゼルに立ち寄るように言われたのだ」
ジゼルの計らいにより会話をすることになったようだが、何とも言えないすっきりするものではなかった。
「こちらにお戻りになるのでしたら連絡をいただきたかったです。こうやって会ってお話しするのは1年ぶりにもなりますのよ?」
「帰省といっても長期間ではなく明日には戻る予定だった。君と会う時間はないと思っていたから」
(会う時間がないって…、時間は作るものですのに)
今回は周囲の計らいで時間を作ることが出来た。やろうと思えばできるのだ。
「そうですか。てっきり私の存在などお忘れなのかと思いました。興味もおありではないようですし」
「そんなことはない」
「…」
「…」
少し待ったが否定のあとの弁明もなかった為、また心にモヤモヤを残すことになった。単身の帰省ではなく女性が伴っていたことがオレリアの心に影を落とすことになり、急なことにオレリアもどう言葉にしたら良いかわからず無言のまま時は過ぎた。
「特に何もないのでしたら、私はこれで失礼します」
こうしてオレリアは先に東屋を去った。
◇◇◇
後日アルトー邸に訪れると、セレスティーヌから話を振られた。
「先日はご苦労様。フィリベールとはお話しできたかしら?」
「はい。お会いすることは出来ました」
「まったく、あの子にも困ったものだわ」
はぁ、とセレスティーヌは片手を額にあてて悩ましげにタメ息をついた。
「オレリア、貴女の対応は完璧だったわ。ジゼルからは他にも細かい点を教わりなさい。今日はこれから忙しいのよ。そうだ、ブリュネル伯爵にもお話ししたいことがあって、後日お会いしたい旨を貴女からも伝えておいてもらえるかしら?もちろん私からも先触れを出しますわ」
「かしこまりました」
本当に忙しいようで、セレスティーヌは珍しくバタバタと部屋をあとにしていった。
聞きたいことはいろいろあったが、まずはナディアについてが1番であった。しかし、それを婚約者の母であるセレスティーヌに相談しても良いものなのか、そこまで親密な距離感にないセレスティーヌを相手に出来る話ではないとオレリアは心の中に蓋をした。
1ヶ月後。
また予期せぬ訪問者が現れた。ナディアだった。
オレリアがセレスティーヌの仕事の手伝いをしていると邸が騒がしくなった。何事かとセレスティーヌと共に応接室に向かうとそこにいたのはナディアだった。
「あら、ナディア様。急な訪問ですこと。貴女はフィリベールと同じ学院に通っているんではなかったかしら?」
他人の邸に突然訪問するなどマナーがなっていないが、それが許される間柄なのだろうか。セレスティーヌはまたナディアの対応にすぐあたっている。
「オレリア、ティーセットの用意を。それから先ほどの作業の続きを」
「はい、奥様」
この1ヶ月、セレスティーヌは忙しそうに動き回っていた。オレリアとフィリベールの卒業も間近に迫り、事業の見直しや引き継ぎをしているとのことだった。この日もこの後外出予定であったが、どうやら取り止めてこのナディアの相手をするらしい。
そして同じ1ヶ月をオレリアはセレスティーヌが忙しいためか花嫁修行や行儀見習いというよりは雑務を手伝わされているように感じていた。
ティーセットの用意を侍女に依頼し、執務室でセレスティーヌに指示された作業の続きをしていると侍女がオレリアを呼びに来た。
「あの、オレリア様。ナディア様とオノレが揉めておりまして来ていただけますか?」
オノレはティーセットの用意を頼んだ侍女だ。
「私ですか?奥様はどちらに?」
「オノレがお茶をお持ちした時には席を外されていまして、お部屋にはナディア様お一人でした」
「それでなぜ私なのです?」
「用意されたティーセットに苦情を。奥様は見当たりませんし指示はオレリア様が出されたとお聞きしまして」
オレリアが応接室に着くとナディアがカップのお茶を手に何やら訴えている所だった。
「いかがなさいましたか?」
「ちょっと!今日のお茶が熱すぎるんだけど。どういうこと?」
「この茶葉を美味しくいただくための温度だったのですが、お気に召さなかったようでしたら他の茶葉でお入れ直しいたしますね」
「他にも茶葉があるならそれにしてよ。いつもいつも同じ味で飽き飽きしてたのよね。まあ、アルトー邸に来ているって実感できるから我慢してたけど。だからって温度を高くするって嫌がらせ!?」
「いえ、茶葉の出来で温度を変えているのですよ。今年の出来に合わせるとこの温度が1番美味しいと」
「じゃあなに?いつもより悪い出来なのにそのお茶を客人に出すってこと?」
「いえ、そういうわけでは」
「言い訳はいらないわ。あなた新人なの?なんか偉そうにうんちく並べてたけど、貴女のことはこの間初めて見たのよね。新しく雇われたの?跡継ぎのフィルにも色目使って、いやだわ。私のフィルに近づかないでね。ま、私がこの家に入ったら貴女のことはすっぱり解雇するからそのつもりで」
この茶葉は特別だった。ナディアが訪問した際には必ずこのお茶を出すように指示されていた。それには意味のあることであったのに、ナディア本人はそんなこと知らないようであった。さらに言えばアルトー家に入ると言っている。そしてフィリベールのことを『私のフィル』と。オレリアは思う。
(婚約者は私です、よね?)
