8 捨心(5)
ダルディンは、半年の期限を切られ、どうすればリーユエンの記憶を甦えらせることができるだろうかと、悩み続けた。
高祖は、神廟でリーユエンと二人きりで過ごし、ほとんど姿を見せなくなった。神廟からは、時々、高祖が彼女へ弾かせるのか、琵琶や箜篌の音が聞こえてきた。奏でられる旋律は、記憶を失っていても、何かそれまでの記憶の影を忍び、悲しんでいるかのように聞こえた。その調べを耳にした者は、あまりに哀切な調べに、涙を流さぬ者はいなかった。宮殿の中の者たちは、神廟の中には、楽の女神が降臨したのだと噂した。
ダルディンは、その調べを耳にすると、眉間に深い皺を刻み、瞑目して、じっと耐え忍ぶことしかできなかった。音がいきなり途絶えることもあり、その時は、はっとして椅子から立ち上がり、しばし呆然と立ち尽くした。
苦悩を深める一方のダルディンを見かねたミレイナ王女は、ある日、
「大お祖父様は、私とお茶をすればよかろうと、リーユエンにおっしゃっていらしたから、お茶へ招けばいいわ。そして、乾陽大公、あなたも一緒にお茶を飲んで、リーユエンとじっくり話合うべきよ。あなたと話をすれば、それが契機となって、記憶が戻るかもしれないもの」と、助言した。そして、ミレイナは、わざわざ自ら神廟へ出向いた。
ミレイナは、神廟付きの内官に案内され、高祖のいる部屋へ通された。大きな長椅子に高祖とリーユエンがそろって腰掛けていた。というか、高祖は、リーユエンの肩へ腕を回し、自身の懐へ彼女を抱き込んでいた。リーユエンは、大人しくじっと懐へ頭をもたれさせていた。それを見たミレイナは、目のやり場に困り、顔を赤らめながら、高祖へ揖礼した。そして、
「リーユエンをお茶会に誘いにきたの」と言った。すると、高祖は、青みがかった翡翠色の眸を彼女へ向け、
「リーユエンを乾陽大公に会わせて、記憶を取り戻させる手伝いをするつもりなのだろう」と、言った。
いきなり図星を刺され、機転のきかない王女は、もう、言葉に詰まった。すると、高祖は、王女の動揺ぶりで、疑惑を確信にまで強め、
「ふん、ミレイナを利用するとは、あの乾陽大公も大したことはないな」と、軽蔑した口調で言い「お茶会を開きたいのなら、開けばよかろう。リーユエンを招待したいというなら、招待に応じよう。だが、ミレイナよ。乾陽大公の心を掴みたいと、本心から思っているのなら、リーユエンと乾陽大公をふたりきりにしないことだ」と、冷淡に言った。
「大お祖父様・・・」
ミレイナは困惑した。ただ、乾陽大公の助けになればと思い、お茶へ招待しようとしたのだが、高祖の言い方は、乾陽大公と彼女の間柄に疑念をもっているようにしか聞こえなかった。ミレイナは、遥かに目上の高祖へ、覚悟を決め
「乾陽大公は、軽々しく男女の仲になりたがるようなお方ではございません」と、反論した。高祖は、ニヤッと意地悪な笑みを浮かべ、
「ミレイナ、可愛い私の昆孫よ。そなたはまだ子供で、そのような痴情の知識がないから、分からないのだ。おまえは、乾陽大公が高潔な玄武だと思っているのだろう?だが、実際に、あの男は伯父の妻であるリーユエンと、もう関係をもっているのだぞ。この女とおまえなら、まったく勝負にならないだろう」と、率直に断言した。
ミレイナは、乾陽大公は、確かに過ちを犯したけれど、それを反省している。また、同じ過ちを繰り返すような情けない玄武じゃないと反論したかったが、高祖でさえ、今、目の前で、このような有様なのだ。現実問題として、乾陽大公をもしリーユエンと争うことになったなら、自分に勝ち目があるとは思えなくて、悲しくなってきた。
ミレイナと高祖が、明け透けにそのような会話をし、リーユエンは、自分が話題になっているにも関わらず、まるで無関心で、高祖の懐でじっと動かなかった。
ミレイナは、リーユエンを見ながら、小声で、
「リーユエンは、私たちの言っていることに関心がないのでしょうか?」と、高祖へ尋ねた。すると、高祖は、彼女の頭を撫でながら、
「周囲のことが気にならないように、法力で軽い暗示をかけている。リーユエンは、今、半ば眠っているような状態だ。体は回復したが、あの術が精神へ及ぼす影響は、はかり知れないものがある。だから、強い刺激を与えないように、半ば意識を眠らせている。今は夢現の状態だ」と、言い、続けて、
「私のことにだけ意識を集中させ、私こそが愛する相手なのだと、暗示をかけ続けている」と、言ってのけた。
悪びれもせず言い切る高祖に、ミレイナは非難する色を出さないように気をつけながら、
「大お祖父様は、十分魅力的でいらっしゃるのだから、そのような暗示をかける必要があるのかしら?」と、言った。すると、高祖は笑みを浮かべ、
「私は、リーユエンを愛しておるのだ。そして、リーユエンに最も相応しい相手は、私だ。そうであるからには、この女人の意識を、他の男に向けさせるわけにはいかない」と、さすがは齢一万年の玄武、その一念は、岩盤のように強固だった。
ミレイナも笑ってうなずきながら、内心では、玄武の男は大人になると、皆、このように執念深い愛情を抱くようになるのかしら、ああ、もう本当に暑苦しいなと思った。




