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第二話

「美しい」

「コレはまた多種多様な艶姿」

「眼福、眼福」

ずらりと並んだ美女達をうっとりした顔で眺めている町人達が口々に騒いでいる。

美女達の中でも、背丈のあるエニシやスピネルは舞台映えし、より艶やかに人々を魅了していた。


開き直ったエニシは、ミコトが飾っていった白い花に手を添え、はんなり微笑んで手を振っている。

エニシは片方の手で、横に並んだ不機嫌そうにしているスピネル二の腕を軽く抓った。

スピネルは、慌てて引き攣り笑いを浮かべる。

舞台の上から境内をぐるりと眺めた。

冥神界で見た事がある女、確かロザリアによく似た女を見つけ、エニシは眉間に皺を寄せる。

俗界に紛れようと、ここの世界の衣服や髪型はしているものの、滲み出る雰囲気が俗界の人間のものではなかった。

エニシが肘でスピネルの脇腹をつつき、視線を促す。


「あれは…淫魔のロザリア」

スピネルが小声で呟いた。

「ああ…」

エニシは、クノロスだとロザリアから認知されないよう、纏う雰囲気もろともガラリと変えた。

スピネルも同じタイミングで変える。

まさかエニシ(クロノス)がこんな所で、いるとは夢にも思わないらしい。

ロザリアは全く気付いていないようで、審査員席の上座に座る女にヒソヒソ何かを進言している。


審査員席の上座の女がボニーらしい。

舞台に登る美女達を審査するというよりは、憎い敵を見極めているような禍々しさが滲み出ていた。


これは何が何でも、勝ち抜かなくてはならないなとエニシはスピネルと顔を見合わせる。

ボニーの横には、薬を盛られているのか、カイレンが着飾った格好をさせられ座っていた。

カイレンの瞳にいつもの覇気はなく、ぼんやりと舞台を眺めている。

舞台上のエニシと目が合ってもぼんやりとしているようだ。

通常のカイレンならば、エニシとスピネルの格好を見た瞬間。腹を抱えて笑っていることだろう。

それが、借りてきた猫のようにおとなしい。威勢の良さが消えたカイレンは、小麦色の肌をした健康的な美丈夫だった。


カイレンの所在が確認できたのは良かったのだが、別行動をしているミコトは、大丈夫だろうかとエニシは急に心配になってくる。

魔界のロザリアの手が入っているとなると、ミコトの腕が立つ事は身を持って知ってはいるが、なにかの仕掛けがあるかもしれない。

これはいち早く、美女比べに勝ち名乗りをあげ、合流しなくてはといけないだろうとエニシは眉間に皺を寄せた。




「今年の勝者はお前達2名だ。妾の屋敷まで招こう」

エニシとスピネルが選ばれ、ボニーに手招きされる。

会場は、大盛り上がりだ。

先ほどまでいた淫魔ロザリアの姿が見当たらないのがエニシは気がかりで仕方がない。

先に屋敷に戻ったのだろうか。

だとしたらミコトがマズいことになる。


「スピネル」

小声で告げれば、スピネルも小さく頷いた。

籠に乗ってボニーが先を案内する。

歩かないから太りより醜くなるのになとエニシは嗤った。

心ここに在らずといったカイレンが前を歩いている。

何か香のようなもので操られているようだ。

エニシは、掌に神通力を集中させて、カイレンの頭を思いっきり殴った。


「いってぇ〜なぁ」

我に帰ったカイレンが、振り返りざま2人の格好を見て、プッと吹き出す。

スピネルが静かにと人差し指を唇に当てた。

前を行くボニーの籠まで届かないような声でカイレンは事情を話す。

「あの屋敷に一歩踏み入れると、変な香が焚かれていて、自我が薄くなって、本能に忠実になる。屋敷に召し抱えられた美女達は、女を返せと侵入してきたもの達に犯され、女郎より酷い扱いをされていた。周囲は放たれた精の匂いと香の匂いが入り混ざって酷い有様だ」

「うげっ」

想像しただけでもえげつないとばかりにエニシは顔を顰めた。

スピネルの眉間にも深い皺が刻まれている。

「かつて美女だって言われた女達は、精を吸い取られていくように、髪は抜け痩せ細り、それでも催淫香から逃れられず男を見境なしに誘い込んでいた。まぁ、男も男で精を抜かれて同じようになっていたがな」

珍しく真面目な表情でカイレンが淡々と説明している。

感情を入れたら怒鳴り散らしてしまいそうだからということが、エニシも痛いほどわかった。


美女に旦那を寝取られ、嫉妬に狂ったボニーが引き起こした事件のようだ。

人間の弱い心にロザリアが付け込んだということか。

「最悪…」

エニシが呟けば、スピネルも大きく頷いた。

「で、お前は平気だったのか?」

「ボニーが、しなだれかかってきて自分を抱かないかと誘ってきた。とてもじゃないけど無理だろ。美人と思い込んでいる醜女ほどタチの悪いもんはないぜ?どう返答しても良い方に曲解して捉えやがる。心底うぇーっとなっている方が強くて性欲が湧かなかったっていうのが現実だ」

「心ここに在らずの体ではなかったか?」

スピネルが聞けば、エニシも隣で頷いている。

「や、演技に決まってんだろーが」

「随分達者な演技なこった。お前なら今頃、元美女たちとよろしくやってるかと思ったぜ?」

一見、美女にしか見えないエニシからの下品な台詞に、カイレンが口をへの字にした。


「探してる姫さんには、体のどこかにハート型のアザがあるって言ってたよな?」

「ああ(神界から俗界に降りた者には皆、目印が添えられる。冥神界ならスペード型の印、天界ならダイヤの印、魔界ならばクローバー、我々は手首にそれがある故に手首にはバングルを嵌めている)」

スピネルは無意識に手首のバングルに指を触れた。

「なら、そこにいた女全員そんなものなかったぜ?……あぁ、1人を除いては…」

カイレンが思い出しながらポツリポツリと告げる。

「なんだよ、その曖昧すぎる報告はw」

エニシがブハっと格好に似合わず吹き出した。

「や、全員裸だったから…で、1人だけ着物着てて別の部屋にいた子が1人いたんだが…んー多分、姫じゃない」

「着物を着ていたならわからないじゃないか?」

「んー。見てみりゃ分かるんだがなぁ。ポワポワしてるっつうか。まるまるしてて癒され系っていうか。頭にそう、花咲かしてたな…」

「要するに少々恰幅が良い方だったと」

スピネルがなるほどと腕組みをした。

「人の心配してられねぇぜ?屋敷に戻れば、俺はお前ら(今年選ばれた美女たち)に当てられた種馬らしいから」

カイレンがそう言うと、くんずほぐれずの姿を想像し、3人が3人とも鳥肌を立てる。

「そうなると、1人で先に潜入すると言っていたミコトがやはり危ないな…」

エニシが真顔になった。



カイレンから聞いた話なら、淫魔のロザリアが仕込んだ香が焚かれている筈だ。

それを嗅いでしまったとしたら、生真面目そうなミコトはイチコロなのではないかと青くなる。

どうやら、探しているミスラはこの事件には関わっていなさそうだ。

だとすれば、任務は真相を暴く事はもちろんだが、ミコトの救出が優先になるだろう。

一刻も早く館につかないかとエニシ、スピネル、カイレンの3人に焦りが出る。

エニシは無事でいてくれと祈るように、ミコトのくれた白い花を無意識に触っていた。




ミコトは少女ともに、片眼鏡の男ロジウムの家に連れ立って行った。


ロジウムは、夜遅くまで遊び歩いているのか、眠そうな無精髭姿で扉を開けた。

「嬢ちゃんか。どした?このお人は?」

「えっと…」

少女が説明しようとする前にミコトは名乗りをあげた。少女に感謝の言葉を言うと少女はぺこりと頭を下げて、造花を売りにへ戻っていく。


「カイレンが昨夜お世話になったようなので挨拶に参った」

ミコトの説明を聞いた瞬間、ロジウムはサっと顔色を変える。

「ははは、妙に気があって、朝まで呑んでた御仁かな…」

(ヤバい、ヤバい知り合いがいたのか。頭が悪そうで…良い鴨だと思ったんだが…仲間がいたのか)


ロジウムの心の声に、ミコトは眉を顰めた。

「朝まで待っても帰ってこなくて、困っている。どこに行ったのか教えてくれないか?」

目を細めて、ミコトは怒気を込める。

扉を閉めさせないように片手で持ち、ミコトは玄関に脚を一歩踏み入れた。

胸ぐらでも掴みそうな勢いにロジウムが気圧される。

「…び、美女比べに興味あるようだったから教えただけさ。俺は意気のいい男をボニーの元に連れてくのが仕事だしなー。渡に船ってとこだった」

引きつりながら、片頬あげロジウムは悪びれもなく言い放つ。

「コレがまた良い金になりやがる」

「碌な仕事をしていないな」

「はん、人の仕事にとやかく言うもんじゃねーや。人にゃ色々事情があんだよ」

ロジウムの家は小屋に毛を生やしたような小さなものだ。

生活が、楽ではないのだろう。

両親、家族はいないのか、1人住まいらしい。

「1人送れば、一年は暮らせるだけの金が貰えるんだ。盗みやスリをして稼いで捕まるよりは真っ当だろ」

「…そこに送られた男達はどうなるのだ」

「んなことまで、知るかっての」

(…送った奴の顔を見たことは2度とないが…)


「無責任極まれりだな」

「…お褒めに預かり光栄ってとこか。なんなら、俺の紹介で兄さんも送り込んでやろうか?」

悪ぶって、下衆な笑みを浮かべるロジウムの心の声がかすかにミコトの耳に届いた。

(…そうすれば、サーシャを取り戻してくれる奴が、いつか現れるかもしれない)


「…」

ただの悪人というわけではなさそうだ。

ロジウムも少女の探しているサーシャという娘を連れ戻して欲しいのか。

「兄さんは強いのかぇ?」

「さぁ、多少武道の心得はあるが…」

強いかどうかは相手にもよるだろうとミコトは答える。

「違いねぇ」

ロジウムは、ポンと手を叩いた。


「ところで、あの娘にサーシャという娘を探してくれと頼まれたのだが…お前の知り合いでもあるのか?」

「っ、…」

弱点なのか、先程までの軽口を叩く事なく口を噤んだ。

(命より…大事な子だ。…ボニーに仕えれば、返してくれるかと思って仕えたが、決して返してくれるとは言わない。死体が屋敷近くの川に浮かぶたび、サーシャではないかと怯えている。…弱い自分が我ながら情けねぇ。こうして強そうな誰かを送り込んで、他力本願で無責任な俺自身が嫌で仕方がない。それでも…)

「…なんなら、あんたも連れて行ってやろうか」

「望む所だ」

ミコトは静かに瞳を閉じ即答した。この女衒のような男にも良心はあるらしい。

ロジウムの陰鬱で必死の感情が痛いほど伝わってくる。

大切な者を守りたいという気持ちにミコトの心がざわつく。


きっと、記憶がないミコト自身も誰かを守りたいという、気持ちが強かったのかもしれない。

正義感からなのか、使命感からなのか、理由は分からないが放ってはおけないとミコトの心が波打っていた。



ロジウムは上着を羽織りながら、不躾な瞳でミコトを値踏みするかのように眺めた。

(身長は俺と変わらないか…カイレンという男、そういう趣味なのか?陰間茶屋で働いたら儲けられそうな…)


無礼な事を考えられている事に、怒りを通り過ぎて呆れが出る。

どうも、ミコトの意識せぬところで、見てくれへの台詞が出てくる事が不愉快で仕方がない。

記憶のないミコトでも苛立つのだ。

幼い頃からの記憶を持っているミコトなら苦労は一塩だろう。

外見が良いということを羨ましがるものも多いかもしれないが、見目が良い事が禍いして、内面を誰もが見ようとしない。

最近では外見にとやかく言われる事に苛立ちすら覚えているほどだ。

ミコトが不機嫌さを露わにした顔で、ロジウムの後ろを歩く。


「下衆な勘繰りはやめて貰おうか。身共たちは2人旅をきているのではなく複数で行動を共にしている。カイレンがいないと動けずに困っているのだ」

釘を刺すように言えば、ロジウムは引き攣り笑いを浮かべる。

細い路地を通り、迷い込みそうなくねくねとした道を行く。

大きな屋敷が見えてきたところで、1人の男が声をかけてきた。


歳の頃は25を過ぎたあたりか。

顔には焦燥感が滲み出ていた。


「ワシは去年、美女に選ばれた娘の婚約者じゃ…名はイジュンという。道行く人、あの家に入る方法を知らないか」

背丈はミコトより少し大きいかというくらいだ。

野良仕事をしているのか、腕の筋肉には筋が入っている。

豆だらけの剣だことは違う大きな手のひらの男だ。


「いいぜ?ここの兄さんを連れていくところだ。一緒に来いよ案内してやる」

ロジウムは、ミコトとイジュンを連れだって屋敷の門まで2人を案内する。

裏口の扉をノックすると、門番が現れ合言葉をつげた。


ロジウムが要件を話せば、門番は2人をチラリと眺めたあと、ロジウムに金額を書いた為替を渡す。


「兄さんがた、くれぐれもお達者で」

(どうか、サーシャを助けてくれ)


ロジウムは、出来るだけ通常を装って足早に立ち去ろうとするがその足をふととめた。

去り際、コソっとミコトに耳打ちしする。


「地下には注意しろ」

そう言い残して、ロジウムは屋敷の前から姿を消した。


ミコトは引き戸を閉めるための筋交い用の棒をさりげなく懐に忍ばせる。

門番に案内されるまま、屋敷内を歩いていった。

屋敷の中は、美人比べをしているせいかやけに静かだ。

飯炊きの下男が調理場にいるくらいで、人の気配がほとんどない。

一見普通に見える扉を引くとそこには、下に続く階段が続いていた。

扉を閉じ、階段を降りるに従って、啜り泣くような、悲鳴のような声が聞こえてくる。


下に降りれば降りるほど、その声は大きくなった。

むせかえるような据えた匂いと、それを誤魔化すような香の匂いがミコトの鼻を刺激する。

地下室全体が地下牢のような作りだ。

男女がだだ広い部屋で、絡み合っている。

蠢く姿は幽鬼のようだ。

声の主は、この痩せ細った女達があげる声だった。

何人もの男が群がり、狂う様が痛々しい。

貪ることに夢中で、2人が入ってきた事にも気付いてはいないようだ。

そこにいるどの女も、かつては美女と言われていたのだろうに、とてもそう言い難い状態になっている。老木かミイラのようだった。

ミコトは見たくないものを見せられたというように、目を背ける。

いつのまにか、案内役は消えていた。


個々の部屋には牢のような個室が儲けられ、片方には丸々と太った女が膝を抱えている。


片方には精神的に壊れた40絡みの男がもう辞めてくれ、悪かったと、泣き叫んでいた。酷く痩せこけている。

目の前に広がる光景を永遠と見せつけられているのは見るに堪えるものではないだろう。


「イジュン?」

気遣うように横を向くと隣にいたイジュンの様子がおかしくなっていた。

「婚約者はこの中にいたか?」

「…」

徐々に意識がぼんやりしていくのか、イジュンの視線が定まらなくなっている。

ゆっくり、男達に群がられ、悦楽に狂っているその女を指差した。

「…」

見るに耐えなくて、ミコトは瞬間的に瞳を閉じる。


大切な、愛した者が変わり果てた姿になってしまって汚されていることは何よりも苦痛を伴うことだ。


「イ…ジュン?」

だが、すでにイジュンも正気を失いかけているのか、涙を流すことも、怒号をあげることも、助けに行くこともしなかった。

それどころか、イジュンの眼の色が変わっている。

正気を失い欲情しかけているのが明らかだった。


欲情の目は、婚約者に向くのではなく、ミコトに向けられている。

愛というものが存在するというのなら、せめて婚約者の方に向かってくれたら救われるというのに、神は無慈悲だとミコトは嘆いた。


イジュンがミコトに襲い掛かろうとするその瞬間、ミコトはその身をサラりと躱した。

懐から木の棒を取り出す。


「申し訳ない」

ポツリと呟き、急所に一撃入れると、イジュンはずるりと床に沈んだ。

なるべく痛みを感じないよう、意識だけを奪う。


ミコトは、そこで声をあげる。

「サーシャさん、サーシャさんはいるか?」

何十人といる女達に意識があるとは思えない。

無駄だとは思いつつも意識がある可能性はゼロではない。


「あ、あの」

牢の中にいる太った女が声をかけてきた。

髪には、ミコトが少女から貰ったものと同じような赤い花が咲いている。

「貴方がサーシャか…」

「はい」

緊張の糸が切れたのか、サーシャはワッと声をあげて泣き始めた。

怖かったのだろう。牢の格子を持つ指が震えている。


「ここに入った瞬間皆が豹変し、あのような事に…何故か私だけ正気を保っていられて、1人免れました。あのようにならなかった私をボニー様は大層喜ばれ、赦されました。それ以来ここに幽閉されている次第です」

