6 尸蟲の術(2)
「ええっ、恩返しのためにあんな事やこんな事までしたの!」
ミレイナは思わず叫んだ。恩返しのためにそこまでするなんて初耳だった。
ところがリーユエンは、平然とした顔で、
「だって、男は体で奉仕されるのを一番喜ぶって、教えてもらったもの」と言った。
ミレイナは、人に傅かれ大切に育てられた王女ではあるけれど、結構お転婆で色々やらかしてきた過去がある。リーユエンの言った言葉の意味だって、ちゃんと理解できた。けれど、そんな事を教えこまれ、それを無邪気に信じきっているリーユエンは、まったく理解不能な存在だった。ミレイナは、眉をしかめ、ちょっと怖い顔になり
「一体、誰からそんなことを教わったのよ」と、詰問した。リーユエンは、
「惜春楼のナイナイが教えてくれた」と、あっさり答えた。
ミレイナは、嫌な予感を感じながら、
「その惜春楼っていうのは、何をするところなの?」と、尋ねた。リーユエンは、
「妓楼よ。とっても格式の高い、玄武でも一、二を争う妓楼よ」と言った。
ミレイナは、はあーっと大きくため息をついた。一体この人は、どんな教育を受けてきたのだろうと、呆れ果てた。本人より、明らかに周りの人たちが悪いとしか思えなかった。だから、できるだけ傷つけない言い方をしようと気をつけた。
「リーユエン、その恩返しのやり方、間違いとまでは言わないけれど、乾陽大公のような身分の高いお方に対してするには、適当じゃないと思うわ」
「えっ、そうかな?でも、私、他にあまり取り柄がないもの」と、リーユエンは、恥じる様子もなく言った。
ミレイナは、頭痛がしてきた。けれど、ここで叱りつけても、リーユエンには通じないだろうと思った。頬杖をついて、リーユエンを眺め、一体どう話したら、適当でないと理解してくれるだろうかと悩みながら、
「あなたは、ただの恩返しのつもりでも、もし、大公殿下があなたのことを本気で好きになったらどうするつもりなの?」と、問い質した。
するとリーユエンは、キョトンとした顔で、
「大公殿下は、貴人だもの。私みたいな奴婢呼ばわりされている凡人で、おまけに彼の伯父様が私の主なんだから、本気になるなんてあり得ないわ」と、断言した。
その言葉を聞きながら、ミレイナは、リーユエンは言っていることは筋が通っているようで、実際は人情の機微なんてこれっぽちも分かっていない、とんでもない鈍感女だと思った。自分の伯父の女と知りながら手を出すなんて、よほど軽薄なのか、本当に好きだったからだとしか思えない。そして、短い間でも、乾陽大公の態度や人柄を観察してきたミレイナには、乾陽大公がリーユエンと関係を持ってしまったのは、やはり情を持ったためだとしか思えなかった。黙って考え込むミレイナの顔をのぞき込み、リーユエンは、
「恩返しといえば、あなたを助けてあげたのは、私なのだから、私のお願いをひとつ聞いてもらえるかしら?」と、言い出した。
ミレイナは、リーユエンを見返し
「ええ、あなたには感謝しているわ。もちろん、いいわよ」と応えた。するとリーユエンは、とても生真面目な顔つきとなり、
「ここから先のどこかで、もっと本格的な攻撃があると思う。その時、戦っても勝てないと思ったら、大公殿下を連れて逃げ出してほしいの」と、言い出した。
「でもリーユエン、あなたはどうするの?あなたを置いて逃げられないわ」と、ミレイナは言った。
「私のことは、生捕りにしようとすると思う。でも大公殿下は、最悪殺されてしまうから、そうなる前に逃げてほしいの。そして、できれば、あなたの国でしばらく保護してあげてほしい。一番いいのは、あなたが彼のお嫁さんになってくれたら一番なんだけれど・・・」
ミレイナには、リーユエンがなぜそんな事を言い出すのかが、分からなかった。
「どうしてそこまでして、大公殿下を助けたいの?恩人だからなの?」
リーユエンは今まで見せたことのない厳しい顔つきで、
「乾陽大公の身に何かあったら、玄武の国の未来が変わってしまうからだ」と言った。急変したリーユエンの様子に驚き、戸惑いながら、ミレイナは「それって、どういうことなの?」と、小声で尋ねた。
「次の法座主になるのはおそらく大公殿下だ。それがいつになるかは分からないけれど、いつかそうなるはずなんだ。その未来が、大公殿下が暗殺されたりしたら、変わってしまう。玄武の国は瓦解するかもしれない」
どうして、そこまではっきり言い切れるのか、彼女が先見の能力があることを知らないミレイナには分からなかったけれど、その真剣さは十二分に伝わった。
「よく分からないけれど、あなたが真剣なのはよく分かったわ。とにかく、何かあったら、私は乾陽大公を全力で守るわ」
ミレイナの力強い言葉に、リーユエンは表情を和らげ、「ありがとうございます。王女殿下、どうか大公殿下をよろしくお願いします」と、頭を下げた。
その日半日の間、ダルディンは洞窟の中で瞑想を続けた。けれど、夕方近くになると、リーユエンは陣を保てなくなり、咳き込み始めた。それに気がついたダルディンは、陣を壊し、中から姿を現した。そして、リーユエンへ
「法力は七、八割方回復した。もう大丈夫だから」と、言い、「これ以上は、絶対に魔力を使うな」と、言い聞かせた。
リーユエンは、「はい、もう使いません」と素直に答えた。
その二人のやり取りを聞きながら、ミレイナは、心の中で、リーユエンは、乾陽大公の気持ちなんか、全然分かっていないのだと思い、リーユエンのことを気遣い、神経をすり減らす大公のことを気の毒に思った。けれど、その時、リーユエンの本心は、本当に彼女の話した通りなのだろうかと、疑問に思った。




