12 処断の嵐(6)
枢密会議が開かれた頃、いち早く危険を察知し、秘密研究所から姿を消したドルーアは、凡人の女に姿を変え、宮殿近くの下町の一角に身を潜めていた。今、彼女の心は、明妃に対する激しい怒りと恨みが鬱積し、決壊寸前の氷河湖状態だった。
兌家は閉門され、兌陰大公は処分を待つ身となり、プドラン宮殿の地下牢へ幽閉されてしまった。都の屋敷は、玄武軍の兵士がびっしり取り囲み、その上、魔導士学院が寄越した魔導士が巡回までしていた。ドルーアでも、忍び込むのは難しかった。仕方ないので、変形し、研究所から持ち出したいくつかの毒薬を手に、下町に潜入したのだ。有金も少なく、ゴミをあさり、道端で野宿する有様だったが、あの婢女だけは許せない、ドルチェンの愛を独占したあいつだけは、我が手で始末してくれる、と、その一念で身を潜め、機会を伺っていた。それなのに、明妃はどこにいるのか、まるで情報をつかめないまま、焦りを募らせていた。
その日、ドルーアは危険を冒し、役所街の一角の、並木道の木立のひとつに身を潜めていた。茂みの上でじっと待つこと数時間、日暮頃、役所の門より出て来た役人の会話が聞こえてきた。
「今日、枢密会議が開かれたそうだ」と、ひとりが言い、もうひとりが
「へえ、こんな真冬に開くなんて珍しいな。玄武は、真冬は出歩くのを嫌がるはずだろ?」と応じた。最初の発言者が声を潜め、
「緊急招集を、猊下がかけたらしい」と言った。すると一方もさらに声を潜め、
「えっ、猊下は閉関なさっておられたのでは?」と、傍近くでいても辛うじて聞き取れるほどの声でささやき返した。それでも聴力に優れるドルーアには、はっきり聞き取れた。
「位を返上して行方知れずになっていた明妃が戻ってきたそうなんだ。それで、猊下は閉関を解かれたそうだ」
「明妃、帰ってきたのか。よかった。俺の部署、決裁書類がもう北嶺の頂ほどもうず高く積もっているんだ。これで、何とかなるよ」
「バカ、それどころじゃないよ。明妃は、大公家の誰かに襲われて、危うく死ぬところだったらしいぞ。乾陽大公と一緒に帰ってきて、その下手人を懲らしめたそうだ」
「さすが、明妃、もう懲らしめたのか、彼女の仕事は早いな」
「まだ、続きがあるんだ。ところが、その下手人のやつ、他国の人間にまで邪術を使ったらしい。その上、邪術の仕掛けを施されたままの他国の凡人が何人かいるらしい。それを探し出して、邪術を解除しなければならないそうだ」
「へえ、それは随分大ごとになってきたな」
「近々金杖王国へ、ヨーダム太師と明妃が謝罪も兼ねて訪問するそうだぞ」
「へえ、金杖王国か・・・でも、どうして金杖王国なんだ?」
「尸蟲の犠牲になった者は、金杖国王が明妃へわざわざ譲ってくれた陰護衛だったそうだ。それに、ほら、金杖国王は魔導士学院に一時在籍されてたそうだからな」
「へえ、本当に大ごとだな。でも、明妃は今無官だろう?」
「だから、近々復位なさるそうだ。復位の儀式は、半月後に開かれるそうで、今、式典部は準備で大変らしいぜ」
ふたりの役人は話をしながら、ドルーアの潜む茂みの下を通り抜け、それぞれ家路へついた。役人の会話を聞き取ったドルーアは、式典に潜入できれば、明妃へ一矢報いることができると考え、さらに情報を集めてみようと思った。
木立からひそかに降りて、下町の隠れ家へ帰る途中、ドルーアの背後から忍び寄る者がいた。気がついた彼女は、毒薬を吹きかけようとした。その者は、一気に一丈飛び下がり、
「俺だよ。毒を吹きかけるのはやめてくれ。逃亡者同士だろ。仲良くしようや」と、凡人の顔で話しかけてきた。
「おまえは・・・・」
ドルーアは、こんなところで震家の逃亡者と出会おうとは、僥倖だと思い、さて、どう利用するべきかと早速頭を忙しく働かせ始めた。
日暮近くまで続いた枢密会議がようやく閉会となった。席を立ち帰ろうとするリーユエンへ、巽陰大公が近寄り、
「リーユエン、今晩はうちへおいで、ちょっと話がしたいから」と、誘った。リーユエンは、「はい」と返事し、太師へ断りを入れて、巽陰大公に従った。
巽陰大公の都の屋敷は、街の東の外れ、プドラン宮殿の東南の角地にあった。鬱蒼と繁る北嶺松の林を抜け、屋敷へ入ると客間に通された。そこには、すでの乾陽大公が座っていた。リーユエンが、彼へ揖礼すると、
「楽にしなさい。大伯母はすぐ来る」とダルディンは言い、そのまま黙り込んだ。リーユエンは、小さな声で、
「猊下に叱られたのですか?」と、尋ねた。するとダルディンは首をふり、
「いや、事情を話したら一応許してもらえた。ただ、二度とするなと釘をさされた」と言った。リーユエンはうなだれ、「本当に申し訳ございません」と謝ると、ダルディンは、
「非常時であったから、仕方ない。結果的に、そのお蔭で、私も死なずに済んだのだから、伯父上は納得しておられる。あなたには何のお咎めもないはずだ」と、慰めた。けれど、リーユエンには、たとえお咎めがないにしても、猊下をなん度も裏切った以上、もう以前のような関係には戻らないだろうと悲観し切っていた。明妃位に復位するという話が早々と持ち上がっていることは知っていたけれど、復位しても猊下との関係が改善できるとも思えなかった。
巽家の召使たちがお茶道具やお茶菓子を運んできた。そして、巽陰大公は上機嫌な顔で、もうひとり厚手の面紗で顔を隠した、すらっと背の高い女とともに部屋へ入って来た。その女は、部屋へ入ってくるとリーユエンの前に立ち、「久しぶりだね、リーユエン」と言い、面紗を取り払った。




