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第五話

演舞大会当日。


男の状態で人間界に降りたソラは、女物の衣を身に纏い舞台に上がった。


他にもエントリーしているペア達がいる。

課題演舞では同じ曲で一斉に踊り、点数をつけていくらしい。

ひと組ずつ、名前が呼ばれ頭を下げていく。

あきらかに観衆受けを狙ったゴツい男の女装姿に笑いが起こっている。


ソラとレンのペアに至っては、会場からため息が漏れていた。

美しすぎる女装姿に皆が見惚れている。

そんな中、ソラは観覧席を一周眺め、王族の席で目を止める。

ソラが目にしたのは、レンの言っていた通り妓女たちを周囲に侍らせ、瞳の色を曇らせた王子の姿だった。

お忍びで歌っていた時のような輝きはどこにもない。

公の席に出ているという自覚がないのか、妓女に果物を口移しで食べさせてもらっている。



なにが、姿が変わっていてもわかるだ。

なにが側にいて欲しいだ。

ソラは怒りなのか、失望なのか解らないような感情に囚われる。



踊りが始まった瞬間。

レンに目配せをして踊り始めた。

ソラは、コチラを向けとばかりに壮絶な流し目を王子に送る。

瞬間、観客席がその艶やかさに歓声をあげた。

その声に反応した王子も、舞台上に視線を向ける。


ソラは、艶やかな表情を浮かべ誘うように薄く笑った。

それを見たレンが大きく目を見開く。

どれほどに練習し、動きを完璧にしても、女性が持つような艶やかさを脳面のように無表情な顔に浮かべる事は出来なかった筈なのだ。

誘蛾灯のように王子を誘い出す。

舞台脇まで王子が来たのを見計らって、赤い糸に見立てた紐を王子の小指に巻きつけた。

そして、片方の端にソラ自らの小指に嵌める。

本来それはレンの小指に巻きつける筈だった紐だ。

くっつき、離れながら、互いに惹かれてしまいには二人が絡み合うようにして離れないというように演技するためのものだった。


いきなりのアドリブに、レンはどうしたものかと思案する。

振り付けは全て頭に入っている。

王子の小指に巻いた赤い紐を切って自分の小指に巻き付けろとでもいうのか。

はたまた、別の男の指に繋がっているソレを無視して奪い取るような演技をすれば良いのか。

確かに、第三者を巻き込んだ方が注目度もあがりストーリー性も増す。


現に、観客達の目はソラとレンのペアに向いている。

王子は瞬きも忘れてソラの踊りに魅入っていた。

動きと動きの間に王子との逢瀬を楽しむように舞っている。

王子がソラの手を掴もうと手を伸ばした。ソラに堕ちた瞬間。ソラは侍らせていた女性達に視線をやり、冷ややかな瞳で王子を睨みつけ、赤い紐を王子の小指から抜き取り、レンの小指に繋ぎ合わせた。

