6. 姫様と侍女、はじめての出待ち
「おはよう、アンネ。昨日のことは本当に反省しているわ。レオンさんに謝ってくるから許してちょうだい」
——やりすぎた自覚があって、私は本当に反省しているのだ。
決して口だけではない。
「ところで、レオンはどこで仕事をしているの?」
「陛下の執務室ではないかと思いますが、スケジュールも知らないのに訪ねて行くのは無礼だと思います。それに一般的には面会の申請が必要なはずです」
「そうなの?……わかったわ。それならアーネストに聞いてみましょうか」
「私もお供いたします。お一人での外出はダメですよ!」
二人で長い廊下を抜け、後宮付きの侍従アーネストの元へと向かう。
こうしていると、イズ様に攻撃された日のことが思い出されて。
どうしても悪寒を感じてしまうのだから——記憶というのは厄介なものだ。
◇
——執務室を守る騎士に事情を説明して、アーネストに取り次いでもらう。
「どうぞ」と入室を促す声に導かれてようやく、私は胸を撫で下ろした。
後宮に来てからというもの、庭園と図書館が私の行動範囲のほとんどで。
それ以外の場所に足を運ぶ機会が極端に少ないせいか、無意識のうちに緊張してしまうのだろう。
執務室に入ると、書類に視線を落としていたアーネストが顔を上げた。
いつもどおりの優しい笑顔で。
「レーナマリア様、本日はいかがなさいましたか?」
「陛下の侍従、レオンさんにお会いしたいのです。どちらを訪ねればよろしいかしら?……面会申請はしていないのだけれど」
「ちょうど今日は、練武場にいらっしゃるはずですよ。剣術を教えられる日ですから。時間を調べますので、少しお待ちください」
——簡単に確認を済ませたアーネストは、メモを用意してくれた。
「既に稽古が始まっていますね。練武場へは一時間後に行ってみて下さい」
「わかったわ、ありがとう」
——それから一時間、私たちは時間どおりに移動した。
練武場の佇まいは圧倒的で、図書館以上に荘厳な雰囲気を醸し出している。
白い壁に金色で描かれた皇族の紋章もまた象徴的で。
その神々しさといったら、まるで神殿のようだ。
中に入ると既にたくさんの令嬢が集まっている。
競技会でも開催されるのだろうか?——そう思うほどの人数だ。
「ちょっと失礼。今日は何か特別な催しがありますの?」
「出待ちですわ。お慕いする騎士様が練習を終えて出て来られるのを、皆それぞれ待っているのです」
「まあ!こんな集まりがあるとは存じませんでしたわ。アンネ、私たちはあちらの隅でお待ちしましょう」
私とアンネは、まだまだ部外者。
やはり物珍しく映るようね——。
この視線が好意的なものか否か、そう簡単に測れるはずもない。
「どちらのご令嬢かしら?」
「あんなにお美しい方、お見かけしたことがないわ」
「どなたをお待ちなのかしら?」
囁く声が思いのほか響いて、私たちの耳にも届いてしまう。
アンネは誇らしげだけれど、私にとっては気まずい一瞬だ。
——ようやく騎士一番手の登場かと思ったら、先頭を歩くのはレオン。
「レオン様だわ。あなた早く行きなさいよ……」
一人の令嬢を皆で励ます声が聞こえてくる。
レオンは恐ろしいほどにお構いなしで——。
満面の笑みを浮かべながら、私たちに近付いてきた。
「嫌な予感がするわ。私たちが横取りするみたいになっちゃうじゃない!?」
「え、ええ……そんな気がします」
——『レオン、お願いだから今は話しかけないで』
「お二人ともこちらで何を?昨日は楽しかったです。ありがとうございました!」
心の叫びも虚しく、レオンに話しかけられてしまって。
まともに令嬢たちの顔を見ることすらできない。
「私たちのことはお気になさらず。あちらのご令嬢を……」
令嬢を手で示そうとしたけれど、私は途端に躊躇した。
怒りに震える令嬢の視線が私を射抜いてしまって——。
堪らず目を逸らした私を見て、さすがのレオンも察したのだろう。
くるりと向きを変えて令嬢の方へと歩いて行った。
——後の祭りでしょう?
