6 尸蟲の術(5)
「さあて、おまえをどう運んだものかな」
レムジンは、リーユエンを見ながら頭を悩ませた。
震陽大公からは、抵抗されないよう足を折っておけと言われていたのだ。それに、先ほどの凄まじい魔導術の展開、加えて獰猛な魔獣まで使役するのだから、十分用心しておく必要があった。けれど、リーユエンは、今にも息が絶えそうなほど衰弱し切っている。それに氷雪の高原は、足元が滑りやすく、滑落の危険があり、さらに厄介なのが、雪の下に隠された氷の裂け目が底知れない氷河の谷底まで口を開けていることだった。色々考えあわせ、足を折るのは、圏谷へ戻ってからにすることにし、部下に命じて、リーユエンの腕を縛らせ、念のため手首を捻って痛めつけ、術を使えないようにして、歩かせることにした。手首を捻られ、関節が外れる音がしても、リーユエンは、うめき声ひとつ上げなかった。縛った紐を掴まれ引っ立てられると、ふらふらと幽鬼のような足取りで歩き出した。
しばらく歩き続けたが、限界に来たのか、リーユエンは膝から崩れ、そのまま前方へ体が倒れ込んだ。そのままピクリとも動かないリーユエンの脈を取ると、弱いながらもまだ反応はあった。
「まだ、生きている。歩けないのなら、このまま引きずって行こう。外套を来ているから、雪で滑って運ぶのにちょうどいいだろう」
レムジンの指示通り、部下がふたり、リーユエンの外套の端をつかむと、ぞんざいに引きづりながら移動した。
引きずられるうちに黒い外套は、雪にまみれ、白へと変わった。フードはめくれ、まったく血の気の失せた白蠟のような顔が現れた。手首を痛めつけられ、もう魔導術も使えないはずだし、意識もないと判断したレムジンは、完全に油断した。
リーユエンは目を瞑ったまま、意識を集中させ、「震の陣」を細部まで克明に脳裏に描いた。そして、かっと目を開き、最後の力を振り絞り「大地鳴動せよ、震っ」と、唱えた。その瞬間、地鳴りが起こり、雪原に裂け目が走った。その裂け目へ、雪が一気に雪崩れ落ちた。
レムジンは、隊員へ「裂け目に落ちたら死ぬぞ。地割れから離れろっ」と、叫んだ。レムジンの意識が隊員に向いた一瞬の隙に、リーユエンは転がり、地割れの中へ身を投じた。
「ああっ!」
レムジンがそれを止めようと走り出した時、リーユエンは外套を風に孕ませ、嘲笑いを浮かべ、その姿は翼を広げた黒い怪鳥のようで、地割れが開けた闇の中へ呑み込まれた。
(ハハッ、いい気味だ。せいぜい震陽大公へ自分の失敗ぶりを報告するがいい)
リーユエンはそう思いながら、闇の中を墜落し続け、意識を失った。
「ちきしょうっ、あいつ、弱ったふりをして、俺を騙したのかっ、ちくしょう、ちくしょう」
レムジンは激怒し、拳を凍りついた雪面へ叩きつけた。皮膚が破れ、血が滲み出ても、痛みすら感じなかった。リーユエンに、まんまと騙されたことが悔しくてならなかった。怒り狂う彼の傍へ副官のひとりが近寄り、
「隊員が五名、地割れに呑み込まれました」と、報告した。そして、じっと次の指示を待った。
副官も、生き残った部下たちも、今し方起きたことが信じ難かった。リーユエンが、弱りきった体で八卦の陣「震」を発動させ、地割れを起こしたのだ。誰の目にも衰弱し切っているのが明らかなのに、通常単独では発動できない八卦の陣をどうやって発動させたのか、ほとんど恐怖すら感じた。いずれにしても、あの深い地割れに墜落したのだから、もう谷底に体は叩きつけられ、命はないだろう。それならば、この作戦を切り上げ、リーユエンは死亡、乾陽大公も行方不明で報告することとし、任務をさっさと終了して帰還させてほしいというのが、副官と隊員の本音だった。
レムジンは、血だらけの拳を見下ろし、呆然とした。震陽大公は、失敗を許さない。まして、リーユエンに騙されたのだと気付かれたら、さっきの男のように尸蟲の餌食にされかねないのだ。怒りは消え、恐怖が取って代わった。レムジンは、どうするべきか、必死で考えた。
その頃、東海海上の蜃市の城郭の中庭に、突如侵入者があった。護法陣の反応に衛兵が慌ててかけつけると、中庭の満開に花開く宝想華の大木の下に、二人の姿があった。その日、たまたま城内へ来ていた禁護衛軍総大将のチェンガムは、不法侵入者を捕らえようと真っ先に駆けつけた。ところが、そこに立っていたのが、従姉妹のミレイナ王女だと気がつき、慌てて急停止し、すぐ面前で跪き拝礼した。そして、彼女の後ろに立つ、若い男を訝しげな目で見上げた。
ミレイナ王女は、彼へ「楽にして」と言い、それから「すぐお父様とお母様にお目にかかりたいのっ、私たち追われて逃げて来たのよ。もう一人、取り残してきたから、すぐ助けにいかないとっ」と、話した。ミレイナ王女の緊迫した口調に、チェンガムはすぐさま国王へミレイナ王女の来訪を伝えに走った。
ところが拝謁は叶わなかった。この時、王室内でも緊急事態が起きつつあった。この百年開かずの状態であった高祖神廟の扉から、突如光が溢れたのだ。それは、高祖が百年ぶりにお目覚めとなった先触れであった。
高祖をお迎えせねばと、国王と王妃は、様々な指示を出した。そして、禁護衛軍の将軍たちにも招集をかけた。高祖を総出でお迎えするためだ。
ちょうどその非常召集がかかった時に、チェンガムは、ミレイナ王女到着を知らせようと城内へ入った。その姿を、右軍と左軍の両大将に見つかってしまい、陛下へ知らせに行く前に、高祖へ拝謁するため、神廟前の大広場へ整列させられてしまった。
しばらく待っても帰ってこない従兄弟に痺れを切らし、ミレイナは乾陽大公を連れて、謁見の間へ行こうとした。ところが、そこへ、大広場へ集合しようとやって来た陛下の侍従に見つかり、「王女殿下、お帰りでしたか。今すぐ、神廟前へお集まりください。高祖さまがお目覚めなのです」と、声をかけられた。
ミレイナは、「大お祖父様がお目覚めなの、急がなくちゃ、一緒に来て」と、ダルディンの衣の袖を引っ張り、神廟前へ急いだ。




