13 香車ナイナイ(5)
五日後、早朝、惜春楼の中は静まり返っていた。それは、ほとんどの妓女や女中が、別の場所へ移されたためだった。楼内の残留組となった男衆のハビは、廊下を顔が映るほど磨き終えたところだった。そこへ、香車のナイナイがやって来た。
「おはようございます。香車」と挨拶するハビへ、ナイナイは、「お早う」と言い、廊下に視線を落とし、「清掃ご苦労さま、今日来るお客は、とても身分の高いお方だから、くれぐれも粗相のないよう気をつけておくれ」と、注意した。ハビは、
「誰が相手をするんですか。太夫たちは、みんな、別荘の方へ行きましたよ」と不思議そうに聞いた。すると香車は
「お相手も外から来るよ。その子に、居残りの妓女や禿が余計なことをしないよう、あんたは、目を光らせておくれ」と言った。ハビは人の良さそうな顔を傾げ、
「香車が、そんなに神経質になるなんて、一体どれだけ偉いお方なんですか」と、言った。すると、ナイナイは、ハビへ顔をずいっと近づけ、その耳元で
「わが国の第一位と元第二位の方がお忍びでいらっしゃるんだよ」と、ささやいた。
ハビは目を見開き、「エッ、第一位、元第二位って、それって・・・」と、言葉が途切れた。楼での勤めが長いハビは、これ以上は口に出してはいけないとすぐ理解した。ナイナイは、鋭い目でハビを見つめ、
「分かったね。だから、気をつけておくれ。明日も偉い客がくるからね。元第二位のお方の求めることには、すべて応じてやっておくれ。いいね」と言った。ハビは黙って何度もうなずいた。
(ハビの独白)
魂消たよ。元第二位って、元をつけたって、あのお方は今でも実質第二位のお方なんだ。だって、凡人の役人連中が、あのお方を早く復位させてくれって、毎日、毎日、宰相府へ嘆願文書を大きな唐櫃いっぱい運び込むものだから、大変なんだそうだ。あの怪文書をバラまいたのが、どこの誰だか知らないが、第二位のお方の人気は高まる一方で、まったく逆効果だったわけだ。
で、俺は、香車から、今日から三日間の注意を聞いたあと、玄関先で第二位のお方の到着をお待ちしたんだ。そしたら、どこかの大金持ちの商人らしい壮年の男と、黒いフードつき外套をまとった長身痩躯の魔導士みたいなのが、店の前に止めた輿車から降りてきたんだ。俺は、その二人の前に立ち塞がり、楼は今日貸切だからと入店を断ろうとしたんだ、そしたら、魔導士の方がフードをちょっと捲り上げ、
「久しぶりだね、ハビ、元気にしてた?」と、声をかけてきた。フードの下は、妓楼でもちょっと見ない絶世の美女だったが、その紫眸を見た瞬間、俺はそれが誰なのかすぐ思い出した。
「えっ、痩せっぽちのチビすけじゃないか」と、言って、慌てて口を自分で塞いだ。けれど、チビすけは微笑んで、
「ナイナイから話は聞いているだろう?今日から三日間よろしく頼むよ」と、言いながら、チビすけ、もといリーユエンは、俺の袖の中へ心付けをそっと忍ばせてくれた。
(あとで見たらデナリウス金貨だったんだ。すげえ、太っ腹だよ)
ハビは、お二人を三階の最上等の貴賓室へ案内して、一旦下がった。それから、香車のところへいき、
「ナイナイ姐さん、あれは、リーユエンじゃないかっ。俺には、あの眸で誰かすぐにわかったが、あいつ、背は伸びてるし、顔はものすごい美人だし、まるで別人だ。一体、どうなってるんだ?本当にあの子が第二位のお方なのか?」と、思わず尋ねてしまった。
「ハビ、前にも言っただろう、あの子は大化けするって、どうだい?私の言った通りだったろう」
と、誰にでも厳しく辛辣な態度をとるナイナイには珍しく満足した口調だった。
それで、ハビは、かれこれ五年余前のことを思い出した。そして、姐さんの見立ての正しさに感服した。あの時、ガリガリに痩せてチビで、顔には大火傷の痕があったリーユエンに、姐さんは自分が知る限りの技を全部教えてやると言い出したのだ。姐さんは酔狂すぎると思ったが、今日のこの姿を見通していたのだろうか?
小粒の魔石が熱源の、囲炉裏つきの長机を前に座ったナイナイは、水煙管から煙を吐き出しながら、
「私はね、もうあの当時、あの子が何者かわかっていたんだよ」と言った。ハビは、驚き
「ええっ、リーユエンは、魔導士学院の魔導士見習だったはずじゃ・・・」と、言った。
すると姐さんは、「魔導士学院には通っていたけれど、もうあの頃から、旦那さんがついていたんだよ」とつぶやいた。
俺はもう魂消るどころか、頭が昇天しそうになった。
「一体どういうことなんだ」
「どううもこうもないよ、一位のお方は、あの頃すでに、あの子をお手つきにして手元に置かれていたということだ。ただ、あの子は行儀作法の覚えは早いのに、情緒の動きが鈍い子だったから、本人もわからないことが多くて困っていたのさ。そういう方面は、奥付きの侍女頭あたりが普通は教えるものなんだが、いかんせん、あの子は凡人だし、侍女頭はあのウラナだからね。とてもじゃないが、あの子に理解できるような情緒の指導なんて無理だった。それで、私が代わりに教え込んだのさ。とりあえず、情がなくとも情があるように見えるよう、型から教え込んだんだよ」
ハビは、全然色気がなかったリーユエンを思い出した。けれど、ふと、気がついた。あの子は普段色気がないのに、たまに恐ろしいくらい艶やかに見えることがあったと・・・ナイナイが、ハビへ鋭い視線を向け、内心の動きを察したのか、
「だんだん、思い出してきただろう。そうさ、あの子は、素でも、結構色気があるんだよ。ただ、本人が無自覚で、危うかった。だから、型を教えて、制御できるようにしてやったのさ」と、ささやいた。




