2 刺客(3)
「どうして?兌の一族はもともと乾一族と代々姻戚関係が続いてきたのに、俺を殺して、何の得がある?」
「けれど最近の兌の一族は、宗家の娘、分家の娘と立て続けに坎一族と婚姻させているわ。それに、猊下が明妃に私を選んでしまったから、兌の一族からは明妃を出す事が当分できなくなった。そのうえ、兌の一族は、ここ数百年法力の強い陰の玄武が生まれていないから、実際のところ明妃を立てるのは難しい。
そして、坎一族は、昔から謀略は得意だが、同じくこの数百年間、法力の強い玄武が生まれていない。この両家が手を結び、玄武の国を支配しようと思ったら、乾一族の次代の筆頭であるあなたは、邪魔者なのよ」と、言い、「暗殺を免れたとしても、猊下の代わりに地下へ繋がれ、齢五百年のあなたに太極石を作らせようとするでしょうね」と、リーユエンは分析してみせた。
ダルディンは茫然と聞いていたが、太極石の話が出た途端、
「俺に、そんな事ができるはずないだろう。俺は、伯父上のような桁外れの法力なんかないのに・・・」と、困惑した。けれどリーユエンは、お茶を飲むと、
「そこで私が必要になるのよ」と、言い出した。そして、
「あなたを暗殺して、坎一族から新しい法座主を誕生させ、私に瑜伽業の相手を務めさせる。あるいは、あなたを生捕りにして、地下へ閉じ込め、私に瑜伽業の相手を務めさせる。そして、政治の実権は彼らが握る」と、冷静に説明した。
けれどダルディンは納得できなかった。
「どうして、あなたが瑜伽業の相手をしなきゃならないんだ?」
リーユエンは肩をすくめ、「この間の瑜伽業で、太極石を十年分作り出したもの。瑜伽業のことなど何も分かっていないあの方々は、私を器にしておけば、誰でもそのぐらい作れると思っているみたい。実際、そんな噂が出回っていたわ」と、言った。そして、軽い調子で
「私のことを愛玩奴隷だと思っているから、そっちも試してみたいと思ってるそうで」と言いかけたところで、ダルディンはその言葉にかっと来て、
「自分でそんな惨めなことを言うのはやめろっ。あなたは、そんなのじゃないだろう」と、思わず大声を出してしまい、防音の結界を突き抜けてしまった。周囲の客が、その剣幕に何事かと固まると、リーユエンは、周りへ愛想笑いを振り撒きながら、「もうっ、叔父さんったら、怒るなよ。冷静になってよ」と、話しかけて誤魔化した。
「声を落としなさいよ。いくら防音用の結界でも、誰かに気づかれたら面倒だから、弱めにしてあるのよ。冷静に聞いてちょうだい。私は、あなたと寝た感じでは、相性は悪くない。たぶん瑜伽業は成立すると思う。ただ十年分なんて、絶対無理ね。せいぜい半年作れたらいいほうかも・・・」と、リーユエンは淡々と続けた。
ダルディンは、それを聞いて、今度はめまいがしてきた。眉間を揉みながら、
「あなたは、私相手で、瑜伽業が務まるかどうかを知りたくて、寝ただけなのか」と、思いっきり声を潜めて尋ねた。リーユエンは突然フードを被り、顔を隠し、
「バカね・・・そんな訳ないでしょう。私は・・・あなたの事を・・・」と、言ったきり、うつむいて黙りこんだ。
ダルディンは、もう耐えられなくなり
「もういい、何も言わないでくれ」と、言った。それから、ふと気がつき
「他の大公は、動かないのか」と、リーユエンへ尋ねた。すると、彼女は、
「他の大公家は、法力の強い玄武がいるわ。だから、法座主に何かあれば、自分たちの実力で取って代われると思っているでしょう。失礼な言い方になるけれど、あなたのような若造に構おうとは思わないでしょう。ただ、この家の者たちでも、瑜伽業はうまくいかなくて、苦労するでしょうね」と言った。そして、
「間者がどこにいるかもわからないから、迂闊なことは言えない。ただ、刺客が来るのは間違いないと思う。それも坎と兌が組んでくるから、陰陽両極の力で攻撃してくる。単独で防ぐのは難しいから、私のそばから離れないでほしい」と言った。
ダルディンは、お茶の残りを飲み干し、「わかった。あなたのそばを離れないようにする」と言い、「そろそろ出よう」と、立ち上がった。
その日の真夜中、乾陽大公が眠る横で、リーユエンは、寝台の天蓋を見上げ、考え込んでいた。
(乾陽大公は、ご自分が暗殺の対象になるはずがないと思っているが、その見通しは甘すぎる)
乾陽大公は、玄武八大公の中で最も若い五百歳だ。ドルチェンが法座主となり、乾陽大公には、彼の弟ダルゴンが継いだ。しかし、百年前に亡くなり、息子のダルディンが後を継いだ。法座主を出した乾家は筆頭大公でありながら、現在の当主は八大公中の最年少という状態だ。桁外れと言われるほどの法力を持つ伯父ドルチェンが後ろ盾として、大公たちに睨みを効かせているので、ダルディンが軽んじられることはなかった。しかしドルチェンは閉関し、地下の岩戸の中に閉じこもってしまった。
そんな状態の玄武国へ、乾陽大公を帰国させるわけにいかないと思った。