お仕着せを着て現地実習に励んだ。さらには婚約者を支えるために花嫁修行としてこの家について学んだ。意味のあることだったはず。でも肝心の婚約者とは年に1度会うか会わないか。会っても会話はこちらからしないと続かない。自分に興味のない婚約者には愛称で呼ぶ令嬢がいる。それもその家門はアルトー家にとって深い繋がりのある家門だ。
とりあえずこれ以上波風を立てぬようにと退室し、新しいティーセットを用意させた。そしてこの事は後にお茶を替えて出した経緯だけをセレスティーヌに報告した。
「そう。報告ありがとう」
あっさりとした返事だった。他に何かされていないか、言われていないかなど、掘り下げて聞かれることはなかったのだった。
「あの、ナディア様はなんのご用事で?」
「フィリベールが帰ってるって聞いたんですって。だから来たって言ってたけれど、フィリベールは今夜戻ってくる予定なのよ。すれ違ったのね」
「戻っていらっしゃる予定なのですか…」
「あの子また貴女に伝えてないの?」
ナディアでさえここに戻っていることを知っていたのに知らされていなかったことにまた心がモヤモヤした。
セレスティーヌはオレリアを見るなり、はぁとタメ息をついた。
「今日はもう終わりで良いわ。あと10日の予定だったけれどそれももう無しにしましょう。とても優秀だったわ。学院に提出する書類はきちんと揃えておくから用意できたら連絡するわね」
今夜ここにフィリベールが戻るというのに残っていく提案はなかった。それどころか明日からは来なくて良いと言われてしまった。
こうして婚約者の邸での花嫁修行は終了した。
翌日、ブリュネル伯爵邸に先触れが届く。フィリベールが学院に戻る前に立ち寄りたいとのことだった。
数刻後、ブリュネル伯爵邸にフィリベールがやってきた。オレリアは応接室に通すと対応にあたった。
「フィリベール様。こちらにお戻りだったのですね」
「また何も伝えずにすまない。単身で戻りたかったから確実な日程を伝えることが出来なかったんだ」
「単身?」
「前回はナディが勝手に付いてきたが為に君に不快な思いをさせたのではないかと」
「はあ、まあ」
今さらあの時の弁明とはどういうことなのだろうか。オレリアは曖昧に返事をする。
「今回は準備に戻ってきたんだが、次は2週間後に戻る予定だ。その時にはアルトー邸に来てくれないか?母からもその日に合わせて書類を渡したいからと伝えてくれと言われている」
「はあ」
「オレリア嬢?」
オレリアの覇気のなさに気付いたのかフィリベールは顔色を窺った。その様子にオレリアの方から疑問をぶつけることにした。
「あの、ナディア様は恋人なのですか?」
「違う。ナディは幼なじみなだけだ」
「彼女はそうは思ってないようですが?」
「…」
罰が悪そうな顔をして、フィリベールは黙り込んだ。
「セレスティーヌ様から伝言を預かったということは、セレスティーヌ様に頼み事をされなければこちらに立ち寄ることはなかったのではないですか?」
「そんなことはない。確かに、今回もすぐに向こうに戻る予定だったから君には連絡しなかったが、時間が出来れば会いたいと思っていたよ」
「そうでしょうか?私に貴方がお戻りになっていることを知られてしまったから本日こちらに立ち寄られたのではないですか?」
「そういうわけでは…」
「貴方はいつも時間がなかったからとか時間が出来ればなんて仰いますが、時間を作ろうとはなさらないんですね。他者のお膳立てがなければ私と会う時間を作ろうとなさらないじゃないですか。お手紙を出しても返事はないですし、私には配慮が必要ないとでもお思いですか?」
「手紙?手紙なんか貰ってないが?」
「届いてないのですか?」
「ああ」
手紙は貰ってないから返事をしてないということか。宛先が間違えてしまったのだろうか?でも数回はお返事が貰えていたからそんなことはないだろう。何か手違いでもあったのだろうか?そもそも自発的に手紙を出さないのもいかがなものだろうか。そんなことをオレリアは思った。
「返事がない事情はわかりました。ですが、あなたからお手紙を出しても良いのではないですか?便りがないが元気にしてるか?とかもうすぐ卒業だが準備は順調かとか。今回も邸に戻る予定だと一言でも知らせても良いのではないですか?会える時間があるかないかに関わらず、近況をお伝えになっても良いのではないですか?まるで内密に帰省されている感じが私を蔑ろにされているように感じます」
「…」
フィリベールは何か言いたげではあったが、顔を青ざめさせるだけで黙り込んでいた。なんと情けない姿だろうか。オレリアに対して誤解を与えているだけなのかもしれないが、弁解するわけでも弁明するわけでもない。オレリアの気持ちをフォローするわけでもない。この人はこういう人なのだ。オレリアはこれまでの不満を口にすることが出来た。それでもう十分だった。
「次は2週間後ということですね、承知しました。貴方に会う会わないに関係なく、必要書類は受け取りに行かなければなりませんからアルトー邸に伺いますね」
そう言い残し、部屋を後にした。
◇◇◇
手紙を交わさなくなったのはどれくらいからだろうか。フィリベールはオレリアに言われてはじめて気付いた。
学院の寮に戻るとすぐに手紙を確認する。保管していたものは一年前のものが最新だった。
(やりとりはこんなに前で終わっているのか…)
確かに自分から出すことはなく、返信することしかしていない。
オレリアの静かな怒りと軽蔑の混じった表情から、オレリアの中の今の自分の立ち位置は危機的状況だと感じた。
