9 黄金獅子参戦(1)
今より遡ること、リーユエンが、狐狸国で東荒行きの隊商の準備に忙しくしていた頃、金杖王国ではデミトリー王子殿下が、気落ちしきって立ち直れないでいた。必要最低限の王太子としての政務を片付けたら、例の、中庭の長椅子の傍にうずくまる姿が、皆に目撃されていた。その日も、彼は、中庭のその場所でうずくまっていた。すると、鼻先に、手紙をひらひらと揺らされ、その香りに琥珀色の眸を見開いた。忘れもしない、茉莉花の香だった。
「リーユエン・・・」
そうつぶやき、顔をあげた。けれど、自分を見下ろしているのは、金杖国王陛下、父であるゲオルギリーだった。
ゲオルギリーは、悪ぶった笑みを浮かべ、手紙をヒラヒラさせながら、
「ほら、見ろ、見ろ、リーユエンにお手紙を出したら、返事をくれたぞ。王妃もロージーも返事をもらって喜んでおった」と、当てつけるように言った。
デミトリーは、もう何も聞きたくなくて、耳を塞いだ。
「どうして、手紙を書かなかったのだ?そうすれば、律儀なリーユエンのことだ、返事くらいはくれただろうに」と、息子の精神状態などお構いなしに、ゲオルギリーはずけずけと言った。それは耳を塞いでも、しっかり聞こえてきた。
「放っておいてください」と、力のない声でデミトリーは言った。あれほど、強烈に拒絶され、張り手一発で気絶させられた。リーユエンは、髪をばっさり切り落として逃げ出してしまったのだ。そんな非情な彼女へ、一体どんな手紙を書けるというのだと、デミトリーは悲しく思った。ところが、国王は、一人にするどころか、デミトリーが誰も座らせず、大切に守ってきた青い布張りの長椅子にどっかり座って、彼を見下ろした。
「おまえは、まったく文字通りの愚息だな。愚か者だ」と言い、「法座主のドルチェンが閉関した」と、伝えた。けれど、デミトリーは悲しみに浸るばかりで、その話題が何を意味するのかをまるで理解できなかった。
陛下は、いきなりデミトリーの頭を平手で一発「バシッ」と、叩いた。黄金獅子の一撃に、デミトリーの目から火花が散った。
「痛いっ、父上、何をなさいます」と、抗議の声を上げる愚息へ
「リーユエンのことを本当に好きなのなら、自分の悲しみにばかりかまけていないで、彼女の事をもっと真剣に考えてやったらどうなのだ」と、低い声でささやいた。
「彼女の事?しかし、父上、私はリーユエンから完全に拒絶されたのです。今さら彼女と関わるわけには・・・」と、悲しそうにいう愚息へ、ゲオルギリーはため息をつき首をふり、
「本当におまえはどうしようもない、お坊ちゃんだ。おまえは、リーユエンがどうしてあんな行動を取ったのか本当に理解できておるのか?」と、尋ねた。デミトリーはうなずき、
「王宮での生活は窮屈で耐え難かった。自分は、ずいぶん辛抱したのだと、訴えていました」と、言った。ゲオルギリーは琥珀色の目で、息子を見下ろし
「そんな言葉を真に受けたのか」と、問い返した。
「嘘だとおっしゃるのですか。でも、本当のことを言っていたと思います」という、息子へ
「そなたは、どうして、いつもそのように一面的にしか物事を見ようとしないのだ。リーユエンの立場というものを考えたことはないのか」と、諭した。
「リーユエンの立場?」
「あの者は、玄武国の法座主に縛られておるのだ、自身でもままならぬ事があるのだ。おまえは、リーユエンは前世ですでにドルチェンと夫婦であった事は知っておるのだろう。朕は、リーユエンに前世の因縁など断ち切ってしまえと勧めたのだが、結局断ち切れなかった、いや、断ち切らなかったのだ。リーユエンはドルチェンと情で縛られた間柄だ、それゆえ奴を主と定めて、それを替える気はないのだ。だが、それと、おまえへの愛が尽きたかどうかは、別問題だ」
デミトリーは、いつになく生真面目に語る父を見上げ、呆然とした。
「デミトリー、黄金獅子となったそなたは、雌虎に一発張り手を喰らったぐらいで、すごすごと引き下がるのか?それでは、あまりに情けないではないか。たとえ、恋が成就しなくとも、一度愛した女のためになら、その女が危難に会わぬよう、身を尽くすくらいの度量を持ったらどうなのだ」
デミトリーは、その言葉にハッとして、
「リーユエンは、何か危険に遭遇するのですか」と尋ねた。
国王は、眉をしかめ、
「だから、さきほどドルチェンが閉関したと言ったではないか」と言い、「ドルチェンこそが、リーユエンにとって、玄武国における最大の後見人だ。それが閉関したら、何が起きると思う?」と、王子へ尋ねた。