三食三度の食事はとても豪華で、牢での生活によって太ってしまったのだと、サーシャは言った。

「なるほど、選ばれた姫全員があのようになるのではないのか」

「…私以外は皆あのように…」

香の匂いに何かアヘンのような麻薬が仕込まれているのだろうか。

死ぬまで、ずっとあの状態なのだとサーシャは言う。

干からびて死ぬまで赦される事なく、男も女も搾り取られる。



「そうか…酷いな。牢から出してやろう。花屋の少女とロジウムというペテン師が貴方の帰りを待っている」

「ですが、鍵が…」

「少し、下がっていてくれ」

ミコトの言葉に、サーシャはコクリと頷き壁側まで移動する。

「でもとても木の棒などで壊せるものでは到底…」

サーシャの言葉よりも先に、ミコトは鍵目掛けて木の棒を振り下ろした。


ガシャという音と共に、鍵が外れる。

扉を開けて、サーシャを連れ出した。

座り続けているせいで中々歩けないサーシャをミコトは横抱きにする。


さて、ここからどうしたものか。

サーシャを表に出して、ここにいる者たちはすでに手遅れな気もするがとミコトが悩んだその時だった。


今までになかった妖しげな気配がする。

「おやおや、オマエたちはここに入っていても正気なのね?」

長いウェーブの髪を揺らし、床に散った精を舐めた。

鍵が壊され事に気付き、宴の席を抜け出した淫魔のロザリアがゆったりと近づいてくる。

豊満な胸と腰を揺らし、いやらしい笑みを浮かべた。


「お前は誰だ」

「催淫香が、純潔(童貞、処女)には効かないのは分かるけれども、私の呪詛は絶対な筈なのに」

ミコトの質問に答える事なく、ロザリアは天井を見上げ思案にくれた。

「まぁ、わたしはここにいるコイツらから貰えるものが貰えれば良いのだけど」

ロザリアは吸い取った淫の気を瓶につめて満足そうに微笑んだ。


「何を言っている。お前…妖の類なのか?」

「ああ、オマエに名乗る必要もないだろ?どうせすぐに私に殺されるのだから。オマエに私の餌場を取られてたまるか」

ロザリアの声に僅かな苛立ちが含まれる。


「…殺させはしない」

ミコトが剣を構えた。

「私にそんな棒っきれが効くと思うのか」

「やってみなくては、分からないだろう」

トントンと身軽に一歩を踏み出すと、目にも見えないような速さで、ロザリアを床にひれ伏させた。


「な、何故だ。今まで童貞で香が効かなかった者も呪詛にやられて動けはしなかったというのに。それに私にダメージを与えることなど不可能だというのに」

ロザリアが信じられないというような顔で、ミコトを見上げる。

「さぁ、神様が守ってくれたのではないか?」

「はっ…バカな」


ロザリアが屈辱に手を振るわせている。

魔力を爆発させれば、この屋敷もろともミコトを屠る事は可能だろう。

だが、そこまでの悪さは俗界に降りる規則に触れる。

そうロザリアが思考を巡らせてる時だった。



「大丈夫かっ!!」

エニシ、スピネル、カイレンが同時に駆け込んできた。

エニシもスピネルもここの家の者の格好になっているところをみると、門番から奪ったのだろう。

ドレスを着せられた哀れな門番に同情しつつ、急いで来てくれたのだと、息が切れている3人の心遣いに心が温まる。

鍛錬している者だ、普通に走ったくらいでは息が切れる事などないのだ。


エニシがミコトを庇うように前に出た。

エニシの顔つきが一瞬変わる。

その瞬間、ロザリアは蒼白になった。

エニシの空気がクロノスのソレになったからだ。



「わ、私は、別にあのボニーとかいう女と利害が一致したから協力したまでだ。何も関与していない」

苦しい言い訳をし始める。


「殺されたいか?」

いつもの軽い調子ではないエニシに、ミコトは目が離せなかった。

「大切な者をなくす怖さとか、お前に言っても分からないんだろうな」


「…くっ」

ロザリアな唇を噛み締めた。

「これ以上、関わるようなら本気で殺す。さっさと去れ」

エニシの言葉を聞いた瞬間。

ロザリアは霧のように消えていった。




ロザリアが姿を消したのち、少ししてからボニーが配下を10人ほど引き連れ、階段を降りてくる。

屋敷につくや否や、今年の美女比べの勝者2人をカイレンとともに先に地下に行かせた筈だ。


今頃は楽しい余興が見れるとボニーは期待していた。

だというのに、エニシやスピネルはすでに女の姿でもない。

開かれた牢の中に戻って、サーシャは存在感を消して、隠れるように座った。

ミコトも気配を消して皆の後に続く。


くんずほぐれずになっている男女達も皆、気を失っている。

香炉の火も消され、あたりの空気に澱みがなくなっているではないか。


「これはどういうことなの?」

ボニーは憤慨する。


「こういうことだ」

ニヤっと不敵な笑みをエニシが浮かべた。


「おい、欲求不満のおばさん。ヤキモチも程々にしろよ。醜い顔が余計醜くなるぜ?」

カイレンがボニーを煽る。


「妾は、おばさんか?醜いのか?」

ボニーのお手つきの配下達は、蒼白になりフルフルと首を横に振った。

どの者も若く、それなりに見目の良いものばかりが選ばれている。

「ボニー様ほど美しい女性はこの世におりません」

「我らはあなた様の虜にございます」

「あの者達の目の方がおかしいのでございます」

「ボニー様は魅力的なお方です。」

それぞれの部下たちが取り繕うように口々にいう。


(醜女だなんて言おう者なら、おろそしいお仕置きが待っている)

(逆らった者は妖の女に一晩中責められ腹上死させられた)

(機嫌を損ねれば仲間の1人は妖の女にイチモツを切り取られ、己のものを尻に突っ込まれ一晩中責められ続け男でもなくならされたという)

(ボニー様を怒らせたら何をされるか分からない)

側近達の心の声に、ミコトは耳を塞ぎたくなった。



「この者たちを殺しなさい」

ボニーが配下に命じる。

配下達は、色男揃いではあるものの、腕に覚えがあるわけではない。



カイレンが指をポキポキならせば、びくりと戦く。

スピネルが睨みを効かせただけで、硬直してしまう者もいた。

ミコトは片手に持った木の棒を肩に乗せ準備万端といったところだ。 

「妖の女は、とっとと尻尾巻いて逃げたし。もう、本当のことを言ってもいいんだぜ?」

エニシが意地悪く嘲笑う。



その瞬間。

「もう嫌だ。こんなところで一生、奴隷のように扱われるなんて真っ平だ」

「相手させられるなら、もっとまともな女がいい」

「もうこりごりだ」

悲鳴のようにまくしたて、配下達は蜘蛛の子を散らすように、階段を登り立ち去っていった。



「さあ…どうする?ボニーサマ?」

1人残されたボニーはワナワナと唇を引き攣らせる。

エニシ、カイレン、スピネル、ミコトの4人にぐるりと囲まれれば、ボニーはその迫力に腰を抜かした。


「こんなに廃人ばっか量産したんだ。責任は取らなきゃなぁ」

カイレンが、ボニーの髪をグイッと引っ張り、そこに横たわる女達を見せつけた。


エニシも初めて、地下室の酷い有様に顔を顰める。

美人もこうなってしまえば、骨と皮だけだ。

目は落ち窪み、唇には皺がより、梅毒を持っていた者がいた為か、皮膚は爛れ髪も抜け落ちていた。

淫魔のロザリアに精を吸い取られ、抜け殻のようになっている。

ロザリアが消えた今、命を繋ぐことは難しいだろう。

改めて、人間というものの残酷さを痛感するエニシだった。

スピネルもミコトも口を噤んでしまっている。


「みんな、美人が悪いんだ!!妾の旦那を誘惑しては、のめり込ませ、旦那を家に帰らなくさせた。残された妾の惨めさや口惜しさを誰が分かろうか。愛する旦那に裏切られ、周囲からは醜女だ石女だと罵られる口惜しさがわかるか」

(美しい者が憎い、憎い、憎い、憎い)


床をドンドンと叩き血を滲ませる様は見ていて辛くなるばかりだ。

ミコトはここまでの激情を知らない、覚えていないと言った方が正しいかもしれない。


だが、誰かを本当に好いていて、その者に裏切られたなら、身を引き裂かれるような痛みがあるだろう事は痛いほどミコトにも理解できた。

ボニーのしてしまったことは取り返しがつかない事だが、ボニーもまた被害者なのだ。

ミコトは木の棒を下に置くと、後ろからそっとボニーを抱きしめ、頭を撫でた。


「!!」

「!」

「!」


意外すぎるミコトの行動に、エニシもスピネルもカイレンもぼうぜんとする。


「なんでそんなヤツを庇…」

カイレンの言葉をエニシが諌めた。


「…辛かったな。何故辛いと旦那に告げなかった。何故1人で抱え込んだのだ」


「ああぁぁ」

ミコトの言葉に、ボニーの顔からケンが取れ、子供のように泣き出した。




「ワシが悪かったんだ」

弱々しい声が、サーシャがいる方とは違う牢から聞こえた。


「ワシが、夜な夜な妓楼に通っていたことが間違いだった。子を孕めないボニーが周囲から責め立てられているのが哀れで、せめて子供をつれてこればと思ってしまった」

牢の中に繋がれていたのは、ボニーの旦那だったのだ。

目の前で馴染みの美女がぐちゃぐちゃにされていくところを見せつけられ続けていた。


何人もが目の前で生き絶えていく。

愛妾たちを目の前で慰みものにされたことで、旦那は己のしでかした心配の大きさに絶望した。


「決して、お前さんが嫌いなわけではなかったんだ。ただ、子が出来ないとあまりに嘆くお前から、逃げてしまった」

旦那の言葉に、ボニーは泣くばかりだ。


「何故話し合わなかった。想い人が他と肌を合わせているのを喜ぶ者がどこにいるのだ。お前はボニーが他の従者達とふしだらな関係に陥っていても平気だったのか。心は動かなかったのか。重苦しい自惚の強いこの女から逃げ出せてせいせいしただろう」


ミコトはあえて、心を抉るような酷い言いようをした。

酷い言い方をすることで、旦那の本心を聞かせてやりたかったのだ。


「そんなはずはない。愛した女だ。悔しくて仕方がなかったさ。…だが、先に裏切った私がそれを言えるはずはない。言う資格すらないんだ。…それを見せつけられる度、お前なんぞいらないと、言われているようで死にたかった」

牢から放たれる旦那の言葉に、ボニーは泣き崩れた。

ここまでの犠牲者が出たのだ。ボニー一族も無事ではいられないだろう。

ならば、せめて心の傷を抱えたままでは悲しすぎるとミコトは思ったのだ。


現場は静かすぎるほど静かになった。

スピネルがこの街の役人を呼びに行き、ミコトはサーシャを連れて、少女と片眼鏡のロジウムの元に向かう事になったのだ。


カイレンとエニシがその場に残される。



「いたたまれないなぁ…」

カイレンがポツリという。

「女好きもほどほどにしとけよ?いつか身を滅ぼすぞ?」


エニシがカイレンの腹に肘を入れる。

「ぐっ…エニシ…お前だって軽さじゃおれと変わらんだろーが」

「いーやいやいや…俺、悪さはいっぱいするけど、コッチはおとなしいもんよ。飲む打つまではしても買うはなぁ…」

まぁ、しなくてもいっぱい寄ってくるし?とエニシはドヤ顔をする。

実際は、初恋を拗らせていて、それどころではないのだが、エニシとしては、揶揄われるだけなので口には出さない。


「後味悪くてはしょーがねえーや」

「まぁまぁ、姫探しもふりだしに戻ったことだし、今日はとことん飲み明かそうぜ」

そういって、エニシはカイレンの肩を組んだ。




「サーシャ姐さま」

いささか丸くなったものの、元気そうなサーシャの顔を見るや否や、花売りの少女は商材を下ろして、サーシャに抱きついた。

「良かった。無事で本当には良かった」

エグエグと少女は泣き出してしまう。

「ありがとう。無事で戻れたのは、あなたのお守りのお陰に違いないわ」

他の人たちは全員、恐ろしい妖の力と香で狂ってしまったけれど、サーシャだけは正気を保っていられたのだとサーシャは告げる。


「確かに…そなたのおかげやもしれぬ。一緒に地下に潜った者は狂ってしまったが、身共は何故かなんともなかった」

ミコトは懐にいれた赤い花飾りに手を翳した。

神に祈りを捧げたその紙で作られた花によって、奇跡がおきたと信じるより他はない。


「日も暮れてきたし、送っていこう」

「ありがとう」 

少女が笑う。

心底ほっとしたように。

「あの片眼鏡の男の所へも顔を見せるか?」

ミコトがたずねれば、少女も行くべきだと頷いた。

「ロジウム、めちゃくちゃ心配してたよー?」

「…でも、私、こんなに見た目が変わってしまったから…」

サーシャがシュンとしながら下を向く。


ロジウムはいつも綺麗だ綺麗だと言ってサーシャを褒めていた。

それなのに、サーシャの姿は美女というよりは、小動物的な丸さを秘めた可愛い雰囲気に変わってしまっている。


「人は見た目ではないだろう」

ミコトの言葉に、少女とサーシャはため息をついた。

「それをお兄さんが言ったらだめでしょ」

「そうね。女性が羨ましくて歯噛みするくらいの外見ですもの」

サーシャまでが笑う。


少女を家に送り、サーシャをロジウムの元に送り届ける。

家が見えたあたりから、サーシャの顔が強張っていた。

外見が劣化してしまったサーシャなど興醒めだと言われるかもしれない。

恐怖でサーシャの指先が震える。

扉の外から、サーシャが声をかけた。

「ロジウム…私」



ドタドタ、ガラガラがっしゃんという音が市内に響く。

大慌てで出てきたロジウムは、草履を左右反対に履いていた。

ボニーの噂はロジウムだとて知らなかった訳ではないのだ。

こうして、五体満足で再会できるとは思わなかった。

ロジウムの頬に涙が伝う。



「ごめんね。こんなになっちゃってて」

泣き笑いでサーシャが言う。

「っ」

「みっともなくてゴメンなさい。こんな私だとがっかりさせてしまうかと思ったのだけど…」

「馬鹿がっ…外見なんて関係ない俺はお前が無事だっただけで十分だ…それより弱くてゴメン」

ギュっとサーシャを抱きしめながらロジウムが謝る。

「ずっと、あの家(ボニーの家)に来てくれたの聞こえてた。いつも私を探してくれって…」

「本当は俺自身が助けに行きたかった。でも俺調子が良いばっかで弱くて…」

「…十分だよ。ありがとうロジウム」

サーシャはおずおずとロジウムの背に手を回す。

夕暮れの中で抱き合う姿が美しすぎて、ミコトは眩しそうに目を細めた。






一件落着後。


ミコトは昨晩遅くに神殿から戻ってきたアンチュルピーを労い甲斐甲斐しく面倒を見ていた。

ミコトの膝の上で毛を櫛で解かしでもらい、気持ちよさそうだ。


スピネルはそれを見て、少し癒される。

膨大な書類を今晩中に仕上げて、翌日の朝にはアンチュルピーに持たせなくてはないないのだ。


アンチュルピーは神殿から戻ってくる際、バッグを斜めがけにしていた。

書類や物が送れるようにハルが持たせてくれたらしい。

報告書や請求書をそれに入れて折り返せるようにしてくれたようだ。

同封の手紙にはミコトの心配ばかりが書かれていて、スピネルの顔がピクリと引き攣った。


もしかしたら、送る側のことを考えてバッグにしたというより、ミコトにプレゼントを同封したかっただけかもしれないと思わず疑ってしまう。

業務連絡が2行程度なのに対して、4枚に跨って、綴られている。

ハルのミコトフリークっぷりにはスピネルも気付いてはいたが、ここまで酷かったのかと呆れてしまう。

ホンワカしていて、皆に平等に優しかったので、ハルは武官からも評判は良く。仕事もできるので尊敬されていた。

まぁ、小柄でコロコロしているからマスコット的に愛されている感じであるけれども。聖人君子で癒しの代名詞のようなハルが、ミコト一色になっている。


同封されているクッキーは手作りなのだそうだ。

多分、ミコトのことを思って作ったのであろうが、みんなで食べてねと書いてあった。

徹夜のお供にと一枚貰って食べてみれば、アーモンドプードルの匂いとバターの風味がちょうどよくて、疲れが飛ぶ気がした。

ミコトはといえば、アンチュルピーの頭を撫でて餌をやってと甲斐甲斐しく世話を焼いている。


一番最前線に潜入したのはミコトだ。

疲れているからと、2人について呑みに行こうとするのを止めて、休むように命令したのはスピネルだ。

エニシやカイレンもミコトが呑みに行くのは、駄目だといって保護者のように止めていた。

なんとなく酒場に連れて行ったら、面倒なことに巻き込まれそうな気しかしなかったのだろう。

まぁ、生真面目で融通のきかなさそうなミコトのことだ。

エニシとカイレンがハメを外すことを許さないこともまた2人にはわかっていた。

だから、ミコトがアンチュルピーに気を取られている隙に出かけていったのだ。



問題を避けるために2人で出かけたはずの2人が明け方すごすご帰ってきた。

…問題を抱えて。






酒を飲んで気が大きくなってしまったらしく、店にいたもの達に奢りまくった挙句、そこに居合わせたロジウムに上手い誘い文句で賭けに誘われたらしい。

ロジウムの調子の良いそれに乗ってしまったのだそうだ。

博打にうっかり手を出し、カモにされ大損して帰ってきたという。


しかも2人の給金だけでは足らず、借金までしたらしい。

取り立ての男まで連れて帰ってきたのだ。


ムッツリ不機嫌さをあらわにしたスピネルが仕方ないと本来旅用に用意されていた金で建て替えを行い、取り立ての男を帰したところだ。


「どうすんだよ。ここから。旅費がいきなり底をつくとか…」

スピネルが頭を抱えた。


2人には反省文を書かせ、スピネルも謝罪文と金子を無心する手紙を早々にしたためる。

布団にアンチュルピーを抱きながらミコトは寝転がり、うつらうつらしている。

そのミコトを起こさないようにしつつ、アンチュルピーだけ、引き抜き手紙を持たせた。

寝起きを起こされて若干ふて腐り気味のアンチュルピーの尻を叩き神殿に向かわせる。

歩くのは遅くとも飛ぶのは早い。一瞬で薄暗い空の中に消えていった。


アンチュルピーが神殿につくまで、そうは時間はかかるまい。

為替が両替所に届くまでの間、宿屋を引き払う事も出来なくなったので、滞在を延長する。

唯一、ミコトの給金があったので、手付分を渡して滞在を宿屋に許可してもらったのだ。


聖職者としての通行証がなければ放り出させていただろう。


猛省状態のエニシとカイレンは正座をさせられながら、永遠とスピネルからお説教を食らっている。




ミコトの給金を宿代の頭金にしてしまった為、残ったお金はといえば、せいぜい2日分程度の食事代くらいだった。

お金もないので、説教の邪魔になってはいけないと、ミコトはフラりと宿を出て散歩でもしようかと決め込んだ。

すると、賭け事で大勝ちしたロジウムがご機嫌に話しかけてくる。

「おや、ミコトじゃないか」

「ロジウム…随分ご機嫌な事だ。大層なご身分な事で、朝帰りか?」

「嫌味を言いなさんなって、賭け事は時の運っていうじゃねぇかぇ」

「サーシャが泣くぞ」

「いやいや、サイズが合わなくなっちまったから、サーシャの服を買ってやろうと思って、昨晩は勝負しにいってたんだ」

(やっと、サーシャに良い服が買ってやれる。)

どうやら、エニシとカイレンから巻き上げたお金をサーシャの為に使う気だったらしい。

ロジウムという男、明らかに人を騙す詐欺師のような悪い男の典型的なのだが、どこか憎めない。


「サーシャは、まっとうにお前が働いてくれる方が喜ぶのではないか?」

「痛いとこ突くなって…今後はちゃんとした仕事につくさ。それよりミコトは怒ったり取り戻そうとはしないのかぇ?仲間のお金だろ?」

少しだけ気まずそうに、ロジウムがしどろもどろになってつぶやいた。

「…あれは、2人が気を抜いて悪ノリした自業自得の勉強料だから、気にするな」

何も考えずに使った金子ならば、誰かのために使う方が金子も本望だろう。

ミコトは、当然とばかりに言い放つ。

「…ミコト。あんた良いやつだな…」

「褒めても何も出ぬぞ?身共に金子の無心をしても無駄だ。あいにく宿代を建て替えたので持ち合わせはほぼない」

ミコトは腕組みをしながら歩き始める。


「じゃあサーシャ助けてくれたお礼に何かミコトに奢らせてくれよ。好きそうな店があるなら連れてくよ?」

早足でミコトを追い抜いて回り込んだ。

「ならば、骨董屋を見てみたい」

ふと骨董品好きだと言っていたエニシの持ち物がミコトの頭をよぎった。

「わかった。俺も行くところだったからちょうど良いや」

ロジウムに連れてこられたのは、骨董品や舶来品などが置かれた店だ。

サーシャの衣類を選びにロジウムが店の奥に行ったので、ミコトはゆったり店内を歩き始めた。

調度品などがこの街のものではない。

蔦や花などを模した銀細工などは一見の価値がある。

時間の流れを感じる古き良き道具があるかと思えば、新品の異国の輸入品まで取り揃えられているのだ。

全世界、全時代、多種多様なるものが置かれていて、博物館か何かのように思えた。

なるほど、エニシが骨董を好むのもわかる気がする。

エニシの持ち物は凝ったものが多い。

懐中時計に、方位磁石、袋の中からチラッと見えたことのある天秤まで、全て良い味が出ている。

一つ一つのものを長く大切にするのだろう事が使い方からも分かった。

エニシという男は、軽薄な物言いは人を軽く見下して小馬鹿にしているようで。

ミコトの癪に触るが、根は悪いわけではないだろう。金子の持ち合わせがあれば、エニシへの土産に何かと思ったが、サーシャへの物を買おうとしているロジウムの懐をあてにするわけにはいかなかった。


