第十三話 悪女覚醒
「クエル様、人間が勇魔戦争と呼んでいる戦争を、知っておられますか?」
「確か……二百年ほど前の世界大戦」
ソフィアの問いに、クエルが答える。
勇魔戦争。
今からおよそ二百年前に魔族の軍勢が突如、地上に侵攻を開始した。
魔族の軍勢は瞬く間に世界の半分を侵略。
世界は魔族に支配されるかに思われた。
「勇魔戦争が始まる前、地上侵攻の準備をされている頃でございます。
我が主であらせられるリゼル様が、魔王であらせられるアルデ様の子を身籠っているとわかったのは。
ひょっとするとアルデ様は地上侵攻の前に、自身の子を残しておきたかったのかも知れません。
妊娠していると分かったリゼル様は、戦争が始まる前にわたくしを含む配下を連れて人里離れた山中の村へと身を隠しました」
「ちょっと待ってください、配下って母様は一体……」
「わたくしは、リゼル様にお使いしておりました魔族でございます」
「……母様が……魔族……」
「わたくしだけではございません、ここにいる者たち全てが、リゼル様にお使いしていた魔族でございます」
クエルは、改めて部屋の中を見回す。
背後で跪いているセリカとエリス。
深紅の絨毯の両隣に跪いて並んでいる、女執事やメイドたち全員が……魔族!?
「リゼル様が身を隠してからしばらくして勇魔戦争が始まりました。
しかし、その結果は……クエル様もご存じの通りです」
「……はい」
地上を侵略する魔族の軍勢に対して、人類は人間・エルフ・ドワーフ・獣人の連合軍を結成。
さらに聖竜セイントドラゴンの使者、竜の戦士の介入により人類の勝利に終わった。
竜の戦士とは、人類が魔族の軍勢に対し反攻に転じるキッカケを作った人物として語り継がれており。
勇魔戦争終結後、竜の戦士が現れた山は、聖竜山と名付けられて、聖地となっている。
「夫であらせられたアルデ様が亡くなられたと聞いたリゼル様は、大変悲しまれました。
悲しみに暮れるリゼル様を、我々は見守る事しか出来ませんでした」
ソフィアはそこで口をつぐむ。
部屋のあちこちから執事やメイドたちの嗚咽が聞こえてくる。
言葉に出せないほどの悲しみに涙を流している。
「その後、リゼル様は我々に言いました『アルデ様は世界に真っ向から挑んで敗北した、ならば私は世界の裏からこの地上を支配する』と、
そしてリゼル様は、我々にある命を下しました」
「一体なにを命令されたのですか?」
「人間社会に溶け込み、裏で力を蓄え闇の基盤を作るようにと、
そこで、わたくしやセリカなどは村を出て人間社会に、エリスなどの者たちはリゼル様をお世話する為に村に残りました。
それから各地を転々とし、長い年月をかけ裏社会で地位を高めてまいったのでございます」
ソフィアが裏社会で力をつけ『暗黒街の魔女』と呼ばれるようになったのには、このような背景があった。
「……わたしを産んだ方は、そのリゼルと言う方は、今どこにおられるのですか?」
「そ……それは……」
ソフィアが言葉に詰まる。
「母様っ!」
「リゼル様は……亡くなられました……」
「…………!? ……亡くなった……」
「リゼル様は、クエル様を出産された後、一週間ほどしたあと……」
「なにが……一体なにがあったのですか!」
「この事を、クエル様にお伝えしてよいものか」
「……教えてください」
「……かしこまりました、エリス」
しばらく考えた後、ソフィアはエリスを呼んだ。
「エリス、リゼル様のことをクエル様にお話しなさい」
「かしこまりました」
そしてエリスが語りだす。
◇
「ソフィア様たちが村を出て、リゼル様のお腹が大きくなった頃でございます。
お腹の中にいる子が、リゼル様の想像を超える魔力量を持っていることがわかりました」
魔族が想像を超える魔力量。
その魔力量にクエルは心当たりがあった。
邪神の加護。
「リゼル様のお腹の中にいる間は、赤子はリゼル様の魔力によって守られておりましたが、
そのまま出産した場合、産まれる赤子には身体に大きな負担をかけ命の危険すらありました。
そこでリゼル様は、自分の魔力を使い魔封じの指輪を作り出したのです」
「まさか、この魔封じの指輪は」
クエルの指にはまっている十個の、銀色に輝く指輪。
「はい、リゼル様が産まれてくるクエルお嬢様の為に、自らの魔力を使い作られたのです」
「お母さまが……」
両手にはめられている指輪を、愛おしく撫でる。
こういう事だったのか。
考えてみればおかしな事だった。
魔封じの指輪を十個もはめ、それでもなおあふれ出る余剰の魔力量。
なぜこれほどの魔力量を持っていてもソフィアや他の者たちがそこまで驚かず、むしろ褒め称えていたのか。
