第七十話 ご主人さま
「フウ、久しぶりですね」
ソファーに座った少年が、部屋の入口で立ち尽くすフウに優しく話しかける。
茶色い前髪で目元を隠し、ゆったりとしたローブを身に付けた少年。
「ご、ご主人様、な、なぜこちらに?」
「あなたが女神教と交戦したと報告を受けましてね、飛んできたんですよ」
「ご連絡をしていただければ、お出迎えに上がりましたのに」
普段のフウを知る者ならば、おそらく彼女がここまで丁寧な言葉遣いで喋るのを見て驚くに違いない。
誰が相手であろうとも、常に不遜であり続けるフウが、唯一自分の上に立つのを認めている人物。
フウがただひとり、自分のボスと定めたこの少年の名は、クリス。
世界平和を目論む秘密結社『青薔薇団』の上級幹部であった。
青薔薇団は200年以上の歴史を持つ世界規模の秘密結社であり、あらゆる国、あらゆる組織に工作員が潜り込んでいる。
ここベネディクト王国の冒険者ギルド本部のサブギルドマスターであるトバルも、青薔薇団の工作員であった。
「ふふふ、あなたの驚く顔が見たくて、黙って来ました」
目元を前髪で隠した少年が、驚きに愕然とするフウを見て、可愛らしく首を傾げて笑う。
悪戯が成功したと無邪気さを感じさせる少年の声だった。
「さてフウ、女神教の排除、ご苦労様でした。 よく頑張りましたね」
「そんな、もったいないお言葉……あ、ありがとうございます。 ご主人様」
「フウおいで、久しぶりに頭を撫でてあげますよ」
「は、はいっ!」
少年、クリスが優しく手を差しのべると、フウは頬を吊り上げ満面の笑みを浮かべる。
腰から垂れるオレンジ色に黒の縞模様の尻尾をブンブンと振りながら、クリスの元へ歩み寄るとフウは跪き頭を垂れた。
クリスの手が、フウのフサフサな頭を撫でる。
「あぁ……ご……ご主人さまぁ~」
フウは信じられないほど甘えた声をあげた。
頭を撫でられ、クリスの指先が獣の耳に触れるたびに、幸せという感情で満たされていく。
フウはソファーに座るクリスの足に縋り付くと、獣の鼻をクンクンと鳴らし少年の匂いを嗅ぐ。
「フーッ……ふぅう……ぅ……ご主人さまの匂い……」
魔薬中毒者のように、少年の匂いに夢中になっていた。
意識がくらみ頭がクラクラする。
多幸感を伴う、すさまじい酩酊感だった。
無意識の内にフウは、獣が自分の匂いを移すかのように身体をクリスに擦りつける。
その姿に、虎族の闘士である面影はない。
普段の横暴な彼女からは考えられない、まるで媚びを売る愛玩動物のようであった。
クリスはフウの頭を撫でながら、対面に座っているサブギルドマスターのトバルに出て行けと目配せを送る。
フウの醜態に驚いていたトバルは、クリスの合図に気づき慌てて立ち上がった。
「で、では、何かあれば遠慮なくお申し付けください。 し、失礼いたします」
そう言うと、トバルはそそくさと部屋を後にした。
◇
トバルが部屋から出て行くのを確認すると、クリスは身を寄せているフウに話しかける。
「フウ、女神教の襲撃者の中に、勇者の末裔がいたそうですね」
「はい、ご主人さまぁ」
「それほどの者がいると知っていれば、あなた一人に任せなかったのですが……」
撫でていたクリスの指をペロペロと舐めるフウの顎を、クイッと指先で上げてみせる。
見上げたフウの顔は、蕩けた雌の顔をしていた。
「それで、勇者の末裔と直接闘ってみて、どうでしたか?」
クリスの声色が変わったのを敏感に察知したフウは、蕩けた顔をキュッと引き締めた。
「正直なところ、勇者の力、侮っておりました。 あれは一種の化物です」
勇者の末裔であった女神教の神官、ジヴァート。
Aランク冒険者のフウ、剣聖ミレーヌ=ソレイユ、そして暗黒街の妖精クエル=ガーランドの三人がかりで何とか倒した相手。
しかもジヴァートは、天使候補であるケイン=シルフィードの魂を奪うために『魂盗』を使い、魔力の大半を失った状態であった。
もし万全の状態であったとしたら、果たして勝つ事が出来ていたのか?
