6 尸蟲の術(3)
ミレイラは、リーユエンの本心に疑念を持っていたけれど、乾陽大公に接する時の彼女の態度は、冷静で、むしろよそよししいほどなので、彼女の話の通り、ただ恩返しがしたかっただけなのかと、一応納得した。ただ、リーユエンが体の不調を乾陽大公に気づかれまいと、かなり無理をしているのが気になった。
夜に眠るとき、乾陽大公とヨークは外で見張りに立ち、ミレイラとリーユエンだけ、小さな天幕の中で一緒に眠らされた。すると、リーユエンが咳を我慢したり、時々ひどく苦しそうにしているのが、気配で伝わってきた。けれど、リーユエンは乾陽大公にそれを知られることを嫌がり、ミレイラにも固く口止めしてくるので、結局大公に伝えられないままだった。それに、リーユエンは、ほとんど毎晩夢に魘されて、夜中に目が覚めているようだった。
リーユエンは、毒が体に周り、内傷を生じていた。そのため、もう、瞑想して経絡の中で霊気を循環させることができなくなっていて、先見も行えない状態だった。けれど、夢の中に、幻視が何度も現れ、魘された。それは雪原の中で、自分が真っ黒な血を吐くさまだった。そして、どこか暗いところへ落ちていき、闇の中で夢が終わるのだった。その夢が先見であるのなら、もう、自分自身が助かる見込みはないだろうと、冷静に分析した。次の氷雪の高原に差し掛かった時、何かが起こるに違いないと、静かに覚悟を決めたのだ。それでも、乾陽大公とミレイラだけは、何としてでも逃さなければと思った。だが、ヨークはどうすればいいのだろう。なぜか、夢には、ヨークが出てこないのだ。それが、彼女には、ひどく気にかかった。
彼らは山を下り、緑が豊かに茂る圏谷は何事もなく順調に抜け、ふたたび崖を登って氷雪に覆われた高原地帯へ出た。
「うわぁ、すごい全部氷と雪しかないわ」
ミレイラは、東海の蜃市を追い出されたときは、有翼の大蛇に乗せられたので、氷雪の高原地帯に来たのは初めてだった。そこは真っ白な雪が降り積もり、何百年もの間溶けないまま堆積し、ぶ厚い氷雪と化した平原だった。まばらに生える樹木は、霧氷に包まれ凍りついていた。
リーユエンは、周囲を見まわし
「四方八方、見晴らしが良すぎて危険だね。これでは、狙ってください状態だよ」と、つぶやいた。
ダルディンは、ミレイラへ、
「ここを東へ進むと、東海へ出るのか?」と、尋ねた。ミレイラは、
「そうよ、ここから先はさらに砂漠地帯があって、その先は、東海の沿岸部、とても気候の良いところよ。あと、もう少しだから、頑張って、沿岸へ出たら、船を仕立てて、私の両親が住む蜃市へ行きましょう。きっとあなた方のことを歓迎するわ」と、励ました。
ダルディンは、お仲間に会うことよりも、リーユエンを早く楽にしてやりたい一心だった。彼女が隠そうとしても、もう顔色の悪さも足取りが重くなっているのも、誰の目から見ても明らかだった。それでも、リーユエンは誰の手も借りず、ひとりで氷雪で覆われた滑りやすい大地を、三人の後に従い進み続けた。
彼らの様子を、レムジンは遠眼鏡で観察した。いつもは黒装束の工作部隊は、衣を裏返して白い衣姿に変わり、氷雪の中に巧みに身を隠していた。レムジンは遠眼鏡を下げ、「そろそろ、真言を唱えて、尸蟲を羽化させる頃合いだな」と、つぶやいた。
日が暮れる直前、彼らに気づかれないよう、レムジンたちは距離をつめた。
レムジンは副官へ
「俺はこれから真言を唱えて、尸蟲を羽化させる。そいつが現れたら、奴らを襲わせるから、おまえたちは二手に分かれ、混乱に乗じて、乾陽大公とリーユエンを捕縛しろ。他は邪魔だから、殺せ」と、命じた。
レムジンは樹氷の陰で結跏趺坐し、
「ヴィッタミル、ヴィッタミル、オンキリキリ、シィチョン、ヴィッタミル、ヴィッタミル、オンキリキリ、シィチョン」と、羽音のような低い声で何度も唱えた。
日が暮れ始め、そろそろ野営場所をみつけようと、ヨークへ声を掛けようとしたダルディンは、彼の異変に気付いた。
「ヨーク、どうしたんだ?」
「ア、ア・・・」
突然、ヨークは目を剥き、喉をかきむしり、身を捩らせ、のたうち回った。
「ヨークッ」
ダルディンの叫びに、遅れていたリーユエンとミレイラは慌てて駆けつけた。リーユエンも彼の様子に驚き、近づこうとしたが、ヨークは、腕を振り
「早く、逃げてっ、もう、抑えが効かない。私の体を何かが勝手に使おうとしている。早く、離れてっ」と、悲痛な声で叫んだ。
「ボキッ、バキッ」
ヨークの体から骨の折れる音が響いた。絶叫をあげようと大きく開けられた口からは、しかし声は発せられなかった。彼の体は額から胴体にかけて真っ二つに裂け、そこから巨大な二対の棘に覆われた鎌型の触手が現れ、金属質の光沢のある緑色の甲殻に覆われた胸、そこから持ち上がった首の上には、黒い複眼が光り、長い触覚が揺れ、鋭い顎がカチカチと凶悪に開閉しながら鳴らされた。
リーユエンは、目を見開き、激しく動揺した。
「あ、あれは、尸蟲の術だ。もっとも忌み嫌われる、死体に寄生させた蟲を使役させる邪術だ。それを生きた凡人に寄生させたのか・・・」
ヨークを指す、その指先は震えていた。




