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妹にあげるわ。  作者:
1/2

前編

「お姉様がわたしを殺そうとするなんて…酷い」


 目にいっぱいの涙をためてわたしを見つめる橙色の瞳は、悲しみを堪えているように周りには見える。


「わたしは何もしていないわ。信じて!」


 婚約者のケリーに視線を向けると、プイッと目を逸らされた。


 ーーわたしが何もしていないことは貴方が一番わかってるはずだわ。だって妹の飲み物に何かを入れたのは貴方のもう一人の恋人でしょう?


「お姉様ったら酷いわ。わたしが可愛いから、みんなに愛されて可愛がられているからと嫉妬していつもわたしを目の敵にするんだもの」


 ーーいやいや、自分のことを可愛いなんて普通は人前で言わないわよ!


「お前は可愛い妹になんてことをしてくれたんだ!」


「本当にそんなことをしたの?可愛いキャサリンが震えているわ」


「アリスティア!返事は?お前はいつもいつもわたし達をガッカリさせてくれるな!無愛想で笑顔もない、まともに口も開かなければ、部屋に閉じこもってばかり。そして我が家の可愛いキャサリンを殺そうとするなど、お前は何を考えているんだ?」


「…………飲み物の味が少し変だったからと言って大袈裟ではないでしょうか?」


 ーーその飲み物を出したのはメイドでわたしは関係ないわ!わたしその頃外出していたからこの屋敷にいなかったし、そのメイドはケリーのもう一人の恋人であるエリー様の屋敷を辞めてうちの屋敷に雇われたのよ、どうみてもエリー様の回し者でしょう?


「酷いわ、いくらお姉様がケリー様に愛されていなくて、わたしがケリー様に愛されているからと言って、わたしを殺そうとするなんて」


 両手で顔を覆いシクシクと泣くキャサリンの肩を優しく抱きしめるお母様。


 怒り顔でわたしを睨みつけるお父様。


 使用人達はわたしを睨みつける。わたしの味方の使用人達は心配そうにしながらも何も言えずに心配そうに見守ってくれている。


 ケリーは真っ青な顔でただ黙って立っていた。

 ーー黙っていないで何か言って欲しいわ。

 今回のこと、ケリーはメイドの顔を見てエリー様の屋敷の元メイドだと気づいてるじゃない!さっきからチラチラとメイドの顔を見ているわよ!


「お前には反省というものはないのか?もしこの紅茶を飲んで少しでも体調が悪くなって可愛いキャサリンが死んでしまっていたらどうするんだ!」


「ハアァ~」

 呆れて言葉も出ない。


 仕方なく、目の前にある紅茶の残りを一気に飲み干した。


「お前は!証拠隠滅を図るつもりか!」


 ーーえっ?そこ?

 普通姉のわたしの体を心配するものではないの?


「キャサリンは一口飲んだだけだと仰ったではないですか?わたしは全て飲み干しました。なので死ぬような物が入っていたのならわたしの方がすぐに体調が悪くなると思いませんか?お父様、お母様、キャサリン?」


「はっ、妹を殺そうとしたお前が死のうと死ぬまいとどうでもいい。おい、こいつを警備隊に連れて行け!あ、待て!こんな奴娘じゃない!ここに除籍の書類があるからさっさとサインしろ」


 いつから用意してあったのかしら?

 ーー喜んでサインしてあげるわ!


「わかりましたわ、では、このティーカップも持って行きますわ。まだ数滴残っているので調べれば何が入っているかわかるでしょうから。そしてわたしが死ねば犯人がわたしではないこともわかるでしょう?」


 わたしは除籍の書類にサインをした。これでもう赤の他人だわ。

 ふー、やっと自由になれるわ。それにしても準備がいいわよね、除籍の書類なんて一日や二日で用意できるものではないのに。


「アリスティア、本当のことを正直に言えばお父様も許してくださるわ。ケリーと婚約解消すればいいだけのことなの、あなたの罪は軽くなるのよ?」


 お母様はわたしが犯人だと決めつけている。しかも婚約解消?ふざけないでもう半年前にしているわよ!この二人、それすら知らないの?


