1 乾陽大公ダルディン(5)
「オンギャラ、ウンギャラ、サンボダイ、バク、ウン、ソワカ」
子供は小声で呪言を唱え続けていた。凡人には見えないが、玄武であるダルディンには、子供の体から夜空の極光が揺らめくように、呪言の抑揚、強弱に同期して霊気が変化していくのが見えた。
(凄い霊気だ。玄武でもこれだけの霊気をまとう者は少ないぞ。それに、白金と紫の霊気とは・・・)
霊気は揺らめき、光が水面の波のように変化しながら現れた。あまりに神々しい美しさに、ダルディンは、しばらくその様に見惚れていた。すると、突然、子供は、
「縛っ」と、鋭い叫びとともに、右手を横へ振り霊気を飛ばした。気がつくと、ダルディンは縛され地面に転がっていた。
子供は立ち上がり、ゆっくりダルディンの方へ近寄って来た。そして彼の前でしゃがみ込むと、
「ここで何をしている?猊下が、立ち入り禁止にしたはずだよ。見つかったら殺されるかも・・・また、毒薬でも持ってきたのかな」と、抑揚のない声でつぶやいた。
ダルディンは焦った。
(どうして・・・目が見えないはずじゃ。包帯で目を覆っているし、俺は隠形術をかけているのに、どうして、俺に気がついたんだ?)
子供は膝の上で頬杖をつき、口元をにんまり引き上げた。
「どうして黙ってるの?ビックリしたのかな・・・私はね、今、目を悪くしていて見えないんだよ。でもね、分かるんだ。あなたは多分大柄な人だろう?どんなに気配を消しても、動けば空気に乱れが生じるから、分かるんだ。あなたは、温泉の方からこちらへ来たよね。空気が動いたから、分かったよ。さて、どうしようか?ウラナにでも知らせておくか」と、言いかけたところで、突然突風が吹き、
「ウラナがどうしたのだ」と、低い声が響いた。
ダルディンはその瞬間まずいと思った。それは伯父であるドルチェン、法座主猊下の声だった。
子供は立ち上がり、「猊下」といいながら丁寧に揖礼した。その頭に、緑色の鱗と水かきのある長い爪の生えた手を乗せ、ドルチェンは「目の具合はどうだ」と、今度は優しい声で尋ねた。その声にダルディンは、(伯父上はこんな優しい声も出せるのか)と、驚いた。いつもの重々しく厳しい声とはまった違う声だった。
子供は、猊下を見上げ、
「猊下、誰か中庭へ入ってきたので、縛しました。ウラナへ引き渡してよろしいですか」と、尋ねた。
ドルチェンは薄い緑色の目で、ダルディンを見下ろした。そして、
「これは、わしの知り合いだ。気にせんでよい。そのまましばらく転がしておけ」と言った。
(伯父上、ひどい、俺だと分かっていて、放置しておけなんて・・・)と、残念に思ったダルディンだが、ふたりの様子を探る絶好の機会だと思い、そのままじっとしていた。
ドルチェンに手をひかれ、子供は東屋へ戻った。ドルチェンは長椅子へ腰掛け、こどもを膝の上に乗せた。ドルチェンの体躯は、ダルディンよりさらに立派で大柄なので、子供の体はすっぽり懐に納まっていた。
「猊下、十日後に魔導士学院の期末試験が行われます。私の目はそれまでに治るのでしょうか」と、子供は淡々とした口調で尋ねた。
猊下は、子供の額に手をあて、
「リーユエン、また法術の修行をしたのだな。それでは、法力を流し込んでも、目の回復にすべて使われないため、回復は遅れてしまう。そうだな、三日の間、法術の修行を一切休みなさい。法力を目の治癒へ集中させるのだ、そうすれば、回復する」と、答えた。
リーユエンは、「御意」と言うと、続けて
「私は、ヨーダム太師の塔へ戻りとうございます。ここには、魔導書がありません。まだ、読んでおきたいものがあるのです」と、訴え「それに、魔導士学院へ登校させてください。私は早く卒業したいのです。休みすぎたら、単位を落としてしまいます」と続けた。
ドルチェンは、蛇に似た顔の額に手を当て、ふり仰いだ。そして、
「リーユエン、あなたはつい一昨日、危うく毒殺されかけたのだぞ。それなのに、もう魔導士学院へ通いたいなどと、離宮にいなさい。魔導士になる必要はない。あなたは、いずれ明妃になるのだから」と、言い聞かせた。ところがリーユエンは、首を振り「私は、太師の内弟子です。魔導士学院へ行くための学資は、自分で払いました。途中でやめるなんて嫌です。猊下のおっしゃる明妃のことは、私には分かりませんが、私は魔導士になって、将来はカリウラの隊商のお抱え魔導士になるつもりです。人生設計はもう決めてあるので、計画通りにしたいです」と話した。
ドルチェンは口をヘの字に曲げ、二股に別れた長い舌をチロチロ伸ばした。そして、「そんな将来計画は見直すのだ。この離宮の主となり、玄武国の第二位の身分である明妃となるのが、あなたの将来なのだ」と、さらに言い聞かせた。
けれど、リーユエンは、頑固だった。
「猊下は、私に隠し事をするなと仰せになられたので、私は自分の思うところを言わせていただきます。私の決めた将来は、魔導士です、だから、必ず魔導士になります。猊下が明妃になれとご命令なさるのなら、お言いつけには従いますが、その前に魔導士学院を卒業して、魔導士資格を取らせてください」と、しつこく訴えた。 そして、「私だって、猊下とご一緒の時間を増やしたいのです。だから、魔導士学院を早く卒業しようとものすごく努力しております。どうか分かってくださませ」と、突然可愛らしい声で甘えるように訴えた。




