7 換骨変易の法(3)
高祖は、身を屈めると、リーユエンを抱き上げた。
ダルディンは、慌てて「どこへ連れていくのだ?」と、尋ねた。
高祖は、歩を止め、ダルディンを振り返り
「術を施す前に身を清めねばならん。瑤池へ連れて行き清める」と告げた。
ダルディンは、「瑤池?」と呟き、首を傾げ、ミレイナ王女を見た。王女は、彼へ
「瑤池は、王族のための温泉施設よ。宮殿の北館のそばにあるの」と、説明した。
高祖は、ミレイナへ、
「瑤池へ、しばらく誰も立ち入らせないようにせよ。この者の血の匂いを嗅いだら、正気を保てない者が多いだろうから、誰も近づけるな」と、言い、部屋を出ていった。
ミレイナは、高祖が出ていくや、
「大変だわ、すぐお母様にお知らせして、それから禁護衛総大将に知らせないと」と、言いながら、足早に部屋を出た。ダルディンもその後を追った。
ミレイナから高祖の命令を聞いた王と王妃は驚き、
「わざわざ凡人のために、瑤池を使うのか」と言った。
王妃は、侍女頭と内官長を呼び、「すぐさま、後宮のものたちに、瑤池へ近寄らぬよう通達なさい」と、命じた。王も、侍従へ、「禁護衛に瑤池の周囲を警戒させよ、侵入者は追い払えと、伝えよ」と、命じた。
ダルディンは、大事になってきたなと、不安になった。
ミレイナ王女は、命令が伝わったので、安心し、
「お父様、お母様、誘涎香血って、一体何なのですか?」と、無邪気に尋ねた。その言葉を聞くや、国王と王妃は驚愕した。
「そなた、その言葉をどこで聞いたのだ?」
父国王に尋ねられた王女は、無邪気に
「今さっき、乾陽大公がリーユエンの血は誘涎香血だと言ったの」と、答えた。
王妃は、ぽかんと空いた口を手で覆い、国王と視線を交わした。そして、王女へ
「あの黒い衣の凡人は、誘涎香血の持ち主というのは、真なのか」と、確認した。
ダルディンは、血を飲ませろとか言い出されたらどうしようかと気を揉みながら、王女と両親のやり取りを聞いていた。
王女は、「ええ、そう聞いたわ。一緒にお聞きになった大お祖父様が、突然、召使を全員下がらせたの。それに瑤池にも、誰も近づけるなっておっしゃられたのよ。ねえ、どうしてなの?」と、尋ねた。
国王は、眉を下げ困惑顔で
「私は古い謂れのことには詳しくないのだが、誘涎香血の凡人は、先見の能力がある生き神なのだと聞いている。その血は、特別な芳香があり、化生の者はその香には抗えないそうだ」と、答えた。そして、
「高祖の指示に従うしかないだろう。高祖なら、詳しい事をご存知かもしれないから、興味があるのなら、あとで聞いてみなさい」と言った。
王妃は、ミレイナへ「あなたの横にいらっしゃる、そのお方を紹介してちょうだい」と、声をかけた。
ミレイナは、客人の紹介を忘れた自分の無作法に顔を赤らめ、
「こちらは、北荒玄武の国から旅をしてこられた乾陽大公です」と、慌てて紹介した。
ダルディンは進み出ると、片膝つきで肩へ拳をあて、「玄武国乾陽大公ダルディンと申す」と、挨拶した。
王妃は、ダルディンの様子を見て、若々しく精悍な姿と、身内から溢れんばかりの力強い法力に、なかなか良い玄武の殿方がいらしたと、好ましく思った。国王陛下も、王妃と王女の様子を見ながら、満足げにうなずき、
「乾陽大公、娘が色々世話になったそうで、私からも礼をいう。どうか、我が家と思って、くつろいでくれ」と、労った。しかしその後、さり気無い口調で、
「乾陽大公は、東荒を旅してこられたそうだが、何の目的で、はるばるこの東海の地まで来られたのだ?」と、探りを入れてきた。
ダルディンは、顔をあげ、「東海の常春の国では、大青亀を王として祀っていると聞き、もしや我ら一族と同族がみつかるのではないかと思い、旅をしてまいりました」と、答えた。
国王は、ミレイナとどことなく似通う眉間の広い顔に柔和な笑みを浮かべ、
「高祖が連れておった凡人は、あなたの伯父の妻だそうではないか。その者と旅をしておったのか?まさか、それが原因で追われておったのか?」と、尋ねた。王妃も扇子で顔を半ば隠し、乾陽大公の顔色の変化をじっと伺った。
ダルディンは、どう返答したものかと頭を悩ました。国王も王妃も、自分とリーユエンの間柄を疑い、逃げてきたのでは、と疑っているのが見え見えだった。
「リーユエンは、隊商に出資しておりまして、東荒へ向かう隊商に参加しておりました。私は、その護衛をするよう伯父から命じられ、付き従っておりました。もともと常春国のことについては、リーユエンが興味をもち、こちらへ来たがったので、隊商から離れ、旅をしてまいりました」と、できるだけ誤解を招かないよう無難に答えた。
ダルディンが、国王と王妃の二人から詰問され、冷や汗をかいていた頃、瑤池の池では高祖が滾々と湧き上がる温泉にリーユエンを抱いたまま浸かっていた。
垂れ柳に囲まれ、半透明の玉髄石に囲まれた池からは、湯煙がたゆたい、霧のように水面を覆っていた。その霧の中で、高祖は、意識不明で脱力したリーユエンを腕の中に抱え込んだまま、
「ふふっ、浴を賜うとは、まさにこういう事だな」と、ご満悦だった。温かい湯に浸かっても、リーユエンの肌は白蠟のようで、冷たいままだった。ただ、血や泥の汚れは湯に流れて消え、右側の抉った傷跡が露わとなった。
高祖は、深く息を吸い込み、天を仰ぎ陶然として目を細め、
「ああ、芳しい香、至高の天上の香だ」とつぶやいた。それから、彼女の全身をじっくり検分し、
「随分痩せた体だな。経絡を開き、ご丁寧に刻印まで入れるとは、いやはや、そなたの主は相当執念深い玄武のようだ。それに破邪のために神聖紋を入れた男、こ奴も一体何を考えているのやら・・・さて、私が手を入れる以上は、より美しく仕上げてやろう。あとは、そなたが、どこまで耐えられるかだ」と言い、「ふむ、どこへ刻印を刻もうか」と言いながら、薄い口元をニイッと三日月型に持ち上げ、
「自分自身では決して見つけられない、あの場所へ刻もう。そうすれば、私も楽しめるからな」と、続けると、リーユエンを抱き上げたまま温泉から上がった。