そして最後二人は赤い糸に絡まり、抱き合って終わる。


観客からは拍手喝采がおこった。

王子は、呆けてしまっている。

一同礼をし舞台を降りた途端、王子に声をかけられた。


「待ってくれ…お前は、ソラとどういう関係ななんだ?なぜ先日ソラが着ていた衣を着ている。身内…なのか?」

「だったらなんだ?女ったらしで下のだらしない男に答える義務はない…」

冷たい声音でソラは王子を突き放した。

「王子も自業自得だって。ソラはいってるぜ?遊び人なんて真っ平ごめんだってな」

レンがソラの肩に手を回しながら、嫌味を放つ。

実際遊び人を嫌だとソラが言ったのは事実だ。嘘は言っていない。

実際言われたのは、遊郭で遊び回っているレンに対してソラが言った事なのだが、間違ってはいないだろう。


二人が控え室に自由演舞の着替えに向かうのを王子はがくりと肩を下げ呆然と見送った。


自由演舞になった途端。

先ほどの課題演舞で優美に踊っていたソラの動きが、天地がひっくり返るほどの動きに変わり、観客から歓喜の悲鳴があがった。

2人の間に鏡に見立てた枠を立て、向かい合わせで早いリズムの曲をキビキビ踊っている。

重力を感じさせない動き。

丹田がピタリと動かない。動きの大きさやキレに対してブレない頭が印象的だ。

古典演舞をしているグループが多い中、異質な踊りである。

かっこいい、かっこいいと叫んで卒倒する観客までいた。


そして。

曲の半分が過ぎようとした瞬間。ソラとレンが同時に男物の衣装を脱ぎ払い。一瞬で女物の衣装に変化する。

曲が鳴り止み、ここからはソラが歌う。


本来ならば詩をつけることなく旋律をハミングするだけだった筈なのだが、ここでもソラは曲を変えた。



あなたに出逢うために生まれてきたと

あなたに言えば笑うだろうか

愛だとか恋だとかなんてくだらない

いらないとさえ思っていたんだ

あなたの手を離してしまったら

二度と逢えないようなきがして

この世界で出逢えた幸せを

あなたに伝えたくてこの歌を贈るよ




甘い声で歌う。

王子の歌ほど技術が入れられるはずもない。

だから、綺麗な声を出す事だけを意識してソラは歌った。

そして、その歌に合わせ、切なく柔らかく、好きな相手を想うような顔をして舞う。

その艶やかさときたら、レンが知り得るはずもなかった。

鏡をコンセプトにしているだけに、合わさなければならないとレンは判断し、表情を似せる。


観客達は頬を染めながら二人を眺めていた。


王子はなんとも言えない顔で、ソラの演舞を瞬きを忘れて見ている。

もし、ソラに似た男がソラの兄妹だとするならば、遊び相手の女達との乱れた所を見せてしまった事になるのだ。

どうやっても取り繕えない。


王子の作った歌まで歌っていた。

ということは、今目の前にいる綺麗な男とソラはよく話す間柄だということなのだ。


女を快楽の道具ぐらいに捉えていたはずなのに、ソラにだけはそんな気持ちにはならなかった。大切にしたいと思った相手だ。

離れがたく、ずっと隣にいてほしいと思った人。

ソラにあったらどんな顔をすれば良いのだろう。

これほど美しい兄(?)や、この前ソラを連れて行った兄の友人?を前に、王子に入る隙間があるのだろうか。

そう考えると絶望感が芽生えてくる。

王子は女達を退散させると、一人机に頭を埋めた。



大会結果は、圧倒的な点差で、ソラとレンが優勝した。

レンが、王に妓女の弟の捜索という名の解放を求め、一瞬后が苦い顔をしたものの、それを了承する。


后は明らかに、人ではない雰囲気がしていた。袖口から覗く腕に、大神界の住人という証が見え、ソラとレンは顔を見合わせた。


「ねぇ、君たち。これから王宮で働かなくて?」

后に声をかけられて、二人の体が硬直する。


「私もコイツも修行の身なれば、ありがたい申し出なれど、謹んでお断りいたします」

レンが、ごもっともな出まかせで、后を納得させようとする。

元々、后が神界の神ならば宗教には寛大な筈だと考えた故だ。


「まぁ、残念。なら2位の子達にするしかなさそうね」

不満タラタラ、不承不承と言った感じで機嫌を戻した。


蛇のように粘着質な目をしている后を見て、レンはこれ以上、俗界に関わるのはまずそうだと判断する。

后が2位のペアのところに移動をしたのを見計らって、ソラとレンは舞台を後にした。

レンが優勝した旨を妓女に伝えに行くと言ったので、ソラは数日前に王子が送り届けてくれた場所に移動する。



「あなたは、誰?なんでソラと同じ衣を纏っていたの?」

妓女を帰したらしい王子が、ソラの元に現れた。

「…何故それをお前に答えねばならん」

ソラが冷たく突き放す。底冷えするような眼差しだ。

他を拒絶するような声音にめげずに王子は食い下がった。

「っ…なんで、あの歌を知っていた?あなたはソラの何?」

あれほどの歌を歌いながら、あの艶やかな舞を見て、王子の心は激しく揺さぶられた。

「…何だと思う?」

ソラが冷たい瞳のまま王子を突き放す。


「似てるし同じ衣を着てるから、身内かなと思って」

「お前こそソラの何だ」

ソラは不機嫌さを隠そうともせずに、無機質な視線を王子に向ける。

「…何って、まだ何者でもないけど…ただソラの居場所を知っているのなら教えてほしくて」

王子は唇を噛み締める。

「なぜ教えると思う。大衆の面前で妓女達とふしだらな行為をしていたお前に。お前がいうように身共がソラの兄だったとしよう。妹をそんな遊び人と会わせるわけがなかろう」

背を向けながら、ソラが突き放せば、王子が袖にしがみついた。

「知っているなら会わせてくれ」

「…身共に触れるな。そして何度も同じことを言わせるな」

王子の腕を振り払いながらソラは目を逸らす。

「このまま会えなくなるのは嫌なんだ。彼女だけは他の女達と違うんだ」

「ならば逆に問おう。同じことをソラがしていたらどんな気持ちになる?色々な男と好きなだけ遊び、お前だけは特別だからという言葉をかけられて嬉しいと思うか?」

ソラの胸の痛みを言葉にすれば、王子は黙り込んだ。

「…っ」

「何の理由があるかは知らんが、自分の辛さから目を背け、手近なもので現実逃避しているお前を軽蔑しこそすれ、ソラがお前に会いたいと思う筈がない…」

呆然と立ち尽くしている王子を尻目に、戻ってきたレンのところに足を向ける。


「あれ?あいつ王子か?」

「そうだ」

ソラが不機嫌そうな顔をしているのを見て、レンが笑う。

「な?女癖悪いっていったとおりだろ?悪い男に引っかからなくて良かった良かった」

慰めてやるとばかりに、レンがソラの頭をヨシヨシと撫でる。

「レン(悪い男)がいうか…それを」

「だが、お前は俺の女癖にはここまで不機嫌にならなかっただろうに」

意味深な瞳でレンがソラの瞳を覗き込んだ。

惹かれている事がバレバレだと言っているようで、ソラは居た堪れなくなる。

「まぁ、手が掛かる子ほど可愛いっていうし。お前の世間知らずっぷりが愛しいぜ」

「誰が手の掛かる子だ。身共は騙されてなどいない」

「ムキになるなんて珍しい」

レンがニヤッと笑う。

「まぁ、俗界的に言うなら、お前は俺の弟みたいなもんかな。どうにも危なっかしくて目が離せねぇ」

真顔でレンに言われ、こそばゆくなってソラは話題を逸らした。

「…ところで、遊女の弟君はどうなった」

「無事、彼女の元に戻して貰えるらしい」

「それは踊った甲斐があったというものだ。神界の者がいるという噂は?」


「…こちらは、あんまり結果が良くねぇ…」

「…そうか」

ソラが小さく瞬きをした。


「下手をしたら、俺たちの正体がバレたかもしれねぇ」

「后か?…空気が違った」

「ああ。だからこそ長居は無用だ。戻ろう」

レンが神界に戻るための呪を刻む。

ソラも力を注ぎ込んだ。


そして。

二人ともなって、神界の精錬所に戻ってやっとホッと息をついた。


大神宮の后ならば、下手をすればあの一瞬でソラとレンが人間ではないとバレかねないのだ。


「俺も俗界遊びをやめるから、お前も行くなよ?」

レンの言葉に曖昧に頷いた。




その後、王子の歌声が聞こえたソラが、レンに止められるのを振り切って、俗界に降りてしまい、后の呪いを王子を庇って受け、消滅した時のことを鮮明に思い出した。


俗界に降りようとしたのを止めようとしていたレンは、あの後ソラが消滅した事を知った時、何を思ったのだろう。

馬鹿が静止を振り切っていくからだと詰られるのだろうか。


消滅した霊だった筈のソラが、何故、ミスラとして、もう一度ユートピアに生まれ変わることができたのか、ミコトにも分からなかった。

ユートピアに、前世王子だったエニシと同学年であったことも凄い偶然が重なっている。


生まれ変わり、ミスラとなって大神界に足を踏み入れた時には、レンの姿はなくなっていた。

元気にしているのだろうか。


そう考えているうちに、座禅の時間が過ぎる。


肩に喝を入れられまくっていたらしいカイレンが、よろよろになりながらコチラに這ってきた。


「なんで、お前は一回も喝入れられてねぇんだよ」

明らかに考え事してただろうと、カイレンがミコトに突っ込みを入れる。

「まぁ、動いてはいなかったからな」

「俺だけバコバコと」

「それだけ、雑念が多いのだろう」

カイレンが大人しく警策で打たれているだけでも、意外なところだ。

キレてしまってもおかしくないとミコトは苦笑いする。

「や、ミコトの方が、明らかに心ここにあらずだった」

「…お前を見ていると、昔の知己を思い出しただけだ」

スクっと立ち上がりながらミコトがわずかに眦を下げた。

足が痺れているらしく立ち上がることが出来ないカイレンが恨めしげにミコトを見上げる。

「…ミコトに友がいた事があるってのが意外だ」

「黙れ」

「友達いらねぇって言ってなかったか?階段登ってた時」

片頬をあげて、ミコトを揶揄う。

「基本は一人でいても平気な方なのだ。だが稀に…振り払っても振り払っても、しつこい奴もいたって事だ。少し…お前に似ている」

自嘲気味にミコトが呟いた。

「…それは光栄ってもんだ」

カイレンがゆっくり立ち上がる。

「強引で、やりたい放題で、規則は破る為にあるって男だ」

「へぇ」

「女好きで、飲む打つ買うは当たり前で隙があれば遊び歩いている」

「悪口じゃねーか」

カイレンが口を尖らせた。

「だが、義理堅く、内側に入れた者にとても優しく面倒見が良い。身に危険を省みず人の為に動ける。権力にも屈しない強さがある。…もう会う事も出来ないたろうが」

ミコトが昔を懐かしむように目を細めている。

「…ふーん。そいつに会いたいって思うか?」

カイレンが聞けば、ミコトは静かに俯いた。

カイレンは一瞬遠くを見つめた後、元気付けるようにミコトの背中をバシっと叩く。

「何をするっ」

「喝だっ他所ごとを考えていた。坊主の目は誤魔化せても俺の目は誤魔化せなかったからな」

カイレンはしてやったりと言わんばかりの顔だ。

「…全く口の減らない」

強引だというのに、人の心の内側の柔らかい部分にはおいそれと触れてはこない。

軽い口調や行動とは裏腹に、心遣いの出来る優しい男なのだろう。

だから、ハルが突っ込むほどに、カイレンにはつい甘えが入ってしまっている自覚がミコトにもある。


「説法が始まるから本堂に行くぞ」

座禅を組む専用の道場から本堂に移動していく。

カイレンはまだ足を引き摺っていて、次の説法が正座ならどうしようかと、始まる前から既に泣き言を言っている。

「坊さんのありがたい話なんざ聞かなくても良いじゃねーか」

「得は積んでおくに越した事はないだろう。お前も改心するかもしれない」

ミコトは有無を言わさずカイレンの袖を掴んで引き摺っていこうとする。


「あ!ちょい待った」


渡り廊下のところで、カイレンが外を凝視した。

「どうした?」

ミコトも足を止めて外を見る。

そこには、赤毛の男性と青毛の女性が歩いていた。

二人の額にはフェロニエールがつけられている。

今日は医者と看護婦という姿ではなく、何故か宮司と巫女の格好をしていた。

西の国にある寺だからか、誰も突っ込む者はいないが、宮司と巫女がいるのは神社であって寺ではない。

ミコト(ミスラ)とエニシ(クロノス)の身代わりになって、天界や魔界からの追っ手から逃げてくれているのだから、申し訳なさでいっぱいになる。

二人が何者なのかという記憶をエニシのぬいぐるみの中に封じてきているので、何者なのかという疑問は持たないようにしてはいるが、違和感がありありでミコトは苦笑いを浮かべた。

額に飾られている洋風のフェロニエールが更なる違和感を生んでしまっている。

赤毛のミヌレットが白い衣に浅葱色の袴を履いていて、青毛のリンシャンが白い衣に朱色の袴を履いていた。


「ミコト…多分アレが探している奴らだよな?」

カイレンが二人を指差す。

「そのようだな」

ミコトがため息をついた。

「どれだけ参拝客を探していてもいない筈だぜ。ここの者達になっていたのか」

「…や、寺には不似合いだと思うが…」

誰もそこに疑問を持つ者は、この西の地にいないようで、しっかり周囲から受け入れられている。

東の国の文化に疎い者ばかりだから、そこに気づく者がいないらしい。

詳しかったとしても、例外なのだろうくらいに思っているのだろう。


「ハルが下にいても見つけられないわけだ。見つけたらアンチュルピーが教えに来る筈だが来なかったからな」

「確かに」

「俺が二人に接触するから、ミコトはハルに知らせに降りてくれ」

カイレンの言葉に、ミコトは頷いた。

二人に関する記憶を封印した事を考えれば、ミコトが接触すべきでない事は明白なのだ。

ミヌレットとリンシャンがミコトに気付くより先に下にいるハルの元に向かった。




「ミコト?」

階段を駆け降りてきたミコトを見たハルが両手をブンブン振り回している。

尻尾が生えていたら、全開で喜んで振っているのがあきらにわかるような歓迎っぷりだ。

ハルの元に駆け付けたエニシとスピネルも合流していた。

「ミヌレットとリンシャンが見つかった。今カイレンが二人に接触している」

「それじゃ、急いで上に行かなきゃ」

ハルがそう言って、アンチュルピーを飛ばそうとする。

それをエニシが止める。

「ハル、どこに連絡を取ろうとしてるんだ?」

飛び立とうとするアンチュルピーの足をエニシが引っ張り、ハルが持たせた書状をアンチュルピーのポシェットから抜き出した。

「あ…それは」

ハルが手を伸ばして、エニシから取り戻そうとするが、リーチの長いエニシに阻まれてしまう。

エニシが書状を開く。

「…『お探しの二人を発見しました。西の国の寺院内です』…とあるが誰に宛てたものなんだ?」

エニシが言えば、ハルは唇を噛み締める。

「ハル?誰に宛てた書状なのだ?二人の立場が悪くなるような物なのか?あの二人には身共もエニシも世話になったのだ。危険な真似をさせるわけにはいかぬ」

ミコトがハルの前に移動して、目線を合わせて尋ねた。

ミヌレットとリンシャンに身代わりを押し付けた自覚のあるエニシも苦い顔をしている。

スピネルもエニシのぬいぐるみを片手に抱えながら、大きくため息をついた。


「こ…これは、城に報告をしようと思って…」

「城?…天界にではなくて?」

エニシが言えば、ハルは顔を引き攣らせた。

どうやら図星らしい。

「だ…だとしたら、何か問題でもあるのかい?そもそも今回の姫探しは天界からの依頼で特別部隊が組まれてるんだ。依頼主に状況を報告して何が悪いの?当然の義務だ」

ハルは開き直ったように、エニシから書状を取り返して、アンチュルピーにそれを持たせ城に向かわせた。


「あの二人が天界のもの達に捕まればどうなるか、ハルはわかっているのか?」


それまで口を開かなかったスピネルが静かに問いかけた。筋を通すと言うのであれば、特別部隊を総括しているスピネルの指示に従わなければならないのが筋なのだ。

城の中でハルは上官かもしれないが、この旅に付き添っている以上、勝手が許されるものではない。


「僕は、これ以上ミコトが危険な目に遭ってほしくなくて、さっさとこの事件を解決したかったんだ」

ハルは、ミコトを眺めて目を潤ませる。


「ハル。あの二人が天界が探している二人でなかった場合はどうなると思う?本物の姫ではなかったとしたら?神界の姫ならば、天界に連れて行かれても問題はないだろう。…が、もしあの二人がコチラの世界の人間だとしたら、天界に連れて行かれた時点で肉体と精神が分裂してしまう。ハルは人殺しをすることになる」

スピネルが淡々と告げる。

「…あ」

ハルが口元を押さえた。

ハルの顔色が一気に悪くなる。

2人が探し人ではない可能性を失念していたのだ。


スピネルが叱るでも咎めるわけでもない、静かな声で事実を口にしただけだった。


エニシはそんなやり取りの中、ハルが敵なのか味方なのかを測るために天秤を取り出してハルを調べてみる。

本来一緒に旅してきている仲間を疑うような真似はしたくないが、二心あれば放置はしておけない。

エニシがダイヤルをハルに合わせてみる。

ハルの精神は正義側に傾いたのを見て、エニシはホッとした。

天界からの指示に従っただけで、天界の住人が俗界の人間のふりをしているわけではなさそうだ。

ミコトが心を許すハルにもし二心があったとしたならば、ミコトが傷つく。

それだけは避けたかった。



実際、ミヌレットもリンシャンも中神界の神々なのだから天界に連れて行かれても問題はない。



…ないが、ミコト(ミスラ)をおびき出す餌にされてしまうに違いないのだ。

そもそも、フェロニエールに仕込まれた呪を発動させない為に、意図的にミヌレットとリンシャンの神界以前の記憶をぬいぐるみに封印しているだけに、天界に二人のことを連絡されてしまっては、ミコトが不利になる。


