2 刺客(4)
(乾陽大公には、恩があるもの・・・彼の命を奪おうとする奴は絶対許さない)
黄牙長老ダーダムが送りつけてきた貢物は、嫌な思い出のつきまとう紫色の衣が多かった。それを処分したくて開いたお茶会で、指先を怪我した自分のもとへさっと近寄ってきた乾陽大公に、この方があの人なのだと、気がついた。
昔、玄武の女に毒薬を飲まされ、しばらく失明したことがあった。その時、ドルチェンは、魔導士学院へ通学する彼女のために護衛をつけてくれた。その護衛は、隠形術で身を隠していたため、誰なのかはわからなかった。
視力が完全に回復したあとも、護衛はずっとついていた。学院の中は、一見したところ、秩序が保たれ、平和そうに見えるが、教師の目の届かないところでは、成績のいいリーユエンを妬んだ同級生や上級生が、タチの悪い嫌がらせをしかけてくることがたびたびあった。大抵は自分で対処できたが、顔の火傷のある方をわざと狙って、式をぶつけようとしたり、火炎魔法で火炎の中に閉じ込められたり、氷魔法で氷漬けにされて、凍死しかけたこともあった。自分で対処しきれないことがあると、護衛は必ず助け出してくれた。
その護衛は、ドルチェンがリーユエンに玄武式の武術を叩き込むまで続き、棒術でドルチェンから一本を奪った日に終了となった。護衛がついた数年間、隠形術を解くことはなかったので、正体を知ることはなかった。ところが、お茶会で、乾陽大公の動きによって空気が動いた。リーユエンは、その空気の動きで、この玄武があの護衛だったのだと気がついた。
(ずっと感謝していたけれど、お礼をいうのが気まずくて言えなかった。それにいきなり主代えしろなんて、冗談でもそんな事を言われたら、不愉快になってしまって・・・)
隠形術を使っていたため、姿を一度も見たことがなかった。お礼を言っても、とぼけられたら嫌だなと思って、何も言えなかった。それに乾陽大公は、若い頃のドルチェンと実によく似ていた。リュエの記憶を取り戻したため、乾陽大公のそばにいると、昔のように胸の鼓動が怪しくなる時があった。ドルチェンは、リーユエンの心の中の微妙な揺れを感じ取っているようだったが、デミトリーの時のように情け容赦なく心の奥底を暴くことはなかった。リーユエン自身も、適当に冗談で紛らして、気持ちが高まらないように用心していたのだ。けれど、デミトリーを振り切り逃げ出して、それでも、ドルチェンからの反応が何もないことで、心の中の平衡がすっかり狂ってしまった。
(どうして、縛り付けてくれないの・・・私の心は、ぐらぐら揺れて、誰かに支えてもらわないと、もう自分でまっすぐ保つことなんてできないわ)
リーユエンの目から涙が頬へ伝わり落ちた。
(きっと、乾陽大公は節操のない女だと呆れていらっしゃるでしょうね・・・自分でも呆れているもの。こんな状態で、暗殺を防ぐことができるのかしら・・・東荒の最果ての地まで、乾陽大公も連れていくしかなさそうね)
乾陽大公に呆れられ軽蔑されようが、体の関係で縛り付けてでも、暗殺者から守り通すため、自分のそばからは決して離すまいと、固く決意した。
そんな事を考えていたら、宿屋を包むように張り巡らした魔法陣に反応が出た。リーユエンは、ハッとして、体を起こした。その動きにダルディンも目覚め、
「どうした?」と、尋ねた。リーユエンは精神を集中させ、魔法陣の反応を探った。
「この建物の周囲を、五人で取り囲んでいる」と、言いながら、リーユエンは寝台を下り、壁づたいに窓へ近寄り、外をのぞいた。すると、宿の前の通りに、闇に紛れて、フードを目深に被った黒装束の者が五人いた。
(ヨークはどこに潜んでいるのかしら?あの五人には、手を出さないでほしい)
五人は、彼女の見るところ、魔導士のようで、一定の間隔を空けて立っていた。それは、彼らが囲む空間に、五芒星の隠し魔法陣があるからだった。
(五人がかりで五芒星の陣を組むなんて、一体、どんな術で攻撃をかけてくるだろう)
その時、ダルディンが「床に水が溜まってきたぞ」と、言い出した。リーユエンが足元をみると、くるぶしあたりまで水につかっていた。
(なるほど、坎と兌の水責めか)
坎と兌の陰陽を反応させ、水気を発生させ、五芒星の陣から水槽へ水を送り込むように、この部屋にだけ大量の水を転送させようとしているのだ。
(五人がかりで陣を作動させて、その程度の速さでしか転送できないのか。遅すぎるな)
リーユエンはひっそり笑うと、自身の隠し魔法陣を操作し、五人の頭上へ移動させた。そして、「震の陣よ、雷電を生じよ。水陣を雷によって引き裂き、壊滅させよ」と命じた。五人の頭上に突然、真っ黒な雲とその中に雷光をまとう龍が現れ、彼らへ向かって雄叫びを上げた。その瞬間、雷鳴が轟き、五人を直撃した。五芒星の陣で水気を生じさせていたため、五人の体へ、雷の電流が一気に通り抜けた。
「ぎゃあーっ」
五人は絶叫し、体を激しく痙攣させた。その声に、街を巡回する警邏隊員が駆けつけた。激しく感電した五人は、あっさり捕まった。一緒に窓からのぞき見ていたダルディンが、「リーユエン、あなたがやったのか?」と、尋ねた。
リーユエンは、うなずき、「頭上がガラ空きのまま、水陣を外でやるなんて、無防備すぎる。雷電を食らうのも当然さ」と、肩をすくめて言った。