学院に進学する前に交わされた婚約は、両家の政略的なものであった。というよりは、アルトー家にとって利のある相手としてセレスティーヌが選んだものだった。初めてオレリアに会った時、芯の通った背筋が美しく、清らかで透明感のある出で立ちに目を奪われた。正しく一目惚れだったのだろう。そんな彼女に見合う男であろうと進学後は勉学に一心に励んだ。
幼馴染みのナディアがいたから女性と関わりが少ないわけではない。女性に対して不慣れなわけではなかったが、ナディアは自我が強くよく言えば天真爛漫。対してオレリアはしとやかで品格もよく男性を立て一歩下がったような控え目な振るまいが多かった。その為、ナディアにされるがままだったフィリベールはオレリアの扱いがわからなかった。
あのオレリアが強く自分に対してあのように発言してきたということは、相当自分に非があるだろうことは理解できた。しかし、こうも拗れてしまった一端は、アルトーの家訓によるものであった。
フィリベールの祖父である先代伯爵は、快活で饒舌な人だった。それは口が達者で雄弁というわけではなく、ただ口数が多いお調子者で失言も多かった。そのために、伯爵家が傾きかけたと母セレスティーヌは言っていた。
この国は直系の嫡子が爵位を継ぐためそこに男女は関係ない。セレスティーヌは唯一の嫡子だったことから、現伯爵となった。そこでセレスティーヌがとった対策が多くを語らないということだった。失言がなければ揚げ足をとられることはないからだ。その教えはフィリベールに継がれることになった。
多くを語るなという教えから『語らない』という行動に出ていたが、それが後に『語れない』という性格になってしまった。弁解も弁明もする能力がない、貴族社会の中で必要な能力であっただろうに、その術を身に付けることができないままだったのだ。
来月に卒業式とパーティーが控えている。このパーティーでは正式なパートナーを伴った初めての社交の場となる。婚約者がいるものは相手が他学年でも学院外の人物でも同伴が可能になる。そして学院の卒業生はここで築いた人脈を手にそれぞれ領地へと戻るのだ。
(オレリアを連れての初めての社交になる。ここで挽回して彼女の信頼を回復しないことには…。しかしどうしたものか…)
翌日、食堂にて友人らと食事をしていると、フィリベールは顔色の悪さから恐る恐る声をかけられた。
「何かまたやらかしたか?週末は帰省してたんだろう?」
『また』というのは、前回ナディアを連れての帰省時に婚約者に遭遇した話をしてあったからだ。
「この時期に婚約者じゃない女性と一緒に帰省するって勇気あるよな。今回は一人だったんだろう?」
「この時期って?」
「卒業年の後期さ。女学院に通っている令嬢は婚約者の邸にいるからさ。俺は帰省に合わせて会う約束したぜ?」
「俺もさ、わざわざ時間作る手間が省けるし助かったぜ」
「令嬢は婚約者の邸にいることが普通なのか?」
「「え…」」
友人たちはフィリベールの言葉に声を失った。
前回話をした時、友人たちは顔を見合わせて顔をひきつらせていた。「それはちょっと…」と引いた様子だったが、あれはその状況にではなく、「なぜか婚約者が帰省先にいたんだ」というフィリベールの台詞に対してであったということに、今さらながら気付くことになった。
「お前…、本気か?」
「まさか、未だに知らないとか言わないよな」
「…」
未だに理由がわかってなかったが、知ったかぶりが出来るほどもう余裕などなかった。
「すまん。教えてくれ」
友人たちはこれは本当に不味いことになっていると察したのか、丁寧に教えてくれた。
「実習だったのか…。だから邸に」
なぜ邸にいるのかという質問に無言の返しだったのは、向こうからしたらなぜ知らないのかということだったのか。今までのオレリアを考えれば、手紙にて近況を知らせていたであろう。手紙などもらっていないと答えた時に届いてないのか?と疑問を呈したということは、今まで通り手紙も送っていたのだ。
『興味がおありではないようで』
今になってあの言葉が脳内をこだまする。
オレリアのことを考える時間が自分にあっただろうか?どう考えてもあったと答えることは出来ないだろう。なぜ邸にいたのかという問の答えを知ろうとしたのは今になってだ。何ヵ月という時間が経過している。手紙が届かなくなっていることを知ったのも今で、1年も放置していたことになる。オレリアに会うことになったのも1年ぶりだった。たまたま会うことにならなければ、未だに会うことはなかったかもしれない。来月の卒業パーティーに帯同してもらわなければならないのにだ。2週間後にはオレリアに衣装を渡す予定だ。その準備のために帰省していたのだから。
「おーい、フィリベール?」
黙り込んでしまったフィリベールに友人らは声をかけた。
「まじで知らなかったのか…。でも悪気ない行動とはいえ、避けることはできる行動だったよな。婚約者ではない女性と帰省って…」
「…」
ますますフィリベールは言葉を失ってしまった。
「で?そもそもそれは前回のやらかしで、今回は何をやらかしたんだよ」
「今回は…」
フィリベールは、手紙のやりとりが1年も途切れていること、そもそも手紙は自分から出したことはなく返事しかしていないこと、帰省するという連絡もしていなければ会う約束などしたことがなかったこと、そしてそれはオレリアに興味があればそんなことにはならなかったとオレリアに指摘されたということを話した。
「それは…」
「かける言葉もねぇな…」
「つまりは、彼女の俺への信頼は皆無なんだ…」
三人は肩を落とした。
「なあ、手紙が1年も途切れたのは何でだ?お前から送ることはなくても、彼女からは送られて来ていたんじゃないのか?」