「もし、ここに天界の者達が来たら、二人が本物かどうか調べた後に、本物ならば引き渡すって言ってくれないか?」

エニシが言えば、ハルは申し訳なさそうにして頷いた。

「わかった」

エニシにしてみたら、神界や天界…ひいては魔界までが総動員で探しているのはミコトなのだと、ハルに言ってやりたい。

ミコトを危険に晒すのが嫌で暴挙に出ただけに、その事実を伝えれば自分を責めるだろう。

言えない事実を隠しながら、エニシはハルを嗜めた。


「俺たちは上に行ってカイレンに合流するから」

エニシとスピネルは何段飛ばしかで駆け上がっていく。

一人でしょぼんとしているハルの頭をミコトは撫でた。

「身共の事を心配してくれてるが故の事だ。感謝することはあっても、責める気はない」

「ごめんね…ミコト。僕も皆みたいに強かったら一緒に戦ってミコトを守ってあげたいのに。僕はいつも足手纏いだ」

膝を抱えて、地面に蹲っているハルを立たせる。

「ハルの気持ちだけで、充分だ。身共は強いから平気だ。では身共も上に行ってくる」

ミコトはくるりと身を翻して、エニシとスピネルの後を追った。




「どうする?このままだと魔界の追っ手や天界の追っ手が鉢合わせする可能性がある」

エニシが階段を登りながら、スピネルに伝える。

「確かに、あるな。しかも天界、魔界、どちらの手に二人が渡っても厄介だ」

スピネルが、眉を寄せた。

息を切らす事なく、二人は打ち合わせしながら階段を登っていくあたりがさすがというべきか。

一般の参拝客たちが、その速さに感嘆の声をあげている。

「天界なら大神界のジルコンの息が掛かっているし、魔界なら后スフェーンの息が掛かっている。どちらも譲る気はないだろうし、カイレンは一人で大丈夫だろうか」

ポツリとエニシが呟く。

それにスピネルも頷いた。

「急ごう」

スピネルの言葉に、エニシだけでなく、早々に二人に追いついたミコトが頷く。


「え、もうミコト追いついたの?俺ら結構全力で駆け上がってるんだけど」

エニシが感嘆の声をあげた。

「しかも、ミコトは先に一度上がって降りている」

スピネルも呆気に取られている。


「日頃の鍛錬の問題だ」

あっさり答えて、下手をしたらエニシとスピネルを置いていくくらいの勢いで駆け上がっていった。





「!…え、カイレン…がいない」


山の上にある寺にたどり着いた3人は、顔を見合わせた。

上にいるはずのカイレンやミヌレット、リンシャンの姿はどこにもないのだ。

階段下の入り口に先ほどまでいたが、誰も降りてきたりはしていなかった。

裏口もない山寺から出るには、それ相応の力がいる。

俗界の人間に出来る技ではない。

ということはだ。


カイレンもろとも、どちらかの界に連れ去られた可能性が高い。

カイレンが生身の人間であるならば、いくら強靭な肉体をしていても、耐えられずバラバラになってしまっているに違いない。


「そ…んな…」

ミコトが顔面蒼白になる。

なんだかんだといって、カイレンとは仲良くやってきたのだ。

喧嘩を売られ、そもそもカイレンに煽られてこの特別部隊に入ることになった。

ことあるごとに絡みにくる男だった。

ミコトの昔の知己に少し似ていたからか、本来ならば一人でいることが多いミコトが、すんなりカイレンの存在を受け入れてしまっていたのだ。

それだけに、カイレンが煙のように消えてしまった打撃はミコトにとって大きすぎた。


「スピネルはどちらの仕業だと思う?」

エニシが現状を分析しようと冷静に当たりを見回した。

「天界か…魔界か。どちらにせよ戦った様子はなさそうだ」

スピネルも建物の隅々に何か物証が残ってないかと、隅々まで視線をやる。


「カイレンの武術は一級品だ。そんじょそこいらの者が太刀打ちできるものではない」

ミコトがポツリと口を開いた。

「それでも、現にカイレンもろともあの二人が消えてしまったのは事実だ」

周囲の一般人たちも騒ぎがあったようなそぶりは見せず、雑談をしながらお参りをしている。

それを注意深く眺めながらスピネルは言う。


「確かに。これは、何か裏がある…って考えるべきか」

エニシが小さく頷いた。

カイレンだけでなく中神界にいたミヌレットやリンシャンも相当に強い力を持っている優秀な神達だ。

簡単に連れさられるとはエニシには到底思えなかった。


「一度、冥神界に戻って、向こうの動向を探る必要がありそうだな…」

スピネルの言葉に、エニシも小さく頷いた。


カイレンが消えてしまったことから立ち直れないミコトに、ハルと一緒に宿屋に戻れとだけ告げて、スピネルとエニシは姿を消した。




「ミコト。僕のせいだ」

宿に戻った途端、ハルはガクリと床に崩れ落ちる。

なんだかんだ言ってもハルはカイレンを重用していたのだ。

そもそもカイレンを神殿で雇ったのはハル自身だった。

ハルが天界にアンチュルピーを使わしたから、カイレンまで神隠しのように消えてしまったのだ。

俗界のものだとすると、カイレンは今頃、天界への移動の負荷に耐えられず、精神と肉体がバラバラになってしまっているに違いない。

カイレンを死なせてしまったようなものなのだ。

喧嘩ばかりしていても、ハルとカイレンの仲は良かった。


「まだ、わからないだろう。もしかしたら無事かもしれん。何かあるからエニシとスピネルが調べに行ったのだ。それにハルは仕事をまっとうしようとしただけだ。気に病むことはない」

ミコトはハルを立ち上がらせ、椅子に座らせる。

「ミコト…」

「神殿に務める者なのだ、天界からの命に従うのが道理だろう。ハルは間違ったことはしていない」

間違っているのは、むしろ自分だとミコトは思っている。

ミヌレットとリンシャンを見つけた時に、ミコトがそばにいて、カイレンを下にやっていれば、こんなことにはならなかった。

天界に連れて行かれたとしても、本物のミスラ(ミコト)がいれば、カイレンが消滅することもなかったのだ。

たとえ、ジルコンに引き渡されたとしても、カイレンだけでなく、ミヌレットやリンシャンに危険な思いをさせることもなかった。

そもそも、ミコト自身が神界から逃げなければ、記憶を消さなければ、こんな大事にはならなかったのだ。



「カイレンを消滅させてしまった。悪いのは…身共だ」

「そんなわけない。ミコトは僕に知らせるために階段を降りただけだ」

必死でハルが否定してくれている。

ミコトはいたたまれなかった。

「もし、身共が神界から逃げ出した姫と言われる存在だとしたら、ハルはどうする」

「え…」

ハルが目を見開いた。

「身共を天界に突き出せば、カイレンが戻ってくるというのであるならば、身共が行けば済むことなのだ」

「…それって…」

ハルはゴクリと唾を飲み込んだ。

「記憶が戻ったのは最近なのだが…身共がその人物に他ならない。大神界ジルコンの妾にされるのが嫌で逃げ出したのだから」

大神のジルコンがミコトを強引な手を使って、妾にしようとし、それが嫌で逃げているのだと、ハルに告げる。

ハルはゆるゆると首を振った。

「もし、それが事実だったとしても、大好きなミコトが嫌がっているのに、報告したりなんかしない。きっとカイレンだってそれを望まない」

なんだかんだって言ってカイレンもミコトが大好きだからとハルは告げる。


「ハル、お前には世話になりっぱなしだ。そんなお前に嘘をつくのは嫌だから正直に言おう。身共はこちらの人間ではない」


「うん」

だと思ったと、ハルは静かに微笑んだ。

「驚かないのか」

「やっぱりって感じかな。こんなに綺麗な人を見たことないもの」

凄い透明感があって、凛としているミコトが神界の者だと知った所で、ハルにしてみたら納得以外の何者でもない。


「ならば何故…匿ってくれている。天界への報告は絶対なのだろう」

「それは僕が、仕事よりも一人の人間として君を助けたいと思ったからだ」

迷いのない顔でハルは伝えた。

最初の出会いからこちら、ハルにとってのミコトは守るべき存在なのだ。


「…感謝する。身共もエニシ達に合流してミヌレットとリンシャン、カイレンの行き先を調べてくる故、ハルはここでカイレンの帰りを待っていてくれ。カイレンほどの男が簡単に消滅するわけはない」

「…わかった。僕のやれる事は待つ事くらいだから」

ハルはそう言ってミコトの背中を押した。









《冥神界》



「…天界か魔界かどちらにいると思う?ルミナス」

クロノスは玉座に腰掛けながら、ルミナスに問う。

「天界に打診してみたところ、ピンときていないようでした。そもそもアンチュルピーからの連絡がまだ届いていないらしい」

ルミナスが伝えれば、クロノスが頷いた。


「ならば、魔界か…。アンデシンが言っていた、動くのはアンデシンではないという一言が気にかかる」

クロノスは前で腕を組みながら、目を閉じる。


「もしかしたら、カイレンが裏切って?2人を魔界に売ったとか?」

ルミナスが苦い顔をした。

「さて…な。クロノスとミスラのフリをしたミヌレットとリンシャンを連れ帰った途端、アンデシンが間違いに気付きそうなものだが」

「確かに…ならばどんな意図でカイレンは二人を連れ去ったのか」

ルミナスが首を傾げる。


「思案するより魔界に行ってみた方が早いか…冷たいようでいて、ミコトはカイレンに心を開いていたから、もし万が一カイレンが裏切っていたのだとしたらミコトがいらぬ傷を負う」

お揃いの刀の片割れを手に持ちクロノスは目を細め刀の鞘を強く握りしめた。


「身共の事は気にしなくてもいい」

突然冥神界に現れたミコト(ミスラ)に2人は目を見開いた。

冥神界には、他の界の者は勝手に入る事など出来ない。

何重にも結界が張られている。

結界を破り入ってくることが出来るのは魔界の王であるアンデシンくらいなのだが、結界が破られた瞬間クロノスもルミナスもアンデシンが来た事に気付いているのだ。

それなのに、ミスラは2人に冥神界に入ったことを悟られる事なく、玉座の間に現れた。

結界をすり抜けてしまえる力の強さというか、柔軟さに二人は驚愕する。


「ミ…ミコト?…や、ここではミスラと言った方がいいのか。なんで来たの?」

動揺からクロノスの口調がついエニシのものになってしまう。

「カイレンとあの二人を探すのに協力しようと思ったのだ…。今の身共ならば足手纏いにはならぬから」

神通力も記憶と共に復活している。


「でも、神界も天界も魔界も、ミスラを探しているんだよ?どんな罠が張られているかもしれない」

クロノスが、ミスラの動向を渋る。

ルミナスも苦々しい顔でミスラに視線を向けた。


「たとえ、身共が神界に連れ戻される事になったとしても、冥神界の王はそのままにはしない筈だ。そうだろ?」

「それは、そうかもしれないが…危険すぎる」

クロノスは首を振った。下手をしたら、記憶を奪われ、意思すら奪われ、力のみを悪用されるかもしれない。

ジルコンのミスラが持つ力への憧憬や執着心は正気の沙汰ではないのだ。


「ルミナス、一人で天界に顔を出し、本当にそこに3人がいないかを確認しながら、アンチュルピーからの情報はデタラメなので、動かないよう打診しておいてくれ」

クロノスが言えば、ルミナスが一礼する。

「了解した」

瞬間移動の呪を結んで姿を一瞬で消した。




「今、ルミナスに天界を調べに行かせてるから、戻るまでここで待とう」

本来ならば、クロノス自身も動こうと思ってはいたのだが、天界に行くといえば、ミスラも同行すると言い出すに決まっている。

ミスラをこのままここに隠しておきたいクロノスとしては、自分まで動くわけにはいかなかった。

もう二度とミスラを失いたくはない。

冥神界の王にまで成り上がったのは、ミスラを守る為なのだ。


俗界でソラを失った時の心に空いた穴の大きさ。

ユートピアで零として生まれ変わってきてくれたソラを見つけた時の喜び。

ユートピアを出る時、行き先の違いから見失ってしまった時の寂しさ。

神界に飛翔したミスラを見た時の歓喜。

記憶をなくしたミコトに出逢えた奇跡。

そして、すべての記憶を取り戻してくれた今。


「こんな広い宮殿に一人でいたのか…」

「女中や側近がいないのが、そんなに変?」

人間だった王子だった頃とは正反対のクロノスの変化にミスラは唖然としてしまう。

「少ないとされている大神界にでさえ、もう少し側仕えの者達がいる」

女タラシだった王子が、今や誰も寄せ付けぬ孤高の冥神界の王になっているのだ。


「…補佐はルミナスが1人いれば充分だし、もともとミスラ以外いらないから。案内する」


クロノスが他の誰にも見せたことのないような柔らかい顔で、ミスラを私室に案内した。



一方部屋に踏み入れたミスラは部屋をぐるりと見回して、あまりの懐かしさに口を押さえる。

内装が、まだ俗界の王子だったころと寸分も変わっていないのだ。

悠久の時が流れたというのに、その時の記憶が呼び起こされる。


「王子(人間)だった頃の記憶を持っていたのか?」

動揺しすぎて渇いた声でミスラがクロノスに問いかける。

「ああ」

ミスラの質問に、クロノスが頷く。


「零が王子だった俺を真っ当にしてくれたソラだって繋がったのは、最近だけどな。もう二度と逢えないと思っていたから、繋がった時には感動で震えた」

当たり前のようにクロノスは言った。

初めて王子に会った頃は、女から男に姿を変えただけでソラ(ミスラ)が同一人物だとわからなかったというのに、姿から何から何まで変わっていたというのに、分かってくれていたのだ。

ミスラの心が震えた。


「…あの王子が、生まれ変わって壱にまでなれるとは正直思っていなかった」

前世の善行の度合いによって、ユートピアで割り振られる数字が変わるだけに、あれほど女にルーズだった王子がどれだけ心を入れ替えたかが嫌と言うほど分かる。


「俗界でソラを亡くした時の俺の気持ち分かる?初めて好きになって、大切にしたかったソラが、俺に放たれた呪を代わりに受けて、消滅してしまったんだ。その時の絶望は計り知れなかった」