「それで、どのようなご用でこちらへ?誰かをお待ちですか?」
「はい、レオンさんを待っておりました。ただ……その……『出待ち』という言葉も練武場の存在もレオンさんが剣術を教えておられることも全部、先ほどまで存じませんで。こうしてご令嬢たちの邪魔をしてしまいましたわ……。昨日のご無礼をお詫びしようと思っただけなのに」
「ありがとうございます。思い出しただけで愉快な気分ですよ。ご安心ください、陛下には秘密にしておりますから。ところで……昼食をご一緒しませんか? 友人と約束をしているので、お二人も是非」
爽やかに笑顔を浮かべるレオンは、まるで王子様で——。
断れるはずもない。
令嬢たちの冷ややかな視線を背に、私たちは練武場を後にした。
◇
——図書館の前に差し掛かると、見覚えのある騎士が立っている。
図書館でぶつかった、あの美しい騎士だ。
その前を通り過ぎようとした時、レオンが私を呼び止めて——。
「レーナマリア様! 彼です、こちらが友人です」
「そうなんですか!?昨日もお会いしましたわよね?こんにちは」
「そうですね。私はアダム・アーヴァンと申します。以後お見知り置きを」
「こちらこそよろしくね。私はレーナマリア・ルディ・エルトネイルと申します。こちらは侍女のアンネですわ」
——レオンに従って辿り着いたのは皇城の一室。
大きなデスクには雑多に、山積みの書類や筆記具が置かれている。
どうやらここの住人は、職務に忙殺されているようだ。
「まあ……このお部屋の持ち主さん、とってもお忙しいのね? 暇な私が手伝って差し上げたいくらいですわ」
「それ私の上司に直接言ってやってください。ほんと人使いが荒くて困っているんですよ!なぁ?」
そう言うとレオンは揶揄うように笑って、アダムに同意を求めている。
けれど、アダムは随分と気まずそうね——。
「剣の授業の後は食欲が増しますの?」
「いえ、私と彼にとっては『いつもの』量です。驚かせてしまいましたね」
運ばれた昼食の量を見るなり、私はそう聞いてしまう。
山盛りのパンとサラダ、肉や魚に卵料理まであって——。
男性二人でも食べ切れるかどうか、私には疑問だったから。
——食事を始めると、思いのほか話も弾んで。
騎士のアダムが私に話しかけてくれた。
落ち着いた話し方、声は低くて深みがある。
相手をホッとさせる人柄なのかもしれないわね。
「レーナマリア様の祖国エルトネイルは、アヴァンジェルとだいぶ違いますか?……ここに来て戸惑われることもあるのでは?」
「特には……。なにしろ私、恥ずかしながら50番目ですもの。あ、50番目の最下位側室という意味ですけれどもね。ですから、誰からも期待されていませんし、国のお話も耳に入っては来ません。自分の目で確かめようにも……とんでもなく面倒でしょう? 外出の手続きが! まぁいつか勝手に柵を乗り越えて出て行ってやりますけどね。祖国でもそうしておりましたし。レオンさんには申し訳ないですけど、あそこに閉じ込められたままでは生活費を浪費するだけの……そう、小豚ちゃんになってしまいますわ!!」
私はアンネと一緒に来ていることをすっかり忘れて、お腹を抱えて笑った。
レオンもまた声を殺して笑っているのだけれど。
そして質問をした人——アダムも大きく噴き出したところなのだけれど。
——私はすぐに笑うのをやめた。
「アンネ、ごめんなさいね。また私……」
「姫様すぐに戻りましょう。これ以上お外にいますと、どんどんどんどん恥をかいてしまわれますから。本当にこのままでは私、国王陛下に顔向けができなくなってしまいます!」
「いえいえ、楽しかった!」
「こんなに楽しそうなアダムを見たのは久しぶりですから。それだけで感謝に値しますよ」
——二人からそう言われたところで、アンネが許してくれるはずもない。