「そうなんだ。彼女は届いてないことに驚いていたから、送ってくれていたんだと思う。でも、ナディが持ってきてくれる郵便物の中にはなかっ…!?」
そこでようやく一人の人物が介入していることに気がついた。
「ある時から寮に届く俺の郵便物をナディが部屋に届けてくれるようになったんだ」
「でも、本人以外は身内や婚約者でない限りは受け取ることが出来ないだろう?」
そこにナディアがやってきた。
「フィル~!私も一緒に帰省しようと思ってたから慌てて追いかけたはずだったのに何で邸にいなかったの?」
「一緒には帰らないって言っただろう?準備のために帰る予定だったし、時間が少ししか確保出来なかったから君の相手なんか出来ないって伝えてあったじゃないか」
「でも、セレスティーヌ様はお相手してくださったわよ?」
「母も今は忙しくしているんだから邪魔しないでくれよ。俺の周りにいつもいるが、そういう君は準備出来ているのか?もう卒業パーティーだぞ?」
「もちろんよ!期待してて!金と緑を基調にしてとびきり美しく着飾る予定なのよ!」
「「「…」」」
友人はフィリベールを肘でついた。友人が何を言いたいか、自分が何を思ったか、一致していると思ったフィリベールはナディアに質問した。
「なあ、いつも俺の郵便物を届けてくれていたが何でそんなことしていたんだ?」
「何でって、フィルと私の間柄じゃない!当たり前でしょ?」
「…、あれで全てだったか?持ってくるまでの間に落としたり無くしたりしてないか?」
「必要なのはちゃんと運んだわよ?」
「必要なの?」
「なんかファンレターみたいなのが多くて、フィルったらモテるのよね。私というものがありながら女性の名前の手紙は破棄したわ」
たしかに今度お茶をしないか?という類いのクラスメイトからの手紙を受け取ったことがあった。女性の名前の手紙を全て破棄したということは、その中にオレリアからの手紙もあったということだ。
「俺宛の手紙を勝手に破棄するなんて、そもそも何で寮長から俺の郵便物を受け取れたんだよ」
「何でって許婚ですもの。身内のようなものでしょ?もうすぐ私の誕生日もくるし、卒業だし、楽しみね」
こうしてナディアは去っていった。
「「「いいなずけ~?」」」
三人は顔を見合わせた。
ナディアが金と緑を基調にしたドレスを用意したと言っていたが、金と緑はフィリベールの色だった。フィリベールは柔らかく輝くブロンドヘアに、翡翠のような瞳をしている。郵便物の話をしたのは、受け取れるのが本人と身内以外では婚約者だからだ。もしナディアが自分はフィリベールの婚約者であると勘違いしているなら訂正しなくてはと考えていたところの回答としては、拍子抜けするものだった。
「婚約者と許婚って何か違ったっけ?」
「公式的なものか、親が勝手に決めたかのちがいじゃね?」
「ああ、かつてはいろいろな物事が勝手に決められたが為に揉め事が絶えなくて、我が国では現在は全て公正文書で成立させなきゃいけないんだよな」
「そうそう、って、授業で習ったけどなぁ。彼女、授業真面目に受けてる様子なかったからなぁ」
「ああ。私は令嬢ですからみたいな顔してな」
「大丈夫なのかな?卒業したら人脈なんかないだろう?ずっとフィリベールにくっついてまわってたし。ダンドロ子爵家は終わりだな」
友人らは言いたい放題だったが、フィリベールが疑問を口にした。
「なんで終わりなんだ?跡継ぎをもうければ良い話だろう?」
友人らは顔を見合わせた。
「え?だって全く婿探ししてなかったじゃないか。出自と家系図や領地について調べる課題も、なぜかアルトーについて調べてるんだぜ?嫁ぐ気満々で。学院中がイタイやつだって、そう思ってるよ」
「だから、誰もダンドロ子爵に言い寄らなくなったし、声をかけなくなったろ?」
「たしかにあの授業は驚いたが…、それによってみんな俺を婚約者だと思い込んでるからとかではなく?俺は婚約者じゃないと公表すればまだ候補はいるのでは?」
「みんなお前が婚約者じゃないことはわかってるよ。アルトー家もダンドロ家も直系は1人しかいないじゃないか。お前は嫡子で跡継ぎ、彼女に至っては既に当主だろ?婚約するわけがない」
「それにな、もう卒業だ。この学院に通うのは良縁を結ぶという目的もある。嫡子じゃない子息にとっては婿入り先を探すチャンスなんだ。こんなギリギリまで決めきらないやつは珍しいよ」
「しかし、フィリベール。ほんと他のことに興味ないよな。勉強や仕事はできるんだろうけどさ。今さら彼女を心配するのか?だったら、幼馴染みとして指摘してあげれば良かったじゃないか。自分とは結婚はないから、他の相手を探せって」
「まあ仕方ないんじゃないか?婚約者からの信頼を無くして勘違い幼馴染みを放置してるような男だからな。いろいろ勉強させてもらったよ」
「お前のことも知れて良かったよ、じゃあな」
こうして友人らは、フィリベールを残し去っていった。
◇◇◇
2週間後。アルトー邸にはオレリアと父であるエルネスト・ブリュネル伯爵の姿があった。オレリアがアルトー邸に呼ばれていると聞いたエルネストは、自分も同席すると訪問を決めた。
時間通りの訪問となった二人はアルトー邸の使用人に迎えられ、応接室へ通されるために案内されていた。そこでエルネストは何かに気付き、オレリアに先に行くよう伝えると庭へと降りていった。
先に応接室に入ったオレリアは、お茶を入れてもらうと席に着いた。ふと部屋の片隅に箱が置いてあるのが目にとまった。
(何かしら、あれ……)
すると、何やら部屋の外が騒がしい。何かあったのかとオレリアが扉の方に目を向けると、バタンと扉が開かれた。