自分の命など、どうでも良いと思えるほど誰かを好きになるなんてクロノスは思いもしなかった。

自分の無力さに怒りをぶつけて全てを全力でこなしたさ。

后も持たず、そこからは独り身を貫いた。

神の世界があるというのならば、神になれるように。

出来る善行は全て積んだ。


ミスラの復活を願いながら、いつか出会えるかもしれないその時に、ミスラを今度こそ守れるように。





「冥神界の大神(ある意味大神界の最強神よりも強い立場)までになるとは…流石に思いもしなかった」

ミコトがポツリと本音を漏らす。


「俺がどれだけミスラが好きで逢いたくてたまらなかったか分かるだろう」

人間の王子だった頃、守られているばかりで、ソラ(ミコト)を守れなかった悔恨の深さが、誰もが恐るクロノスを作ったのだ。


「こんなに想っているのに、まだ受け入れては貰えないの?」

壁に押し付けるようにクロノスはミスラを抱きしめる。

熱烈な告白に、ミスラの心が動かないはずはない。

ないのだが、顔には出さずに、ゆるりとクロノスの肩を押した。


「まだ、お前は身共に勝ててはないだろ?そういうことは勝ってから言え。お前が身共を護りたいと思うように、身共にも同じ気持ちがある。だからそれを口にするのは反則だ」


ミスラはクロノスの唇に人差し指を押し当てる。

これ以上口説き文句を告げたら赦さないと言わんばかりだ。

そう口にしているミスラのストイックさに艶が混ざっている事を自覚して欲しいとクロノスは痛感する。

零れ落ちた色香にずっとやられてしまう。

それほど長い間想い続けている。

ミスラの気持ちが己に向いていることを知ってしまったら、どうやって抑えろというのだろう。



「なら、この抑えきれない想いの丈はどこにぶつければ良い?」

ミスラが押し返そうと抵抗する抵抗を押さえつけて、クロノスは思い切り抱きしめた。


「歌…歌を歌ってくれ…身共はお前の歌を聞きたい」

ミスラの要望に応えるように、クロノスはミスラの耳元で切なく甘いメロディを奏でた。



あなたに出逢うために生まれてきたと

あなたに言えば笑うだろうか

愛だとか恋だとかなんてくだらない

いらないとさえ思っていたんだ

あなたの手を離してしまったら

二度と逢えないようなきがして

この世界で出逢えた幸せを

あなたに伝えたくてこの歌を贈るよ



懐かしい歌にミスラの心が震えた。

抱き返してしまいたかった。

このまま、クロノスの熱情に応えてしまいたいとさえ思わぬはずはない。

過去の古い約束など、どこかにおいて忘れてしまいたかった。


だが、現に今。

クロノスとミスラの代わりをしてくれたミヌレット、リンシャン達に危険が迫っている。

カイレンが無事かもわかっていない。


ミヌレットとリンシャンの記憶を封じた事実を知っている。2人の記憶はなくとも、2人が自分の盾になってくれている事実は、知っている。

そして、記憶を取り戻そうとしてはいけない事も、ルミナスから理由と共に伝えられている。

記憶を取り戻してしまったら、2人にかけられた呪いが発動してしまうのだ。


「…この一件が片付くまで待ってくれ」

ミスラがクロノスの胸に頭を預けて、呟いた。

「良いよ。これまで待ち続けたんだ。待てるさ」


「今は、行方不明になっているミヌレットとリンシャンの所在とカイレンの無事を確認することが先決なのだ」

「ミスラが俗界でミコトでいるとき、なにげにカイレンと仲が良かったもんな」

「そうか?」

意外そうに小首を傾げる。

似たようなことをハルからも言われたからだ。

ミスラにしてみれば、他より扱いが雑なだけなのではないかと思わずにはいられない。

「こっちが、やっかみたくなるくらいには、そう見えた」

落ち着いていて、冷徹な印象を持つクロノスの風体でいる時に、エニシの時のような拗ねた言い方をする。

ルミナスが見たら呆れ返るに違いない。

「そんなものなのか…ちょっかいをかけられて応戦しているだけだ…」

「そうそうソレだ。どこまで煽ればミコトが反応するのかをよく分かってるっていうか。カイレンが猛獣使いか何かに見える時がある」

今回のミスラを探す特別部隊に、参加を表明していなかったミコトを誘い込んだカイレンの喧嘩の売り方などは、見事と言いたくなるものだった。


「身共は猛獣か…」

「心配?」

「ルミナスの回答次第だと魔界の誰かに連れ去られていることが濃厚になるということだ」

カイレンが無事でいられる可能性がグンと低くなるだろう。

ミコトにしてみれば、なんだかんだと言いながら懐に入り込んでいたカイレンの事が心配でない筈はなかった。

だが、クロノスに素直にそれを告げるのは何故か憚られる。


「良いなぁ。カイレンは。ミコトに心配してもらえて」

「クロノスの姿で唇を尖らせるな。皆が畏怖する冥神界の王が台無しになる」

ミスラが目を細めて、クロノスの尖らせた唇に人差し指を添えた。

唇に触れられた事で機嫌を良くするクロノスを、天界から戻ってきたらルミナスが咎める。


「鼻の下を伸ばしてるんじゃねーよ。冥神界の王が俺が戻った事にも気付けないとか洒落にならない」

「悪かったって…で、天界にカイレンとあの二人はいたか?」

クロノスが聞けば、ルミナスはユルユルと首を横に振った。

「ならば、残るは魔界のみか…」

ポツリとミスラが口を開く。

「行くか…」

クロノスが二人の顔を交互に見て小さく頷いた。





《魔界》


「これはこれは、クロノス殿。3人揃っておいでになったか」

魔界の王アンデシンは、平身低頭といった声音で三人を出迎える。仰々しい出迎えの言葉とは裏腹に椅子から立ち上がるわけでもないあたりが、太々しいこと極まりない。


「こちらに、一人の人間と神界の者が2人来てはいないか?」

クロノスが単刀直入に尋ねる。嘘をついたら許さないと言わんばかりの形相だ。

「そんな来て早々に急がなくとも良いではないか。おや…今日はものすごい美人がいるね。紹介はしてくれないのかい?」

アンデシンがミスラを上から下まで眺めて、目を細めた。

その瞬間、クロノスがミスラを後ろに隠すように身を乗り出す。

「紹介する必要はないだろう?」

それを見たアンデシンが片眉を器用に上げた。

「おやおや、冥神界の王が独占欲丸出しなところをみると、この美人が婚約者のミスラ様か」

揶揄うようなアンデシンの声音だといのに、いつもの無表情なクロノスらしくもなく、一瞬表情を硬直させてしまう。

それを側で見守っていたルミナスがフォローに入る。

「アンデシン様。神界の者達がいるようでしたら、お引き渡し願いたいのです」

深々とルミナスが頭を下げた。

「…全く君たちは、神界の2人を攫ったのが僕だと決めつけているようだけど。僕は今回の件に直接手を下すことはないって言わなかったかい?」

アンデシンが足を組み替えて、肘をついて顎を乗せる。

「ですが、私が天界に出向き尋ねたところ、天界にはいないと回答されたので、もうここしか心当たりがないのです」

苦い顔をしながら、ミスラを守る事に意識を集中しているクロノスの代わりに、ルミナスが代弁した。


「…だから、僕ではないと言っているだろ?一人の人間と二人の神官を攫ったと言ったが、正しくはない情報だ」

アンデシンがニンマリと笑う。

「…それはどういう意味だ」

クロノスが低い声で尋ねる。

「…正しくは、二人の神官を保護してやったんだ。ウチ(魔界)の者がね…」

その言葉に、クロノスとミスラ、ルミナスの顔が強張る。

「…それはどういう意味だ」

クロノスが眉を顰めた。

「言葉通りだよ。僕からの指示ではないし。下手をしたら僕が王座を追い出されかねない魔力を秘めた者が魔界にはいてね。その者が勝手にした事だ」

アンデシンがそう言って、視線を扉の方に向ける。

その瞬間。

扉が開かれた。

三人の視線が1箇所に集まる。


そこに立っていたのは、仲間である筈のカイレンはだった。

魔界の王であるアンデシンは、何と言ったかを反芻する。

今回の事にアンデシンは関与していなくて、同じ実力を持った魔界の者がやったと言っていた。

カイレンは魔界の王であるアンデシンを一瞥し頷いただけで、平伏する事なく広間に足を踏み入れる。

その態度からも、アンデシンと同等の実力者だということが伺えた。



「カイ…レ…ン?」

ミスラの呼びかけに、カイレンがピクリと反応する。

何かいいたげに口を開きかけたものの、何も言わずにそっぽを向いた。

気まずいのか、首に手を回している。


「カイレン…お前魔界の者だったのか」

ルミナスが言えば、カイレンは鼻を鳴らした。


「悪いな…俺は俺のやりたいようにさせて貰っただけだ」

悪びれる事なくカイレンが告げる。

「ミヌレットとリンシャンはどうした」

クロノスが裏切られていた事実が発覚しても、声を荒げることなく静かに尋ねた。

「封印した…と言ったらどうする?俺も封印するか?封印したら、二人の封印を解除できなくなっちまうけどな」

裏切っていた事実が発覚したというのに、カイレンが悪びれる事はない。

ニカっとした笑顔さえ浮かべている。


椅子に座っているアンデシンは、やりとりを面白い余興か何かのように眺めていた。



「カイレン…お前の目的は何だ?」

クロノスが尋ねれば、カイレンは肩を竦める。

「俺が地上に降りたことに理由はいるか?冥神界の王がミスラに求婚して逃げられたって聞いたから、面白そうだなって思って…っていうのは理由にならないか?」

クロノスの強い視線に屈することなく、カイレンは淡々といってのける。

まるで、地上にいる時と同じ口調で。

「何故、ミヌレットとリンシャンを魔界に攫った」

クロノスが理由を尋ねた瞬間、一瞬カイレンはミスラに視線をやる。


ミスラはカイレンの裏切りを信じられないというような目で見続けていた。

口は悪いが、根は悪い者ではないと思っていたのだ。

ミスラの目がカイレンの視線に合わさった瞬間、カイレンは顔を背けた。


「ところで、アンデシン。お前の捕えているあの神界の后(女)はどうした?俺に会わせてはくれないのか?」

カイレンが言えば、アンデシンは困ったように肩を竦める。

「君に彼女を会わせれば、彼女を見た瞬間八つ裂きにするだろう?」

「確かに八つ裂きにしてもしたりねぇなぁ?ただあの女に少々聞きたい事があるんだ」

凶悪な瞳の色をしたカイレンをミスラは呆然と眺める。

信じていた者に裏切られる感覚をどう表現したら良いのだろう。

悲しいのか、悔しいのか…マイナスの感情を抱えた事がほとんどなかったミスラは感情を持て余してしまう。

ただ、いろいろな感情が渦巻く中、それでも信じたいと心のどこかで思ってしまっているミスラがいるのだ。

一緒に旅した日々が脳裏に浮かんでは消える。

裏表のない、屈託ないカイレンが魔界の者だと信じたくはなかった。

目の前で、魔界の王であるアンデシンと互角に渡り合っているカイレンは紛れもなく魔界の住人なのだ。


「仕方ないなぁ…」

アンデシンが指を鳴らし、広間にスフェーンを呼び寄せた。淫魔に気を吸い取られたスフェーンは、やつれ老木のような姿になっている。

美しさとは程遠い姿に、初恋の女の変わり果てた姿にルミナスが顔を背けた。


「お…まえ…は」

スフェーンがカイレンの顔を見るや、顔色を変える。

さらに土気色に変わったスフェーンの顔をカイレンが近づいて覗き込んだ。

「ざまぁねーな。俺の事覚えてんのか」

「…何故、お前が魔界ここにいる。お前は…」

スフェーンが先を言おうとするのを、カイレンが蹴飛ばす事で遮った。

「俺の事はどうでも良いんだよっ。殺されたくなきゃ質問にだけ答えろ」

崩れたスフェーンの胸元を引きずり上げてカイレンが片頬を歪める。


「ひっ…何を知りたいというの」

「ミヌレットとリンシャンの額にあるフェロニエールの外し方だ」


カイレンの言葉に、クロノスがいち早く反応する。

ミヌレットとリンシャンの額についているフェロニエールには強力な呪がかけられている。

ミスラがミヌレットとリンシャンの事を思い出した瞬間発動するものだ。

それを解除しようとしているのだ。


アンデシンは何と言った?