「ミコトは何買うか決まったか?なんでも良いぜ?」

腕いっぱいに、サーシャの衣類や装飾品を持ったロジウムが戻ってくる。

「ふむ…」

あたり一面を見回し、ミコトの目が一冊の本に止まった。

古い羊皮紙貼の本だ。本には占いのやり方が書いてあるようだ。

厚みのある、ミコトはその本をペラペラとめくってみる。

人相から手相で相手の性格が分かるというのだ。

ミコトが人の心を覗けることをエニシやカイレンが知っていたら、買う意味ないだろうと突っ込む事は間違いなしだ。

だが、ミコトは星回り、気周りによって人の運勢がわかる事に戦慄した。


「えぇぇ、ミコト?その本なんかで良いの?」

「ああ、これを所望する」

ただ同然の物を選ぶミコトを見て、ロジウムは呆れ返る。

人が良すぎるだろう。

普通ならばミコトの仲間から奪ったお金で何か買ってやると言われたら、その金を取り返そうとして、少しでも高い物を買うだろう。

他で換金し、お金を取り戻そうとするかと思っていた。

それなのに、ミコトが選んだのは、怪しげな古い本一冊だ。

「わかった。買ってくるから待っててな?」

「感謝する」

ロジウムはいっそミコトが心配になってくる。

詐欺師まがいに金を稼ぐロジウムに、本一冊を買ってやるだけで感謝すると言うのだ。

ここまで馬鹿正直だと、いっそ騙す気にはならなくなる。

守ってやらなくてはとさえ、思わせる不思議な人だとロジウムは思う。


澄んだ視線は真っ直ぐ前を見て、揺るぎがない。

サーシャを助け出す機転と賢さと優しさを持ち合わせているというのに、態度や言葉遣いは堅く、顔の美麗さも相まって全てがアンバランスだ。

不思議な人だと改めてミコトを見て、会計を済ませた本を渡すと、ロジウムはサーシャの元へたくさんの贈り物を持って小走りで駆けて行った。




「ロジウムに会っただと?あーくそっ。あのヤロー、目の前に来たらギッタンギッタンのバッタンバッタンにしてやるってのに」

宿に戻るや否やカイレンが歯軋りする勢いで怒り狂った。


「出先でばったり顔を合わせただけだ」

ミコトが淡々と状況を説明する。

「あいつ、口上手いっしょ?騙されたりしなかった?知らない人について行っては駄目なんだよ?」

幼児を宥めるような言い方でエニシがミコトの両肩を掴んだ。

「ロジウムは人を騙したりするような輩ではない」

善悪の判断もつかぬ子供のような扱いをされるのは納得がいかなかった。

ミコトはミコトなりに考えて行動しているつもりだからだ。

「や、俺…騙されたんですけど?カイレンにおいては2度も」

「…」

確かにそうなのだが、悪人かと言われるとそれは違うと反論をしたいのに、適当な言葉が見つからず、ミコトは眉間に皺を寄せる。

「エニシの言うとおりだ。ロジウムのヤロウ、調子だけは良いからな。人を褒めてその気にさせて利用してきやがる」

腕を組んだカイレンが大きく頷いた。

「…ロジウムを善人だと思っているだけで、既にロジウムの術中にハマってるって…」

エニシがカイレンに同意する。

ミコトは二人に責められ、ギュっと手を握りしめた。

感情を抑えているようだ。

唇を噛み締めるミコトの姿を見て、いち早く冷静になったのはカイレンだった。


「や、さ…これでも、心配してんだって」

カイレンが、ミコトの表情の変化に気付いて、慌ててフォローに入る。

一見、この中で一番感情的になりそうなカイレンだが、それだけに人の心の動きにも敏感だった。

そもそも、カイレンとエニシがロジウムに乗せられ騙されなければ、ミコトの給金まで借りる羽目になっていないことに気付いたからだ。

これ以上ミコトを責めるような言い方は筋違いだとカイレンは思った。

だが、エニシは違うようだ。

ミコトの意識が、ロジウムを肯定する事が既に許せないらしい。

誰彼にでも愛想が良い。如才なく人間関係をしているというのがカイレンから見たエニシという男へ持つイメージだった。

エニシが部下の誰かを、リラックスさせる目的で揶揄っているところは神殿で何度も見た事はあるが、頭から叱りつけたり、苛立ちや不満を誰かに見せた事は一度もなかった。

人には人の正義がある事を理解し、許容する器がある男なのだ。

それが今はどうだろう。

ミコトに対して珍しく、苛立ちや感情を表に出している。

エニシの意外な一面を見た。

カイレンは珍しいものを見る目で二人のやりとりを見守る事にする。

スピネルも随分前から傍観者を決め込んでいるらしい。

カイレンだけでなくスピネルもエニシの意外な一面に驚いているようだ。



「ミコトはさぁ、強いよ?ぶっちゃけ最強だって自負してる俺にすら勝つんだ。強いのは知ってる。でもさ、世の中には弱くても、狡くて悪い奴なんてゴロゴロいるんだって…絶対騙される。ミコトは危ういフェロモン出てるから、強くても危ないって言ってんの」


エニシ(クロノス)が苛立って饒舌になって他人を責めているところなど、スピネル(ルミナス)は冥神界にいた頃から一度も見た事なかった。

誰が騙されようが、眉一つ動かさなかった筈だ。

騙すも騙されるも自業自得で、忠告すらしなかった。

ただ冷静にその人間の善悪を判断し、悪ならば断罪する。

それが冥神界の大神としての仕事だからだ。

良く言えば誰にも公平に、悪く言えば

誰にも興味がない。

誰も内側に入れる事のないエニシ(クロノス)が、ミコトのことになると、明らかに、ムキになっている。

すぐ人を信じてしまうミコトを心配しているのは伝わってくるが、エニシ(クロノス)の言葉にはロジウムに対する嫉妬のようなものを感じるとスピネルは気付いた。

ミコトはミコトでロジウムという男を悪人にはできないという強い意志が働いているようだ。何が根拠で信じるに至ったかを言葉が足りないのかミコトも説明が出来ていない。

いつのタイミングで仲裁に入れば良いのかと、スピネルは内心で頭を抱えた。


「少なくとも、身共は金を騙し取られてはいない。この本は、サーシャを助けた礼にロジウムが買ってくれたものだ」

「…その本、あいつ(ロジウム)に買ってもらったんだ」


さらにエニシ(クロノス)の声が低く不機嫌になる。


何故、エニシの気に入らない相手ロジウムから、物を貰うほどに仲良くなっているのかと、言わんばかりだ。

完全に拗ねているようにしかスピネルには見えなくなってくる。

どうにもミコトへの執着心がおかしい感じになってきている気がしてならないスピネルがいた。

負けた事のないエニシ(クロノス)が負けた事が原因だろうか。

ミコトはといえば、どうしたものかと途方に暮れているようだ。


「三軒先にある骨董屋で売っていたのだ。エニシは骨董品が好きだろう?どんなものか見に行こうと思ったのだ」

「へ?」

エニシ(クロノス)の好みに触れられ、調子が狂ったのかエニシ(クロノス)が間抜けな声を出す。

好みを把握して貰えていた事が嬉しかったのか、エニシ(クロノス)の不機嫌さが少し払拭される。

「エニシの好きそうなものが沢山あったのだが…持ち合わせがないので買う事が出来なかったのだ。気が効かなくてすまない」

「いや、それは全然いいんだけど」

何に苛立っていたのか分からなくなったらしくエニシ(クロノス)がしどろもどろになっている。


「なんでも買ってやるとロジウムに言われたので、負担のないものをと、つい本を買ってもらってしまった。皆で助けたというのに身共のものを選んでしまって申し訳なかった」

シュンとあきらかに萎れてしまったミコトを前に、エニシはあたふたしている。

誰かに振り回されている姿が新鮮すぎて、スピネルはクスクスと気取られないように笑った。

「いや、そうじゃなくて、騙されてミコトが傷付くのが嫌だから注意しただけで…」

普段冷徹と言われているエニシ(クロノス)からは信じられない動揺っぷりだ。


「はいはい。その辺にしときなお前ら」

スピネルが両手を叩いて、2人の間に入ったのは、エニシの動揺を充分堪能してからのことだった。







「なんでハルがここ(宿)にいんだよ」

カイレンが神殿にいる筈の高位の神官であるハルの姿を見つけて、素っ頓狂な声をあげた。

その声に反応するように、ハルがこちらをチラリと見て、大袈裟にため息をつく。

今回の事件の顛末を記した報告書を読んだのだろう。

カイレンを見る目がジトーっという目になっている。

アンチュルピーが戻ってくるかもしれないからと、スピネルから留守番を言いつかったカイレンは、水でも飲もうかと宿の一階に降りたところだ。

エニシとスピネルは、先日の事件の報告を役人にするからと出掛けている。

ミコトは骨董屋で買ってもらった占いの本を熟読中だ。

カイレンとしてはすることもなくなり何をして暇を潰そうかと思案していたところに、アンチュルピーを抱えたハルの登場である。

ハルは宿屋の主人に、カイレン達が払えなくなった宿代を納めていた。

カイレンを指差して、何度も頭を下げている。

手招きされたので、ハルの方に行けば、背伸びしてカイレンの頭を下げさせられた。



「まーったく、君ときたら」

階段を登りながら、ハルが小言を言いはじめた。服を着ていれば羽つきのパンダのぬいぐるみにしか見えない。しかも小さくて丸っこいハルが抱いていると、しっくりきすぎて、思わず笑ってしまう。


「何を笑ってるのさ。君が先走ったことで早速ミコトを危険な目に合わしたんだって?それだけでも万死に値するんだからね」

「あー…はいはい。オレがワルカッタデス」

カイレンがふて腐りなが、渋々あやまった。

「ハイは一回」

ピシャリとハルが言い切る。

「…はい」

コワモテのカイレンも、ハルにかかると形無しだ。


「そういえば、ミコト。今回棒切れで戦ったんだって?」

「あ、そうだったかもしれねぇ」

カイレンは普段は懐に鉄扇を仕舞い込んでいるし、宿には剣も持参している。

スピネルもカイレンも普段から剣は腰に刺していた。

が、思い返してみると、ミコトは何も身につけてはいない。

「買ってあげなきゃ。ミコト元気かなぁ」

先ほどまで、エニシとやり合っていたのだから、機嫌がいい筈はないが、黙っておく事にした。

ハルは、ミコトに合うのが待ちきれないのか、ご機嫌にスキップして上がっていく。

運動神経が怪しいハルが平気だろうかとカイレンが思っていたら、案の定だった。


部屋に入る際に、ハルは大荷物をほったらかして出ていったエニシの荷物を蹴散らかし、盛大に転んだ。

ガラガラいう音で顔を上げたミコトがハルを視認して、少しホッとしたよつに顔を綻ばせたあとで、大丈夫かと声をかけている。

その後であたりに散らばった荷物を片付ける為に本を置いて、エニシの散らばった荷物を戻す為に立ち上がった。


転がったハルは、転がったアンチュルピーを抱き起こしにいっている。

カイレンは、散乱しすぎていて、部屋に入れずに立ち止まった。


ミコトは、一つずつ、エニシの荷物を片付けていく。

とても凝った造りの天秤を手に取れば、右側に傾いたきり動かない。


まずい、壊れたかもしれない。

きっと物凄く高いものに違いなかろう。


そう思ったミコトは、その旨をハルに伝えた。

丁寧に天秤をハルに渡す。

ハルがそれを受け取ると、天秤はユラユラと動き、若干右側に傾き気味ではあるけれども、調整すれば治る程度だろうと判断して、ミコトの手から袋に戻した。


鍋に、箸に、水筒に…と拾っていったところ、ミコトは袋に入る大きさの剣を見つけ、目を見開く。

その剣の形が、ミコトが持っているものと酷似していたからだ。


エニシの所持している剣は、ボンメル、グリップ、ガード、ブレードに至るまでミコトの所持品の剣と同じような造りだった。

ただ一箇所違うといえび、ガード部分に飾られている宝石が黒になっているところか。

ミコトのものは透明だ。

ミコトの心臓がドクリと脈打つ。


夢の中で、ミコトに剣をくれた者がいた。

その主なのだろうか。


曖昧な夢だ。現実である可能性は低いだろう。

たまたま、似たようなものを持っていただけだ。

そうミコトは己に言い聞かせ、剣を袋の中にそっと戻した。



「全く、エニシに片付け指導しなきゃ」

ハルが詰め終わった荷物を部屋の脇に移動させる。

非力なのか、持ち上げるというよりは引き摺っているという表現が正しい。 

「見てないでカイレンも手伝って」

「ったくしょうがねぇなぁ」

ヒョイっと片手で持つと、カイレンが荷物を部屋の脇に寄せた。


「ミコト、元気そうで良かったぁ」

ひと段落し、改めてハルがミコトに抱きつきに行く。

ミコトも構えることなく、背中をポンポンと軽く叩いて返している。

「ああ」

「聞いたよ。危なかったって」

「任務だから想定内だ…」

ふわりとミコトの表情が緩んだ。


カイレンは、ハルが親鳥かなんかだとミコトは勘違いしてそうだと苦笑いした。

ちょっと、ハルが羨ましく感じ、ミコトに懐かれてみたいと思ったのは秘密にしておこう。


「カイレンも無事で良かった」

ミコトがカイレンも招き入れれば、ハルも、カイレンの手を引っ張った。

2人から背中をポンポンされ、カイレンの顔が僅かに赤らむ。

子供じゃないんだから、離せってと言っても、動くことはせずカイレンはされるがままになっていた。


「それにしても、本当…みんな無事でよかったよー。あんまり心配で、部下に仕事引き継ぎしてついていくことにしちゃった!!」

「なっ!!!」

カイレンが声をあげる。

ミコトも目を見開いた。


「お前、本気か?結構物騒な旅なんだぞ?お前ほど武道から離れている奴、探す方が大変なくらいじゃねーか…」

「酷いなぁ…でも、僕みたいなしっかり者がいないと、今回みたいな事になるでしょ?」

ハルが言い切る。


「だが、野盗に襲われたらどうすんだよ。お前自衛できなくないか?」

「…ゔ」

痛いところを突っ込まれ、ハルは口籠った。確かにそう言った意味ならばハルは足手纏いでしかないだろう。

だが、金計算、事務、家事一般を何でもこなせ、纏められる者が4人の中にいるかと言われたら、あやしいものがある。

スピネルはしっかり者で何でも出来るが、負担が凄そうだ。

「金持ってきてくれたのは助かったがよー、お前高官だろ?仕事もあるんだろうが」

カイレンは、渋い顔をしている。

「ミコトはどう思う?帰った方が良い?僕」

上目遣いでウルウルさせながら、ハルがミコトに判断を委ねた。

「神殿の仕事が代理の者で回るのなら、いてくれると、助かる…と思う」

ミコトは、ハルの懇願に弱い。

ハルを危険に晒す事になると分かっていながら、同行する事を賛同してしまう。


「ミコトー好き好き大好きだー」

ハルはここぞとばかりにギュっとミコトに抱きついた。







《魔界》



役人に報告だと言って宿を出たエニシ(クロノス)とスピネル(ルミナス)は軽く役人に説明した(洗脳した)あと、魔界に来ていた。


今回のロザリアの件を魔王アンデシンに忠告するためである。


黒ずくめのシャープな服装に、金の装飾をつけたクロノスが、何か仕掛けてきたら殺すぞという殺気を含ませながら、魔界王宮への道を歩く。


流石に敵認識され刺客をひっきりなしに送られている総本山に乗り込んでいるだけに、いつもは放置し、クロノスが片付けていくのを傍観しているルミナスもここに来る時には気を引き締めている。


低級の魔物達は、半径30間(約50m)には近付いてもこない。


淫魔達は、クロノスの圧倒的で鋭い美しさにうずいてはいそうだが、やはり近づく事はできないようだ。


案内に訪れたアンデシンの侍女の出迎えも、けんもほろろにつき返した。

何度も来ている。

案内不要と告げただけだ。


中級の魔族は、一眼見てやろうと半径15間(約25m)あたりまで様子見にきている。

自信家で血気盛んな中級魔族は、分からぬように、呪文をかけようとしてくる者も出てくるのだ。


その都度、クロノスは指一本で眉一つ動かすことなく、呪文を呪者に跳ね返している。


理由も向上もなしに攻撃すれば、魔界と冥神界のバランスが崩れるからだ。

考えなしに攻撃した者は、魔王のアンデシンから酷い扱いを受けるだろう。


そんなことは自業自得だと言わんばかりに、指揮者にでもなるかのように、煩わしいもの達に呪詛返しをしながら歩いていく。

鮮やかな術捌きだと毎回ルミナスは感心してしまう。

怒るでもなく淡々と。

息をする程の労力も胆力も使ってはいない。

厳然とした振る舞いは、さすが最強にひて最恐、最凶といわれる大神だ。



上級の魔族達は一変し、表向きは神界と同じような丁寧な出迎えをしてくる。

皆が道の両端にはけ、頭を下げているのだ。

頭も備わっている、彼、彼女たちは誰も無駄な戦いを挑む者などいない。

相手の強さがわかるから、上級なのだ。

アンデシンの命令が下らぬ限りは、極めて紳士的だった。

その道を毅然として歩くクロノスを見やる。


先ほど俗界にいたエニシ姿のクロノスのらしくなさが目に焼き付いて、そのギャップに苦笑したくもなるのだが、ルミナスはいつもと全く変わらないクロノスを目の当たりにして、ホッと息を吐いた。





