17 華燭の典と葬送の儀(2)
その声の主は、ひとりはリーユエンだった。それに気がついたミレイナが、扉の手前でピタリと立ち止まり、ささっと素早く扉に近づき耳を当てた。ウラナは、盗み聞きなんて、はしたないとは思ったけれど、つい王女に倣い、大きな扉のもう一方側で聞き耳を立てた。
「どうして、こんなに決裁書類を回してくるんだ。全部、宰相府か大蔵府が最終決裁者じゃないか。私が決裁する必要がどこにあるんだっ」と、リーユエンの苛立った声と、書類をドシンと机に置く音が聞こえた。そして、もっと低い男の声で、
「ですが、明妃殿下、私はできるだけ明妃殿下の決裁をいただかなくてすむように頑張ったのです。けれど、この書類の分だけは、宰相府と大蔵府の役人たちが、殿下の決裁をいただかないと先へ進めることはできないと言い張って、私の言う事なんか全然きかないのです」と、落ち着いた口調で訴えた。するとリーユエンが
「まったく、何のために宰相や、大蔵大臣がいるんだ。これでは、機能していないも同然ではないか。パパディ、おまえは実務に明るく有能なのだから、こんな書類、さっさと宰相と大蔵大臣のもとへ持っていかせて返してしまえばいいのに」と、こぼした。
パパディと呼ばれた男は、「申し上げにくいことですが、明妃殿下が位を返上なさったという怪文書が流出しまして、法座主猊下も閉関中であったことも重なり、情勢判断に苦しんだ大臣方は、八大公から締め上げられるのを恐れるあまり、重要な仕事はほとんど放擲されておられたのです」と、冷静な口調で伝えた。
明妃位の返上文書については、その作成に自分も一枚どころか、自作自演も同然であったため、腹を立てるわけにもいかず、パパディの訴えを聞きながら、リーユエンはしかめっ面になり、こめかみを、広げた左手で揉んでいた。そして、扉の外で誰かが聞いている気配を察知し、パパディへ身振りで不審者を捕まえろと合図を送った。パパディはうなずくと、音もなく立ち上がり、獲物へ近寄る雪豹の足取りで扉へ近寄り、いきなりさっと両側へ開け放った。不意に扉を開けられ、支えを失った王女とウラナは、部屋の中へ雪崩を打って倒れ込んだ。
「ウラナッ、どうしたの」と、リーユエンが叫んだ。彼女は、黒い魔導士服姿で、白金色の髪を後ろで束ねただけの格好だった。それから、王女の姿にも気がつき
「王女殿下、何か急用でしょうか、わざわざいらっしゃるなんて・・・」と、声をかけた。
ミレイナは、ウラナとともに慌てて起き上がり、部屋の中を見まわし目を見張った。部屋の床一面書類の束が積んであるのだ。
「何なの、これ?」と、それを指差し、思わずリーユエンへ尋ねた。
リーユエンは両手を広げ、肩をすくめ、
「明妃に復位した途端に、決裁しろって山のように書類を持ってくるのよ。もう、いい加減にしてほしいわ。私、ずっとここにこもりきりで、太師のところへも帰れないのよ」と、疲れた様子で言った。
そういうリーユエンへウラナは近寄り、顔をのぞき込むと難しい表情となり、
「明妃、最近、お肌のお手入れをおろそかにされておられますね」と、怖い口調で言った。リーユエンの肌は、数日続いた睡眠不足が祟り、血色が悪く色艶がなくなり、青白くなっていたのだ。
リーユエンは、顔をのけぞらせ、
「仕方ないでしょ。忙しくて、座浴しかできなかったのよ」と、弱々しい声で言い訳した。ウラナの顔はさらに恐ろしいものとなり、
「座浴しかできなかった・・・・明妃、乾陽大公と王女殿下の挙式まで、あと三日でございますよ。さっさと離宮へお戻り遊ばされて、お手入れなさいませ」と、地を這うような声で言った。
リーユエンは苦笑して、「何も、私が挙式するわけじゃないから、そんなに気合い入れる必要ないでしょう。それより、早く、この書類を片付けないと・・・」と、また書類を取り上げたとき、突然、ウラナは、大蛇の精丸出しの恐ろしい顔つきで「明妃っ」と、叫んだ。
「ひゃいっ」大蛇の恐ろしいひと睨みに射竦められ、リーユエンは動きどころか、息まで止めた。
「王女殿下が、何のためにここにわざわざ足を運ばれたとお思いなのですか」
ウラナがリーユエンへ詰め寄った。