「ナディア様!本日は先客がいらっしゃいますのでそのような行為はっ!!」
使用人の制止が間に合わず、ナディアが我が物顔で部屋に入ってきた。オレリアに気付いたナディアは、声を荒げた。
「ちょっと!貴女、何そんなところに座っているのよ!そこは客人が座るところでしょ?使用人の貴女が座って良い所じゃないのよ!」
ナディアはツカツカとオレリアに近付くとあることに気付き、あろうことか用意されていたお茶をオレリアにぶっかけた。
「!?」
オレリアは一瞬何が起こったかわからなかった。
「しかも何よ、この茶葉の香りは先日出し直してもらった美味しい茶葉じゃないの!何でこんなところで貴女が飲んでるのよ!」
何でと言われても客人だからだが、何から話そうかと思案していると、騒ぎを聞いたセレスティーヌが駆けつけた。
「ナディア様!なぜ貴女がここにいるのです!?」
セレスティーヌは珍しく慌てている。
「なぜって、本日お会いする約束でしたでしょう?」
「約束はしてましたが、貴女との約束は午後です。こんな時間に招待はしておりません!」
どうやら、この日訪問する予定だったのは本当だったようだ。
「別によろしいじゃないですか、早く到着したところで、遅れてしまうよりは」
「よくありません!貴女は今までもそうでしたけど、マナーがなってないのですよ!先触れも無しに訪問したり、早くといったって何時間も前に押し掛ける人がありますか!?それも勝手に邸内をうろついて!一体貴女は何を教わっているのです!?」
今まではのらりくらりとナディアの素行を見て見ぬふりをしていたセレスティーヌが初めて苦言を呈している。
バタバタと入室してきた使用人がタオルでオレリアを拭いているのを見て、セレスティーヌは青ざめた。
「一体何があったの……」
その呟きに返答したのはナディアだった。
「この使用人ったら、何を思ったのか客人が座る席で上質なお茶を飲んでるんですもの。身の程をわからせてやったんですのよ」
「身の程とは何ですか!?オレリア様はお客様です!ブリュネル伯爵のご令嬢です!」
「は、伯爵……令嬢……?」
子爵家であるナディアよりも格上の家門の令嬢であると知ったナディアは狼狽えた。
「で、でも、先日はお仕着せを着て働いていたじゃないですか?」
「あれは実習です。女学院に通うご令嬢は皆さん経験されることです。オレリア様も我が邸でお務めになりました」
セレスティーヌの説明は合ってはいるものの何かが足りない。そもそも家名を聞いてもナディアは何も思わないのだろうかとオレリアは不思議に思った。
すると、言い争う声が聞こえたのか、フィリベールとエルネストが入室してきた。
「オレリア!なぜ濡れているのだ。何があった?」
エルネストはオレリアの肩を抱き、体が冷えないようにと擦った。
「ナディア様は私を使用人だと思っていたそうです。応接室でお茶をもらっていたのが気に入らなかったようで……。前にお会いしたときも、自分がアルトーに入ったら私のことを解雇するって仰ってましたし……、私は雇用されてませんからそんなことは出来ませんのに」
その発言にセレスティーヌとフィリベールは唖然とした。ナディアの勘違いを放置していたが故に、オレリアにもその影響が及んでいたということを知ったのだ。
「実際、行儀見習いをしていたのだからオレリアのことを使用人だと勘違いしたのはわかるが、その雇用に口を出す立場になると発言しているというのはどういうことか?あたかも自分がアルトーに嫁ぐと言っているようなものだが?」
エルネストはセレスティーヌとフィリベールに目配せた。二人は顔を青くするだけで黙り込んでいた。しかしここでも返答したのはナディアだった。
「だって、私はフィルの許婚ですもの」
「「いいなずけ?」」
オレリアとエルネストは拍子抜けした。予想していた回答ではなかったからだ。婚約者だと思い込んでるだけだと思ったのがまさか許婚だと主張するとは。そこにようやく口を開いたのはセレスティーヌだった。
「ナディア様、その話は前にもお伝えしましたが無効なのですよ。あなたのお父様に何度もお伝えしてます。証拠にその約束の公正文書は存在しません。なぜならその話はあなたのお父様と私の夫が勝手にした口約束なのですから」
「「口約束?」」
オレリアとエルネストはまたまた拍子抜けした。ナディアが勘違いする要因も存在していたのだ。
「でもお父様からはずっと言われておりました。私とフィルは許婚なのだと。後に結婚する相手なのだと」
「ですが、当主でもないものの口約束が有効ではないことは、貴女も学んでいるからご存知でしょう?」
「当主ではない?」
ナディアはまだまだ理解していないようだった。もう成人し、いよいよ学院を卒業だというのに。エルネストはナディアの様子から、口を挟んだ。
「ナディア・ダンドロは万年下位の成績だから致し方ないな」
「え?」
ナディアはエルネストの発言によって、彼が何者か今頃理解した。
「せ、先生!?」
そう、エルネストは二人が通う学院で教員をしている。
「ブリュネル先生……、あっ!?」
やっと、先生はブリュネル伯爵で、オレリアはその娘なのだと理解したようだ。
「先生のお嬢様だったのですね」
「君は、貴族としての基本も出来ていないから致し方ないと思いつつも無礼な態度には正直呆れている」
教師を敵に回し、さらには成績も良くないと知らされたナディアは萎縮した。
「今日は私もついてきて良かったよ。フィリベール・アルトーの学院での様子をずっと見てきたからな」
「え?」
今度はフィリベールが動揺した。
「フィリベール・アルトーはオレリアの婚約者だ。どんな人物なのか注視する親の気持ちはわかるだろう?」