「元気そうでなによりだね」

王座に座ったままのアンデシンが嫣然と微笑む。

刺客を送ったことなどまるで知らぬ顔だ。

「アンデシン殿もご健勝で」

頭を下げることなく不適な笑みを浮かべ、クロノスは返した。

こちらも、まるで何のトラブルもなかったかのような顔だ。

スピネルは傍で片膝をついて待つ。


「で、要件は何ですかな?」

黄色から赤に変化している髪色のアンデシンが髪を掻き上げた。

慇懃無礼な態度だが、クロノスは意に介していない。

「ロザリアの地上介入過多による忠告をと」

「1人の者の弱い心を揺さぶっただけだ。我々魔界の者にとっては、正しい行いだったと思うけど?」

アンデシンが、後ろに控えていたロザリアを招き入れた。

ロザリアは顔面蒼白だ。

床に手を付き震えている。


「確かに、1人の女を誑かした事は仕事の範疇といえよう。だが、他の者を魔力で支配し、精気を吸い取り殺害するのは違反ではないか?」

クロノスの言葉に、ロザリアの肩が揺れた。

このままでは、殺される。クロノスに殺されるか、アンデシンに殺されるか、相手が変わるだけではないかとロザリアは絶望した。


「ロザリアの話だと、魔力のこもった香を1人の女に渡しはしたが、使ったのはロザリアではないと申している。それを女が使い、そこから溢れた精気を吸った事が罪だと?」

「ターゲットではない人々の精気。殺すまで、吸う事が罪だと言っている」

スッと目を細めながら、クロノスが言い放った。

「了承した。ロザリアをどうしようか」

アンデシンは残酷な目をロザリアに向ける。


「ひっ…魔王様、お赦しください」

平伏して謝るも、アンデシンの赤い目が被れる事はない。

アンデシンの瞳は黄色みのかかった片方と赤色みがかった2色で構成されているオッドアイだ。

慈悲の心が勝てば両目が黄色く光るが、残酷な心に傾けば赤く光る。


「まだ、生きている者に精気を戻せ。殺してしまった分の精気分の魔力を剥ぎ取ることを命じる」

「あいわかった。そのようにしよう」

アンデシンがロザリアの前に移動すると、ロザリアの額に掌を翳した。

「あ、ぁぁ」

フラフラになるロザリアを前に、アンデシンは言い放つ。

「殺した人数分の日数の禁欲を命じようか」

「っっ」

淫魔のロザリアにとって精気は魔力を意味している。

禁欲する日数が多ければ多いほど弱くなるのだ。

ロザリアにとっての禁欲は、上級から中級。下手をしたら殺した人数によっては下級まで落ちる事になる。

絶望にロザリアは崩れ落ちた。


「処分の方はこれで良いかな?」

アンデシンが王座に戻り足を組んだ。

「確認した」

「ご用はそれだけかい?」

「貸し借りをする事が嫌なので、礼をいっておく。ミスラがいなくなった事、やり方はどうであれ教えてくれて助かったのは事実だ。感謝の意を述べさせてもらう」

クロノスはアンデシンに向かって静かに頭を下げる。

「一刻も早く見つかる事を祈っていよう」

そう言ったアンデシンの瞳は黄色く輝いていた。





次に特別捜査隊一行が向かったのは、東の海沿いの街だった。

広い砂浜と山の間の小さな街だが、海の幸、山の幸が豊富で栄えている。

食べ物が美味しそうだとウキウキしているハルの元にアンチュルピーが飛んできた。

定期的にアンチュルピーが神殿に行き、最新の情報を持って戻ってきている。

書類に目を通して、ハルは書類を荷物の袋に入れた。

「アンチュルはどのように身共達の位置を把握しているのだ?」

宿で派遣して、移動している場所に戻ってきたアンチュルピーの凄技にミコトは目を丸くしている。

「アンチュルピーは、基本このバングルをつけている人のところに向かって飛ぶんだ。アンチュルピーが声を覚えているような慣れた人なら口笛でもくるかもしれないケド」

ハルが左手首につけた銀色のバングルをかざしてみせた。

ボタンのような飾りを押すと綺麗な音が鳴り響く。

透明感がある心が澄んでいくような音色だ。

音叉のような道具で、魔などの邪を祓ったり出来るらしい。

山に反響され、心が洗われる。



「そうそう、ミコトの分もアンチュルピーに覚えさせて用意してきたんだよ」

ハルが荷物の中から、バングルをもう一つ取り出した。

こちらは金色のバングルだ。

凝った造りだった。ハルがミコトに似合いそうだからと値を張ったらしく繊細な装飾が見事だ。

一目で気に入って、ミコトは嬉しそうにソレを嵌めた。

「感謝する」

骨董品のような重厚感のあるものに惹かれつつあったミコトは何度もソレを目の前に持ってきては眺めている。

「えーーーミコトだけずるいっしょ!!」

エニシがミコトのバングルに反応した。

骨董好きなエニシなら、好みど真ん中といった所だろう。

だが、既にエニシの両手には金色のバングルが嵌められている。

「スピネルとエニシはつける場所がないじゃないか。」

ハルが一刀両断した。

確かにエニシだけでなく前を歩くスピネルの両手首にもシンプルな銀のバングルが嵌められている。

「ま、いっか。同じ金色だし。ミコトとお揃いみたいだろ?」

エニシがミコトの腕につけたバングルの横に自分のバングルを並べて見せた。


「そういえば、スピネル、いつから片眼鏡モノクルをつけ始めたんだ?ロジウムの影響か?」

バングルと揃いの銀色のモノクルを見て、相変わらず洒落者だとエニシが突っ込みを入れる。

「確かによく似合っている」

ミコトも頷いた。


「不思議だよな。ロジウムの野郎のモノクルは怪しさと胡散臭さしかなかったが、スピネルがつけると不思議と有識者っぷりが倍増して、まるで優秀な執事みたいだ」

カイレンが放ったなにげない言葉に、スピネルは目を見開いた。本来ならば冥神界ではクロノスであるエニシの執事に、ルミナスであるスピネルが仕えている状態を見事に言い当てている。


「そういうカイレンだって、かなり派手なことないか?」

スピネルがカイレンの首に巻かれているベルトのような飾りや片耳に付けられた耳飾りをさしていう。


「まあ、贈られたものはつけてやらなきゃな」

モテる身は辛いと言って、カイレンは豪快に笑った。


「それだけゴテゴテ飾がついてるんだ。カイレンは、バングルはいらないでしょ?」

ハルが言えば、みなが笑う。

「ああ、腕につけるのは、性に合わないし良いぜ?コレも重いしな」

カイレンが武器でもある鉄扇を肩に乗せた。

「そういうと思った。3人は口笛で呼べば、運が良ければ、アンチュルピーが来てくれるから」

「運ってw」

扱いが雑だといってエニシがゲラゲラ笑っている。

スピネルは先頭を歩きながら地図を開いて行き先の確認をしているようだ。

アンチュルピーは、相変わらずミコトがお気に入りで、頭の上に鎮座している。

「頭の良い子だ。アンチュル、これからもよろしく頼む」

「ワン」

アンチュルピーが嬉しそうに返事をした。なんだかこの、パンダもどきの鳥がエニシに対して優位さを誇示しているように感じて、エニシはムッと口をへの字に曲げた。


「まあ、ミコトがバングル持ってれば平気だろ。これから、俺ずっと一緒にいるわけだし?騙されそうって思ったんなら、ミコト責めずにそばにいて、俺が始終守ってやれば良い事だし?」

エニシがミコトの正面に回り込んで宣言する。お前なんか必要ないし?的な煽りの言葉にアンチュルピーがプイっとエニシから背中を向けた。


一方、ミコトはといえば、エニシの突然の台詞に顔には出ていないもののめちゃくちゃ戸惑っていた。

何故毎度毎度、女を口説くような言い方をエニシはするのだろうか。

元来人垂らし要素でもあるのかもしれないが、カイレンやスピネルにそういった態度をしているわけでもないだけにミコトとしては居た堪れない。

記憶がない事をハルのように知っているのであるならば、過保護になるのも頷けるのだが、エニシはその事をしらない筈だ。

だからこそナンパでもされているかのようで、ミコトにしてみたら座りが悪くて仕方ない。


「エニシ…身共は、守られるほど弱くはないのだが」

「まあまあ、ハルにもこっ酷くミコトを危ない目に合わすなって言われてるから、そこは流しとこ?」

エニシは悪気のなさそうな顔でニカっと笑った。





「で、ハル。今回はどんな任務なわけ?」


カイレンが、横を歩くハルに尋ねた。

ハルの後ろにはミコト、カイレンの後ろにはエニシが歩いている。

戦闘力0(ゼロ)のハルの安全を考えての事だ。

ハルは、荷物の中から書類を取り出しそれに目を通した。


「今回は、不思議な力を持った祈祷師がいるというんだ」

ハルの言葉にカイレンが片眉をしかめる。

「いかにも胡散臭ぇ」

カイレンの言葉をハルは手で遮って話を続けた。

「その人を頼った者は、家が繁栄したり、無くしものが出たりするらしい。病気平癒も可能なようなんだってさ」

ハルが言えば、エニシが顎に手を置いて神妙な顔をする。

「そんな事出来るのは、確かに人智を超えてるかもな」

頷きながら、スピネルを見れば、スピネルはモノクルの眼鏡の端をクイッと触った。

「確かに、人間の出来る域をこえているかもしれませんね」

いつもなら砕けた言葉を使っているスピネルが何故が執事のような言葉で答える。

「なんだよ。その言葉遣い…」

まるで冥神界で他の界の存在に接している時のような堅い話し方に、エニシが口角を上げた。

「この眼鏡だとこちらの話し方の方がしっくりくるかと思いまして…ま、引率者としては一人くらいはしっかりしている者がいた方が何かとスムーズに進むかと判断した次第です」

スピネルは、その場にいる全員に視線を配って頷く。


ハルは、しっかりはしていても見た目が少年のようだし。

ミコトは、一見しっかりしていえ強そうでもあるが、見た目の美しさから、無自覚に人を惹きつけてしまっているし。

カイレン、エニシに至っては、トラブルを誘発する元凶でしかない。


「僕がもう少し、しっかりして見えれば良いのだけど…スピネルには苦労をかけるね」

1番の上司であるハルがスピネルを労った。


「悪かったな。トラブルが服着て歩いてて。で、そいつが、探してる姫だっていうのか?」

旗色の悪くなったカイレンが、話を戻す。


「さぁ…そのあたりはまだなんとも言えないけど。祈祷師なら、姫ではなかったとしても何らかのヒントは貰えるかな…と思ってね」

ハルが書類を荷物の中に戻した。

占いに興味津々なミコトは目を輝かせる。


「身共もそこにいくべきだと思うぞ。何なら数日滞在し、その者から学びたいものだ」

いつもの無表情に変わりはないが、空気からイキイキした覇気のようなものが伝わってくる。

それは、話す言葉の速さであったり滑舌の違いであろうか。

ミコトの機嫌が良いのは、エニシとしても喜ばしい事なのだが、嫌な予感しかしない。


「…危険な匂いしかしないっしょ」

あちゃーと顔に手を当てて、エニシは盛大にため息をついた。



街に入るまでは何もない草原が続いている。道はかろうじて整備されているものの、日が暮れてしまうと街頭も灯籠もない道だ。

日が落ちるまではまだ時はあるものの、旅籠のある街中まではまだ少し距離がある。

見回したところで、草原の先には数軒ずつ家のような建物が点在しているだけで、他にはなにもない。

一行が向かう草原の道の先には、小さな田畑が目の前には広がっていた。

町外れの田舎といった印象だ。

各国ごとに配置されている関所は、神殿の者だという証である紋を翳せば、何時でも特別に通ることは出来るのが不幸中の幸いだが、それでも寝る場所は確保したい。

急がねばならないとスピネルが判断し、皆を急かした。

人間界における、神殿は人間にとって特別なもので、各国共通の存在らしく、神の使いだと崇め奉られる事はあっても、邪険にされる事はない。

だが、立場に甘えるのを皆が皆よしとしないため、関所以外では、それをかざすことはなかった。

合流した当初は神官姿だったハルも、着替えて普通の町人の格好をしている。

そのせいか、どこか幼く映りスピネルは苦笑いを浮かべた。




「もう、ムリ…歩けない」

弱音を吐くハルに、隣を歩くカイレンは気合いが足りんとばかりに軽く背中を叩く。

鍛えている他の4人は平然としたものである。


「運動不足だろ。あきらかに。神殿から出た事もない奴が、いきなり旅になんか加わるからだ」

カイレンの発するド正論に、グッとハルは喉を詰まらせた。

「ああ、わかってるよ。でもお腹が減って動けないんだ」

ハルの言葉に、スピネルが歩みを止める。

そしてぐるりと周りを見渡した。

「あそこに、茶屋があるから一休みとするとしますか」スピネルは茶屋を指差し、皆を促す。


「やったー」

ハルはピョンピョン跳ねる。

「お前…疲れたっていうより、腹が減ってただけかよ」

カイレンが呆れたように笑った。

ミコトはそれを微笑ましげに眺めている。

エニシはそんなミコトの穏やかな顔に魅入っていた。

昼下がりの旅路はほがらかに、草木が風に揺れる匂いを運んでくれている。




「この辺りに、すごい易者がいるという噂を聞いたのですが、聞き及んでいますか?」

立ち寄った茶屋で、店の主人に噂の占い師の話をスピネルが尋ねた。


「そりゃ、コダマ様のことやね。有名じゃよ」

人の良さそうな茶店の主人が白髭をいじりながらウンウンと頷いている。

「それ程、優秀な御仁なのか?」

ミコトは食いつく。

いつもの冷めた雰囲気とは違い、表情には出さなくてもキラキラと輝いた瞳が雄弁に物語っている。

エニシはミコトのその無防備な姿に天を仰いだ。


「この前なんぞ、コダマ様の言うことを聞いて、床の下を掘ったら金銀がザクザク出てきたそうだ。町外れの庄屋の息子は、医者になるための試験の山を張ってもらったらピッタリ当てなさったらしい」

「ほぅ、それは凄い」

素直に褒めるミコトとは置いておいて、エニシ、スピネル、カイレンなどは怪しい…と始めから疑ってかかっている。

茶を啜る3人の顔は完全に白けていた。


何でも、占ってもらう為の金子がものすごく、街の人々の2ヶ月分ほどの給金が必要だというのだ。

それゆえに占って貰えている人は限られているらしい。

庄屋、地主、裕福な商家、城に仕える役人や、神殿に仕える者くらいに限られている。


「どこに行けば、占ってもらえるのだ?」

いつもより饒舌なミコトが店主に訊ねた。出されたみたらし団子にも手をつけず、話に夢中になっているミコトにハルがミコトの分の団子も食べて良いかと強請る。

ミコトは皿をハルに渡しながら、店主の答えを待った。タレを顔につけたハルが嬉しそうに満面の笑みを浮かべて、ミコトの分の団子に食らいつく。


「あのお山の中腹に旗が立っているだろう?あそこの祠じゃ」

「情報提供感謝する」

ミコトはすくっと立つと、1人で歩き出そうとする。

皆が慌てて、串を食い、茶を飲み尽くして立ち上がった。

「ミコト、待ってよー」

ハルが小走りで走って追いつく。


エニシとカイレンは2人で顔を見合わせた。

「いよいよ胡散臭いよなw」

エニシはチラリと街道沿いに潜むヤクザ者風の治安の良くない男衆と、ナヨナヨした若旦那風の男が話しているのを視界に捉える。

「金の匂いがプンプンするな…占いなんか眉唾に決まってんだろうが、なんで占いなんかにハマってんだミコトのバカは」

カイレンも同じ方向を見て舌打ちした。

ヤクザ風の男が脇道に逸れて走っていく。

ナヨナヨした男が素知らぬ顔で、カイレン、エニシ、スピネルの前を歩き始めた。



少し先を歩いていたミコトとハルは、年頃の娘がタチの悪いヤクザ者たちに囲まれているのを目の当たりにする。

ヤクザ者は嫌がる娘を草むらに連れ込み悪戯をしようとしていた。


「誰か助けっ、嫌…離して、離してください」

それを見て、ミコトが小走りでその娘の元へ走り寄る。

「ハルはエニシ達に連絡を…身共はあの者を助けるゆえ」

「わかった。すぐ、呼んでくるから、ミコトもムリしないでよ?」 

ハルが茶屋のほうにむかって走り出した。

連絡をとりに行く途中で、ナヨナヨした若旦那みたいな男が舌打ちするのが聞こえたが、ハルはそんな事よりもミコトが怪我でもしたら大変だとばかりにエニシ達に駆け寄った。



遠くから、様子を見ていたエニシとカイレンとスピネルは、同時に溜息をつく。


「全く、世話が焼ける」

エニシが、荷物をスピネルに預けて、ハルがエニシ達の元に着くよりも先に駆け出した。


「早く行ってあげて、ミコト丸腰で助けに入っちゃったから」

ハルが膝に手を付き、必死で息を整える。


「俺とスピネルは、あの男を捕まえて、ことの次第を聞いてくるわ」

カイレンが、先ほどまで前を歩いていた筈のナヨナヨした若旦那風の男が一転身を翻しコチラに追い越し不機嫌なそぶりで、反対側に歩いて行くのを確認して、腕まくりをした。


スピネルは茶屋の人にお代を支払った後、カイレンについていく。

その際エニシの荷物をハルに託した。

皆が臨機応変に動く速度についていけないハルは、途方に暮れる。

どちらについて行ったら良いか分からなくなったハルは、皆の荷物を持ちながらトホホな気分で、ミコト達の元に、とぼとぼと足を向けた。



「貴様ら、嫌がっているだろう。離してやるがいい」

ミコトが低い声でヤクザ者たちに声をかければ、ヤクザ者達は一瞬戸惑いを顔に浮かべた。

話が違うとでも言いたげだ。

「色男が気取ってんじゃねーよ」

1人が我を取り戻して啖呵を切れば、その瞬間ヤクザ者達がみな臨戦態勢に入った。

ミコトは男達から娘を取り戻し、背中に隠す。

娘を庇いながらで10人からなる屈強な男達を丸腰で闘えるだろうかと、一瞬迷うも、拳法の構えをみせた。


剣の方が得意だが、記憶はなくても体が覚えているのか、意外にも動けることがわかった。


一人、二人と急所に一撃ずつ入れて行く。

半分まで倒したところで、エニシが合流する。


「お前、持ってないだろ?」

そう言ってエニシは腰にさしてある剣を抜いてミコトに投げてよこした。


「これを身共によこして、エニシお前は?どうするのだ」

「や、俺?俺は剣と素手の差がないから、俺よりミコトが剣を使った方が効率いいっしょ。俺は素手でもイケるクチなのよん」


エニシはそういうと、目が良いのか、360度敵がどこにいるかを察知出来るらしく、無駄な動きを一つとしてすることなく、あっという間に残りのヤクザ達を倒していく。

鮮やかな手捌き、足捌きで、思わずミコトの目が釘付けになる。


なんという強さだろう。

楽しむくらいの余裕あるのか、ミコトの方を見て笑う余裕がある。


試験ではエニシが本気でなかった上に隙があったことで、一度だけ勝つことができたとはいえ、実践でとなると明らかに強さの質が違う。

顔は笑っているというのに隙の一つもありはしない。


効率を考えたら、エニシよりもミコトが剣を使った方がと言ってのけるエニシの言い方は優しさが込められた言葉だ。


2話

ミコトの武道の力が劣っているというわけではなく、剣が勝っているからと剣を投げて寄越した。

それは、エニシ自身よりもミコトの安全を優先させつつ、ミコトのプライドを傷つけないようにできる度量の広さを表している。

粋な気遣いに感謝と少しの羨望がミコトに生まれた。

エニシの軽いもの言いは、軽薄な人間という認識だったが、それが間違っている事に、ミコトは気付いた。

エニシはただ軽薄な男なわけではない。相手を傷付けず不快にさせないための思慮深さを持ち合わせている。

人間自体の度量が広く、余裕があるからとれる気遣いなのだ。


認めたくなくて、素直な態度が取れなかったのだとミコト自身は気付いてしまう。

融通が効かず、頑なになってしまうミコトは、エニシの柔軟性を眩しく感じた。



エニシは、剣を持ったミコトの無駄のない動きに、目を奪われる。

派手な動きをする、エニシの剣とは対照的だ。

舞を舞うようなという表現をされる事が多い派手なエニシの剣とは、真逆の剣で、エニシの剣が動だとするならば、静という表現が正しく、恐ろしいほど美しい。

力感のない無駄のない動きと、鋭さを持っている。

真っ直ぐで純粋なミコトの内面から滲み出る清廉さを映しているようだ。

ミコトに拳で戦わせる事をエニシが善としなかったのは、綺麗な手を悪人に直接触れさせたくなかったからで、強さに問題があったわけではない。

思わず剣を投げていたのだ。



エニシが負けた相手だからか、何故かミコトから目が離せない。

誰彼、おせっかいをするわけでないのだ。

冥神界の大神クロノスとしてエニシが接するのならば、事の成り行き、善悪を見極める為、基本は高みの見物を決め込んでいる。

いっそ冷酷無慈悲だ。

人に執着しない。興味を持たないと評される方が多い。

人間界でエニシとしている時の方が、人当たりはかなり丸いが、それでも人を心の内側に入れることは一度もなかった。


だが、ミコトが茶屋を出て、ヤクザ供がそちらに向かったと分かった瞬間、普段の冷静さはどこかに消えてしまっていたのだ。

反射的に追いかけていた。

エニシは、明らかにいつもと違う行動を取っている己に気付いて自嘲する。

その反面、後ろを預けて闘える心地よさに気付いて、戦いながら顔を緩めた。

ミコトに剣を持たせてしまえば、鬼に金棒といった所だ。

エニシとの連携も手伝って数秒の間もかからずヤクザ者達は地面に平伏した。




「大丈夫か?」

ミコトが、娘の衣服の埃を払ってやると、娘は頬を赤らめた。


無理もない。

絵巻物から飛び出してきたような、美麗さを持つミコトに手を取られ起こされたのだ。


「大丈夫です。…あの、お名前は」

明らかに、ミコトに惚れたのがエニシの目にもあきらがだった。

ピクリとエニシの眉が動く。

「名乗るような者ではないゆえ」

一礼し、エニシの方に来ようとするミコトを娘がミコトの袖を持って止める。

「私、ユキっていいます。助けてくださってありがとうございました。このまま貴方様を帰しては、両親に叱られます」

この出会いを無駄にしてなるものかというユキの下心が透けて見えて、エニシはムっと口を尖らせた。

「や、だが…」

ミコトはどうしたものかと途方に暮れる。

「見れば旅のお方ですよね?よろしければ我が家に…」

中々、積極的な娘なようで、ミコトが頷くまで、放す気はないらしい。

エニシの方には視線もくれずといった感じだ。

あきらかにエニシに意識が向いてないことが分かり、エニシは、ユキの露骨さに苦笑する。

今は人間の姿をしてきても、本来ならば多くの者から視線を集める立場なのだ。冥神界の王クロノスであるエニシとしては、たかが一街娘の視界にも入っていない事が一層新鮮だ。