魔界に攫ったのではなく保護したと言っていた。


「…何故…そんな事を妾に聞く」

「あの呪の目的を考えれば道理だと思うが?あの二人の額につけられたフェロニエールはジルコン王がミスラを自分のものにする為の呪なんだぜ?2人の魂魄を壊したくなければ、王のものになれっていうな…それが意味するものがわからない筈はないだろ?」

カイレンが意地悪く笑う。

「わかりたくもない。二人の呪いが発動しようが妾に関係なかろう。何よりも先にミスラを殺せば良い事だ」

「一度ならず、二度も殺させはしないさ。呪をとく方法を知らないなら、お前に用などない」

カイレンがスフェーンの喉を鷲掴みにし、どんどん力を加えていく。



「一度?ならず二度と?ミスラが一度殺された事があるとカイレンは知っている?」

クロノスがポツリとカイレンの言葉を復唱して目を見開いた。

それにミスラも反応する。

一度殺されたとカイレンは言った。


友の静止を振り切って俗界に降りたソラ(前世のミスラ)が、王子(前世のクロノス)にかけられたスフェーンの呪いを被り死亡した事を言っているのだろうか。

神は消失する事はあれど、本来ならば死んだのに生まれ変わる事など前例がない。

だというのにミスラが前世一度死んだ事がある事を知っている者は限られている。


当事者であったクロノス(王子)とソラ(ミスラ)が俗界に降りる事を止めたレンだけだ。

ただ。

レンは神界の者で、魔界の者ではなかったはず。

だが、カイレンがレンだとすれば話の辻褄が合う。

外見は違ってしまっているが、同一人物だとすれば合点がいく。

ミコトとして、旅している時もカイレンという存在が、あっさり受け入れてしまっていた筈だ。



「レン。やめろ…お前が手を汚す事はない」

ミスラが、一歩ずつカイレンの方に足を進める。

カイレンがミスラの呼び声に体をこわばらせた。

弾かれたようにミスラを凝視する。


「…っ…なにを…いって」

カイレンが乾いた声を漏らす。



「カイレン、気付くのが遅くてすまなかった。お前は…レンなのだろう?」

ミスラは、スフェーンの首を掴んでいるカイレンの手を上から包み、そっと離させる。

吊し上げから解放されたスフェーンは横たわり酷く咳き込んだ。


「ミコト、お前…ミスラであった事だけでなくソラであった時まで…全てを思い出しているのか?」

ミスラは、僅かに首を縦に振る。

「カイレン。なぜお前が魔界にいる…あの後お前に…」

何があったのだとミスラが聞けば、カイレンは諦めたように小さく息を吐いた。


「あの後、戻ってこないソラがスフェーンによって消された事を知った。大神ジルコンに進言したが、后が罰せられる事はなく、真相は握りつぶされた。神界にいてもお前の仇を打つ事は出来ないと悟ったさ」

自嘲気味にカイレンが俯く。

「霊力も莫大で聡明なくせに、落第ばかりしていた彼の才能に僕が目をつけたんだ。面白そうだと思ってね。彼にコチラ(魔界)に来ないかと誘いをかけた。ココなら何でも好きに動けるし、僕も止める気はないという約束で」

アンデシンが口を挟む。

クロノスとルミナスは互いの顔を見合わせた。


「お前が止めるのも聞かず、俗界に降りたのは身共だ。気にする必要などないというのに…」

ミスラは唇を噛み締める。


「まだ、解決してはいない。何故ミスラが復活したのかわかるか?」

カイレンがミスラだけでなくクロノス達にも視線を配った。


「相当な霊力を持つ誰かが禁忌を犯さなければ、一度殺された神の魂魄を復活させる事など出来るはずもない」

カイレンの言葉にクロノスが眉を寄せる。

ジルコンは、まだ精錬所にミスラがソラとしていた頃から目をつけていたという事になるのだ。


金剛石を身に宿している事にいち早く気付いていたのだろう。

禁忌というのは、神を100人殺す事で、その魂魄の力を使い復活させたという事だ。

前冥神界の王が、魔界の者が神界の者を虐殺したと言っていた事があるが、魔界に罪をなすりつけたジルコンの仕業だったということか。


「なるほど、アンデシンが黙っていないのも頷ける」

「僕たちは人を堕落させる存在だから悪と言われるのは何とも思わないが、やってないことまでやったとされるのは頂けない」

そう言ってアンデシンが足を組み替えた。


神殺しの濡れ衣を着せられて、消されたのは確か王になる前アンデシンが仕えていた魔界の貴族だったのを覚えている。

カイレンを誘い、自由に行動できるようにアンデシンが動いたのも当然と言えば当然か。


前の冥神界の王が、魔界の者に襲われ消失した理由も正しいものが何かを見極められなかった事への意趣返しだった事が伺える。


神百人の犠牲の上に蘇った命だと知り、ミスラが手をキツく握りしめた。

「ミスラ…気にするな」

クロノスが、ミスラの方まで移動し肩に手をかける。

ミスラがもう一度、生まれてきてくれたからこそ、出会う事が出来たのだ。

それがジルコンの禁忌によってのことだとしても、クロノスはその一点はジルコンに感謝してしまいそうになる。

もし、自分にその力があり、その方法を知っていたら禁忌を犯さなかった自信はない。


「スフェーン、お前が俗界で殺戮を繰り返し、手を血に染めてまでジルコンに送っていた霊力が、皮肉にもお前が殺したミスラのために使われたなんて皮肉だよな?」

カイレンが、スフェーンを見下ろして嘲笑う。

「嘘よ。あの人がミスラを復活させたなんて。折角、殺したのに…」

床を血が滲む程の力でスフェーンが掻き毟る。

その目にはミスラに対する嫉妬がありありと浮かんでいた。


「后が狂う程に恋しい大神が欲しいのは、ミスラなんだってよ。そろそろフェロニエールの呪を解く方法を話したくならないか?」

煽るようにカイレンが嗤う。

「っ」

「ミスラの弱味につけこんで、ミヌレットとリンシャンを呪いをかけ人質にして、ミスラに自分のものになるよう脅しているんだぜ?なら、呪いを解けばミスラがジルコンの要求に応えることはない。良い話だろ?」

甘い言葉で誘惑するカイレンは魔界の者そのものだ。

スフェーンの泣き所を抉りながら蜜を滴らせている。

ジルコンを自分だけのものにしておきたいスフェーンが断る筈もない。

妾を作るたび、裏から手を回して葬り去っているような女だ。

大元はジルコンへの愛という綺麗な想いだった筈なのに、酷くいびつに歪んでしまっている。


「二人をここに連れて来て」

スフェーンが誘惑に勝てず、呪を解く方を選んだ。

ミヌレットとリンシャンのフェロニエールが、スフェーンによって外される。

呪が解かれたのを確認してクロノスはぬいぐるみを取り出し、封じたミスラの記憶を戻した。

ミスラがミヌレットとリンシャンを交互に見る。


「良かった」

そう呟いてミスラは、二人に駆け寄った。

「ミスラ…記憶が戻ったのですね」

リンシャンが目を潤ませる。

「まさか、王につけられたフェロニエールが呪だったとは思わなかった。苦しめてごめん」

ミヌレットが、唇を噛み締めた。

「お前達が喧嘩ばかりしているからだ」

クロノスが兄のような顔で二人を嗜める。

ルミナスが、和らいだ空気にホッといきをついた。



「ところで、冥神界の王クロノス。事実が白日の元になったのだけど、どうする気だい?」

アンデシンが、椅子から立ち上がってクロノスの目の前に移動する。


「このままにはさせない。今から神界に行ってくるさ」

ジルコンの悪事をそのままにする気は毛頭ない。


「身共も共に行こう」

ミスラが言えば、スフェーンがミスラを睨みつけた。

「…お前が憎い。お前がいるから妾は…お前などいなくなってしまえ」

スフェーンが泣き崩れる。

「身共が行くのは、大神の申し出を断る為だ」

「ならば妾の目の前で断れ。妾も連れて行け」

「分かった」

ミスラが頷けば、カイレンが納得いかないとばかりに反論する。

「こんな女、ここで消してしまえば良いだろ。スフェーンを赦すのか?お前はどこまでも人が良い…ソラ(前世のお前)を殺した女だぞ?」

カイレンが殺しても殺し足りないというように冷たい目でスフェーンを睨みつけた。

「カイレン…いや、レン。もう良い」

カイレンが魔界に堕ちてまで、真実を探りあて、二人の呪まで解いてくれたのだ。

「ったく、人が良いにも程がある。俺は神界にはいけないから、クロノス。あとはミスラを守ってくれよ?」

カイレンはクロノスに視線を移動させた。

「当然だ」

クロノスが頷く。

「私(俺)も命をかけて守る」

リンシャンとミヌレットも気色張る。



「そもそも、身共は守ってもらわねばならぬ程弱くもないが」

ミスラの言葉に、場が和んだ。


アンデシンとカイレンに事件の解決を約束し、クロノス、ルミナス、ミヌレット、リンシャンはミスラと共に魔界を後にした。

スフェーンを連れて。





《神界》




神界に入るや否や、リンシャンが元の男性の姿に戻る。前世を知る上に本人達も性別を変化できるミスラとクロノスは驚きもしなかったが、変化出来ないルミナスは目を見開いた。


「てっきり可愛らしい女の方だと思っていた」

ショックを隠せないらしいルミナスを見て、クロノスが苦笑いを浮かべる。

「ルミナスは、芯の強そうなお淑やかな美女が好きだもんな」

一瞬、スフェーンに視線をやった後、意味ありげにルミナスを見た。

スフェーンが大神のジルコンに傾倒し豹変する前は、まさに物静かで柔和な女だったとルミナスが言っていたのをクロノスは思い出す。

「ここにカイレンやハルがいたら、揶揄いのネタにされていただろうな」

ミスラがポツリと言う。

本来いた神界にカイレンがいない事を嘆いているような声音だった。


「そうだな。ミスラの言うとおりだ。事情を知っているカイレンはともかく、…俗界にいるハルに連絡をとっていない。きっと心配しているに違いない」

話題を逸らすように、ルミナスが霊力を使ってアンチュルピーを神界に呼び寄せる。

天界の生き物であるアンチュルピーは、一瞬でルミナスの元に現れた。

中神界のミヌレットとリンシャンの職場の机を借りて

ルミナスは書状をしたためる。

何日も留守にしていたミヌレットやリンシャンに部下達が集まり無事に安堵の息を吐いた。

いつもの喧嘩を始めない事を不思議に思った部下達が、冥神界の王であるクロノスの存在に気付いて青ざめる。

それを見て、思わずミスラの顔に笑みが浮かぶ。

その柔らかい美しさに、その場にいる者達全員が目を見開いて顔を赤らめてしまう。

その美人が大神界で失踪したミスラだと気付いた部下達は我に返って、平伏で迎えた。


「ミスラ様、ご無事で何よりです」

「ミスラ様、もう戻らないかと皆が心配しておりました」

中神界の者達がキラキラした眼差しでミスラを取り囲む。

人の輪の中にいた事がなかったミスラはひたすら戸惑った後で、照れてしまう。

そんな表情を初めて見たクロノスは、内心で物凄く動揺していた。

公の立場でないエニシの状態であったなら、ミコトに抱きついていたに違いない。

何とか、無表情を保ちながら、その場を取り繕う。


無事である旨、ミスラを見つけて、神界に帰ったので心配無用だという事を手紙にしたためて、アンチュルピーに持たせた。

中神界にミヌレットとリンシャンを置いて、大神界に向かう。

帰還を王のジルコンに報告するからと自分たちも一緒に行くと言って聞かなかったミヌレットとリンシャンの2人をミスラが説得し、何かごとがあったら、真っ先に信号を送るからと部下達に預けていく。


ジルコンには隙がなく、どんな策を練ってくるかわからないのだ。

大神界の下の地位にある2人は、弱点になりかねない。

クロノスにとっても、ミスラにとっても大切な者達なのだ。



クロノス、ルミナス、ミスラの3人で顔を出す事にした。スフェーンは亜空間の中に捕縛してある。

大神界の門を潜って、神殿に3人は入っていく。

門番はクロノスの顔を見るや最敬礼で迎え入れた。


神殿の広間の入り口で、クロノスはまず1人でジルコンに対峙するからと、ルミナスとミスラを扉の前に立たせておく。




「これはこれは、クロノス殿ではありませんか」

ジルコンが深々と頭を下げて向かい入れる。

ジルコンが侍女にもてなしの用意をさせようとするのを不要だとクロノスが制した。

侍女はうやうやしく頭を下げて、慌てて下がる。


「報告と聞きたい事が何点かある」

冷たく固い声音でクロノスは人払いを命じた。

小姓のようにジルコンの後ろに控えていた者達も部屋から退室させる。


「さて、用件を伺いましょう」

ジルコンが王座から立ち上がり、会議用の机の方に移動した。和かに手を差し出して着席を促す。

クロノスの静かではあるが殺気にも似た空気をものともせず笑顔を絶やさないところが食えない男だ。

神界の頂点に君臨しているだけあって、悪い事など微塵もしていないというような空気を宿している。

霊力の大きさから、誰も裏では策略を巡らせているとは思えないような厳かさを秘めていた。


「コレをお返ししにきたのだ」

クロノスが机の上に、赤と青の宝石がついたフェロニエールをコトリとおいて、向かいに座っているジルコンの前に滑らせた。

スフェーンによって呪いは解かれているので、ただの装飾品にすぎない。

「コレはミヌレットとリンシャンに授けたものですな」

眉一つ動かさず、ジルコンがフェロニエールを一瞥する。

呪が解かれている事がわかっても、何一つ顔色を変えることはなかった。


「2人が俗界から戻った旨を私が伝えに来たのだ。2人は直接貴殿に報告したいと言ってはいたが、私が貴殿に聞く事があるから代わりに伝えておくと言含めておいたので、悪く思わないでほしい」

クロノスが告げても、ジルコンは静かに頷いた。


「2人が無事であるならば、それに越したことは無い。日を改めて2人を労おう」

呪いをかけた張本人が無事を安堵するなど俗界の役者顔負けの演技力だとクロノスは半ば呆れてしまう。

「…では何故、コレに呪いをかけたのだ」

クロノスがいきなり核心をつく。

「あまりにも2人の仲が悪く、度々喧嘩をするので、俗界に行って喧嘩をしないようにという戒めに…。彼ら2人が喧嘩でもすれば日照りや水害で苦しめられるのは俗界の人々だ」