「婚約者…」と呟き、ナディアはここで漸くフィリベールとオレリアの関係を知った。
「君は勉学にひたすら励んでいたが、周囲に厄介な人物がいてな。ナディア・ダンドロ、君だよ。あの課題には驚いたな。出自と家系図や領地について調べる課題のことだ。あれは自身のことを知る意味もあるが、周りに自身をアピールする場だったのだ。相性の良い家門の者と繋がれば後の自身のためになる。しかし、君の発表はフィリベール・アルトーのものとほぼ同様のもの。しかもそれをフィリベール・アルトーは訂正させることもなく良しとしている。どんな関係性なのかと思えばナディア・ダンドロはまるで家族のように振る舞っているというじゃないか。オレリアから彼に手紙が渡っていないようだと報告を受け調べたら、妻気取りなのか?共同経営者だ、ある意味仕方のないことなのかもしれないが……」
「共同経営者?」
ナディアは初めて聞いたとばかりに驚いていたが、フィリベールは深く頷いていた。
「そうなのです。ナディはあの課題をとても悩んでいた様子で、私のものを見せてほしいと言われたため貸したのです。領地運営に関して参考にするのかと思ったのですが、参照というよりはその他の部分も丸写しだったものですから私も驚きはしたのです。しかし、疑問に思ったもののその後も訂正しなかったのは私の落ち度でもあります」
フィリベールはエルネストに頭を下げた。
「アルトーとダンドロの関係が密であることは知っているし、現在の置かれている立場も知っているが、当の本人が理解していないというのは放っておいて良いものではないだろう。しかもその状況を把握しておきながら放置しているのはわざとか?他者が首を突っ込むのはどうかと思っていたが、私の娘に波及するのであれば見過ごしておけるものではないな」
それに慌てたのはセレスティーヌだった。
「ですから本日、ナディア様をお呼びして関係を清算する予定だったのです。それなのに、オレリア様にお茶をかけるなどさらに問題を重ねるなんて……」
「お茶をかけてしまったのは私の勘違いでしたが、関係を清算って何のことです?」
「共同経営の解消です」
「で、ですから、私は何も知りません。共同経営って何ですか?父からは何も聞いておりません!」
「あなたのお父様からお聞きにならなくても知っておかなければならないことでしょう?だって、貴女はダンドロ子爵なのですから」
「え?」
セレスティーヌの発言にナディアは固まった。
「話にならないな。言っただろう?課題の内容は自身を知ることだと。あの課題をきちんと行っていれば、自身の置かれている状況を把握することにも繋がる。君は親から何を聞かされていたか知らないが、ダンドロ子爵の現当主はナディア・ダンドロだ。そして、直系は君だけだから君が爵位を維持しなければならないだろう?どちらかに嫁ぐなどあり得ないのだよ」
「え?」
ナディアは激しく思い込んでいたため、理解するのに苦労した。そこへ追い討ちをかけるようにオレリアは語った。
「アルトーとダンドロの共同経営内容は、農業生産です。ダンドロの広い領地を利用してアルトーがノウハウを生かし農業を運営するというもの。その農産物というのが『茶葉』です。貴女が『飽きた』『粗悪品』と言っていたのは、貴女の領地で栽培された茶葉ですよ。ナディア様が訪問された際のセレスティーヌ様とのティータイムは茶葉の品評会を兼ねているため、ダンドロ領で収穫されたお茶を提供するようにと花嫁修行中に教わりました」
「茶葉……、は、花嫁修行……」
聞き取れた単語を輪唱するナディア。顔色はどんどん悪くなっていく。
セレスティーヌは事情を説明した。
「年々品質の悪い茶葉になっていったのは、ダンドロ領の土壌が痩せてきたからなのです。何度も貴女のお父様に水路が繋がっている川の川上の水質汚染を改善するように申し立てていたのですが改善がなされず。このままの状態が続けば経営は成り立ちませんから、解消を申し出ていたのですが無視されてまして、ナディア様が成人するのを待っていたのです。貴女が成人すれば直接交渉できますから」
「私と交渉?」
「ええ。当主は貴女ですもの。未成年の場合は連名にするか代理を立てなければなりませんが、貴女の保護者はお父様でしたので今まで窓口は彼だったのです」
「私は父が当主なのだと……。それに、父は再婚して義弟も生まれましたし、彼が跡継ぎで私は嫁ぐものと……」
「ダンドロ子爵の直系は貴女のお母様ですわよ?お父様は婿です。そして貴女のお母様がご病気で亡くなったあと、彼は未亡人のままであればご自身の貴族籍は維持できましたが、再婚相手は長らく愛人にしてらした平民の女性ですわね。婚姻を結ばれたので、新しい籍が出来てしまいました。貴女のお父様は今、平民です。貴女の義弟に貴族籍なんかございません。ダンドロ子爵は間違いなく貴女ですわよ、ナディア様」
「そんな……」
「本来であれば貴女の許可なしにダンドロ邸で生活するなど出来ない方たちですし、ダンドロ子爵の資産を使用するなどもっての他です」
セレスティーヌの話を聞いていたオレリアは疑問を呈した。
「あの、なぜ今になってナディア様に彼女のお立場をご教授されているのですか?もっと早く伝えることが出来たのではないのですか?」
「……共同経営者だからです。先代との契約がある限り、ダンドロと縁を切ることが出来ませんから」
「余計なことはしないと?」
「……」
図星だったのだろう。言葉がいつも足りない。敢えて話さない、それがアルトーの身を守る手段だったのだろうが、それにより被害を受けるものもいる。そして、その被害を受けるものが自分自身であるということに気付いているのだろうか?