「なるほど、ノインも似たようなことを言っていました。 やはり実際に闘った者の言葉は、重みが違いますね」
クリスの呟きに、フウは獣の耳をピクッと動かすと眉間にしわを寄せて顔をゆがめた。
ノインとは、クリスの護衛を務める魔法剣士の事である。
女性でありながら身体より大きな超ド級の大剣を軽々と振り回し、魔法に長けたエルフに匹敵する魔力の持ち主であった。
また、彼女はクリスのお気に入りであり、フウにとっては恋敵でもある。
「そう言えばご主人様、ノインの奴はどこに? 一緒ではなかったのですか?」
いつもは金魚のフンのようにご主人様の側にいるノインの姿が無い事に、フウは疑問を抱く。
「彼女には、ちょっとしたトラブルの事後処理をお願いしていましてね」
「トラブル? 何かあったのですか?」
「……組織のアジトが一つ、潰されました」
「アジトが潰された!?」
事の発端は、組織の中から裏切者が出た事であった。
裏切り者と言っても、組織の末端の戦闘員であり、任務に失敗し粛清しようとしたところ、組織から脱走したのである。
本来であれば、暗殺部隊を送り込み口封じをすれば済む話なのだが、ここで問題が起きた。
あろうことか裏切者が逃げ込んだ先には、フウにも因縁のある狼族の少女がいたのである。
そして彼女が関わるとなると必然的に、ある男も一緒に関わる事になった。
黒い髪をした青年、それに加えてSランク冒険者まで出てきたのである。
結果、青薔薇団のアジトの一つを物理的に叩き潰されたのであった。
「ノインには、関係各所に連絡をして我々の事が表に出ないよう動いてもらっています」
「冒険者ギルドから、Sランク冒険者が天使候補よりも優先する案件があるとは聞いておりましたが」
フウの声がわずかに硬くなっていた。
考えていた通り、Sランク冒険者は黒髪の男の調査をしていたようだ。
だが、Sランク冒険者と黒髪の男、オマケで狼族の少女がパーティーを組み、組織のアジトを潰すとは思ってもいなかった。
「フウ、あなたはもうしばらく、この国に滞在してもらえますか」
クリスはいきなり話題を切り替えた。
あまりこの話題には触れたくないらしい。
「それは構いませんが、何をすればよいのですか?」
「あなたには、魔獣の活性化の調査をしてもらいます」
ここ最近、各地で魔獣の活性化が頻発していた。
大量の魔獣が発生し、森などから溢れ村や町に被害をもたらしている。
ベネディクト王国の近隣国でも、魔獣の活性化被害が出ており冒険者ギルドが討伐に乗り出していた。
「魔獣の活性化範囲が広がりつつあります。 もうじきこの国でも被害が出始めるでしょう」
「元々、表向きには魔獣の活性化対策の為に冒険者ギルドへ呼ばれておりましたので問題ございません」
「それと今回の事件を聞いたドラゴン教が動く気配があります。 天使候補の監視もしてください」
「わかりました、幸い天使候補の者とは友好的な関係を築けております」
「頼みましたよ」
穏やかな声で言うと、クリスは再びフウの頭を撫で始めた。
フウは再び蕩けた顔をする。
「ご主人さまの為ならば、何でも致します」
「フウ、あなたは本当に良い娘ですね」
「それで、あの……ご、ご主人さまぁ、お願いがあるのですが」
フウはクリスの膝の上に顔を乗せると、もじもじしながら上目遣いでクリスを見上げる。
それだけでクリスは、フウが何をして欲しいのか察する。
「フウは甘えん坊さんですねぇ。 いいですよ、今夜はたっぷりと愛でであげましょう」
「ご主人さまぁ……あ、ありがたき幸せぇ」
その夜、ギルド内では獣の喘ぎ声が一晩中響いていた。
お読み頂き、ありがとうございます。
この作品を「面白い」「続きが気になる」と思っていただけたなら
ブックマーク登録と下にある★★★★★をポチッと押していただけるとありがたいです。
感想やレビューも是非お寄せください! 皆様からの応援をお願いします!




