第一話 小悪魔
幼い少女が集中して読書をしている。
本のページを捲る幼い指には、銀色に輝く指輪がはめられていた。
長い薄紫の前髪は目元を隠してしまう程度に長いが、慣れているのか少女にうっとおしさを感じている様子はない。
フリルがたくさん付いた黒色のジャンパースカートに、薄紫の長い髪にヘッドドレス、いわゆるゴスロリと呼ばれる服装。
前髪から覗く青い瞳に桜色の小さな唇が、全体的にあどけない控えめな様相を強めている。
幼い少女の名は、クエル=ガーランド。
ベネディクト王国の辺境の街マリスを支配する貴族、ソフィア=ガーランドの一人娘である。
クエルには、優しい母にも、親しいメイド達にも秘密にしている事があった。
事の起こりは、今から二週間ほど前、クエルは突然の頭痛により倒れてしまう。
高熱を出し意識が朦朧とするクエルは、そこで不思議な夢を見た。
草壁葵と名乗る女性が、日本という国で暮らすというモノだ。
倒れてから一週間後、意識を取り戻したクエル。
不思議な夢であったが、夢の一言で片づけるには余りにもリアルであった。
なぜなら、別の世界の事をハッキリと思い出せるのである。
当たり前のようにその女性、草壁葵の記憶を自分の事のように思い出すことができる。
一つの肉体に、二つの記憶。
体調が回復してから自身に起きたこの不可解な症状を調べるために、連日屋敷の書庫で本を読み漁っている中で似た症状の事を書いた本を見つけた。
本に書かれた内容、それは異世界の記憶を持ったまま生まれると言われる、
『天使』と呼ばれる存在である。
この世界は長い歴史の中で、何度となく魔族と呼ばれる種族からの脅威に晒されていた。
その度にどこからともなく現れる、黒髪の者たちが闇の脅威を打ち払ってきた。
黒髪の者たちは女神によってこの世界に召喚された異世界の者であり、人々は彼らを『勇者』と呼んだ。
だが、二百年前の世界大戦、勇魔戦争を最後に勇者が召喚される事はなかった。
その後、各地で不思議な子が生まれるようになる。
生まれた子は、他の者よりも優れた知力、強い腕力、高い魔力などを持っており、その者たちは皆、別世界の記憶を持っていたのである。
また、その者たちは女神によって別の世界から転生してきたと語り、人々は彼らを女神の使い『天使』と呼んだ。
「私は……転生者……」
誰もいない書庫でクエルは一人呟くと、読んでいた本から顔を上げゆっくりと目を閉じると、あの夢の最後の光景が鮮明に甦る。
◇
深淵なる闇。
静寂に支配され、暗闇に黒く塗り潰された世界。
自分が立っているのか、宙に浮いているのか、上下左右の感覚も分からぬ闇。
目の前の手も見えない、性別すら分からぬ程の闇。
一寸先も見えぬ闇の中で、何かが揺れた。
本来、漆黒の闇の世界に相応しくない不快なノイズが一瞬、空間を揺らした。
いや、厳密には揺らされた、っと言うべきか。
それはあまりにも微かな、それでいてささやかな、しかし闇の世界に確かな変化が起きた。
闇の中で目覚めた意識。
確かな息遣いを感じさせる、生きた闇。
濃密な闇が目の前にいる。
手を触れれば取り込まれしまいそうな濃密さを備えるこの闇こそが、邪神の姿なのか。
邪神の放つ負の力に圧倒され続けていると闇が、邪神が語り掛けた。
『無垢なる魂よ、我が闇の力を与え、それを使うにふさわしい者へ転生させよう、その力を使い悪の救世主となるのだ、世界が光に包まれる前に』
◇
ゆっくりと目を開き、クエルは幼い指にはめられた銀色に輝く指輪をそっと撫でた。
その指輪は、魔封じの指輪と呼ばれる魔道具。
クエルは生まれた時からその身に膨大な魔力を宿していたが、その魔力はあまりにも強く、クエルの身体に大きな負担をかけていた。
