12 処断の嵐(3)
男は、ニエザに視線を留めたまま、
「ヨーダム太師・・・ニエザ・・・ああ、分かった。おまえは、リーユエンの兄弟子だったな」と、つぶやいた。
ニエザは、「はい、さようでございます」と返答した。だがその時、すでに男は、隠形術を破り魔法陣の中へ侵入し、マントに包まり眠っているリーユエンの前に跪き、その髪を一房手に取り、そっと口付けするところだった。
それを見たニエザは、心の中で、わあっ、リーユエンは法座主猊下の妃なのに、何と言うことを、と思った。焦りまくるニエザは、リーユエンの紫眸が開き、男を見上げるのを見た。
「・・・高祖さま?」
ささやくリーユエンの顔をのぞき込み、高祖は、微笑みを浮かべ、
「疲れは少しは取れたのか」と、優しく尋ねた。リーユエンはマントを肩からずらし、上半身を起こすと、まだ寝起きのぼうっとした目で高祖を眺め、
「よく、この場所がお分かりなりましたね」と、眠そうな声で言った。高祖は、リーユエンの頬を指先で撫でながら、「あなたの体には、私の紋が入っているのだ。どこに隠れようと、私にわからないはずがなかろう」と、答えた。ニエザはその言葉と同時に、リーユエンの体が青白く光り、その眸が潤み、口元は半分弛緩したように開き、音にならないため息が漏らされたことに気がついた。もう見ているのが危うすぎて、目を逸らしたいのだが、その情景から目を逸らすことがどうしてもできず、心拍数が凄まじく増加してしまった。
「高祖さま、もうご容赦ください。ここは、私の師父の住居なのです。このような場所で、私は痴態をみせたくはございません」と、リーユエンが高祖へささやいた。その時のリーユエンの情に潤んで赤らんだ目元を見たせいで、ニエザはその後七日ほど、その姿が夢に出て来て、苦しめられることとなった。
法力が止まると、リーユエンは何事もなかったかのように起き上がり、
「高祖さま、私は今から座浴をいたしますから、別の場所でお待ちになっていてくださいませ」と言った。高祖は、眉をあげ、「座浴をするのなら、私が世話してやろう」と言い出したが、リーユエンはムスッとした表情になり、「ここは師父のお住まいですから、行儀良くなさってくださいませ」と、いい、魔法陣から追い出した。
リーユエンは下の部屋から魔導士服やらタオルやら持ってきて、自分でさっさと大盥に湯をはり、座浴の用意をすると、隠形術で目隠しし、高祖へ「のぞかないでください」と言い、座浴を始めた。
お湯を使う水音は聞こえる中、リーユエンの姿の見えない状態で、高祖と呼ばれる謎の男と二人きりで過ごすのは、ニエザにとって、実に気づまりだった。けれど、高祖は意外に気さくな態度で、床に積まれた魔導書をパラパラとめくり、
「ほう、玄武の国では、今も魔導術が盛んなのだな」と、感心し、目を通し始めた。そして、時々、ニエザへ質問を投げかけた。朝食の準備をしながら、その質問に、ニエザはできる限り丁寧に答えた。会話をしてみると、偉ぶったところもなく、自分のような若輩の魔導士の言葉にも、耳を傾けて、悪い人物とも思えなかったが、ただ、正体がわからないので気が抜けなかった。
リーユエンが座浴を終え、魔法陣からちょうど出てきた時に、今度は窓から太師が入ってきた。そして、太師は客人を見るなり目を瞠り、跪拝叩頭して、
「東海大帝におかれまして恐悦至極に存じ奉ります」と、言い出した。ニエザはその称号を聞くや、腰を抜かした。それは、魔導士学院で習った古代史に出てくる、三界の争いを平定したという伝説の大玄武の称号だった。(嘘、、嘘だろっ、だって、目の前の男は、乾陽大公と対して変わらないくらい若く見えるぞ。東海大帝なら、軽く一万歳を越えているはずだろう)
内心では、もう恐慌状態で、ニエザも太師に倣い慌てて跪拝口頭し始めた。けれど、高祖は笑って、
「そのような礼儀は不要だ。私は、もう何の官位も持ってはおらぬのだ。どうか、気にしないでくれ。ただリーユエンに会いたくて来ただけなのだ」と言った。そして、リーユエンを振り返ると、黒づくめの質素な魔導士服姿に、目をすがめ、
「何だ、その貧相な格好は・・・どうして、私が用意した衣を着ないのだ?」と、不満げに言った。リーユエンは、眉尻を下げ、
「ここは寒いのです。あのような襟元が大きく開いた薄地の衣では、凍えてしまいます」と、訴えた。