ミコトは、困ったような顔でエニシに助けを求めた。


「まぁまぁ、お嬢さん。ミコトも困ってるし、他にも同行してる奴らもいるからさ」

エニシがしょうがないなとばかりに2人の間に入る。

ミコトに頼られた事が嬉しくて仕方がない。


ユキが、初めてエニシを視界に入れる。


「このお方はミコト様というんですね!では、あなたもご一緒に是非我が家までどうぞ」

ミコトは様付けで、エニシは名前を聞かれることなくあなた呼ばわりだ。

露骨だなと、吹き出してしまう。ここまでないがしろにされたことなど一度もありはしない。


「いや、俺だけでもないんだわ…」

エニシはチラリと道の向こうに視線をやれば、息を切らしながら大荷物を持って歩いてくるハルの姿を目に止めた。

荷物を運ぶ手助けをするために、エニシはハルの元に移動し事の顛末を話してきかせる。


ミコトにべったりとくっつく娘を見て、ハルは猫ならば毛を逆立てているだろう姿で叫んだ。


「…あれ、何?何なの?ミコトにべーったりして。発情期の雌猫なの?」

言い得て妙だがハルは的確に娘を表現した。


「まぁ、アレだ。元々ミコトの外見に吊り橋効果も手伝ってってやつだろ」

「ダメダメダメ、絶対そばにいなきゃダメだ」

ハルは矢立を取り出し、3人で娘の家に向かう顛末を書類にしたため、アンチュルピーに持たせて、スピネルの元に向かわせる。

そして、ミコトとユキの間に入り、ハルはニッコリと告げた。


「こちらは、エニシで、僕はハル。よろしくね!」

「いえいえ、お気になさらずに、お供の方が何人いても大丈夫ですわ。ミコト様には感謝してもしきれませんもの」

お供扱いかよw…とエニシが吹き出す。ハルは額に青筋を立てている。


確かにハルは腰も低いし、背も低く、筋肉質というには程遠い。

東の国の商人風にいうのであれば、ハルは丁稚か手代くらいにしか見えないのだろう。

とはいえ、こう見えても、ハルは神殿の高位神官なのだ。俗界の中での神官の立場は高く、役人達よりも特別な存在なのである。

さらにエニシに至っては、本来ならば人間ではなく、神をも裁く立場にいる冥神界の王クロノスなのだ。


どちらもミコトに対して何故か強くあたれない二人だけに舐められても無理はない。


ハルに至っては更にそれが顕著で、ミコトに惚れ込み推しに推しているだけに、ミコトが絡むと様子がおかしくなってしまう。

まぁ、エニシ自身も様子がおかしい自覚があるので、もしかしたらミコトは人たらしの才能があるのかもしれない。


現に今、ミコトに一目惚れしたのであろうユキも目がとろんとしてしまっている。

絶対連れて帰ると言わんばかりだ。

離して貰えないミコトは、どうしたものかと、途方に暮れている。

「まぁ、良いじゃん良いじゃん、お邪魔しちゃおーぜ」

ハルには、占い師について調べられるしいい機会じゃないかと耳打ちして、エニシは片目を瞑った。




ユキはミコトの腕にしがみつきながら、媚びた目を向ける。

「ミコト様はどうしてこの街に?」

「よく当たる占い師がいると聞いて」

「コダマ様のことね!ウチも占って貰った事あるわ。部屋の間取りから全て相談に乗ってもらってるの。父様や母様もとても信頼してる」


通りを何本か挟み、連れて行かれた先は、裕福そうな庄屋の家だった。

庭を抜け大きな間口の玄関に迎え入れられる。





「父様、母様、悪い奴らからコチラの方々が助けてくださったの」

玄関の扉を開けるや否や、ユキが履き物を脱ぎ、女中達がはしたないと止めるのを無視してバタバタと廊下を走っていく。


「そうか!やはりコダマ様のおっしゃった通り、ユキを助けてくれる御仁が現れたか」

「さすがコダマ様ね。ピタリと言い当てられた」

ユキの父と母が廊下から姿を現した。


ユキの両親に促され、ミコト、エニシ、ハルの3人が部屋に通される。

広々とした部屋は、床張りで西方の国の机や椅子が配置されていた。東の国特有の畳ではない事に、この家が裕福なのだという事が伺えた。


「今日は娘を助けてくださいましてありがとうございます」

お茶菓子と西国の茶を差し出される。

向かい合う形で両親とユキ、エニシ、ミコト、ハルと座った。

「噂に聞いたコダマ様が今日のことを予言していたっていう事ですか?」

ハルが両親に尋ねる。

「ああ、コダマ様はおっしゃったのです。《今日、ユキを暴漢から救った者がユキの亭主になり、家は繁栄するだろうと》」

「はっ?ソレ…って」

ハルが絶句する。

善意で助けただけで、勝手にこの家の婿にされるのは話が違う。

チラリとユキを見ると、うっとりしながらミコトに見惚れている。


「ミコト様は私の理想にぴったりだわ。きっとこの方が私の運命の人に決まっているわ…ね?ミコト様」

「え!!身共がそなたの?…ソレ…はその占い師が言ったのか?」

ミコトがユキに尋ねた。

占いにご執心のミコトが、占い師に運命の人だと言われてしまえば、素直なミコトの事、流されてしまいそうだと、エニシは危惧する。

ソレはハルも思っていたようで、2人は顔を見合わせた。

「占いはさ、当たるも八卦外れるも八卦というでしょ?たまたまってことはありませんか?」

ハルが言えば、ユキと両親は否を唱える。

「他のペテン師のような者とコダマ様は違うの。本当に当たるのよ」


この家族全員がコダマ様の占いに傾倒してしまっているようだ。

すでに、ミコトを結婚相手だと思い込んでしまっている。

どういえばよいのかと、エニシは頭を抱えたくなった。

ミコトを見れば、腕組みをして何か考えに耽ってしまっている。

ハルは最悪、神官の業務だと伝え、早々にお暇しようと思い始めていた。


「…今日助けた者…どの事だが、この場合、身共とエニシ2人がその条件にあたる事はないか?」

ポツリとミコトが呟く。

確かに、助けたのはミコト一人ではない。ある意味エニシもその対象になるのだ。



「え?あ?そ…そうね」

矛盾に気付いた母親が頷く。

「確かに…そうだな」

父親も同意した。

「え、は?当然私の夫はミコト様でしょ…それは、私がミコト様を選んだんだもの」

ユキだけが、ミコトが良いと言い張っている。

ミコトとエニシは互いに顔を見合わせた。

エニシは肩を竦め苦笑いを浮かべる。


「ならば、コダマ様という占い師にどちらがふさわしいか尋ねてみると言うのはどうでしょうか」

ハルはここぞとばかりに意見した。

ナイスだハル…とエニシは心の中で親指を立てる。

このまま、はいそうですかとミコトを手放す事になる事だけは避けなくてはならないからだ。ハルの意見にエニシも賛成だった。

そもそも、コダマという占い師の正体を調査するために、この街に寄ったのだ。直接本丸に乗り込む事が最善でもあり得策でもあろう。

ただエニシが気になる点はといえば、ミコトは人を疑うことをしない。

それだけにコダマという占い師に傾倒し、言葉を信じてしまう可能性も充分あることだけが気掛かりだ。


出来れば、ミコトをコダマと対面させたくはない。エニシにしてみれば、ミコトが婿だと言われるのも承服できるはずもなかった。

最悪、コダマに弟子入りするとも言い出しかねないことだけが懸念される。だが直接コダマに会いに行く事が、最短策であろう。万が一、エニシを婿に指定しようものならば、クロノス(冥大神)としての力を使い、この家族の記憶を操作して仕舞えば片付く事だ。

そういう考えに至り、エニシはハルに大きく同意した。



日を改めてコダマの元に占ってもらいに行くと決定し、エニシ、ミコト、ハルの3人は客室に通される。

部屋は二間が繋がっている造りだ。

寝室スペースには、女中か用意したのであろう寝台が3つ並べられている。

団欒スペースとは扉で仕切られていた。


「ZZZZZ」

ハルは、よほど疲れたのか、奥にある寝室で服を着替える事なく寝落ちしてしまったらしい。

スヤスヤとした寝息が団欒用の部屋にまで聞こえてくる。

旅慣れていないハルにしてみたら、体力の消耗が激しいのだろう。



そして、まだ睡魔が訪れない2人は団欒室の方にいた。ミコトと2人だけになった事がなかったので、エニシは間が持てず、話題を探した。

本来、冥神界の王であるエニシが沈黙に耐えられない事などあるはずもない。それなのに、ミコトとの間にある沈黙には不思議と耐えられなかった。


「それにしても、大変な事になったね。婿に…って」

「確かに、困ったものだ」

ミコトは手荷物をソファの横に置いてゆっくり腰掛けた。

「強引すぎるって、ミコトに大切な人とかいたらとか考えなかったのかな?」

これだけの外見に、悪を挫く気概を持っているミコトを周囲が放っておける筈はないだろうとエニシは呆れてしまう。

占いで相手が決まるというのならば、立候補者はあとが絶えないというものだ。


「確かに…エニシのいうことにも一理あるな」

ミコトが一つ瞬きをした。

「普通にそうだろ。同等な的中率の占い師がいたとして、ミコトの相手は別にいるって言ったらどうなるんだろうな…俺とか?」

エニシが半分ふざけながらニヤリ笑う。

「お前が相手なのはどうかと思うが、こちらに断る隙すら与えない事に驚いた。よほどコダマという占い師は的中率が高いとみえる」

ミコトが素直に感嘆するのとは対照的に、エニシは顔を顰めた。

「ますます怪しい。占いでそんな事がわかるわけないっしょ」

冥神界の自分や神界の者たちならばいざしらず、一介の人間がそこまでの精度でわかる筈はないとエニシは思わずにいられない。


「確かに。身共が既婚者だという可能性は考えなかったのだろうか」

「え?…結婚…してるの?」

意外なミコトの言葉にエニシはギョッと目を見開いた。

「あ、いや。例えばの話だ」

何故その言葉が出たのかと聞かれても、記憶のないミコトには知る由もない。


「なぁ、聞いて良い?」

ずっと聞いてみたいと思っていたことを、エニシは口にしようか迷いながらミコトの様子を伺う。

「なんだ?身共でわかる事か?」

「ミコトにしかわからない事だと思う」

エニシは、まるで酒場で異性を口説く男のような心持ちでソワソワしながらミコトを見つめる。


「ん?」



「大切な人がミコトにはいるの?」


エニシは一度、聞いてみたいと思っていた事を2人しかこの部屋にいないのをいい事に切り出してみた。

正直言って、誰かのことを知りたいと思う気持ちを持ち合わせていた事にエニシ自身少し驚いている。

もちろん、冥神界での部下であり人間界では上司であるスピネルには信頼はおいているが、恋愛的な心情を含めて考えると、初恋の子以外には食指が動かず、基本興味がないというのに、ミコトの一挙手一投足が気になって仕方ない。

