1 乾陽大公ダルディン(2)
法力の反応を感じた場所へ行ってみると、そこは両替・為替取扱所だった。店の中をのぞくと、ハオズィともう一人、すらっと背の高い、フード付き黒マントを羽織った細身の若者がいた。ダルディンの眸が縦に狭まり、見つけたと確信した。黒マントの若者に近づいたダルディンは、その男の肩をポンと叩いた。男は、はっとして振り返った。けれど、ダルディンは、間違えたと思った。髪が顎の下くらいまでしかない、若者だったからだ。けれど、その目を見て、やはりリーユエンだと分かった。驚きで見開いた紫眸が、ダルディンを見上げていた。
ダルディンは、口元に笑みを浮かべ、リーユエンを見下ろし、
「久しぶりだ。元気そうじゃないか」と、声をかけた。
リーユエンはしばらく無言で彼を見上げていたが、
「少し待っていてください。今、お金を受け取るところなので」と言った。その声も、何だか聞き慣れない、いつもより調子の低い声だった。明妃でなくなったリーユエンは、まるで見知らぬ人だった。
ハオズィも、玄武国へ帰ったものと思っていた乾陽大公が、またもや商人姿で現れたので驚いた。そして、彼が「乾陽大公へ、ご挨拶申し上げー」と、揖礼しかけたのを遮ったダルディンは、
「私は微行中だから、礼儀は無視してくれ」といい、それから
「リーユエンはどうしてここに君と一緒に来たのだ?」と、小声で尋ねた。
するとハオズィは、「老師は、こちらにご自分の財産を預けておられます。しばらく旅行をなさるそうで、お金がご入用なのですが、身分証を今はお持ちでないので、私が本人保証のためにお供しているのです」と、答えた。
ダルディンは、「そうか、分かった。ここでの用事が終わったら、私は老師と少し話がしたいので、宿へ連れていくから」と、ハオズィへ言った。
ハオズィは、「承知いたしました。老師が、私にご用がおありの時は、いつでもお呼び出しください」と、気を利かせて先に帰った。
お金を受け取り、店の奥から出てきたリーユエンを、ダルディンがひとりで出迎えた。
「あれ?ハオズィは・・・」と、尋ねるリーユエンへ、
「急用があるとかで、先に帰ったよ」と、ダルディンは答え、彼女の手を握り、
「一緒に来なさい」と、有無を言わさず、自分の常宿へ連れて行った。
ダルディンは、ビアンチャンから来た商人、ノーディンと名乗り、玄武の常宿がある大通りから離れた、横丁の角地にある「赤スグリ亭」という中級の宿に泊まっていた。もう滞在して、一ヶ月半ほど過ぎたため、宿の主とはすっかり顔馴染みだった。
宿の主は、緑色の色眼鏡をかけた、日光の苦手なモグラ族で、ノーディンが珍しく他の者を連れて帰ってきたので、驚いた。
ノーディンは、快活な笑みを浮かべ、
「甥っ子を探していたのだが、やっと落ち合えたよ。この子もしばらく泊まるから、料金に足しておいてくれ」と言った。
宿の主は、「お部屋はどうします?」と、尋ねた。
すると、ノーディンは、
「一緒でいいよ。あの部屋は広いからね。寝台だけひとつ増やしてくれ」と、言った。そして、甥っ子の手を握り、引っ張るようにして三階の部屋へ上がっていった。 宿の主は、その様を見ながら、首をひねり
(本当に甥っ子なのか?まるで、恋人をみつけた風にしか見えないのだが・・・まあ、金の支払いはきっちりしてくれる商人なんだから、気にすることもないか)と、考えた。
部屋へ入ると、リーユエンはフードを後ろへ跳ね除け、部屋を見回した。ダルディンは、その姿に戸惑いを覚えた。髪は、肩の上あたりで、ひどいギザギザに切られていて、沈んだ顔の表情も、明妃の微笑む姿とはまるで違っていた。
「髪をどうしたのだ?誰かに切り落とされたのか?」
ダルディンが、気になって真っ先に尋ねると、リーユエンは、振り返り、
「自分で切った。邪魔だから」と、あっさり答えた。
「邪魔?邪魔だったのか」
意外な答えに、ダルディンはますます戸惑った。
「うん、短い方が、洗ってもすぐ乾くしね。当分は、ヒラヒラした衣を着る予定もないし、ウラナへ、手紙と一緒に切った髪を置いていったから、鬘でも作ってくれないかな」と、リーユエンは答えた。
その様子を見てダルディンは、
(そうだ、そうだった。すっかり忘れていたが、リーユエンは、元来こういう子だった)と、初めて会った時のことを思い出した。
数ヶ月前、短い夏の終わり頃に開かれた、離宮でのお茶会で明妃を見かけた時、ダルディンは非常な衝撃を受けた。
(あ、あれが明妃・・・別人じゃないのか?一体どうなっているんだ?伯父上は法力で姿変えでも行ったのか)
紫の袍をまとい、長椅子に嫋やかに腰掛ける彼女は、紫蝶のように優雅で豪奢な美女に見えた。
明妃の公へのお披露目をかねる茶会であったため、ウラナは、普段離宮に立ち入りを認められない八大公と、その眷属も招待した。しかし、巽陰大公以外の大公は、明妃をドルチェンの愛玩奴隷と看做しており、誰もわざわざ挨拶に行こうともしなかった。ただ、乾陽大公であるダルディンがすぐに挨拶へ行かなかった理由は、彼らとは異なっていた。彼が明妃を見たのは、実は、この日が初めてではなかった。初めて会った時の印象とあまりにかけ離れた姿に、彼は衝撃を受けたため、なかなか近づく決心がつかなかった。それでも、お茶会の間中、ずっと気にかけていたので、彼女が怪我をした時は、いち早く駆けつけたのだ。