「話を聞いていると、ナディア様も被害者ですわね。まともな大人が助言して差し上げればこんなことにはならなかったのでは?」
オレリアの「まともな大人が助言すれば」という台詞に、フィリベールは友人の「幼馴染みとして指摘してあげれば」という言葉を思い出し、それらは胸に鋭く刺さった。
「まあ、とにかく、アルトー伯爵とダンドロ子爵の領地運営についてはこちらには関係ない。ただ今回のオレリアの被害の件は追って抗議させてもらおう」
エルネストの言葉にナディアは顔を上げることが出来なかった。
オレリアはブルッと震えると、体が冷えてきていることに気がついた。そもそも目的は実習の書類だ。もらってさっさと帰ることにした。
「セレスティーヌ様、書類は出来てますでしょうか?本日はそれを受け取りに来ましたので」
「あ、え、ええ。こちらになりますわ」
「ありがとうございます。では私はこれで失礼します」
帰ろうとするオレリアに、フィリベールは待ったをかけた。
「待ってくれ。招待したのは私もだ。君に渡したいものがあって」
「渡したいもの?」
すると、フィリベールは部屋の隅に置いてあった箱をオレリアに渡した。
「衣装を用意したから卒業パーティーで着て欲しいんだ」
「卒業パーティー?私の卒業パーティー用の衣装はもう既にありますが?」
これまで何も贈り物を貰ったことがないオレリアはパーティーの衣装を貰うなど想像すらしてこなかった。
「違う。学院のパーティーだ。これを着てきてくれ」
「……?何の話ですか?私にはそんな予定ありませんが?」
「え?いや、三日後にあるだろう?母上から聞いてないか?」
「いいえ」
「ちょっと、なぜ私からなの?貴方こそお誘いしていないの?自分のパートナーとして帯同してもらうのだから、自分でお誘いするべきでしょ?」
セレスティーヌは慌てて口を挟んだ。
「卒業のための準備をお願いしていたじゃないですか。あまりこちらにいないから、母上に衣装もお願いしましたし」
「ええ、それは頼まれたから用意はしましたよ?色もデザインも貴方の指示通りに仕立屋に依頼しました」
「だからてっきり母上が彼女に伝えてくれるものと……」
「それとこれとは違うでしょう?」
セレスティーヌとフィリベールが互いに罪を擦り付けあっていると、今度はオレリアが口を挟んだ。
「あの、そこの衣装は既製品ではないのですか?」
「婚約者と共に参加するパーティー用の衣装を既製品で済ますわけないじゃないか」
「でも、私採寸なんかされてませんよ?どこから仕入れたのですか、私のサイズ。本当にその衣装は私のための物ですか?ナディア様の物だったりしませんか?」
「そんなわけないじゃないの。貴女に内密に進めたくて、貴女に支給したお仕着せを参考にしたのよ」
「あのお仕着せが私に合っていたとお考えだったのですか?正直、丈は短いですし、それなのにウエストは緩いですし私に合っていたとは思えないのですが……。パーティーの三日前に渡されて調整できますでしょうか?」
オレリアの指摘にセレスティーヌは青ざめた。忙しさにかまけて、オレリアへの配慮が足りなかったのだ。
「それと、私、三日後のパーティーに参加はできませんよ?」
「え!?」
「ですから、私にはそのような予定はないと言ったではないですか」
「いや、でも知ってはいただろう?ブリュネル先生だって参加されるわけだし」
「知っていますよ。父も参加予定で忙しいと聞いていましたから」
「ではなぜ予定がないなどと…」
「お誘いがありませんでしたもの。私が帯同しなければならないものだとも聞いておりません」
「あっ……」
フィリベールは自分がオレリアを責めることが間違っていると気づいた。手紙で知らせることも出来たのに、最近は直接会う時間もあった。それなのに肝心なお願いをしていない。
「ですので、私は明後日から母と共に隣国へ卒業旅行に行きますの。国内にはおりませんから、どのみち卒業パーティーには参加できませんので」
それにはセレスティーヌが再び慌てた。
「そ、それは困ります!その予定を先延ばしにすることはできませんの?パーティーでは将来に向けた社交も行われますし、貴女がアルトー夫人として活動するためにも重要なものですのよ」
それにはエルネストがこう告げた。
「その件に関しては問題ない。後日婚約に関して白紙になるから、オレリアがアルトー夫人になることはないのでね」
「「こ、婚約白紙!?」」
セレスティーヌとフィリベールは愕然とした。
「なぜですの!?正式に婚約してますでしょ?先日は持参金の取り決めも追加しましたし……」
先日セレスティーヌがエルネストを訪ねたのは、持参金について決めるためだった。エルネスト領の一部をオレリアに持たせるというものだった。
