こっちの世界 1話
いつもの夜は、いつものはずだった。
いつものように朝起きて、洗面所で顔を洗い、歯を磨き、そして着替えて出勤の準備をしたはずだった。
帰宅すると玄関の前に見知らぬ老人が立っていた。
老人はうちの玄関に向かって立っていた。
「どちら様?」と、背中に声をかけた。
老人はこちらを振り返った。
すると、老人だと思っていたのは、間違いで若い男性だった。
なぜそんな見間違いをしたのか、悩んでいると、
「、、、、さん?」と声をかけられた。
「そうですが、、、。」
「よかった。会えないかと思いました。もう時間がないので。」
「時間がない?何か約束でもしていましたか?」
と、僕は訝しげに問いかけた。
「いえ、タイミングの問題です。少しお話をしたいのですがよろしいですか?」
と、時間が無いという割には、ゆっくりとした口調で彼は答えた。
「ちなみにどちら様ですか?」
「そうですよね。失礼なやつですよね、たしかに。」と、頭をかきながら答えるが、名乗ろうとはしなかった。
「名乗ったところで初対面ですし、理解してもらうまでの時間を考えると、名乗る時間が無駄だと思うので、省略するのはダメですか?」
「名乗らないことで信用されず、本題に入ることができなくても仕方ないという結果になっても仕方ないという認識でいいですか?」
「そうですね。こういうこともありきな仕事なので。」
「わかりました。おそらくあなたが普通じゃ無いことは想像できるし、話す内容も普通では無いであろうこともわかります。
では、話を聞くことはします。ただ、話を聞いたらもう戻れない、もしくは断れないということはありませんよね?」
と、僕は問いかけました。
「やはり最近の人は年齢を問わず、拒否するか、話を聞く二つのタイプに分かれますね。賢いですね。」
「言い方変えるとイエスかノーか、ということですよ。普通ですよ。」
「これは面白い。浅はかに小賢しいものの見方ですね。楽しい。」
「帰ってもらって良いですか?って言いたいけど、案外興味あるから話聞くことにしますよ。。ちなみにさっきの僕の質問の答えは?」
かれは、にこりと笑い「忘れていました。大丈夫です。最後まで聞いても、途中でやめても大丈夫ですよ。」
「わかりました。では、どうぞ。」
「ここで大丈夫ですか?」と彼は聞いてきた。
「あっ、大丈夫ですよ。」と、僕は答える。
「思っていたより小賢しいですね。でも、残念だけど人は来ないよ。」
「そうですよね。いつもならもっと人が通るのに、誰も来ないからそうだと思いました。」
「へぇ、すごいな。」
「ありがとうございます。」
「じゃあ、単刀直入にいきますね。ここに、スイッチがあります。これを押すと、ある現象が起こります。いかがですか?」
「現象の説明と、手に入れるための代償は?」
「もらうこと前提ですね。」
「そうですね。」
「代償はありません、無料です。誰かに請求が行くとか、後から請求されるとか、魂とかでは無いです。後、現象はこのボタンを押すと、1週間後に完全な安楽死ができます。」
「1週間後にというけど、貰ってから押すまでの期間の縛りはあるの?あと、僕のメリットは?」
「あくまでももらう前提なんですね。転売等はできません。貴方にアジャストしてるので。後、病気になった時の自殺装置のつもりでもないので、渡してから1ヶ月ですかね。」
「かね、っていうと少しだけは譲歩ができるということ?」
「少しだけは」
「2ヶ月」
「長いなぁ。1ヶ月」
「じゃ、1ヶ月後にもう一度来てもらって、その時猶予1ヶ月もらうのはダメすか?」
「ふぅ〜。」と、彼は少しだけ俯いた。
「じゃ、猶予2ヶ月で。」
「あっ、ほんと。よかった。あと、メリット聞いてないんだけど。」
「それだけもらう気満々なのに、メリットひつようですか?」と、彼は呆れたようにいった。
「さぁ」
と、僕は手を差し出した。
すると、彼は、僕の手をおずおずと握ろうとしてきた。
僕は「違う違うよ。スイッチだよ。貰えるんでしょ。」
「あっ、そっち。」
と、彼はくだんのスイッチを渡して来た。
「えっ、わっ?裸?パッケージとか無いの?使い回しじゃないの?」
彼は、ちょっとうんざりとした顔で「懸賞で当たったわけじゃないんですから。じゃこれで。」と、帰ろうとした。
「ちょっと待ってよ。玄関先ではなんだし。家寄って行きなよ。コーヒーでも出すよ。なんなら、ビールくらいは。未成年じゃないよね?」
「えっ、これ以上用はないんですけど。」
「こっちがあるのよ。もう契約もしたわけだし、君も1件契約とって、成績上がったわけだし、、、。」
「だし、、、?だいたい、営業じゃないし、、、。」
「聞きたいことあるから、ちょっと寄っていきなよ。」
「説明、、、そういうことですね。」
と、彼は深いため息をついて
「わかりました。」
「じゃ!ビザとかとる?」
「なんで、死ぬ前提なのにこんな元気なんだ?」
ぶつぶつ言いながら、彼はついて来た。まだ名前を聞いてないが、、。、
彼は、小さい声で「ついてない」と呟いていた。