ミコトはいくら綺麗でも、同じ男だというのに。



「わからぬ…なにも。ただどうやらコレは特別(大切)なもののようだ」


ミコトは、それだけ告げて、荷物の中からおもむろに布に巻かれた、宝物を取り出した。

ミコトが大切にしている特別なものを見せてくれるらしい。


エニシの鼓動が速くなった。

丁寧に扱われていることで、ミコトがそれを大切にしている事がわかる。


包んだ布をそっと剥いでいくと、中からエニシが持っている剣と同じものを取り出した。





「!!!!!」



エニシが大きく目を見開く。

その剣は、エニシが大切に持ち歩いている双剣の片割れであった。

世界に二つとない逸品だ。

人間界に存在するはずもない剣が何故、人間であるミコトが持っているのか。


ライバルでもあり、幼馴染でもあり、初恋の相手でもある、大切な子にエニシが贈ったものなのだ。



「こ…これは、どこで?手に入れたの?なんでミコトがもってんの?」


エニシがミコトのソファに近付いた。ミコトは困惑した顔でエニシを眺めた。

矢継ぎ早に、たたみかけるような話し方は、いつもの余裕たっぷりな、おちゃらけた話し方とは違っている。

「…」

どう答えたら良いのか分からずミコトが口籠った。

「なんで、コレを俺に見せてくれんの?」

次から次へと矢継ぎ早に飛んでくる質問の山に、対処しきれないミコトは剣をエニシに手渡す。


「エニシ、お前が同じものを持っている事に気付いたからだ」

「へ?」

エニシの口から間抜けな声が出てしまう。

誰にも見せた事はなかった筈だというのに、なんで…とエニシは続けた。


「宿でハルがお前の荷物に躓いて…表に出た剣を見てしまったのだ。最初は驚愕した。珍しい剣だというのに何故…と。昼間エニシが身共に投げてよこしたのは別の剣だったし」

何かいわくのある剣なのかと思っていたのだとミコトは愛刀を大切そうに撫でる。


「…その剣は、俺にとって大事すぎる剣だから、使わずに持ち歩いているお守りのような宝ものなんだ」

エニシは黙って、自分の荷物から、同じ刀を取り出してミコトに見せた。


「…本当に同じだ」

2本の刀を渡され、見比べたミコトがポツリと呟く。

違うのは宝石の色だけだ。どちらも細かく手入れが行き届いている。装飾の細かさから刀身の長さ、波紋までがソックリだった。


「何故、ミコトがこの刀を持ってんの?」

ミコトから渡された刀とエニシの刀を両手に持ってみる。

双剣が揃う日を夢見、祈りを捧げながらも、2本が揃う日が来るとはエニシ自身思ってもいなかったのだ。

エニシの刀を持つ手が震えている。



悠久の時とも思える長い間、双剣の片方であるこの剣をエニシは密かに探し続けていたのだ。

神界、天界、魔界すべて探した。

この剣を持つ者はエニシにとって特別な人なのだ。


俗界にあるとは夢にも思わなかった。

エニシのライバルであり初恋の相手である筈の子が持っている筈のもの。

すなわち、探しているミスラそのものなのだ。


ミコトとどんな関係があるのだろうか。

剣の持ち方の癖も初恋のその子に似ていた。

たが、神界で見ていたミスラの外見とは全く違う。

ミコトも綺麗は綺麗なのだが、質が違うのだ。

実際目にしたミスラはもう少し線が細く、髪から肌から透き通るような透明感を持ち、しなやかで性別が分からない中世的な美しさをしていた。


ミコトの髪が黒髪のせいだろうか。はたまた漢前な雰囲気のせいか。鍛えられた躯体だからか。

性別から何から違うようにも思う。


ミコトがミスラ本人…なんだろうか。


なぜ、エニシに会っても何の反応もしないのか。

疑問が次々にエニシの頭の中に貯まって溢れ出しそうになる。

ドキドキと脈が早くなって、瞬きも忘れてしまう。

ミコトの返事を期待して、拳を握りしめた。



「…申し訳ない。わからないのだ」

ポツリとミコトが口を開く。


「…わからない…って」

乾いた声がエニシから紡がれる。


「…記憶が…ないのだ」

神殿の扉で頭をぶつけて記憶喪失になった事、それでハルに拾われた事。


ミコトが頭に浮かんだ事を一つ一つエニシに告げる。

同じ剣を見て、何か知っているのではないかと、エニシに尋ねてみたというのだ。


「そう…なんだ」

「ああ、記憶をなくした時、持っていた所持品がこの剣のみだった」

だから、きっと身共にとっても大切なものだろうとミコトは続けた。


心に溢れ出すものの勢いが強すぎて、エニシは胸を抑える。


どれだけ、長い時間探したであろうか。

捻くれた性格からか、1人だけ冥神界に行く事になってから、ほどなくその子の行き先を見失ってしまった。その子のユートピアでの呼び名は零という。

だが、その名前はユートピアまでの幼名のようなもの。行った先で正式な名前がつくので、探しようもなかった。


探して探して、見つからなくて、絶望しかけて、エニシことクロノスは無気力になってやさぐれた。

権力を持てば、見つける事が出来るかもしれないと、冥神界の大神になっても消し去る事ができなかった。

神界に同期からかなり遅れてあがったミスラという大神界の者を見て、零だと確信したのだ。

育ったミスラは見たこともないほど美しく成長していた。冥神界の鏡越しで観ていたことが歯痒くて仕方がなくて。

一足飛びで、大神界まで行き、再会を喜びたい。

そう思わずにはいられなかった。


やっと見つけたのだ。

絶対に見失いはしないとばかりに、即時求婚した。

冥神界の王に望まれれば、大神界の王でさえ断れない事を分かっていて。

半ば有無を言わすことなく強引に縁談をもちかけた。

これで、もう見失わなくて済むと安心した矢先。

また手からすり抜けていった。

各界を探しまわり、人間界に身を置いて探していたのだ。



だから。

同じ剣を持っているミコトに巡り会えたことだけでも凄い進歩だった。


片方の剣を持っている者は、エニシにとって、何よりも大切な人に繋がる唯一の存在だ。





姫の捜索隊で、皮肉にも見つける事ができたなんて、なんと皮肉な事か。


ミコトが、エニシの初恋の人の可能性がある事に、心が酷くかき乱される。


剣だけでも再会する事ができた事にエニシの心が震えた。



「この剣は、世界に二つとないものなんだ。で幼い頃、俺があげたものだから…」

「…そう…か。…覚えていなくて本当に申し訳がない」


ミコトの夢で見た事が、現実の記憶だった可能性が高い事を知って、ミコトの胸が痛む。

夢の中のミコトは、片方の剣を受け取った時、とても嬉しくて嬉しくて、心が震えていた。

はっきりした記憶として覚えていない事がミコトは悔しくて仕方がない。


「でも、不思議だ…今日さ、戦ってる時、背中を任せられるのって、ミコトだけかもな…って思った」

ミコトの剣を返しながら、エニシが眉を下げて笑う。



「…普段胡散臭いお前に、確かに不思議と背を預けられたな」


「言い方」

ミコトの言葉が胸に落ちる。

エニシはミコトから、くるりと背中を向けて、不覚にも滲んでしまった涙を慌てて拭った。


記憶を持たないミコトが、それでも大切に剣を持っていてくれたのだ。


ミコトへの色々な想いが溢れ出してしまう。

完全に拗らせている自覚はエニシにもあったが、思いの外重症だ。


剣の持ち主が、ミコトだと分かった以上、エニシに自身の想いを止める術を持ち合わせてはいなかった。

ユキがどうしても、ミコトを諦めなかったら、罪もないというのに抹殺してしまいそうだ。

ミコトの記憶が戻れば、剣の所持者がミコトなのかどうかもハッキリする。


だがもしかしたら誰かから、回り回ってミコトに辿り着いているだけかもしれないのだ。


ただ、記憶のないミコトが、初恋の人であって欲しいと願ってしまっている事にエニシは気付いて苦笑した。



「もう食べれないよ」

隣の部屋から、ハルの呑気な声が聞こえてくる。

2人の間にあった緊張感が一気に解けていく。



「俺らも寝よっか」

「ああ、そうしよう」

2人は、ハルの寝ている寝室に向かった。






一方のカイレンとスピネルは、ミコトやエニシがゴロツキ達と乱闘中に怪しい男をみつけていた。

影に隠れていた男に気付き、後を追った。

隠れていた男が乱闘前、ヤクザ側と話し込んでいた、なよなよした若旦那風の男だと分かり、事情を察したカイレンとスピネルは若旦那風の男に接触を試みる事にする。


あきらかに、娘を襲ってくれと金子を払って頼んでいるようだった。

おおかた、若旦那が登場したら上手く負けてもらう算段なのだろう。

娘にいい格好を見せたいが為の策だということが簡単にみてとれた。

若旦那が現場にたどり着くよりも先に、ミコトとエニシが倒してしまった事が口惜しいのだろう。

親指を噛みながら歩いている。



「あたしがたどり着く前にやられちまうとは何事だい」

満身創痍のゴロツキ達を叱りつける。

弱いくせに金をチラつかせて、でかい態度をとっているのだ。

「面目ねぇ。相手が強すぎら」

「高い金払ってるっていうのにだらしない」

高飛車な若旦那に、ヤクザの中の1人がキれて胸ぐらを掴み上げた。

「いい気になってんじゃねーぞ?呉服屋の若旦那サンよ。こちとら予想外の奴が出てきて、ここまでやられて気が立ってんだ…」

「ひっ…」

若旦那が青ざめる。

そのタイミングを狙って、カイレンが割って入った。


「どうしたってんだよ。兄さん方、弱い者イジメはイケねぇよ?」

カイレンは胸ぐらを掴んいる、性質の悪そうなゴロツキの腕をグイっと反対に反らせた。

「ぎゃっ」

カエルがへしゃげたような声が男から聞こえる。

「兄さん方、さらに怪我をしたいなら相手になるぜ?」

カイレンが煽れば、既にボロボロ状態のゴロツキ達が一気に消沈する。

「なんなら、俺も加勢するとしましょうか」

ボキボキ指の骨を鳴らしてスピネルが笑えば、ゴロツキ達は尻尾を巻いて逃げていく。


「若旦那。災難でしたね」

若旦那の衣類の乱れをスピネルが治してやる。

「助かったよ。おまえさん方。お強いんだねぇ」

若旦那が感嘆の声をあげる。

「何なら俺たちを雇わないか?あいつらよりは役に立つと思うぜ?」

カイレンが近くの石ころを拾いあげ、握力で粉砕して見せる。

半ば、雇わなければこうなるぜ、という脅しのようなものだった。


「こ、心強いね。ついておいで」

引き攣り笑いを浮かべながら、2人を促した。

「なんでまた、正義者を気取ろうとしたんだ?あの娘が好きなら、あんなまどろっこしいことやらずに告白してこりゃあ良いじゃねーか」

カイレンが若旦那と話しているうちに、スピネルがアンチュルピーから伝言を受け取り、若旦那について行く旨を記して飛ばす。

芸術的な早技だった。

もうカイレンたちに追いつき話に加わっている。


「そりゃ、そうできたら良かったさ。たが、コダマさまがユキちゃんに告げたお告げが、今日絡まれてるヤツから救ってくれた人が運命の人だって言われてたから」

先回りしたくて、ゴロツキ達を金で雇い運命の人になろうとしたのだと若旦那は告げた。


「その情報を手に入れられるカラクリを教えてくれませんか?そのユキの一家がコダマ様をしている事が何故わかったのですか?その上で占ってもらった内容まで把握ができるってのはどういう事なのか説明して頂けませんか?」

スピネルが、冷たい瞳で若旦那に詰め寄る。

「…あの占いの館には、色々仕掛けがあるんだよ。お目当ての客の占い内容が知りたければ、裏占いを3倍の金を払って、頼めば良い」

「裏、占い?…だと?」

なんだそりゃ…とカイレンが呆れる。


「例えば、落としたいと狙っている客が占って貰った内容を教えて貰える…今回みたいに」

開き直ったように、若旦那がペラペラと喋る。

軽くよく回る口だと、スピネルが眉間に皺を寄せた。

コダマ様の占い館では、ようするに個人情報を流しているということだ。

例えば、悩み事を話した片想いの者がいるとする。

裏占いを頼めば、片想いしている相手の悩み事を知る事が出来る。

片方は悩みが解消し、片方は両思いになれる可能性が増え、よりコダマ様の占いの的中率が上がるというわけだ。

両方から金を取れるということか。


「裏占いは、誰もが頼む事ができるのか?教えてくれませんか?」

スピネルが眼光を光らせる。

「んー。裏世界に加盟している者に限るかな。例えば邪魔者を消したりする殺し屋、盗人。コダマ様からの逆依頼が受けられる者」

「逆…だと?」

カイレンが若旦那に詰め寄った。


「…占いに来た人の願いを裏で叶える仕事だ。主にマイナス方向の…消して欲しい誰かを消したり、金を都合したり。庭を掘ったら金が…みたいなヤツだ」

若旦那の家は、どうやら裏に加盟しているらしく、手が回せたのだそうな。

ゴロツキ達から助けた事で、カイレンとスピネルを仲間と認識したらしく、どこまでも能天気に話してくれるらしい。

馬鹿は助かるとスピネルとカイレンは顔を見合わせた。


「結局、コダマ様というのは偽物っていうわけか?」

カイレンが言えば、若旦那はゆるゆると首を振る。

「それが、そうじゃない。ここがコダマ様が一目置かれてるところさ。コダマ様の能力は本物だ。病気治癒も可能だし。逆に呪う事も可能だ。その者の悩みの全てを見通す目も持っている」

「…恐ろしい相手かもしれませんね」

相手の弱さに漬け込み、飴と鞭を使い分け、骨の髄までしゃぶり尽くすということか。さて、ただの人間にそこまでの芸当ができるのかとスピネルは考える。

もしかしたら、天界、魔界…神界などの関与が疑われる案件かもしれなかった。


「で、若旦那さんよ。ここまで喋りまくって、裏切り者認定はされないのか?」

カイレンが片眉をあげてシニカルに笑う。

「え、だってお前さん方、もう仲間だろ?」

だんだん若旦那の顔色が青ざめていく。


「俺らまだ正式にやるとは言ってないけど?」

ニヤリとカイレンが微笑んだ。

「そうそう。俺ら雇わないかとは言いましたが、正式に契約を交わした訳ではないですし。そうなると、あなたは…裏切り者になるって事じゃなありませんか?」

スピネルが告げる。

「え?…そ…んな、馬鹿な…え、嫌だ…助け…」

若旦那が、急に胸を押さえて苦しみ出した。

ピクピクと体を痙攣させ、泡を吹く。

「え、おい。大丈夫か?お前。ちょっと待ってろ」

医者を呼びにいくからとカイレンが街中に駆けていく。

残ったスピネルは、冷めた目で若旦那の様子を眺めていた。

こんな事、人間に出来る筈がない。

裏切った瞬間、呪が発動するようになっているようだ。

呪を解く事は可能だが、解いた瞬間、呪をかけた相手に気付かれる可能性が大だ。


見捨てる事は簡単だ。

善悪でいえば、この若旦那は完全に悪に偏っている。

カイレンがこの場にいない今なら、どうする事も出来るのだ。

ここにエニシがいれば、きっと眉一つ動かさず見捨てるだろう。


元は神界出のスピネルには良心の呵責が出てしまう。

呪を解いたら相手にバレるが、痙攣を止める事は出来るかもしれない。

スピネルは、若旦那の鳩尾に拳を叩き込んだ。

若旦那の意識を昏倒させる。その瞬間痙攣が止まった。

うまくいけば、一命は取り留める事ができるだろう。

この辺が、エニシ(クロノス)に甘いとダメ出しされる部分なのだろうなとスピネルは苦笑いをした。

若旦那にかけられた呪に触れないように、記憶を消しておいてやる。

スピネル達に話した事すらを忘れれば、若旦那に発動した呪は治っていくだろう。

ただ、人間以外のモノが関わっているとなっては、エニシ(クロノス)に報告しておいた方がよさそうだ。

アンチュルピーに渡して、エニシにつけば良いが、下手をするとハルかミコトが書状を開くかもしれない。

直接エニシに現状を伝えるため、バングルに手をかざし、エニシに直接情報を伝えることにする。

現代でいうところのスマホなどの伝言メッセージのようなら機能をバングルが兼ねているのだ。

(人外関与の可能性あり注意されたし)

一文のみのメッセージだが、聡明なエニシならば全てを理解するだろう。



数分の後。

息を切らしたカイレンが連れてきた医者に若旦那を託し、通りすがりのものだからと2人は姿を消した。








日が替わり、朝食を終え一息ついた頃。

ユキとユキの両親と共に、ミコトとエニシとハルの6人でコダマ様に相談をしに行くことになった。

コダマ様の占いの館は、山の中腹に存在する。

ユキの家は裕福らしく、山の近くまでは、馬車を使った。

山に入る入り口で、受付をするらしい。ユキの両親が手続きをしている。


「仰々しいなぁ」

エニシがひっそりという。

人外が混ざっているというスピネルからの連絡が昨夜バングルに届いていた。

詳しく、バングルを通じてスピネルからの報告は聞いてある。

情報交換が明け方までかかった事にスピネルがキレ気味だったが、いわく付き案件だという事は全て聞き出した。

実際、エニシが霊視をしても、結界が張られているのか、人と妖の区別がつかないようになっている。


山の入り口で、占いの案件を書き置けると、おみくじのようなものを渡された。

代表者の一人が引くことになっている。

今回はユキのたっての希望で、ミコトが引くことになった。

ミコトがみくじ筒を振れば、丸の印が書かれた棒が穴から出てくる。


丸の部屋に続く鍵を渡された。

丸の入り口から部屋に入るように巫女のような様相の人に指示され、全員で整備された階段を一段ずつ登っていく。


東の国の神社のような造りで、神聖な場所といった空気感を演出している。

これならば、一般人は一発で、空気に飲まれ、占いの権威も上がるのも頷けるとエニシは確信した。

厳かで、清涼な空気が流れるよう、緑の中に建っている。

階段を登り終えると、部屋の入り口が三つ現れた。

丸の部屋、星の部屋、四角の部屋に分かれている。


丸の部屋の錠前を開ければ、扉は開かれた。

中は神社に似せたつくりになっている。

いかにもな雰囲気に作られた場所で、コダマ様の登場を待つ。

厳かな時間までもが、人々を洗脳する事に向いているようだ。

エニシは、コダマ様が入ってくるのを静かに待った。


御簾から入ってきたのは、少女から脱したくらいの若い女性だった。

全身を白い衣服に包み、額には赤い梅化粧が施されている。

その形を見て、エニシはわずかに目を見開いた。

ダイヤ方の両側に蔦のような模様で描かれてはいるが、おそらく真ん中のダイヤの形の部分はアザだろう。

ダイヤのアザは天界の者の証。

コダマ様といわれる者は人ではない。


スピネルの話では、裏の客が存在し、暗い陰を落としている部分があるという。

エニシは呪がかけられることから、魔界を想定していたのだが、呪をかける天使が絡んでいるとなれば話が違った。

コダマ様自体に歪みは感じられない。

頭を下げ、フワリと笑う様は天使と言っても納得できるものだ。

病気平癒も嘘ではないだろう。

黒い噂があるのか、探る必要があるとエニシは思った。

隣に座っているミコトは、当たるという噂の占いを間近で見られる事への期待の眼差しでコダマ様を見ていた。

ミコトの横に座っているハルも、コダマ様の癒しの空気に触れ、ぽわっとしている。


「コダマ様、先日ご助言頂きました、ユキに運命の出会いが早速あったのです。悪党からユキを救ってくれる者というのが現れました。」

「それは喜ばしい」

コダマ様が両手を合わせた。

「ただ、該当する者が2人いえ3人いるのです」

ユキの両親がハルを該当する者に入れるかどうか迷って、結局入れ、父親が申し出た。

その一瞬の間にハルはムッと唇を尖らせる。


「複数、候補者がいらっしゃると」

「はい、この中の誰が運命の相手かをコダマ様に見て頂きたいのです」

ユキの父親が頭を下げる。

「コダマ様、私はこの人だと思うのです。一目見てビビっときました」

占う必要などないと言わんばかりに、ユキはミコトをコダマ様の前に連れ出す。

コダマ様が、ミコトをじっと見据える。

真っ直ぐ、見返すミコトを見て、コダマ様が目を見開いた。

そして、ハル、エニシの順にコダマ様が霊視する。

エニシは、人間ではない事を悟られないように、神通力を上手く隠した。

天界の者ならば、エニシが冥神界の大神である事を見抜く事は不可能だろう。

案の定、エニシの正体に気づく事はなく通り過ぎた。


「ユキさんの相手は残念ながら、この方々ではないようです」

静かに、コダマ様は言う。

「そんなー」

ユキが心底残念そうな声を出した。


「この方々は神に仕えるお仕事の方々ですから」

3人が役職は違えど神殿に勤めている事を一発で看破するあたりが本物だとエニシは思う。

神殿にいる時とは違う、一般の人と違わぬ格好をしているというのに、不浄を厭う空気を纏っている事に気が付いたようだ。


「素晴らしい。何故、分かるのだ?」

占いに傾倒しているミコトが目を輝かせている。

「分かりますとも。あなた、占いを極めてみたいと思っていますね」

コダマ様に趣味まで言い当てられて、ミコトが目をしばたかせた。

「…なぜ」

「あなたには才能があります。よろしければ、数日ここに滞在なされますか?」

コダマ様がミコトに誘いをかける。


「…ありがたい…申し出だが、あいにく仲間もいる」

ミコトが占いを教えてもらえるというエサに釣られて、即答するかと内心エニシは、ハラハラしていたのだが、理性があってくれて良かったとホッと胸を撫で下ろした。

「ならば、こちらのお二方もよろしければ」

コダマ様がはんなり微笑んだ。

「そんなぁ。ミコト様達とここでお別れとか…」

一目惚れしたミコトが運命の人ではないと言われるだけでも面白くないというのに、ミコト達をこの館に留めおこうとする事がユキには悔しくて仕方がなかった。内心ではコダマ様にミコト様を取られたと文句タラタラだ。

その場で文句を言わなかったのは、コダマ様の占いが外れた事がないからである。


「大丈夫ですよ。ユキさんのことを思っていてくれる殿方が確実にいますから」

コダマ様が占いの続きを言う。

「ミコト様みたいな綺麗な方ではないのでしょ?」

ユキはミコトを諦めなければならない事が不服で仕方がないらしい。

ブツブツ言葉にならない文句を言っている。

「人は外見ではありませんよ。互いを高められる相手が見つかるでしょう。外見が良いのはプラスばかりではありませんよ?人気者であれば寄ってくるライバルも多く不安をたくさん覚えるでしょう。現にミコト様を見てみれば分かりましょう。魅力的な御仁を慕う者達はいくらでもいます」