放置すれば命の危険すらある魔力を、魔封じの指輪を指にはめることで抑え込んでいる。
本来、この魔封じの指輪一つで上級魔導師と呼ばれる魔法使いの魔力を、完全に封じることのできる魔道具である。
その指輪をクエルは両手に合計十個はめていた。
自身が宿している魔力が邪神の加護によって得たのならば、この馬鹿げた魔力量も納得できる。
「女神の使いが天使と呼ばれるのなら、邪神の使いの私は悪魔と呼ばれるのかしら?」
なんだか可笑しくなり口元がわずかに緩んだ。
引っ込み思案で気弱で控え目な性格をしており、人と関わるのが苦手。
その影響で目元まで前髪を伸ばし容姿を隠す癖があり、周りには暗い印象を与える。
良く言えば箱入り娘、悪く言えば陰キャ。
そんな彼女に邪神は、この世界全体にすべての悪をはびこらせる悪の救世主をやらせようと言うのだ。
あきらかに邪神の人選ミスであろう。
「ん……?」
クエルの耳に、パタパタと廊下を早足で歩いてくる音が聞こえてくる。
その足音はクエルが読書をしている書庫の前で止まると、小さな音を立ててドアが開く。
現れたのはメイド服を着た女性であった。
ガーランド家に仕えるメイドであり、クエルの身の回りの世話をしてくれているエリスである。
「エリス、どうかしましたか?」
「お嬢様、ソフィア様がお呼びです」
「母様が? わかりました」
クエルは読んでいた本を片付けると、エリスと共に書庫を後にした。
◇
「ソフィア様、クエルお嬢様をお連れいたしました」
「入りなさい」
エリスが扉を開け、クエルは中へと促される。
部屋の中には二人の女性が居た。
一人は豪勢な椅子に座り、高級な机の上で両手を握り合わせている。
銀色の長い髪に、漆黒のドレスを着た妖艶な美女。
彼女がガーランド家の当主であり、クエルの母であり、このマリスの街を支配する貴族、ソフィア=ガーランド子爵夫人である。
前当主である夫を亡くし現在、未亡人である。
「クエル、身体の方はもうよろしいのかしら?」
「はい母様、ご心配をおかけいたしました」
「良かったわ、貴女に何かあったらと思うと胸が張り裂けそうでしたわ」
そう言うとソフィアの驚くほど豊満な胸が揺れた。
「ところで母様、私にどのような御用でしょうか?」
「貴女を呼んだのは、魔法の訓練をしてもらおうと思ったからです」
「えっ! 魔法を使ってもよろしいのですか!?」
クエルはメイドのエリスから魔法の勉強として、読み書きは習っていたが魔法を使うことは母から禁止されていた。
それは、まだ幼いクエルに配慮しての事であり、クエルも素直に従っていた。
「あなたが倒れた際に、あなたの体内の魔力が大きく乱れたのを確認しましたわ。
これは体内の魔力を操作できず、放出の方法を知らなかったのが原因だと思われるの。
その為に、高熱を出したと考えられますわ。
このままではいずれ魔封じの魔道具でも抑えきれなくなるでしょう。
まだ早いかもしれませんが、あなたには魔力の操作と使い方を覚えてもらいますわ」
実際の所は前世の記憶が蘇った事により身体がパニック状態となり、幼い脳に多大な負荷がかかり知恵熱を出したのが正解であった。
魔力が乱れたのは、そちらの要因が原因であったが、ソフィアは知る由もない。
「わかりました、母様」
「魔法に関してはここにいる、セリカに任せます」
そう言うと、ソフィアは横で待機していた女性執事を紹介する。
「本日よりクエルお嬢様の魔法講師を務めさせていただきます、セリカと申します」
ガーランド家に仕える執事であり、ソフィアの右腕的な存在でもあった。
「明日からお屋敷の敷地内にある訓練場で魔法の講義を始めます」
「はい、よろしくお願いします」
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