「だが、追加したのはそれだけではないだろう?『オレリアが学院のパーティーに参加しなかった場合は、この婚約を白紙とする』と加えたではないですか」
セレスティーヌはダンドロとの契約を解消すれば農地がなくなるため、エルネストから領地を貰うことで補う算段を立てていたのだ。そして、その事に頭がいっぱいだった。
エルネストは日頃のフィリベールの様子からオレリアが蔑ろにされていることを危惧し、最後のチャンスと先程の文言を加えたのだった。
「実際こちらが何を言わずとも、婚約が白紙になる方向に動いているではないか。原因はそこの男です。婚約者への配慮など自分では何も出来ないではないか。手紙を出すこともなければパーティーへの誘いもない。衣装の用意も母親に任せ、逢瀬も他人の御膳立てがなければ叶わなかった。確かに、オレリアが嫁ぐ先はアルトー伯爵家だったかもしれないが、仲を深めるべきはセレスティーヌ様ではない。夫となるはずのフィリベール・アルトーだ。その相手がこんなでは私の大切な娘は嫁がせられない。娘の予定はつい三日前まではまだなかったんだ。だから、書類を女学院に提出し自身の卒業式までの空いた時間で母親と二人旅を楽しむことにした。もう、予定は決まっている。つまり、婚約は白紙でお願いしたい」
セレスティーヌもフィリベールも血の気が引いている。
「で、ですが婚約者はどうするのです?今からお探しになるのですか?」
「オレリアの心配か?それには及ばない。きちんと対応してあるから白紙でお願いしたい」
「でも、こちらはそれでは困ります」
「それはこちらには関係ない。それだけのことをしてきた……、いや、なにもしてこなかったと言うべきか」
こうして、フィリベールとオレリアの婚約は白紙となった。
フィリベールとナディアは各々パートナー不在で卒業パーティーに出席することになったが、フィリベールは婚約がなくなったことについては公言しなかった。
◇◇◇
オレリアには女学院を卒業すると新しい婚約が結ばれた。そのお相手は三歳年下の従兄弟であるジェレミーだ。二人は昔から仲が良く、ジェレミーには兄弟がいないため、オレリアのことを姉のように慕っていた。
「私は嬉しいです。リアとの未来が描ける日が来るなんて」
「ジェレミー、大袈裟よ」
「待っててくださいね!卒業の頃には背丈の差ももっと広がって、隣に並ぶのに恥じないよう立派な紳士になりますから」
「うふふ、ええ。楽しみにしているわ」
エルネストの弟を父に持つジェレミー・シャヴノンにオレリアの卒業まで他での婚約を待ってもらっていた。ジェレミーがオレリアを好いていた為、シャヴノンでも待つことを同意してくれていた。待ちに待った婚約にジェレミーは喜んだ。
ジェレミーもエルネストが働く学院に進学した。シャヴノン伯爵は商業で富を得ており、ジェレミーは人脈を拡げるべく積極的に交友していった。オレリアと頻繁に文通し、大きな休みがあると帰省しオレリアとの逢瀬に時間を充てた。
そのジェレミーからの手紙と同じ頻度で、なぜかフィリベールからもオレリアに手紙が届いた。そこにはアルトーの現状が一方的に綴られ、最後にはオレリアを恋しがるような一文が添えてある。それに対してオレリアは一度も返事をしなかった。今さら何なのか、もうフィリベールに対しての感情はない。
ジェレミーの卒業パーティーには、ジェレミーが贈ってくれた衣装を身に付けオレリアは次期シャヴノン伯爵夫人として帯同した。卒業と同時に二人は結婚する予定だ。ジェレミーの最終学年の後期には、オレリアはシャヴノン伯爵邸で行儀見習いをした。シャヴノン伯爵夫人は一度経験しているのだからしなくても大丈夫と言ってくれたが、郷に入っては郷に従わなければと、シャヴノンでの花嫁修行をすることにした。オレリアはすぐにでもお務めができるだろう。
さすがに三年も返事がなければフィリベールも諦めたようで手紙が届くことはなくなった。風の噂では、ナディア・ダンドロ子爵は遠方の子爵家次男を婿に迎え、業務委託をすることなく自ら領地運営を行っているという。対して、フィリベールの結婚相手は見つかっていない。セレスティーヌが領地持ちの令嬢ばかりを探しているからだ。アルトー伯爵家は農地を持たずに農地運営に長けていたため、ダンドロ領の土地を失っては農地運営は出来ず資金繰りに奔走しているらしい。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
久しぶりの短編です。
いかがでしたでしょうか?作者のモチベーションに繋がりますので、よろしかったら、評価していただけると嬉しく思います。