綺麗に並べられるジルコンの説明に、クロノスは隙のなさを痛感する。

「…なるほど?」

「例えば、爪を噛む癖のある子の指に苦い薬を塗るようなものです。感情の起伏がある一線を越えた時発動するようになっていた」

スラスラと用意していたかのような言葉をジルコンは息を吐くように述べた。

実際は感情の起伏の限界を超えたら発動するのではない。ミスラの記憶が戻ったことによる2人の感情の昂ぶりにより発動するように仕掛けられていたのだ。

感情の起伏がある一線を越えると言う意味ではあながち間違っていない為、クロノスの嘘を見抜くという冥神界の王の持つ能力を発動させたとしても引っかかることなくすり抜けてしまう。

ものは言いようだとクロノスは呆れ返る。

実際2人といえば、俗界でも喧嘩をしていたのか、雨降りと日照りが交互にきていた。


「念のいったことだ。それならばこの一件は不問とし、これで終いとしよう」

クロノスが、白旗をあげる。

「呪いを解いたのは誰だ?そう簡単に解けるものではないはずだ」

不問にされて、気が緩んだのかジルコンが饒舌になる。


「…さぁ?誰だと思う」

僅かにクロノスが口角を上げた。


「ミスラか?いや…呪が発動した形跡もないからミスラではない。かといって、ミヌレットとリンシャンでもない」

ブツブツとジルコンがひとりごちる。

クロノスが連れてきている異空間に捕らえられているスフェーンは、ジルコンはから后の名前が先程から一度も出てこない事に苛立ちを隠せなかった。

クロノスは、手を掲げて呪文を唱え、異空間からスフェーンを引きずりだす。


「ジルコン様」

王の横に現れたスフェーンは、座っているジルコンの膝に擦り寄った。

変わり果てた后の姿に、ジルコンは眉を顰めた。

「…君は誰だ」

老木のように萎びた老婆のように変わり果てた女をジルコンは己の后だとは認識していないらしい。

穢らわしいものを見るような顔を一瞬浮かべ、それでも聖職者であろうと振り払うことはせずに問うた。

「妾はあなたの正室、スフェーンにございます」

「…スフェーンだと?!こんな…」

醜い姿の者が后な筈はないとジルコンは首を振った。

「コイツが解いたのだ」

何の感慨もなくクロノスが伝える。

「嘘を言え、スフェーンは私の言いなりだ。私の意に背くことなどするはずがない」

スフェーンは、王の信頼に背いた事実に唇を噛み締めた。スフェーンが解いたと伝えれば、王は許すことはないだろう。


「呪を解いた主が誰かよりもだ。本題に入らせてもらおう。ミスラの件だ」

「ミスラの?」

ジルコンは食い気味で反応した。


「ミスラに私が求婚したのを貴殿は認めていた筈だが、他の神界の者の話では、ジルコン殿の妾するという話を耳にしたのだが?」

底冷えするような瞳をしながら、冗談めかしてクロノスが仄めかす。


「…正直にお話ししよう。クロノス様との結婚を嫌がり失踪までしたのです。憐れに思い私の元にくると言って断る理由を作ってあげただけです。貴殿の矜持に傷がつかないようにするための配慮ですよ」

ジルコンは慈悲深い顔をして、クロノスを貶めるような言い方を遠回しにした。

お前はフラれたのだから、身を引くべきだとジルコンは暗に言っているのだ。


「ならばミスラ本人に聞いてみるに限るのではないか?」

クロノスの言葉と同時に、扉が開きルミナスが警護するように傍らに侍りながら、ミスラが入ってくる。


「ジルコン殿…久しぶりだな」

ミスラを見るや否や、ジルコンはスフェーンを振り払いミスラの元に駆け寄った。

無事を確かめるようにミスラの顔に手を伸ばそうとするのをルミナスが遮る。

「ミスラ…帰って…きてくれたのか。心配したのだ…とても」

后の不在にずっと気付いてもいなかったくせに、ミスラの不在には心を砕いていたと言う。

あまりな態度にスフェーンは床にひれ伏し爪を立てた。


「すまない。身共はつい最近まで記憶をなくしていた」

ミスラが頭を下げれば、ジルコンは涙を流して安堵する。

「無事だったのならば、良いのだ。戻ってきてくれて本当に良かった」

后への想いは全くなく、ミスラにのみ注がれている事が誰の目から見ても明らかだ。

婚約者であるクロノスを前にしても憚らないジルコンの態度に、そこにいる皆は狂気を見た。


「身共には長年想い続けている者がいたのだ。だから勝手に作られた婚約者に反発をした。だからといって貴殿の妾になることでクロノスとの婚約を解消するという案にのることも出来ず逃げ出した」

ミスラが失踪の経緯を話だす。

ジルコンはそれをやめさせるべく、ミスラの言葉を遮るように口を開いた。


「ならば、こうしよう。妾はやめだ。本妻になれば問題なかろう。決めたそれがいい」

ジルコンは名案を思いついたと言わんばかりに早口に捲し立てる。

残酷な宣言を聞いていたスフェーンはワナワナと唇を震わせた。


「な、なによ。ソレはどういこと?私は…今まで貴方の為に霊力を送り、悪に手を染めてまで貴方に尽くしてきたっていうのに…」

「…悪に手を染めているのは知っていた。知っていたというに、私は君を止める事が出来なかった。大神界の神がしていいはずのない俗界への介入、虐殺。そして君は一度私の大切なものを呪い殺したね」

ジルコンの狂気に満ちた目がスフェーンに向けられる。

「…わ、妾はジルコン様の為に…霊力を搾取して送っていたのに」

スフェーンは全て知られていた事実に青ざめた。

「…全て本当は知っている。君が魔界の者に通じて淫らな事をしていたのも。君が…フェロニエールの呪いを解いた事さえ…ね」

ジルコンが憐れなものを見るような目でスフェーンを眺める。

「ジルコン…あなたが好きで好きでやってしまった事なの」

「そう…全て君が私を想う気持ちからしてくれていた事だ。ならば、私が欲しがっているものが何かもう解るね?君は賢いから」

頬に手をかけ、慈愛に満ちた目を向けた。

「いやよ。いや…ミスラを優先するジルコンは赦さない。妾の…妾だけのあなたがいい」

涙を流して、必死で縋り付く。

スフェーンは恋に狂ってしまっている、ただの女に成り下がっていた。


「そう駄々をこねないでおくれ。いくら夫でも。もう見逃してあげることは出来ないんだよ。愛してるよスフェーン。君は最大の私の功労者だった」


感情のかけらもない愛の言葉を囁いて、ジルコンは冷酷な瞳を周囲に晒した。

クロノスも、ルミナスも動く事すら出来ず立ち尽くしている。


愛してるの嘘の言葉でさえ、喜ぶ憐れな后は、小さく頷きジルコンの意図を嗅ぎ取った。


瞬間。


ジルコンは、スフェーンを自分の手にかけたのだ。

悪に手を染めた妻の制裁をする程で。

一番邪魔になる存在を消した。


最悪な事に消すだけでなく呪いも込めて。


スフェーンが息絶えたその時。

ミスラに向かってかけられた呪いが発動する。


元々、ジルコンの反魂術によって、ソラが消滅した後、もう一度神として転生したミスラは、ジルコンの呪いの影響を受けやすくなっていた。


「ミスラっ」

力が全身から抜け、床に崩れ落ちるミスラを見て、クロノスが声を荒げる。


ルミナスは、初恋の人であったスフェーンの憐れな最期に愕然としながら、スフェーンの元に歩いていく。

変わり果てた初恋の人の死に顔は無念さが滲み出ていた。

頬には涙がつたい、目を見開いたまま息絶えている。

魂魄まで砕かれているので再生は出来ないだろう。

スフェーンの愛した人は、スフェーンに目もくれず一目散にミスラの方に駆け寄って行った。

ルミナスは一同やるせなさに手をギュッと握り、手を差し伸べ優しい仕草で瞳を閉じさせる。



一方、その場に倒れ込んだミスラに呪をかけた当人であるジルコンがいち早く動きミスラを抱き起こす。


『ははは。コレでミスラは永遠に私のものだ。私の意思に従い動き、私の欲に応える』


心の中で歓喜しながら、ジルコンはミスラを心底心配しているふりをした。


「ああ、私はなんという事をしてしまったのだろう。妻の悪事の責任を取るためとはいえ、心優しいミスラの前で処刑した私がいけなかった。すまない。ミスラには、ショックが大きすぎた」