チラリと、コダマ様はエニシを見る。

思い当たる節があるらしいハルも大きく頷いた。

エニシは、心の中を言い当てられてギクリとする。

どうしても隠しておかなくてはならないクロノスである事は隠せていても、心の柔らかい部分は見破られてしまっているらしい。


スピネルから連絡があった、コダマ様にまつわる黒い噂との接点がなさすぎるのだ。

これは、腰を据えて調べなくてはならない事は確実だ。


ユキの家族が名残惜しそうに帰っていくのを、ミコト、ハル、エニシの3人は手を振って見送った。


正直、人助けをしたら、婚約者に祭り上げられ、困っていたので、コダマ様の申し出は渡に船だったのだ。

ここに入り込むとができれば、占いの館の実情も掴めるかもしれない。

運が良ければ、ミスラの行き先でさえ、占ってもらえるだろう。

エニシは不幸中の幸いに感謝した。




「それぞれのお部屋を個別に用意いたしましたので、ぜひお使い下さいませ」

占いの館の奥には、掃除が行き届いた部屋が幾つも並んでいる。

来客、修行したいという者、住み込みの下女などが、それぞれの用途に合わせた部屋を利用するという。

コダマ様の下女に言い置いて、エニシたちを部屋を案内させた。

占いを学びたいと言い出したミコトだけ棟が違うようだ。

エニシは来客扱い。ハルは住み込みの下働き達が使っている部屋が用意されている。

ハルが下働きをしなくてはならなくなったのは、無料で滞在する事が申し訳ないと言ったからだ。


ミコトの部屋をエニシが覗き込めば、壁には書籍がズラリと並んでいた。

占いの道具なども机にはズラリと置かれている。

瞑想する場所もあり、修行はここで行えるらしい。

寝台も豪華なものだ。

「ドアに修行中という札がかかっている時以外は、出入り自由になっております」

食事は食事をする場所で摂ることになった。

ミコトが目を輝かせながら、その部屋に入っていこうとする。

エニシは、その無邪気さに危うさを感じ、エニシの荷物の中から、細工の細かい本の栞を渡した。


薄い金色の板状のそれは、荷物の中を探るフリをして慌ててエニシが急遽、用意したものだ。

栞というていで渡すが、鏡のように光る部分は、人の内面を映す鏡になっている。真実の鏡だ。

薔薇の細工に触れば、エニシに状況が伝わるようにした。

気休めのお守り代わりだ。

薄く硬いので、武器の代用にも出来る仕様である。


「良かったら使って」

エニシは、本を読むのに必要だろうと、ミコトに渡す。

何かあったら、薔薇を触ってとだけ耳元で告げて。

「…ふむ、助かる」

機嫌が良いミコトはそれを受け取って、懐に入れた。



次は、住み込みの者達が使う部屋をハルに用意される。

ミコトの部屋とは違い簡素なものだ。

狭さはミコトの部屋の4分の1といったところだ。

「まぁ、こうなるよね」

ハルが頷く。

一応、神殿では1番の上官なのだが、ほがらかな見てくれのせいか、どうにも人になめられるようだ。

3人の滞在費をハルの労働で賄うことになったのもそのせいだ。


「就寝は9時です。朝は6時に起床です。私たちのお手伝いをハルにはして頂きます」

「了解です」

ハルがにこやかに笑った。

「何かあったら…」

短い言葉で、情報があったらエニシの部屋に来るように伝えた。

エニシから行こうにも客人扱いなので、住み込みの者のところに自由に出入りできるわけではないからだ。



最後にエニシが案内された部屋は、畳張りの部分と、寝台部分に分かれている部屋だった。部屋の広さはミコトの半分くらいだが、調度品は凝っている。

畳部分にエニシは荷物を置いた。

さて、まずは報告だろうと、スピネルと通信するためのバングルに経緯と居場所の情報を送る。


そして、次は…と。


エニシの表情が、クロノスのものに変わる。

部屋に入ったタイミングで、気付かれないようにしながら、結界を張った。

エニシが神通力を使っても、バレなくするためだ。

普段は結界を張る必要などないのだが、今回のコダマ様はひとではないため、下手に力を使ったら、気付かれてしまう可能性がある。

エニシは天秤を取り出して、この占いの館の善悪比率を確認した。

針はエニシの想像通り、善悪の両方に振れる。

良くも悪くもあるということだ。

少なくとも、今日エニシが見た限りでは、善の部分しか見ていなかったらしい。

さて、どうしたものかと、エニシは窓を開けて、室内の空気を入れ替えた。




一方、修行部屋に通されたミコトは、ぐるりと部屋を見渡した。

占星術から数秘術、タロットカードの使い方、六星占術、八卦、ありとあらゆる本が書棚にある。

読みたい放題である。

何冊か本を取り出して、机に置く。

そして、ふと荷物に目をやる。

中に入っている剣は、エニシに貰ったものだったのだ。

ミコトの記憶の奥に唯一残っていた幼い頃の記憶。

最初からエニシが気になったのは、無意識に覚えていたからだろうが。

エニシが先ほどくれた栞を手に取る。

鏡のようになっているソレに自分を写しだした。


「え、はっ?」

黒髪になっているはずのミコトの髪が元の色に戻っている。しかも、何故か少し女性的な雰囲気になっていた。線が細いというか、ただでさえ中性的と言われる顔がより柔らかい雰囲気になっているのだ。

髪色が違うせいで印象がここまで変わるのか。

魔鏡といったところか。どうやら髪色など元の姿に戻してしまう真実を映す鏡になるようだ。

化粧や変装など、この栞の鏡面に映ったものの真実を映し出すらしい。

エニシが薔薇部分を触れと言っていたなと思い出し、イタズラ心でミコトはそこに触れてみた。



「どうした?ミコト?」

鏡の部分になぜか、エニシが写っている。

脳内に声も響くようだ。

記憶を失ってからというもの、奇異な事に人の心が読めるようになっているだけに違和感はないが、不思議な能力を持つ者が神官にはいるらしい。

最近では心を読むも読まないもの自由自在にコントロール出来るようになっているものの、心にエニシの声が響いている。

霊能力といった類のものか。

エニシはそういう力も強いらしい。



「や…凄いな…この栞…心に浮かんだものを映し出すのか…」

「え?なにそれって、俺のこと考えてたってこと?ちょ…嬉しいんですケド」

揶揄うようなエニシの笑い声が脳に響く。


…失言だ。


どうやら、薔薇を触ると直接話す事が出来るらしい。

このような便利な道具があるのか。

記憶喪失中のミコトは、本来は人間界に存在したらおかしい器具だということに気付かず、摩訶不思議な機能を持った栞を自然に受け流す。

ミコト自身、世俗から疎いところがあるので仕方がないといえば仕方がないことかもしれない。


「危なくなったら、使って?緊急の用があったら、ミコトのトコにかけつけるから」

「ふむ…了解した」

もう一度薔薇を押すと、プラチナブロンドの女性的なミコトが写ってしまっている。

黒髪で過ごしている以上、中々表には出して使えないものだなと、ミコトは懐に栞を隠し込んだ。




一方、ハルはといえば、ひと心地つくや否や、食事の支度があるからと、下女が部屋をノックしてきた。

食事に並々ならぬこだわりがあるハルは、渡に船とばかりに、荷物を置いて部屋に置かれていた前掛けをかける。

使用人の立場を申し出たのは、情報を収集するためでもある。


エニシは賢く、一瞬でハルの意図を把握していた。

ハルは、人当たりが良い。

一番、あやしまれない適役だろう。

一人だけ、神殿に残されたのは寂しいものだった。

部下に仕事は委任してきたから、当分は大丈夫だろう。

ならば、ハルの目下の仕事は、特別捜査隊の役に立てるよう振る舞うのみだ。

腕まくりするとハルは、下女達と共に、食堂に移動した。





「占いの基本は、相談者の理解が大切だと思うの。その為に統計学を使い、いろいろな手段で解析していく」

コダマ様が次の依頼人を待つ間、ミコトに指南する。

食事の後、ミコトの部屋に訪れたコダマが直々に教えるために呼びに来てくれたのだ。

「なるほど」

「病気治癒は簡単。気が滞っている部分を流してあげるだけだから」

例えばと、コダマ様は両手を合わし、深い呼吸をした後、ミコトの眉間あたりに手を翳した。

修行の場に座り座禅のように足を組んだ。

直接触られているわけではないのに、ひどく柔らかな暖かさを感じる。


「暖かい」

「そうでしょう?」

そうして、陽の気を送り込んで直しているとコダマ様は告げた。


「こんな事が出来るようになるものなのか…」

「ここにいる間、瞑想スペースで瞑想をする事をお勧めいたします。瞑想することで気の流れをコントロール出来るようになりますから。さすれば旅の途中に困った時に役にたつ事でしょう」

本来、気が遠くなるような金額を払って貰える言葉を、何故容易く教えてくれているのだろうかと、ミコトは思った。


「何故、身共にそこまで教えてくれるのだ…」

「さあ、何故でしょう。占い師の感とでも言いましょうか」

(あなたが、善人だから)

コダマ様の心の声がミコトの頭に響く。


そこまで言うと、コダマ様は次の依頼人が入ってくるからと、丸の部屋に入っていった。

ミコトは廊下で待っている間。

目の先にある部屋に視線を移した。

四角の部屋、星の部屋が並んでいるが、部屋の中は違うのだろうか。

好奇心が疼いたミコトは、そっと四角の部屋の扉を開いた。

四角の部屋には、丸の部屋にある占いの道具がない。

星の部屋には、占いとは違う呪具のようなものが置いてあった。

部屋の広さや造りに差異はない。

占いの内容によっては分けられているのだろうか。

ミコトは自分自身で結論づけ、そっと、気付かれないうちに戸を閉めた。廊下を歩き、自室に戻ろうとしたところで、白い衣服を着たコダマ様が、今度は四角い部屋に入っていった。



だが、聞こえてきた声が違う事に気付いて目を見開く。

扉の向こうから聞こえてくる心の声は男の声だった。

(次から次へと勝手な難問ばかり言いおって…お前みたいな、ナヨナヨして占いに頼る男を好きになる女などいるはずがあるまい。この男の元へ嫁がされるユキという女子も哀れなものだ。前回は悪い奴にイタズラされそうになっているところを助けてやれと言ったが、さて今回はどうしたものか…)


ユキの恋愛相談の情報を買って、客がユキの運命の人になりかわろうと言う段取りをしているようだ。

とんだ茶番劇だとミコトは呆れ返る。


(先ほど来た時は、あの美形にご執心だったようだから、今は失恋の痛手を抱えているだろう。ユキを慰めさせるように指示してみるとするか)


四角い部屋に占いの道具がなかった事に合点がいく。

中のコダマ様になりすました男に気取られないよう、静かに扉を開いて、中を覗き見れば、若旦那風の男と、両端にはスピネルとカイレンがいた。

察しのいいカイレンとスピネルがミコトを視認する。

小さく、目で頷いたのを見て、ミコトは彼らに任せようと静かに扉を閉めた。

その時である。

タイミング悪く、丸の部屋から出てきた本物のコダマ様と目が合った。

「申し訳ない、コダマ様を待っていた方が良いかと思い」

隣の部屋の前にいた理由にしては苦しい言い訳だ。

「そうですか…ならば行きましょうか」

(困った…力が弱まっている)

コダマ様が他の事に気を取られていた事で、咎められなかったらしい。

「了解した」

ミコトがコダマ様の後に続く。

(なんとかしなくては)

コダマ様は、ミコトを部屋に送り届けると、奥に消えていった。




「え、コダマ様が2人いる?」

エニシが素っ頓狂な声をあげる。

寝台に腰掛けていたらしい、エニシが慌てて体を起こした。

ミコトは、書き物をする為の椅子に腰掛ける。


エニシから貰った、栞の薔薇のボタン押したら、エニシに繋がり、部屋にくるように言われたのだ。

「ああ、確かに見た。身共たちが占ってもらったコダマ様とは、確かに別人だった」

ただ、理由を聞かれると、ミコトは困ってしまう。

心の声の性別が違ったからだと言っても理解はしてもらえないだろう。身近な者達の心の声は意識的に覗かないようにシャットアウトしているから余計に言葉にしにくい。

幸い、エニシは理由を聞く事なく納得しているようだ。


「さっき、スピネルから連絡があってさ、悪人がいそうだって聞いてたケド…やっぱ裏があるってことかぁ」

エニシはフムっと寝台の上で腕を組んだ。


「ミコトはコダマ様と一緒にいてどう?口説かれたり、迫られたりしてない?」

「そんなこと早々あるわけないだろうが、だが今の言葉で身共への信用は得ている事がわかったので、良しとしよう」

「ど言う事?」

エニシがキョトンとする。


「これがカイレンならば、お前のいう言葉は変わっているだろうが」

ハッとしたのか、エニシがポンと手を叩いた。

「確かにっ!カイレンなら口説いてないだろうな?だわっ。ミコトが誰かを口説いてるところとか想像できなさすぎるっ」

「身共は確かに、女子を喜ばす事が出来るようなうまい言葉の一つもかけれぬしな…」

反省せねばとミコトが言えば、エニシが、反省する必要はないと止めにはいった。


「似合わない似合わない。向き不向きあるっしょ。ミコトは求められる方が似合ってる」

「全く…言いたい事を言ってくれる」

ミコトがムスッと納得いかないような顔をしているのを見たエニシがなだめにかかる。

「そういや、もう少しすると、ハルがオヤツを持ってきてくれるぜ?」

「ハルが…くるのか」

いつもミコトを見つけるたびひっついて歩いているハルがいないのは、物足りないような感覚に襲われる。


「妬けるなぁ。部屋に入った時より、なんか嬉しそうだ」

「フン、鏡を見てみろ。無害な子猫と盛りがついたライオンくらいの違いがあるだろうが」

ミコトが腕を組みながら言い放った。

「ブハっ…盛り…w」

ツボに入ったのか、エニシがゲラゲラ腹を抱えて笑う。

「フン」

「でも、当たってたりして!盛り…ついてたらどうするミコト?」

一瞬キラっと欲を含んだような鋭い視線をミコトに向け、ミコトの体を寝台にくるっと押し倒した。



「…」

「どうする?このまま俺が獣化したら」

「馬鹿か?お前は…盛りがついたら、オス同士はケンカになるのが普通だろーが」

ミコトは目を半眼にし、白けた目をエニシに向ける。

「…えー…なんで、そうなんのかな…俺危険な匂い出てなかった?」

全くそういう対象にされると夢にも思ってなさそうなミコトの天然さにエニシは眦を下げた。

女っぽさなどどこにもない。かといって男っぽいかと言われたらミコトはそうでもない気がするのだ。

性別自体を意識させないからこそ、エニシとしては惹かれるのを止められないでいた。

ミコトを組み敷いたままで、フニャっとエニシは眉を下げる。



「ストーップ」

声とともに、ドアをバーンと開いたハルが仁王立ちで立っていた。

「ハル」

ミコトが安心したような声を出す。


「何やってんの!エニシ隊長。そういうのは禁止だよ?ほんと…もう」

片手に持ったオヤツを机に置いて、ハルはミコトを助け出した。

「悪い悪い。つい調子に乗っちゃって」

てへっと、エニシは舌を出す。

ミコトはムスっとしながら椅子に座り直した。



「女中さんたちの話だと、星の部屋に訪れた人で何人か死者が出てるらしいよ」

「死者?」

エニシが聞けば、ハルが大きく頷いた。

「うん、祟りだって皆んな言ってる」

「祟り…ねぇ。なんか共通点はないのか?」

祟りの原因はあらかたエニシも把握している。

なぜならスピネル達が目をつけた若旦那に起こったあれこれを、昨日聞いて知っているからだ。


裏の占いを利用した者が契約違反という名の、裏の占い内容やからくりをバラす行為をした瞬間、呪いが発動し倒れたということだった。


バングル越しにスピネルから入ってきた情報のため、エニシはその存在を知らないハルとミコトには説明できずに誤魔化した。


「もう一人のコダマ様が裏で暗躍しているのでは?」

ミコトがポツリと口に出す。

「もう一人?…あ、そういえばコダマ様には双子のお兄様がいたような…体が弱くて普段はあまり表に出ないと聞いているけど…」

「善、悪それぞれ担当が分かれているってことか…」

フムとエニシが頷いた。

昼間一人で占いの館内をエニシは館内を散歩してみたのだが、人間以外という存在は一人しかなかったはずなのだ。

何か魔が巣食っていそうな場所は見たあらなかった。

木々に覆われた館内には清涼な空気が流れていて、とても爽やかだ。

その空気感とコダマ様のもつ雰囲気も合っていた。

見分ける事が不可能なほどに似ている兄妹なのだろうか。

双子となると、辻褄が合わない。


《コダマ様》がミコトを手元に置こうとした意図も、まだ判明してはいないのだ。


ユキのようにミコトの外見に惹かれ、横取りしたのかと思いきや、そういった色恋の匂いはミコトの話だと出てきてはいないらしい。

部屋に閉じ込めて、外に出さない訳でもなく、今もエニシやハル達との団欒も出来ている。

占いに興味がないエニシやハルでさえ、仲間だからと館に滞在させてもらえている。

それでさえも嫌な顔はしなかった。

サービスも宿屋並であるし、悪い事を風潮する者が街に少ないことも頷ける。

いっそ心酔している者ばかりだと言っても良いほどだ。

裏の占いに手を出している者達は後ろ暗い事をしているだけに、呪によって死亡していたとしても、表には出さず情報を伏せているという事だろう。

それだけに、問題が表面化しないのだ。

ゴール近くにきているというのに、一歩足らないというジレンマがエニシの中で沸き起こっていた。

ミコトとハルが部屋を出ていった後、エニシはバングルに届いているスピネルからのメッセージを確認する。


四角部屋に通される者が、丸部屋で占った者達の情報を入手する事が出来るという事。

どうやら、四角部屋に現れるコダマ様が別人であるらしい事。

星部屋はその者達で契約を違えた者を呪う場所というところまで分かったらしい。

スピネルとカイレンは覗いていたミコトに会ったという旨も書かれていた。




ミコトが心配だ。

バングルの機能をオフにして、エニシは寝台に寝そべった。

それにしても、やりすぎたとエニシは猛省する。

冗談半分でミコトを寝台に押し倒してしまった。

エニシのことを信頼してくれていたのだろう。

あっさり寝台に沈んだミコトの顔が目に焼き付いて離れない。


一瞬、同性だとか、どうでも良くなってしまった。

ちょうど良いタイミングでハルが現れ、止めてくれなければ、何をしていたかしれない。

仮にも婚約者があり、その人を探す為に俗界に潜入しているというのに、我ながら何をしているのだろうと、エニシは自嘲する。



ミコトを揶揄って遊ぶのも怒り顔が見たいからだ。

返ってくる憎まれ口すらも楽しんでしまっている。

変に真面目で、偏屈で、そのくせ考えるよりも先に、正義感で行動してしまう短絡的さも微笑ましく思ってしまっているのだ。

この気持ちはあくまでも友情だ。

親友を大切に思う事と同じだとエニシは自分に言い聞かせる。


だが、その反面。

違う部屋に通されるというだけで、ミコトに栞型の通信機を即興で作り手渡していた。

武器にもなり、相手の真実の姿を見極める事が出来る上に、姿を写せるようにも出来る多機能っぷりだ。

過保護にもほどがあるだろう。

スピネル(ルミナス)との通信用のバングルは、文面でのやり取りのみになっていて、オフにしている間は未読という状態になっているのに…だ。


明らかにおかしな事をしている。

栞をミコトに渡したのと同時にエニシのバングルに追加した機能は、オンオフ機能すらない。いつでもオン状態でミコトの連絡が自動的に入る機能にしてしまっている。

スピネルがそんな事を知ったら、怒り狂うか、笑い狂うかだろう。

エニシは自嘲して、窓の外の月を眺めた。




一方のミコトは、自室に戻ると扉の前に呆然と立っていた。

あっという間に寝台に組み敷かれてしまったのだ。

エニシの一瞬匂わせた激情に身動きが取れなかった。

いつもからかわれてばかりで、苛立ちはしても嫌いというわけではない。

頭の回転の速さ、武術の強さ、的確な判断力に統率力もエニシは持っている。

冗談めかしてはいるが、間合いをしっかり把握している、相当に出来る男なのだ。

だが、先ほどのアレは間合いを見誤ったに違いない。

思った以上に動揺している事にミコト自身が気付いてしまう。

なんとか平静を保とうと、ミコトは自室に用意された瞑想スペースに視線を向けた。

魔法陣のようなスペースの真ん中に座る場所がある。

部屋にある事は昨日確認済みだが、まだ試した事はなかった。

あそこに座れば、心静かに戻れるのだろうかとミコトは瞑想スペースに足を運んだ。

そして、その場所に腰を下ろし坐禅を組むや否や、スッと力が抜けていくのを感じて、ミコトは慌てて立とうとする。

たが、見えない壁があるようで、動く事は叶わなかった。まるで見えない檻にでも閉じ込められているようだった。

しかも、全身の力がどんどんすわれていくのを感じる。

ミコトは意識を失う寸前、エニシから貰った栞の薔薇のボタンを押した。




張っていた罠にターゲットがかかった事に気付いたコダマは、他人に見せる顔からは想像もつかないような昏い顔で微笑んだ。

奥の部屋で暮らしているコダマは、すくりと立ち上がり、隣の部屋にいる先ほどまで四角の部屋の客に対しコダマとして振る舞っていた、もう一人のコダマの元に向かう。


ミコトがカイレンとスピネルを四角い部屋で見た時、対応していたのがもう一人のコダマである。

男のコダマの名前はエレスチャルという。

使用人にはコダマの双子の兄という事になっているが血の繋がりはない。

皆から心酔されている《コダマ様》はこの世界に存在する筈の人間ではなく天使だが、四角い部屋でコダマのフリをしていたエレスチャルは人間の男だ。


「エレスチャル…良かった。まだ貴方を助けてあげられるわ」

天使の力が弱まり、額のアザも薄くなって占う事がままならなくなっていたコダマがエレスチャルの頬に手を伸ばした。


「コダマ…拙の為に…そこまでしなくても良い。拙はコダマに不自由させたくないだけだ。拙は妹を貧しさで死なせてしまった。もう二度と大切な者を失いたくないのだ。その為ならばどれだけでも手を汚そう」

