16 喪失(3)
ドルチェンは、毛布の上から覆い被さり、
「もう明妃に復位したのだから、機嫌を直して離宮へ戻りなさい」と、話しかけた。ところが、リーユエンは、「離宮へは当分戻りません」と、言いだした。
予想外の言葉に、ドルチェンは驚き動揺し
「なぜだっ、もう復位したのだから、離宮に戻るのは当然ではないか」と、説得した。けれどリーユエンは、毛布の上から揺さぶられても
「離宮には戻りません。ここにおります。執務が必要なら、ここでします」と、言い張った。
ドルチェンは、毛布ごとリーユエンを懐の中へ閉じ込め、
「どうしてそのような事を言うのだ」と、尋ねた。
毛布越しにドルチェンの法力が、暖気となってリーユエンの体を温めた。けれど、リーユエンの心は冷え切ったままだった。
「お忘れですか?ドルーアは、昔、離宮の庭園で、私を毒殺しようとしたのです。侍女が二人がかりで私を押さえつけ、ドルーアは私を殴りつけて、無理やり毒を流し込んだのです。離宮に戻るなんて嫌です。私が戻っても、面倒な事が起こるだけです。ここにいた方がいいし、私はここにいたいのです」
「リーユエン、大丈夫だ。何も心配しなくていい」
ドルチェンは、まだ説得できると思っていた。ところがリーユエンは、
「もう、帰ってください。当分、私のところへ来ないでっ、あなたは私を守るとおっしゃるけれど、私を直接守ってくれていたのは、いつだってアスラだった。アスラが逝ってしまったのに、私に離宮へ戻れとおっしゃるなんて、あなたはひどすぎる。ドルーアの毒霧さえ始末をつけられなかった大公たちの前に、私を投げ出してしまうおつもりですか」と、一気に言うと、肩を震わせ泣き出した。
「私に、また、玄武の甲羅を破らせたいのですか?」
「リーユエン・・・」
ドルチェンは、それ以上説得できなくなった。大公たちとの関係が険悪になれば、また、ドルーアのように、直接手を下そうとする者が現れるに違いない。その時、リーユエンは、身を守るために相手の甲羅を破ってしまうかもしれないと、訴えたのだ。玄武八大公の懲罰権は、法座主と枢密院にある。明妃が甲羅を破る事態は、本来あってはならないことなのだ。
ドルチェンは、懐に閉じ込めたリーユエンへ、
「わしは、どうしたらいいのだ?あなたを失いたくないのだ」と、密やかな声で訴えた。
けれどリーユエンは、「離宮へは、戻りません。それより、乾陽大公とミレイナ王女の縁談を進めて、八大公がたの機嫌を取られては、いかがですか?」と、まったく情に流された様子もなく、冷静に言った。
ドルチェンは虚をつかれた。
「ミレイナ王女とは、高祖が連れてきた昆孫だな。ダルディンは、あの娘が好きなのか?」
リーユエンは毛布の中からドルチェンを見上げ、
「ミレイナ王女が乾陽大公殿下をお好きなのです。彼女は、齢二百年のごく若い玄武です。甲羅だって分厚くないし、若々しく素直なご令嬢です。玄武の国で、乾陽大公に釣り合う、齢千年以下の若い玄武のご令嬢なんてみつかりますか?せっかく玄武の国まで来てくださったのですから、早く縁を結んであげてください」と、言った。
ドルチェンは、リーユエンの顔をのぞき込んだ。非常に気を使い、恐る恐るといった様子で、誰からも畏怖される猊下とは、別人にしか見えなかった。
「あなたとダルディンは、それでいいのか?」
リーユエンは、ドルチェンの胸を突き飛ばした。もちろん、その分厚い胸板は彼女が突き飛ばしたくらいでは、びくともしなかったが、ドルチェンは、彼女をまた怒らしていまったのかと、ビクッとした。
リーユエンは、紫眸を怒りに光らせ、ドルチェンを見上げ、
「猊下っ、私が何のために東荒の果て、東海にまで行ったとお思いなのですか。浮気したくていったんじゃありませんからねっ」と、訴えた。
ドルチェンは、怒るリーユエンにおろおろして、
「ダルディンから、話は聞いている。高祖からも聞いた。大変だったようだな」と、労った。
リーユエンは涙目で、「大変なんてものじゃありません。本当に死んでましたよ。高祖が救ってくださらなければ、私は、あの氷雪の大地で消えていました」と、つぶやいた。
ドルチェンは、リーユエンを抱きしめ、
「死ぬとか、消えるとか、わしの前で言うのはやめなさい」と、震える声でささやいた。
リーユエンは、ドルチェンの上腕にすがりつき、
「だって、震陽大公の配下は、玄武紋の上から震家の紋を焼き付けたのですよ。そんな事をされて、生き恥をさらすくらいなら、もういっその事、潔く消えてしまおうと思いました」と、ひっそりと訴えた。