スフェーンの命と引き換えに、ミスラを意のままに動く傀儡にする呪をかけておきながら、知らぬ顔をしてミスラを抱きしめている。


クロノスはミスラの様子がおかしい事に気付いた。

スフェーンが倒れるのとほぼ同時にミスラも倒れたのだ。

ジルコンは、スフェーンが処刑されたショックで倒れたかのように言っているが事実は違うだろう。


懐に忍ばせてある、真実の鏡のカケラで作った手鏡をジルコンを映す。

鏡が映した聖職者の顔をした者の本性は、悪魔よりも醜悪な塊だった。

ジルコンの呪いがミスラのまわりをグルグルと巻き付いている。

金剛石を魂魄に持つミスラの清廉さ美しさへの憧れと執着で渦巻いている。

ジルコンの持つジルコニアは金剛石と見間違われる事が多くジルコンの持つ石を金剛石だと思っている者も多いが、そっくりな輝きを持つ偽物の石なのだ。


大神界の王であるというのに、金剛石でない己への劣等感から、歪んだ情愛が金剛石を持つミスラに向けられている。

皆の前に姿を見せている時の痩身痩躯で優美なジルコンの姿はどこにもなかった。

外見を整え続ける事にも霊力を使っていたのであろう。現実のジルコンは路傍の石が似合いそうなほどに、どこでもいるような中年の男性だ。

若い頃ならば、ジルコニアを身に宿しているだけに、整っていたのであろう容姿は、内面の歪みを表すように卑屈な表情を浮かべ肌艶が燻んでしまっている。

一通り掃除をし終わった雑巾を絞ったかのような深い皺が刻まれていた。

神界の神々が持つ絹のような髪、肌理の細かい白い肌はどこにもない。

普段対応していたジルコンの姿は優美で上品な美丈夫だっただけに、クロノスは顔に出さないものの、少なからず衝撃を受けた。

それに比べミスラの歪みのなさに目を奪われる。

霊力の強さに負けない本当の美しさがあった。


ただ、いつものミスラの意識の波動が全く感じられなく微動だにしない。

明らかにジルコンが何かの呪をかけた事は明白だ。



「ミスラは、冥神界の王ではなく、私と結婚するのだ。そうだろ?」


薄っすらジルコンの腕の中で目を覚ますミスラの瞳には光が宿ってはいない。

焦点の合っていない顔が、ゆっくりとジルコンを眺めている。

明らかに意識がそこにないことが解る。


「身共が…結婚する…相手?」

機械的に聴こえるほど抑揚のない話し方でミスラが答える。


「そうだ。冥神界の王ではなく、君が好きなのは私であろう?」

「…身共が好きなのは…」

ミスラがそこで硬直する。

「私こそが君を愛すにふさわしいだろ?君は女性の姿で私の元に嫁いでくるがいい。三日三晩寝かさずに存分に可愛がってあげる」

ゾクリとミスラの肌が粟だった。


「馬鹿なのかお前は、ミスラはミスラなんだから、どんな姿でも最高だろう。卑猥な御託を並べるな」

クロノスの言葉が、ミスラの深層心理の中に直接響く。


ミスラの中にいる拘束されているミスラの意識が、ジルコンの呪に必死に抵抗しているのか、ミスラの瞳から涙がポロリとこぼれ落ちた。


「ほら、直接断るがいい。ミスラが断ればクロノス殿との縁談はなくなり、君と私は一緒になれるのだ」

ミスラの両肩を持ち、ジルコンが言霊でミスラを縛りつける。ジルコンの瞳から注ぎ込まれる霊力に、ミスラは意識を操られてしまう。

身をジルコンに委ね、瞳の色を徐々になくしていく。

「ミスラ…」

クロノスの呼び掛けに、ピクリと体が反応する。

機械仕掛けのようになっているミスラの瞳が僅かに揺れた。


「…身共は…」

ふらりと立ち上がり、ミスラは呪を跳ね返すように、一歩一歩クロノスの方に歩み寄っていく。


「ほら、期待など持たせるな。クロノス殿にプロポーズへの断りの言葉を伝えるが良い」

ジルコンが更なる言霊を発する。

ミスラはその度に瞳の色を失っていく。

このままでは、意識を完全に乗っ取られてジルコンの良いように動く傀儡にされてしまう。

それだけは避けたかった。


離れたくないのだとミスラの潜在意識が断りの言葉を言わせないでいる。

口が勝手に告げようとするのを止めているだけで精一杯らしい。

瞳からは綺麗な涙が頬を静かに伝っている。


どれ程の悠久の刻を待たせてしまっているのか。

どれ程想われ想っているのか。

感情の制御を奪われても、断りの言葉を発することはせず、ミスラはクロノスの頬に手を添えた。


「ミスラ」

「身共は…お前と…」

ミスラが言葉を飲み込んだ。


「結婚はしないと言うんだ」

ジルコンが促す。


首を振って意識を取り戻そうとするミスラに、ジルコンが痺れを切らした。


「言葉がダメなら冥神界の王に引導を渡してしまうが良い。冥神界の王をその懐にしまってある剣で殺せ」

邪魔な存在を消せと先ほどまでの誘導ではなく命令する。


心と直結する言葉とは違い、反射で動く体の制御はこの種の呪いとは相性が悪い。


意識とは裏切り、ミスラは体を制御しきれずに、ユートピアにいた頃のクロノス(壱)に貰った双剣をクロノスに向けてしまう。

深層心理で止めろと叫ぶ声を体は見事に裏切った。


「ミスラ、正気に戻れ」

クロノスが叫ぶ。

剣の腕は、ミスラの方が上なのだ。

クロノスが剣で勝てた事など正味のところ一度もない。

本気で斬り込まれれば、受けるのが精一杯で下手をしたら殺されてしまうだろう。

だからといって、剣でかかってくるミコトに武術や霊力、冥神界の王の神通力などを使うわけにもいかない。

守るべき相手であるミスラに怪我一つだってさせたくはなかった。

練習試合などではない。


ジルコンが禁忌の反魂の術を使い、しでかした神殺しの大虐殺によって転生する事ができたミスラの体は半ば産みの親に近いジルコンの呪いに対抗する術を持ち合わせているわけもなかった。

しかもこの呪いはスフェーンの命を使いかけられているものだ。

禁忌が何故禁忌か。

本人は愚か、かけた術者以外の者ではどうすることもできないからだ。

王のクロノスであっても例外はない。

ジルコンを消滅させれば良いのであるのならば、簡単な事だが、それではミスラの心も一緒に封印されたままになってしまう。


絶体絶命だった。


間合いをどんどん詰めてくるミスラの放つ隙の無い剣術にクロノスは固唾を飲む。


ルミナスが状況を察して、霊力で加勢しようとする。

ルミナスがミスラを攻撃すれば、クロノスが殺されることはないだろうが、ミスラが死んでしまう。

それくらいならば、クロノス自身が討たれる方を選ぶ。



「ルミナス、絶対に手を出すな」

クロノスが助成を断る。

「だが。それだと」

お前が死ぬではないかとルミナスが唇を噛み締めた。

命令は絶対だ。

ルミナスはジルコンを睨みつけた。



「ミスラを二度も失いたくはない。護ると…護れる程に強くなると決めた。だから助太刀は無用だ」

クロノスの言葉に、ミスラが反応する。

ミスラの剣を持つ手が一瞬震えた。

その分だけ剣を打ち込む速度が鈍る。


打ち込みながら、無意識下でミスラがクロノスを殺させないように抵抗しているのが、剣を受けているクロノスにも分かった。


いつものミスラよりも、反応が鈍い。


それでも傍目から見れば、恐ろしくなるような斬り合いなのだが、何度もミスラの剣を受けているクロノスだから解る。

クロノスの剣を知っているミスラだからこそ、隙が生まれる一瞬のタイミングをずらして打ち込んできていた。

壁に追い詰められたクロノスが、ミスラを合わせた刀で押しのける。

体重的に軽いミスラがふらついた瞬間。

胸元に忍ばせていた金の薔薇の飾りがあしらわれた栞が床に落ちた。


ソレをミスラが拾い上げる。

無意識に薔薇の飾りに触れた。

その瞬間、クロノスが封じ込めていた霊力が解放される。


真実の鏡の力が発動し、クロノスの姿が変化していくのをミスラは呆然と見ていた。

俗界で初めて出逢った王子、ユートピアで再度出逢った壱、一緒に旅をしたエニシ、そして今目の前にあるクロノス。

いつだって、側にいた者の名前だ。


ソラと名乗っていた自分。零と名乗っていた自分。

ミコトと名乗っていた記憶喪失の自分。

いつだって傍にいて、背中を預けていた。

護りたくて仕方がないと思った存在。

それがクロノスなのだ。


何をしている。

ミスラが手にしている剣は、クロノスの手に持たれているソレと対になっているもの。

だというのに。

誰を傷つけようとしている。


我を取り戻せと、深層意識のミスラが閉じ込められている呪という鎖を崩しにかかる。

護りたい。

傷つけさせない。

心の強さが霊力に力を加えるというのであるならば、金剛石を持つミスラがジルコンの呪いの力に抗えない筈はなかった。


ミスラが剣を手に、打ち込むのをやめ立ち尽くしているその瞬間をクロノスは見逃さなかった。

クロノスはミスラの剣を持つ手を引き寄せ、体を反転させてミスラを壁に押し付ける。


そのまま、思い出せと言わんばかりに、唇を重ねた。


「んっ」


ミスラの目が見開かれて、そして涙が一筋流れる。

何度も何度も抵抗がなくなるまで、頬、耳、額、そして唇に口付けし、呪いの力さえ壊してしまう程の愛情を注ぎ込んだ。

雁字搦めだったミスラの意識を奪う鎖が、砕け散った瞬間。

ミスラの手から、双剣の片方がポロリと滑り落ちた。


「ミスラ…おかえり」

「…クロノス…お前…なんて事をしてくれる」


我に帰ったミスラが、クロノスを跳ね飛ばした。

ルミナスがいる前でなんということをと言わんばかりに、ミスラがクロノスを睨みつける。


「お前…殺されたいかっ…こんな破廉恥なっ」

唇を拭いながら、ミスラが後ずさった。

「や…だって。これしか方法が…」

クロノスが苦笑いを浮かべながら弁解する。

顔に動揺が明らかに出ているミスラが珍し過ぎて、可愛すぎて、今が緊迫した状況である事を失念してしまいそうになるくらいだった。



「クロノスっ。貴様、私の妻になんという不届な真似を」

傍で甘い二人の痴話喧嘩さながらのやり取りを見せつけられていたジルコンが額に青筋を立てている。



「や、悪いなジルコン。ミスラはまだ俺をフッてはないから、まだお前の妻じゃない。だろ?この先も永遠にお前のものになどなる事はない。なぁミスラ」

どちらかというと、公の場に出たクロノスというよりは、エニシのソレに近い砕け方でミスラに反応を仰いだ。

いかにも仲が良いというのをアピールするように腰に手を回しクロノスの方に引き寄せて。


「…すまない。身共としてはこの馬鹿をフってやりたいのは山々なのだが、だからといってジルコンの申し出に頷く事はないのだ」

ミスラがクロノスの不埒な手を抓りながら、ジルコンに頭を下げた。


「何故だ。私の妻になれば全てが思いのままになるのたぞ?地位も何もかも手に入るというのに」

ジルコンが食い下がる。


「ソレを言うなら、冥神界の王の妻でも同じだろう。何でも手に入るっていうなら」

クロノスが言えば、ジルコンは大きく否を唱えた。

「冥神界の王がどれほど恐れられているか知っているだろう。残忍で冷酷で容赦なく抹消する。いつ葬られるか怯えながらの日々になるのだぞ?」

ジルコンがミスラを説得にかかる。

「…畏怖されている?…残忍で残酷?誰の話をしている。クロノスは調子に乗りやすくはあるが、懐が深く聡明な男だ。この男の判断に間違いはない。私情を挟まない公平さが冥神界の王たる所以だろう」

一度も耳にした事のないミスラのクロノスへの評価に、クロノスの心が震える。


「だってさ。ミスラが怖いと思っていないなら、話は早いだろう。だいたいお前の所業を裁きに来たんだミスラを娶りたいとかいう資格なんてないって言ってるんだ」

「スフェーンに呪い殺されたソラをミスラとして復活させたのは私だ、だからミスラの命は私のものだ。私を裁くというのならば、ミスラも道連れにするのが道理だ」

当然の権利だというように、ジルコンが言い放つ。


「お前みたいなクズにミスラを娶れると思ってんのか。てめぇみたいに、妾いっぱいはべらして、美人とみたら見境ないヤリ〇ン野郎がミスラに触るとかありえねぇって言ってんだよ」


クロノスが、口汚くジルコンを罵った。

普段の冷酷無慈悲で、圧倒的な威圧感で神々から魔族までを圧倒するクロノスと違いすぎて、ジルコンはポカンとあっけに取られている。


「クロノス殿は、一目惚れして気まぐれでミスラを娶りたいと言ったのではなかったのか…」

「お前がソラを知っているように、俺だってソラを知っている。年月では負けやしない。どれだけ俺がミスラを大事に、大事にしてきたと思ってる。お前みたいな最低野郎に譲ってやれるわけがないだろーが」

一昨日来やがれとばかりにクロノスが啖呵を切った。

「…冥神界の王はこんな性格であったのか?」


「昔から、恥ずかしい事をペラペラ口に乗せる男ではあったな」

ミスラがルミナスに同意を求める。

「だいたいは…な。ジルコン殿にも本当の顔があるように、クロノスはミスラが関わればあんなもんだ」

ルミナスが、ジルコンの傍に近づき壁にもたれかかりながら告げた。


「ルミナス、俺はミスラと話があるから、こいつの処遇は任せたぜ」

クロノスが天秤を出すと、裁く権利をルミナスに一任して投げてよこす。

「全く…お前は」

ルミナスは天秤を受け取って、ミスラを口説くのに必死になっているクロノスを見て優しく溜め息をついた。


「な…なんなのだ。貴殿達は」

いつもの上品さのかけらもない二人に、ジルコンは唖然としてしまう。

クロノスもクロノスなら、ルミナスもルミナスだ。

いつも神界に来ている時であるならば、クロノスの脇に控えて、決して出しゃばる男ではない筈なのだが、下手をしたらクロノスの兄か先輩か上司のようなアベコベな態度をルミナスまでもがとっている。

しかも、二人とも素行が良いとはいえない。

場末の不良か魔族か何かのようだ。

魔界の王、アンデシンでさえもう少し上品な物言いをしているとジルコンは思った。


「さて、俺が貴殿を裁く権利を冥神界の王から命じられたわけだが、覚悟は出来ているか?」

ルミナスが、冷ややかな目でジルコンを睨みつける。

その目は、皆が震え上がる冥神界の死の使いの姿そのものだ。

たとえ、大神界の大神でさえ、この裁きから逃げられる事はない。

普段はクロノス自らが裁くのだが、初恋の者を目の前で殺されたルミナスへの配慮であろう。

目の端で、殴られつつ破顔しているクロノスの幸せそうな顔を見て、良かったなと兄のような面持ちで見守りながら、ルミナスはジルコンに向き直った。


「ひっ」

「ジルコン…貴殿は、騙せると思ってたかもしれないけど、正直…かなり前から神界に悪が掬ってる事は知ってたんだぜ?」

向こうで痴話喧嘩をして二人の世界に入ってしまっているクロノスとミスラを一瞥して、ルミナスは腕を組んだ。

「…知っていて見過ごしていたと」

ジルコンが顔を引き攣らせる。

「まあな。お前がミスラを大人しく渡してれば、そのまま見て見ぬふりしてくれてたかもしれないけどな。クロノスの唯一と言っていい程の忌諱に貴殿は触れたというわけだ。どういう意味かわかるか?」

「…」

蒼白になるジルコンを尻目にルミナスは続けた。

「それに…知っていたか?貴殿は俺の忌諱にも触れていた事を」

ルミナスが剣を鞘から抜いて、刃に指を滑らせた。

触れただけで血が滲み、それをペロリと舐め上げる。

ルミナスの今まで見せたことのないような冷淡な顔にジルコンが頬を引き攣らせる。

「…わ、私が悪いわけではない。大神界に飛翔した途端、皆が私を金剛石を身に宿す者が現れたと持て囃した。私が身に宿していたのはジルコニアであって、似てはいても金剛石ではない。ないというのに、皆は私に金剛石の力を求めてきた」

