11 波乱の帰還(4)
震陽大公の皺だらけの手が、リーユエンの襟元を肌け、雪のように白い肌が露わとなり、玄武紋の上に焼きつけられた震家の紋が現れた。
震陽大公は、その紋をじっくり眺め
「ううむ、玄武紋を消すように綺麗に焼き付いておるな。しかし、一個では心許ない、あともう二、三個、そうだな、額と手のひらに焼き付けておこうか」と、つぶやき、いきなり紋へ手を当て、法力を流し込んだ。
流れ込んできた法力は、まるで腐臭を放つ汚水のようで、リーユエンは込み上げる吐き気を懸命にこらえた。震陽大公は、長年、邪術に染まりすぎて、法力がすっかり汚れて変質してしまったのだ。リーユエンが突如抑えきれない苦悶の表情を浮かべたのを見た大公は、法力の強さに苦しんでいるのかと勘違いし、
「いい子だ。今は苦しくとも直に慣れる。わしの法力を素直に受け入れるがよい」と、ささやいた。そして、「おまえは、これからは、わしの所有となるのだ。わしに仕え、震家のために瑜伽業で太極石を作り出すのだ。わしに忠実であれば、わしはおまえを痛めつけたりはしない。可愛がってやろう」と、言った。リーユエンは、
「ご主人様、ひとつだけ、お教えください」と、苦しい息の中で尋ねた。震陽大公は、まだ、リーユエンが意識を保っていることに驚きながらも「何が知りたいのだ」と、尋ね返した。
「あの見事な尸蟲の姿が忘れられないのです。一体あのように見事な尸蟲を、いつどこであの陰護衛の身へ潜ませたのです?」
もう自分の奴婢に成り下がったのだと、油断し切った大公は、見事な尸蟲と言われてすっかりいい気分となり、
「あれはな、あの者が玄武の国に滞在中、街中ですれ違いざまに卵を蜂に刺させて、産みつけたのだ」と、答えてしまった。リーユエンは、一番手に入れたかった情報を、ついに入手した。それは、部屋の外で、他の者たちも聞き届けたのだ。
リーユエンは、突如手枷足枷を跳ね飛ばし、立ち上がるや、手のひらに魔力場を現出させ、
「それさえ聞けば十分だ。このクソ玄武くたばっちまえ」と叫び、大公の鎖骨目掛けて、魔力場を全出力で激突させた。
「ギャーッ」
震陽大公の絶叫と、発光が部屋を満たした。
部屋の外で待ち受けていたダルディンたちは、部屋へ踏み込んだ。大公の絶叫に、異変を察知した震家の家臣たちが次々に部屋の前へ駆けつけた。集まってきた家臣へ、リーユエンは、原身をすべて曝け出した巨大な玄武の、縦に破れた甲羅を踏みつけ、恐ろしい形相で目をギラギラ光らせ、
「それ以上近寄るなっ、私たちに指一本でも触れてみろ、震陽大公の甲羅を粉々に砕いてやる」と、怒鳴りつけた。家臣は、甲羅を破られ鮮血がほとばしる大公の姿に、それが冗談ではないと分かり、部屋の外で動きと止め、凍りついた。
高祖は、甲羅を見分し、「うむ、見事に破れている。あと、もう一尺割れれば、致命傷になろう」と言った。震陽大公は、嘴のような口を苦しげに開け、鎌首をもたげて、
「た、助けてくれ、殺さないでくれ」と、命乞いした。
リーユエンは甲羅を踏みつけたまま
「殺しはしない。今はね。ちゃんと裁きを受けてもらわないと」と、冷静に言った。
ダルディンは、艮陽大公に連絡をとった。そして、枢密会議長の権限で玄武軍が出動し、震陽大公の家屋敷は封鎖され、原身をさらした大公は、プドラン宮殿の地下牢へ閉じ込められた。震家で、すべてが片付くと、ダルディンはリーユエンへ「次は何をする?」と、尋ねた。
リーユエンは、ダルディンを見上げ、
「猊下を起こしにいきます」と言った。そして、高祖をふり返り、
「高祖さま、一緒にいらしていただけますか」と、頼んだ。高祖は、うなずき、「よかろう」と言って、リーユエンとともに閉関場所の岩戸へ向かった。
プドラン宮殿の最深部の地下洞窟のひとつが閉関場所だった。深淵の闇と静けさの中、手燭の弱々しい明かりひとつで、迷路のように枝分かれする地下洞窟を歩き続けること数時間、地下牢よりもさらに深い、プドラン宮殿の最深部、代々の法座主が眠る封鎖された岩戸を通り過ぎ、リーユエンは、閉ざされた巨大な岩戸の前で立ち止まった。ついに辿りついたリーユエンは、扉の外からでも感じる法座主ドルチェンの気配に、懐かしさのあまり涙が溢れた。
リーユエンとともに岩戸まで降りてきた高祖は、法座主の圧倒的は気配に激しい衝撃を受けた。(これが、法座主なのか。何という強大な法力だ。とても三、四千年生きたくらいの玄武の法力とは思えない。私の法力の強さとさして変わらないではないか)
リーユエンは、岩戸へ向かって、「猊下、リーユエンでございます。ただ今帰国いたしました」と、声をかけた。