裏占いで人に情報を売り、多額な利益を生んでいたエレスチャルはコダマの為に悪に手を染めていたのだ。


天界からの命で俗界に降りた際、何らかの妨害に遭い、コダマは地上に転落したのだ。

それを助けてくれたのがエレスチャルだった。

妹を病気で亡くしたばかりだったエレスチャルは妹の生まれ変わりかのように甲斐甲斐しくコダマの世話を焼き、傷を癒してくれたのだ。

コダマは、その恩に報いる為に、占いを初め、エレスチャルの生活を助けていた。

占いに来た客からは感謝され、順風満帆だったのだ。


最初のうちは。


噂が噂を呼び客が増え、コダマが力を使い果たして寝込む事が増えてからだ。

1日に占える人数を制限し、そのかわりに、エレスチャルが裏で情報を売って金にしはじめた事をコダマはすぐに気付いてしまった。


エレスチャルが悪に手を染めさせてしまったことを知り、コダマは心を決めたのである。

エレスチャルの不正が暴かれそうになる度、呪によって誰かを殺した。

その度に薄くなっていく額のアザと共に、天使の力を失っていったのだ。


エレスチャルを部屋に置いて、コダマは罠を張ってあったミコトの部屋に向かった。

部屋に入ると、ミコトが魔法陣の中で一人倒れている。



「とても綺麗。コレほど歪みなく綺麗な人、天界でも見た事ない」

ミコトを一目見た時から、純粋な人だとコダマは思った。

これほど綺麗な人の精気を奪えば、エレスチャルの一生を支えるには造作もないだろうと。

だから、ミコトをここに残したのだ。

コダマが呪をかけ死んでいった者達は、皆悪に加担している、いわば悪者ばかりであった。

力が弱くなったという自分本位の理由で、精気を奪うのはコダマも初めてだ。


「あなたに恨みもない。…でも」

力を取り戻す為なのだ。

エレスチャルを助ける為に何を迷う事があろうか。

コダマは、申し訳なさそうに顔を歪め、ミコトから視線を外しながら手を翳した。



「はい、一発アウトな」


いつのまにか、ミコトの部屋のドアの前でエニシが腕を組んでいる。

その言葉は軽くても、底冷えするような視線がコダマに降り注いでいた。


「な…んで、いつの間に…お客人がこの部屋に」

コダマの顔が蒼白になる。


「ミコトを返して貰おうか」

一歩一歩コダマに歩み寄っていく。

歩みを進める事に、エニシの姿はクロノスに変化する。


「ひっ…クロノス様」

天界の中でも、畏怖されている姿を目の当たりにして、コダマは震え出す。一度天界にいた時に参列して間近で見たことがあったので、知らない筈はなかった。

冥神界の大神の姿になったエニシ(クロノス)が眉一つ動かす事なく、コダマの頭の前に手を伸ばした。

「…罪状は…フン言う必要もなかろう」


コダマは万事休すとばかりに目を閉じる。



その時だった。


「待て。コダマは悪くない。悪いのは拙だ。殺すなら拙を殺せ」

エレスチャルがコダマを庇うように割って入る。コダマの様子がおかしくて、後をついてきたらしい。

クロノス(エニシ)にしてみれば、悪に手を染めた者を一人殺すも二人殺すも変わらなかった。


二人の体を拘束する。


あとはクロノス(エニシ)が手に神通力を込めれば、それで終わる。

コダマの作った魔法陣も、消えてなくなろう。


クロノスが力を込めようとした瞬間。




「…エ…ニシ?」


ピクリとミコトが指先を動かした。

瞼が痙攣している。

ミコトが瞼を持ち上げるのも時間の問題だ。


クロノスは瞬時にエニシの姿に身を戻す。

冷たい無表情な切れ長の瞳を閉じた。

そして、目を開いた瞬間、エニシは口元にひと懐っこい笑みを浮かべる。


「まず、ミコトへの呪を解いてくんない?」


目は細めて笑顔の形を作ってはいるが、目の奥だけは笑ってない状態で口角を上げた。コダマは素直に従い呪を解いた。


「…エニシ。この者達を死なせてはダメだ…」

自由になった体をゆっくり起こしながらミコトは言葉を紡ぐ。

気力だけで目を覚ましたのであろう。

それでもミコトは強い視線でエニシを見据えている。

被害者であるミコトの言葉にエニシはナゼ…と乾いた声で呟いた。

「お前を殺そうとした奴らだぜ?」


「この者達は確かに悪い事をした。だが、それは互いを思ったからだ。その互いを思い遣る気持ちに不純さはひとかけらもない。罰せられるべきは、人ではなく罪そのものだろう」

両手でふらつく体を支えながら、ミコトは訴えかける目をエニシに向ける。


「…ミコト。分かったよ」

エニシが感情の起伏を押さえ込むように長い息を吐いた。

「…良かった。ありがとう」

ミコトはそれだけ、紡ぎ出すと、力が抜けたかのように再度意識を手放してしまう。

エニシはミコトを抱き上げると、二人に向き直る。


ミコトの静止の言葉がなければ、二人の言い分すら聞くこともなく抹殺していただろう。

それだけの事をこの二人はしてきたのだ。

ミコトの言葉を聞いたコダマとエレスチャルは、己の罪の深さと、ミコトの慈悲に涙を流した。

人を想う気持ちから起こった事件なのだとミコトは言った。



確かに、先ほどまでのエニシはミコトを殺されそうになったという激情だけで、この二人を処分しようとしたのだ。

誰かを想うが故の狂気という事ならば、先ほどのエニシも大差はないということだ。

殺されそうになっているミコトが何故そこまで優しく崇高でいられるのかとエニシは唇を噛む。

堅苦しい口調とは裏腹にミコトは傷つく事も厭わず人を救おうとするのだ。

となれば、今のエニシがすべきはミコトの意をくみ罪を罰する事だ。

エニシは二人の前に手を翳した。


今度は殺すためではない。



コダマには、天界から抹消し、力を奪い人として生きる罰を。


エレスチャルには、占いをしていたという記憶を抹消した。

そして、世界からコダマ様という占い師の存在を記憶の中から消し去ったのだ。


エニシとミコトが今いる、この場所ですら、一瞬のうちに形を変えた。



占いの館は山奥の温泉宿に。


骨折り損のくたびれ儲けになってしまうが、ハルやカイレンの記憶までも書き換える。


世界をも変えられる力というのは、こういう事なのだと、見ている神々や天使達、魔物達がいたら、昏倒するであろう圧倒的な力だった。

別界に影響を与えないようにする力の制御は完璧で歪みすら生じさせない。


周囲は、何事もなかったかのように静まり返っている。


神社のように貼られていた紙垂しでは提灯に早変わりし、山を赤く照らしている。


記憶をなくさないでいられるのは、おそらく部下のルミナス(ここでは上司のスピネル)くらいのものだろう。


ミコトを大切な宝物のように抱き抱え、エニシは温泉宿に姿を変えた自分の部屋に足を進めた。



部屋の引き戸を開くと、大の字になってカイレンがハルを踏み潰して眠っている。

ハルは、食べすぎた夢を見ているせいか、はたまたカイレンに踏み潰されているせいか、ウンウン唸っていた。

スピネルは起きていて、窓の外をじっと眺めている。


「お早いおかえりで…」

窓からエニシの方に視線を投げ、呆れたように肩をすくめた。

やはりスピネルだけは今回の事件を忘れていないようだ。



「話はあとだ」

エニシはそれだけを告げると、続きの部屋に入り扉を閉めた。

布団を敷き、静かにミコトを寝かす。

そっと、顔にかかってしまった髪を払ってやりながら、ミコトの頬を撫でた。

毛穴すら見当たらないキメの細かい肌と、長いまつ毛が行灯の光に揺れる。

「…死ななくて…良かった」


ミコトからの信号を受けたにも関わらず返答がなかった時には、生きた心地がしなかった。

バングルにミコトからの通信を常時に設定していたからこそ間に合っていたのだ。

今回は運が良かっただけだ。

ミコトがもしエニシの初恋の人であるならばミスラと同一人物だということにもなる。


神界の異変を調べなくてはいけない任務も兼ねているので、辞めるわけにはいかないが、ミコトを危険な目に合わせたくもない。

いつのまに、これ程囚われてしまったのかとエニシは遠い目をする。


ミコトがエニシを負かした相手だった事もある。

初恋の相手でもある幼馴染にあげた刀をミコトが持っていた事が後押しをしたのだろう。

まだ幼馴染がミコトだと決まったわけではないのに、そうであって欲しいと思ってしまった。

その時点でエニシの心はミコトに向いていたのかもしれない。

性別など、もうどちらでも良くなっていた。


理性には自信があるので、よほど馬脚を表す事はないだろう。

良い同志。

大切な仲間でいられるはずだ。

そうエニシは自分に言い聞かした。




ミコトは瞑想する為の陣の中に入ったその時の記憶を辿る。


体の自由がなくなり、意識が湖の奥深く沈み込んでいくような感覚をミコトは感じていた。

光が吸い取られていくのと同時に闇に引き摺り込まれていく。

体は指一本動かすことさえ出来ない。

そんな中で、真っ先にミコトの頭に浮かんだのは、他の誰でもないエニシの顔だった。

ミコトのことを揶揄ってばかりで、ミコトの神経を逆撫ですることばかりだ。

そのくせ、おせっかいで人の世話を焼く。

人を信じすぎている事や良い面のみを見ようとする事をかなりの勢いで心配されていた。

それを素直に聞かなかったが故の罰だろう。

奥へ奥へ意識が沈んでいく。

コダマの足りなくなった光の糧にされようとしている。


ただ、コダマの心も同時にミコトに伝わってきていた。

(ごめんなさい。どうしてもエレスチャルを助けたいの)

ミコトに詫びる心と共に、命の恩人の役に立ちたいという願い。

己が何者なのかすら分からないミコトにしてみれば、誰かのための肥やしになるならば仕方がないかと抗う手段を模索するのを辞めた瞬間。


ミコトを助けに来たらしい誰かの声が聞こえた。邪魔が入ってコダマの集中力が途絶えた瞬間、体の拘束が緩くなり、意識が多少明瞭になった。


「エニシ?」


反射的に名前を呼んでしまっていた。

助けに来たのが何故かエニシだと思いこんでしまったからだ。

いつの間にかミコトの心にエニシ存在が浸透してしまっている事に嫌でも気付かされた。

無意識にきっとエニシならば助けにきてくれると期待してしまっていたという事だ。


「ミコトを返してもらおうか」


最初耳に聞こえた声はエニシの声だった。

案の定、エニシは真っ先に助けに来てくれたのだ。


だがミコトの手に握られている栞の鏡面に映った者は、別の姿をしている。

助けに来たのは、いつも笑って冗談ばかり言っている表情豊かなエニシではなかった。

一つの疑問が動かないミコトの頭で交錯する。

鏡面に写っているのは、長い黒髪でクールが服を着て歩いたらそうなるであろうという美丈夫だった。

整いすぎた顔は冷徹さを増している。

あれはエニシの守護霊か何か誰であったのだろうか。

もしかしたら幻影でも見ていたのだろうか。


直接確かめようと、ミコトは声の方に顔を動かし、薄っすら目を開けた。


だが、目を開けたミコトの前に立っていたのは、見慣れた顔のエニシだった。


コダマとエレスチャルは殺されなかったであろうか。

コダマとエレスチャルの心の声が意識がないミコトにも届いていた。

男のコダマエレスチャルとオリジナルで女のコダマ様の2人が存在している事にいち早く気付けたのは、心の声が聞こえるミコトがいたからだ。

エニシの心の声も届いていた。


ただただミコトを守りたいという気持ちとミコトをハメたコダマとエレスチャルの二人に向けられた憎悪の激しさに覚醒した程だ。

なんとかエニシの怒りを解いて、止めたところで、体力がもたなくなり意識が潰えた。




次に目を覚ましたミコトが目にしたのは、全く見たことのない旅籠の一部屋だった。


心配そうに覗き込むエニシ、ハルの顔が二つ。

占い書が壁一面に並べられていた本棚や瞑想スペースはどこにもない。

壁には掛け軸がかけられ、床の間には花が生けてあった。

二間続きで片方の部屋には食事ができる机と座椅子が用意されている。

東の国によくある旅籠の一室だった。



「やーっと起きたぁ。ミコトが寝坊するなんて珍しいね」

ハルがアンチュルピーを抱きしめながら布団の中を覗き込んできた。

「ん?コダマ様は?ここは占いの館では?」

事件の全貌が知りたくて、ミコトが周りを見渡せば、開け放たれている隣の部屋に座わり、くつろいでいたカイレンが呆れたように鉄扇をミコトの方に向けて笑った。

「寝惚けてやがる!!夢と現実をごっちゃにすんなよ。この前の花街の事件が一件落着したご褒美に休みを満喫してたんだろうが」

「そうですよ?花街で本を買っていましたし。占いに気を取られすぎて、占い師の夢でも見たのではないですか?」

スピネルも隣の部屋から、布団の敷いてある部屋の方に近づいてきて笑っている。

エニシは、ミコトが目を開いた事に、心底ホッとした顔をして頷いた。


生々しい生死の境目にいる感覚は夢だったというのだろうか。

これが白昼夢というやつかと、ミコトが納得しようとした瞬間。

手に触れた栞に気付いた。

栞があるということは、夢の方が現実だったということか。

そうミコトが思考を巡らせはじめる。



エニシはミコトの表情の変化にいち早く気付いて、目を僅かに見開き驚いたような顔をした。

「あー!そこにあったんだ!!あんまミコトが起きないから、本読んで待ってたんだけど、栞…落としちゃってさぁ、なにげに探してたんだわ」

懐からエニシは本を取り出してみせた。

ミコトの手に触れていた栞を、いち早くエニシが本に挟んで戻す。


「…まったく…皆におおっぴらには見せられぬような本なのだろう」

「ヒドいわッ」

ミコトは憎まれ口を言って、その場を和ませれば、エニシもそれに乗って、よよ落涙とばかりにしなしなと塩らしく泣いて見せた。


占いの館の一件など、はなから存在していなかった。

山の中腹に建てられた宿屋は風光明媚で賑わっている。

客も温泉を楽しみにしている者はいても、占いという言葉を出している者は一人もいなかった。

客の給仕をする下女たちも慣れたものだ。

この部屋にも食事を運び、手際よく準備をしていく。


ミコトが体験した事がまるでなかったことなっていた。

酷くリアルな夢をミコトが見ていたのだろうかとミコトは混乱する。



ハルもカイレンの心の声にも矛盾はない。

休日を楽しんでいるようだ。

女中が用意して行った料理をつまみ食いしようとするハルに対して、太るからやめておけとカイレンが言ったことで、飼い主に似て食いしん坊のアンチュルピーから蹴りが飛んでいる。


穏やかな風景だ。

スピネルは次の行き先の模索を始めているらしく、地図と書類を交互に見比べている。

エニシだけが、ミコトの体を心配していた。

だが、それでさえ、中々起きなかったミコトの心配をしていたと言われれば、矛盾してはいない。


一点気になっている点はといえば、エニシが本の間に挟んだ栞だった。


「エニシ…その栞を見せてはくれないか?」

「ん?あ、コレ?」

エニシが、本の間に挟んでいた栞をミコトに差し出した。

ミコトはそれを凝視する。


夢(?)の中では、この栞は鏡面のようになっていて、真実の姿を映していた。

黒髪にしているミコトの姿はプラチナブロンドに映った。

だが今エニシから手渡されたソレは普通に黒髪のミコトが写っているだけだ。

くるくる回してみても、キラキラ光を反射するだけで何も変化はおきなかった。

薔薇の模様を押してみても何も変化することはない。


「気に入ったの?」

「…あ、ああ。凝った造りだと感心していた」

言い訳するようにミコトは、栞を握りしめた。

先ほどまでのことが夢だと思いきれなかったミコトは、夢と同じ形の栞が気になって仕方がなかったのだ。

「あげよっか?ソレ」

エニシが、ニコっと笑った。

「や、駄目だろう。明らかに安物ではない。骨董屋などでは高価なものが置いてある硝子のケースの中にあるものだ」

ミコトが言えば、エニシはフッと微笑んだ。

「いいよ。ミコト、本いっぱい読むし、お守りとして貰っといてよ」

軽い物言いの割には、断らないでと願うような空気がエニシから出ていた。

「大切にしよう」

いつもならば、文句を言ってエニシに突き返しそうなものだが、お守りとしてといったエニシの言葉に心がこもっているのを感じて、ミコトは両手でそれを包み込んだ。


大切にしよう。


たとえ、ミコトの脳裏にある記憶が現実ではなかったのだとしても、夢の中でミコトを助けたのは確かにこの栞だったのだから。



「エニシから貰うとか、危険すぎるだろ、下心丸出しで高くつくぞっ!」

カイレンがやめとけと止めに入る。

「そうだよ。なんなら僕がもっと高いものだって何でも買ってあげるよ」

先ほどまで団子を買う買わないでカイレンと揉めていたハルもカイレンに便乗した。

なんだかんだといって、息ぴったりな二人である。


「二人とも酷くないか?その扱い」

エニシがカイレンとハルに食ってかかった。


「俺たちが先にこっちの部屋(食事用に用意された座敷)で寝たのを良い事に、二人して寝所にしけ込みやがって」

カイレンが吠える。

「広いところで寝たのが羨ましいなら、誤解のない言い方で言いなさい。…それではまるでエニシが野獣化してミコトを手籠に…という事にも受け取れるだろう」

スピネルがため息をつく。

「ミコトに不埒なふるまいなどしようものなら、許さないんだからね」

ハルが両手を腰に当て顎をあげた。


「なんで、こうも信用ないかな…」

エニシが、トホホとばかりに項垂れる。


「寝所にこんな本、持ち込んでるからだと思うぞ…」

栞を渡す為に取り出し、置き忘れた春画本をミコトが皆の前に叩きつけた。


まるでコダマ様という占い師の事件などなかったのような平穏な日常の一コマである。




皆が出払って、ひと時が過ぎ。

エニシは暇を持て余していた。

「なぁ、ミコトぉ。俺らもどっか行かない?」

「まだやる事がある」

ミコトは、エニシと対になっている剣を取り出して磨き始めてしまう。

ソレ本番に使った事ないじゃん…と内心で思いつつ、手を止める気がないらしいミコトの手元を眺めながら、エニシはふと昔の記憶に思いを馳せた。




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