「訂正すれば良かったのでは?ジルコニアだと。何故金剛石を見に宿す者のフリなどした?」

「皆の期待に応えなければと必死だったのだ」

だから、悪くないとばかりにジルコンが弁解する。

「貴殿の見栄や外聞の為に、スフェーンは俗界の后になり悪辣の限りを尽くし、貴殿に憧れるあまり魔族にまで身売りした。そんな彼女を何故見捨てた」

ルミナスは左手に剣を持ちながら、右手を翳して天秤を出現させる。

ジルコンにダイヤルを合わせ、翳してみせた。

神界の穢れの原因はこの男だと言わんばかりに針は悪側に傾いていく。

それを見たジルコンは震え始めた。

「し…仕方なかったんだ。神界の王として責務を果たす為には彼女の力が必要だった」

皆の為を思っての事だとジルコンは必死で弁解する。

「なるほど、それがこの数パーセントの良心の部分というやつか。彼女を殺す理由にはならないだろう?」

一歩ルミナスが歩を進めるたび、ジルコンが後ずさりながら、部下達に助けを呼びかけた。


「だれか…誰かいないか。冥神界のルミナス殿が乱心されたのだ」

裁いているのが、クロノスではないのを良い事に、部下を呼び募る。


バタバタと走ってくる足音に、ミスラとクロノスが表情を一転させた。

流石に、大神界の面々と全面戦争になるのは避けなければならない。


部下の神兵達にどう釈明しようかとクロノスは溜め息をついた。

本来、裁くのはクロノス本人である事が多いだけに、周囲も違和感を感じてしまうかもしれない。

これは面倒な事になった。

そう思うや否や。

開いた扉の先を見て、クロノスは破顔した。


そこに立っていたのは、部下を説得し控えさせたミヌレットとリンシャンだったからだ。


「クロノス様…がミスラにちょっかいかけて、職務怠慢な態度を取ってるから、こういう隙をつかれるのですよ」

冷静なリンシャンが額に筋を立てながら静かに怒っている。

「…ありえないだろ。この状況で…兵達が見ている。いつものクロノス様に戻れよ」

ミヌレットはツカツカとクロノスのそばに行き、ミスラを引き剥がしミヌレットの背中に隠して、小声で囁いた。

クロノスは扉の向こうに視線をやり、姿勢をいつもの威厳のある冷淡な空気を一瞬で身にまとう。

覗いていた兵士達は、その姿に震え上がり、見てはいけないものを見たというように頭を下げる。



入ってきたのがミヌレットとリンシャンだということを視認したルミナスが、安心したようにジルコンに向き直った。

扉の向こうで、膝をついて待機している神兵たちがあやしむことのないように、いつもの公の口調に戻して言い放つ。



「大神界の王、ジルコンよ。大虐殺、並びに奥方の殺害などの悪行により、冥神界の王の代理、ルミナスの名において、貴殿を消滅させる」

秤を掲げ、皆に不正はないことを証明する。


「嫌だ。消えたくない。せめて魂だけはそのままにしてくれ」

ジルコンが命乞いをした。

「きっと、お前に消滅させられた神達、お前を想い続けたスフェーンも同じことを思っていただろう」

「嫌だ。私が世界の中心なのだ。金剛石を抱き世界を私のものに」

ジルコンの言葉に、秤が反応する。

王が神兵たちに助けを呼ばなければ、片手に持った剣の方で切り刻んで滅していただろう。


秤を使い、それに見合った罰を秤自らが下すのは口惜しいが仕方がないとルミナスは諦め顔だ。


秤の真ん中の黒の輝石から、光が放たれジルコンを包み込んでいった。

ジルコンの足掻きなど知らぬという無機質さで、恨みも何の情緒もなく消し去った。


「いつも思うのですが、この天秤が一番恐ろしい」

ルミナスが、天秤をクロノスにかえしながら肩を竦める。いつもの控えめな態度に戻っているあたりが役者だ。

「ジルコンに立ち向かう時のルミナスにダイヤルを合わせたら面白い事になったであろうな」

顔に出すことなく、クロノスが冷淡に伝える。

「憎しみと殺意ばかりでしょうから。私も処罰されたに違いありません」

ルミナスが頭を下げれば、クロノスが目だけで頷き扉の外を一瞥する。

外にいる神兵達が正しい心を持たなければ消されてしまうのだと、心に刻み込んだ。


「ミヌレット、リンシャン。お前達ふたりで大神界に上がり、この混乱を協力しておさめよ」

クロノスが正式に命じて、ミスラとルミナスと共に、三人は俗界に消えていった。




《俗界》



「全く君たちときたら、何日も何日も手紙一通だけ寄越して音信不通になっているんだから」

ハルがホテルの前で仁王立ちになっている。

頭にアンチュルピーが乗って、同じ姿勢を取っているので、どこかコミカルになってしまってエニシが吹き出した。

「悪い悪い。ちょっとゴタついてて連絡が取れなかったんだ。なスピネル?」

片手でゴメンと顔の前にもっていき、悪びれもなくエニシがスピネルに矛先を向ける。

この特別隊を取り仕切る立場であるのだから、全責任はスピネルにあると言わんばかりだ。


「本当に悪かった。ミスラを見つけ、しっかり送り届けたので安心して欲しい。これで任務は無事完了したわけだが…カイレンは…」

魔界で別れたきり、どうなったのかがわからない。

スピネルが答えられずに口籠った瞬間。


「俺もいるぜ?しっかり」

どこからともなく現れたカイレンが、ミコトとエニシの間に割って入ってそれぞれの肩に手を回した。

ミスラの知己である事がわかったミコトはカイレンの登場を心から喜び、エニシは強烈なライバルにもなりかねない小姑の登場に心底嫌そうな顔をする。

あきらかに、邪魔する気満々といった雰囲気だ。


「こちらに戻ってこれたのだな…」

ミスラが小声で言えば、カイレンが頷いた。

「ま、俺どこでも型破りが赦されてるし?なにせ根は良い奴だから」

裁けるものなんてどこにもいないと、エニシをちらりと見て挑発する。


確かに魔界に身を置いている以上、根がもとは神界に配属されるような人格なのだから余程の何かをしたところで罰しようもないのだ。

エニシが、ムとしながら睨みつける。

「カイレン、お前相当人が悪いな…」

「お前ほどじゃない。なぁミコト。不意打ちで手ぇ出したりするのは駄目だよな?」

ニヤリと笑って、ミコトを見ればミコトが珍しく耳を赤くして押し黙っている。


「何それ、何それ、何それ」

ハルが乱入する。

ミコトを二人から取り上げて、後ろに隠した。

「…」

何も言わずに、ただただエニシを睨みつけているミコトを見て、スピネルは他所を向き、カイレンは腹を抱えて笑った。

当のエニシはヒラヒラとミコトに手を振りながら、思いっきりカイレンの足を踏みつけ小声でつぶやく。

「カイレン。お前…どこで見ていた」

「…ふん、俺元は神界にいたんだぜ?通信手段残してあるに決まってんだろ」

「盗聴してやがったのか」

「盗撮?実況中継?…アンデシンがくそ笑ってたぞ」

カイレンの言葉に、エニシが苦虫をが潰したような顔をする。

弱味を見せてはいけない男に見せてしまったのだ。

今度魔界に行った時を思うと腹立たしい。


「もう金輪際、二人を同室にはしないんだからねっ!」

ハルが腰に手を当ててプンプンと怒っている。

いつもの穏やかな空気にミコトは、ふんわりと花が咲くように笑った。


それをその場にいた全員が固まってしまう。

カイレンとエニシはポカンと口を開けて頬を染めている。スピネルはまるで自分の子供が初めて立ったのを喜ぶかのような顔をして固まっている。

微笑む事はあっても、笑う顔などほとんど見せてはくれないミコトが初めて笑顔を見せたのだ。


「わ、駄目駄目駄目ーっ!ミコトその笑顔。反則」

ハルはギュッと愛しさを隠しきれずに、ミコトに抱きついた。




「ところで、今後は一緒の部屋にさせない…ってどういう事だ?」

当初の目的は達成されたのだから、もう旅をする理由などないのでは?とスピネルがハルに尋ねる。

「僕たち何里来たと思ってんの。行きがあれば帰りもあるでしょ?」

「そりゃそうだ」

カイレンが相槌を打つ。

「あと。神殿からの書状に、人助けしてくれて助かってるって感謝状が沢山届いたから、帰りも遠回りしながら人助けしてこいって書いてあったんだ」

だから、もう少しこの面子で旅が出来るのだとハルは言う。

ミコトとカイレンがはしゃいでいる。

それに一瞬ヤキモチをやいたエニシが、二人の中に飛び込んでいった。

ただ一人。

スピネルは内心で、頭を抱えていた。

冥神界の仕事に忙殺される己の姿しか想像ができないからだ。

きっと、厠に行くと言っては、あちら(冥神界)とこちら(俗界)を行き来する日々が続くに決まっている。

肩にポンと手を置かれる感覚を感じて視線を向ければ、エニシがニヤニヤ笑っていた。

「ご苦労様だな。スピネル様」

あえて様までつけて言うあたりが確信犯だとスピネルは思いながら、それも悪くないと思ってしまう自分がいるのだ。


「近道で帰る?遠回りする?さしずめ遠周りになる次の町では、今夜歌って踊っての盆踊りなるものがあるらしい」

ハルが言えば、皆が口を揃えて遠回りを希望した。



「なら、お前は歌え」

ミコトがエニシに命令する。

「なら、俺らは踊ろうぜ」

カイレンがミコトを誘う。

ミコトは昔を思い出して、懐かしむように目を細め頷いた。

「えー僕、踊れないし、歌えないよ」

「身共でよければ教えてやろう」

ミコトの言葉にハルが歓喜する。

「やったー!ミコト大好き」

「えー、俺も教えてよ」

エニシが乱入する。

「…出来れば俺も」

珍しく、スピネルも乗り気だった。


「ミコトの指導は厳しいぞ?」

カイレンだけが、ウゲっと空を仰いだ。


ハルがチェックアウトの手続きをしている間にカイレンとエニシは部屋に荷物をまとめに戻った。

ミコトとエニシも2人が泊まった部屋に荷物を取りに戻った。


「…ミコトが無事で本当に良かった」

しみじみエニシがいう。

「ああ…そうだな」

荷物を片付けながら、一つずつ旅で買ったエニシと揃いの方位磁針をミコトは手に持った。

袋に入れるべきか、エニシと同じように吊るそうか。

そう迷っているうちに、エニシが後ろからミコトを抱きしめた。


「…エニシ」

「どうしよう。ミコトが好きで好きで、愛しくてたまらない。まだ駄目かな…」

「…少なくとも、ここで旅しているうちは…な」

くるっと振り返り、ミコトがするりとエニシをかわす。

「旅が終わったら…受け入れてくれるってこと?」

「勝ったらなと言っていただろう」


あの時ミスラの精神がエニシを助けようとしていたのも手伝って、初めてエニシはミスラから剣を落とさせ、戦闘不能にした。

エニシが初めてミコトに勝てた瞬間だったのだが、幸いというかエニシはそれを勝ちとカウントしていないようで、頭を抱えて寝台に倒れ込んでいる。


ミコトは、まだ少しの間は隠しておこうと双剣の片割れと共に方位磁針を布に包んで袋の奥に忍ばせた。

ただ懐には、エニシに貰った金色の栞がしのばせてある。

薔薇の柄のボタンを押すと、いつの時代のエニシの顔を見られる事が分かったからだ。

これくらいであるならば、誰に突っ込まれる事はないだろう。


「ミコト、エニシ、そろそろ行くよー」

ハルが扉をノックすると同時に開いて入り込んだ。


「待たせたな」

荷物を手に持って、ミコトがハルのもとに行く。

「良かった。部屋を開けてエニシに押し倒されてたらどうしようかと思った」

ホッと胸を撫で下ろすハルにエニシが肩をポンと叩いた。

「ハル…ミコトを簡単に押し倒せるようなヤツなんてそうそう居ない」

しみじみいうエニシに、スピネルとカイレンが爆笑する。


ホテルを後にし、次の街に向かう道のりは、晴れた空のように明るく澄み渡っていた。



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