8. はじめての小さな交渉
今日も部屋には明るい日差しが溢れていて。
アンネが淹れるお茶と故郷から持参したドライフルーツで一日を始める。
「やっぱり閨のお話が頭から離れないわ。他の侍女から何か情報は入っていないの?」
「残念ながら、侍女たちも同じことを言っていました。おそらく……まぁ絶対に陛下は来ないだろうから、それぞれのお嬢様は全く期待すらしていないんだとか。ただ対外的にはそんな不敬なことは言えませんからね。なんとなく期待している風を装っているとのことです」
「そうなのね……それなら、私も同じよね? 心配せず楽しく過ごしていればいいのよね?」
「それではこの婚姻は、姫様がいつも仰る『人質タイプ』という結論になりますよ?……それでもよろしいのですか?」
「うん、それでいいってことにするわ。他にも『妻タイプ』『妾タイプ』と設定して、いろいろと想定してはみたけれど、どれも全くしっくり来ないもの。だから『人質タイプ』がベストってことにしておくわ」
アンネが大きく息を吐く。
どうやら私の考えに呆れているようで——。
「街へ行くのが難しいなら、レース編みを再開しようかしら?道具は持ってきたわよね?」
祖国エルトネイル王国には古くから伝わるレース編みの技法があって、それをマスターした私の腕前は、プロ並みと言われていた。
「それは良いお考えです!すぐに道具をご用意いたしましょう」
エルトネイル産の細くて良質な亜麻糸を使うレースは、それはそれは美しくて。衣服の装飾としても十分に存在感を発揮すると有名な芸術品だ。
たくさん作って皆さんにプレゼントしようかしら。
喜んで下さる方もいるかもしれないし。
「姫様、亜麻糸が残り少なくなっております。気付かず申し訳ございません。エルトネイルから送ってもらいましょうか?」
「そうね、とりあえず……何か作ってみるわ。続けて他にも編もうと思ったら、取り寄せるか考えましょう。送ってもらうとなると税もかかるだろうし」
アヴァンジェル帝国は自国の産業を保護するため、他国からの輸入品に高い税を課している。——嫁いでくる前に学んだ知識だ。
レースを編むと、ざわつく心が落ち着くような気がした。
編み上がっていくレースに、純粋な美しさが宿るからだろうか。
まずは、レースで飾った小さな巾着を作った。
祖国のお母様に喜ばれた品だ。
「見て!上手くできたわ。やっぱり糸は取り寄せた方が良さそうね。レースだけで何かを作ろうと思うと、全然足りないもの。勝手に輸入して問題になるといけないから、レオンさんに聞いてみるべきね」
——私はまたレオンの執務室を訪ねることにした。
数日前に皆でランチを楽しんで以降、レオンにもアダムにも会っていない。
あれほどバッタリ会う機会が多かったのに、不思議なものだ。
「入れ!」
ノックすると、レオンの他所行きで低い声が聞こえる。
重い扉を少し開けたその先に、騎士のアダムも見えた。
「あ、申し訳ございません。レーナマリア様でしたか!ご連絡をいただければ、こちらから伺いましたのに。今日はどのようなご用で?」
嬉しそうに聞くレオンを見て、ホッとした。
迷惑そうにされたら、糸のことなど言い出せそうにないから。
「こんにちは!アダムさんもご機嫌いかがですか?今日はご相談があって伺いました。私の祖国エルトネイルから、亜麻糸を送ってもらいたいのです。多くの量を取り寄せたいので、個人で輸入しようと思いまして。税を自分でお支払いすれば、勝手に家族と連絡をとってもよろしいのでしょうか?」
レオンとアダムが顔を見合わせるのが分かる。
しばらく二人とも黙って、何かを考えている様子だ。
「なにか?……おかしなことを申しましたでしょうか?」
「いや、そうではありません。一国の王女だった方が……税のことまで気になさるとは思ってもいなかったもので。少し意外でした。驚いただけですので、お気になさらず」
そう答えたのは、それこそ意外にもアダムだった。
いつもの静かな雰囲気と声からは想像できない、大袈裟というのが相応しいような——そんな反応を見せたのである。
「そうですか?エルトネイルのような小国ですと、税について無関心ではいられませんもので。私は他の王女様たちとは異なるタイプなのかもしれませんね」
なるほど——と言うような二人の反応に満足していると、アンネと目が合う。まるで『もっと食い下がれ!』とでも言いたげな様子で、こちらを見ている。
「それであのぅ……大量に輸入しましたら、税を安くして頂けるような仕組みはございませんか?」
「ええ、ありますよ。エルトネイルとは協定を結んでいますので、それなりに……。後ほど詳しい資料を持って伺います」
「ありがとうございます!お待ちしていますわ。お茶をご用意しておきますから、アダム様もご一緒にどうぞ」
ホッとした私は思わずスキップなど踏んで——。
それは性懲りも無くて。
いつにも増して『はしたない』とアンネに叱られたのであった。