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4. 38番の悪意

 ——大きな窓から差し込む朝の日差し

 目覚めてすぐ私が感じたのは、新しい生活への期待と少しの緊張だった。

 今までに感じたことのない気持ち。

 ベッドから起き出す頃にはもう、アンネが待機してくれていて。


「おはようございます。今日は気持ちの良い朝ですよ」

「そうね、庭園を散歩してみたいわ」


 たまたま空いた部屋だと聞いたけれど、こんなに素晴らしいお部屋が50番目の側室に与えられるなんて。——そんなことってあるのかしら?


「洗顔のお手伝いをいたします」

「ありがとう。このお部屋……本当に心地がいいわね」

「ほんとうに。風も気持ち良くて最高です!」


 ——こうして私たちの後宮生活は、想像以上に恵まれた環境で始まった。


 ◇


 清々しい空気を吸いたくて、私たちは庭園を散歩することにした。

 まだ早い時間だから誰もいないと思っていたのだけれど、既にそこには一組の先客がいて。高貴な身分をうかがわせる女性とその侍女、二人の女性だった。


 特に目が合ったわけでもないのに、二人は躊躇(ためら)うことなく私たちに近付いてくる。——なんだか良くない雰囲気だわ。


「あなた誰?」

「ご挨拶が遅れました。エルトネイル王国から参りました、レーナマリア・ルディ・エルトネイルと申します。宜しくお願い申し上げます」


「新しい側室ね。もしかして50人目の?」

「左様でございます。新参者でございますので、ご指導のほどお願い申し上げます」


「ふぅーん……私は38人目よ。イズ・ド・フランチェスですわ。こちらこそ宜しくね。それでねぇ……あなた、あの部屋はどうやって手に入れたの?」

「部屋でございますか? たまたま空いたと聞いておりますが」


「そんなはずないわよ!!私がずーっと頼んでたんだから。なんでアンタみたいな小国の王女ごときが使うのよ!?おかしいでしょう? 悪いけど、すぐにイズ・ド・フランチェスへ譲ると言ってきてちょうだい!」


「……アンネ、戻りましょう」


「ちょっと待ちなさいよ!ここで『譲ります』って言えばいいのよ」


 初めて経験する強い悪意。

 そんな悪意の前に身を置けば、息もできないし身動きもできない。

 そう学んだ瞬間だった。


「姫様、私の後ろへ……」


 アンネが私を庇おうとしてくれる。

 イズ嬢が高く上げた扇子を私に振り下ろそうとしているからだ。


「そこまでです!!」


 響く声に振り向くと、昨日港へ迎えに来てくれた侍従のアーネストが立っていた。どこから見ていたかは知らないけれど、走ってきたようで——。

 少し息を弾ませている。


「何よ!何か用?」


 イズ嬢は全く動じない。

 自分の方が彼よりも立場が強いと判断しているからだろうか?


「それ以上は目に余ります。陛下にご報告しますよ」


 助かった!と思ったのも束の間——。

 私の身体は大きく傾いて一気に倒れた。

 勢いよく突き飛ばされたせいか、まるで宙に浮くような感覚で。

 

 そしてなんと——顔面から着地しただけでは済まなかった。

 花壇の角にオデコをぶつけて、不運としか言いようのない状況になって。

 スパッと切れた傷口からの流血は思いのほか激しい。


 酷い倒れっぷりに動揺したアンネが悲鳴をあげている。

 何度も私を呼んでくれる声も聞こえるのだけれど、視界はかすんでいくばかりで——。


 ダメだわ、(まぶた)が——視界が悪い。

「………(アンネ?あれ?声が出ない???)」

 もしかして意識が——。


 そうして私は意識を失ったようだ。

 出血量が多いことから、後宮医ではなく皇帝陛下直属の医師団の元へ運ばれたそう。これはアンネから聞いた後日談だが——恐ろしい話である。


 そして数日後、頭に包帯をぐるぐる巻きにされた状態で——誰にも見せられないような格好で、私は後宮へ戻った。既に『時の人』となっていることも知らずに。


「ようやく戻ってきたわ……。包帯は一週間くらい巻いておくようにって。もう傷口は塞がっているのにね。それにしても驚いたわ……」


「私も驚きました。陛下直属の医師団とはいえ、治癒魔法をお使いになる医師がいるなんて」


 側室に何かあっても、ほとんどの場合は後宮医が解決するそうで。

 それ以上の施術は行われないと聞いた。

 あくまでも今回は特別、例外なのだと——幾度も説明されたっけ。


 理由は二つ。

 同盟国の王女がアヴァンジェルに嫁いですぐの出来事だったから。

 正式な側室であるイズ様が、正式な契約前の私を殴ったことは『陛下の側室がその客人に一方的な暴力をくわえた』も同然だから。


 ——よかった、ほんとうによかった。

 書類の読み合わせが済む前で、サインする前の出来事で。

 もしサインが済んでいたら、顔の傷は治してもらえなかったかもしれない。


 そう、私は今回、このアヴァンジェル帝国の少し変わった決まり事に助けられたのだ。後宮に入った側室本人が最終のサインをした時点をもって、正式な側室契約が完了するという決まり。

 祖国で結ぶ契約だけで終わらせないのは、なぜだろう?——その点はいつか誰かに確認してみたい。

 

 素直に喜んで安心したからだろうか。

 私は夜更かしすることもなく、深い眠りにおちた。

 

 ◇


 ——皇帝ルクスフィードの侍従レオンの訪問を受けたのは翌日の午前中。

 まだ惰眠を貪りたいところではあったけれど、仕方ない。

 幸いドレスには着替えていて、シャキッとしたフリくらいはできるし。


 レオンは長身の美丈夫で、優しい笑みを浮かべている。

 相手を安心させる雰囲気とはっきりとした物言いが良いバランスで、女性が放ってはおかないだろう——私にはそう見えた。


「朝早くから申し訳ございません。お加減はいかがでしょうか?」

「ええ、おかげさまで頭痛もなく快適に過ごしております。本日はどのようなご用でしょう?」

「正式な側室としてお迎えするための書類でございます。内容を確認していただき、こちらにサインをお願いできますか」


 記載内容を一つ一つ確認して、納得した。

 気になる点も問題と感じる点もなかったから、所定の箇所にサインもして。


 ——そしてレオンに書類を渡しながら聞いてみる。


「イズ様はどうされていますか?」

「国へお帰りになりました。陛下からのご命令で」

「そうですか……」


 自分から聞いておいて早々に後悔した。

 おそらく——ではなく絶対に、今回の件が理由だろう。

 38人目ということは、長らく側室として後宮で暮らしていたはずで。

 急に祖国へ戻されても、どう暮らして良いか分からないかもしれない。

 怪我をさせられたことは腹立たしいけれど、多少の同情を感じずにはいられない。


「実質49番になりましたね」


 レオンの後ろ姿を見送って早々に、アンネが悪魔のような笑みを浮かべる。

 確かにそうかもしれないけれど、大喜びできることでもない。

 だって私は——変わらず最下位なのだから。


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