彼女たちが魔族であり、クエルが魔王の娘であるならば不思議ではなかったのかもしれない。
「ですが、リゼル様が魔封じの指輪を作り終えた直後、陣痛が始まってしまいました。
そして出産の際に、大量の魔力を消費してしまったのです。
魔道具の製作と出産で大量の魔力を失ったリゼル様は、クエル様を産んだ一週間後に……」
「そんな……」
クエルはガックリと膝を絨毯の上に落とし、座り込んでしまう。
「わたし、わたしのせいで、わたしを産んだからお母さまが亡くなられたのですか……」
「クエルお嬢様、そのような事はございません」
「……でも……」
エリスが涙ながらに訴える。
「リゼル様は、クエル様がお生まれになったとき言いました。
『この子は魔王アルデ様が残してくれた、我ら魔族にとって悪の救世主になってくれる子だろう』と、
そして、笑みを浮かべたまま亡くなられたのです」
エリスの言葉に、再び部屋のあちこちから執事やメイドたちの嗚咽が漏れ聞こえる。
クエルの脳裏に、いつか聞いた邪神の言葉が蘇る。
『無垢なる魂よ、我が闇の力を与え、それを使うにふさわしい者へ転生させよう、その力を使い悪の救世主となるのだ、世界が光に包まれる前に』
「……悪の……救世主……」
絨毯に膝をつき、クエルの表情も声も変わらず穏やかなままである。
だが、何かが確実に変わりつつあった。
それは例えるなら、蛹が蝶に変わるがごとき劇的な変化。
もちろんクエルの外見が変化するわけではないが、クエルという存在の内面は今、音を立てて古い衣を引きちぎってでもいるかのようであった。
クエルの変化に気が付かぬまま、ソフィアが口を開く。
「クエル様がお生まれになり、リゼル様が亡くなられたとエリスからの報告を聞いたわたくしは、すぐにわたくしの元へクエル様を連れてくるよう指示を出しました。
わたくしはその時すでにガーランド家へ入り込んでおりましたので、わたくしの娘としてクエル様を育てて……」
「うふふ……」
小さな笑い声が漏れた。
「く、クエルさま……!?」
その裏ではなおも、目に見えない確実な変化が進行し続けている。
クエルという幼い少女から、まったく異なる存在へ。
「あはは……」
クエルはゆっくりと立ち上がった。
その表情も、物腰も、なんら変わるところはない。
だがクエルは、明らかに人ではなくなっていた。
邪神の力を使うにふさわしい者へ。
逃れられない運命なら……。
クエルはゆっくりとした足取りで絨毯の上を歩き段差を上る。
そして、最奥にある金製の玉座にゆったりと腰かけた。
脚を組み、肘掛けに肘を乗せ手の甲に顎を乗せる。
「皆の者、面を上げよ」
クエルの言葉に跪いていた執事やメイドたちが顔を上げた。
違う。
自分たちより少し高い位置の玉座に腰かけている幼い少女。
赤ん坊の時から今に至るまで、皆で見守り育ててきた。
だからこそわかる。
クエルを見た執事やメイドたちは感嘆せずにはいられなかった。
美しい。
見る者を虜にし陶酔させる悪の華。
このお方こそ、我ら魔族の新たなる闇の女王。
嗚咽に涙していた者たちは、今度は感涙をこぼしていた。
「ソフィアよ」
「はっ!」
「今まで私の母親役、ご苦労でした」
「もったいのうお言葉、ですがクエル様に本当の事を隠し剰え、
わたくしの創った魔薬に身体を侵されるなど、どのような罰を受けようとも受け入れる所存でございます」
「……そうか」
クエルはほんの少し考えを巡らせると。
「それではソフィアよ、クエル=バーンシュタインの名で命ずる。
貴女はソフィア=ガーランドとして今一度、クエル=ガーランドの母親を演じなさい」
「…………!? クエル様、それは?」
「お母さまは『世界の裏からこの地上を支配する』とおっしゃった、
ならば我々は、世界の裏側から誰かの力を削ぎ、誰かの野望を唆し誰にも気づかれないよう世界を動かしていくのです。
その為ならば、私も本当の名を隠し、クエル=ガーランドとして今は生きましょう」
「クエル様……かしこまりました」
ソフィアが頭を下げると、クエルは玉座から立ち上がる。
「皆もよく聞け、我々は今まで通り世界の裏で暗躍し続ける。
だが、この世界の裏を闇で支配したとき、私は再び本当の名を名乗りましょう。
それまで皆の働きに期待する」
クエル言葉に、その場にいた全員が頭を下げる。
「「「「「「「「「「我ら一同、クエル様に忠誠を誓います」」」」」」」」」」
この日、クエルは何も知らない無垢な少女から悪女へと覚醒した。
ベネディクト王国の国中に『暗黒街の妖精』と呼ばれ恐れらるようになるのは、この一年後であった。
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