 婚約解消の書類はお父様の机に置いているはずよ!


 ケリーがキャサリンと浮気しているのはもちろん他にシャロン様とエリー様とも浮気をしていたから、その証拠を突きつけて、とうの昔に勝手に婚約解消をしたいとケリーのお父様に伝えて、全て終わっている。



『お父様、この書類……』

 浮気の証拠の書類を見せて婚約解消をしたいとお願いするつもりが……

『わたしは忙しい、勝手に捺印をしておけ』


『あの全て終わりました』婚約解消したことを話そうと思ったら……

『机に置いておけ。あとで読む』





 今日ケリーとキャサリンが会っていたのは二人の逢瀬のためであって、わたしには関係ないのよね。約束なんてしていないもの。

 ケリーもわたしと婚約解消したこと知らないのかもしれないわ。おじ様が伝えていないのかも。


 二人はわたしという邪魔者がいるからこそさらに燃え上がる恋愛をして楽しんでいるのかもしれないわ。


「わたしとケリーの婚約は半年前に解消されておりますわ。だからわたしがキャサリンに対して嫉妬するなどありえませんわ」


「はっ?お前は何を言ってるんだ?わたしはそんなこと認めていない」


「お父様に……いえ、侯爵様にケリーがキャサリンと浮気しているのはもちろん他にシャロン様とエリー様とも浮気をしていたので、その証拠をお見せして婚約解消をお願いしようと書類を持っていったら、勝手に捺印しろと仰いました。ですので勝手に捺印してケリーのお父様にお話しして認めてもらい婚約は滞りなく解消致しました」

 ーー慰謝料はわたしの銀行口座に入っております。

 この言葉は心の中でだけ言った。


「ふ、ふざけるな!何を勝手なことを!」


「きちんと解消したことを報告しに参りましたわ。そしたら『机の上に置いておけ』と仰ったので机の上に置いてあると思いますわ、まだ読んでいないのでしたら」


 ーーええ、読まずにそのままにしていればいいのよ。そしたら慰謝料のこともバレないし!


「ですので、可愛いキャサリン様、婚約解消して半年経ちましたので、法律上もう二人の婚約もできますわ。ケリー様、どうぞお幸せになってくださいませ」


「アリスティア……僕は君を愛しているんだ。どうして……解消なんて……父上はそんなこと何も言っていなかった」


「そうですか……それはあなたのお父様に聞いてくださいませ。わたしを愛しているのにどうしてキャサリン様やシャロン様、エリー様と浮気をしていたのでしょうか?

 わたしのところに心優しいシャロン様とエリー様からお写真がそれぞれ送られてきましたわ。

 ケリー様とシャロン様がベッドの中で睦み合う裸の写真が数枚と、ケリー様とエリー様がお二人で湯船で、もちろん裸で抱きしめ合いキスをしている写真が。あと、まぐわう姿も……流石に淫らな写真で恥ずかしくて思わずケリー様のお父様とお母様にお見せしましたわ」


「あ、あれは、彼女達が誘ってきたんだ」


「ふふ、キャサリン様との逢瀬もでしょうか?」


「ちがうわ!わたしとケリー様は愛し合っているの。それなのに意地悪なお姉様がわたしたちの愛の邪魔をして意地悪ばかりするの。だからわたしは辛くて悲しい毎日を送っていたのよ!他の人とケリー様がそんな事するわけないわ!だってわたしだけを愛していると言ってくれたもの」


「わたしは半年前には解消しているのですよ?どうしてそんな無駄なことをしないといけないのかしら?好きでもない愛してもいない、元婚約者様のために、そう思いませんか?キャサリン様」


「お姉様はやっぱり意地悪だわ。態とわたしのことを『様』をつけて呼んでいるわ。これもわたしに対してのいじめだわ」


 そう言うとキャサリンは瞳いっぱいに涙をためて両親に抱きつき、泣いて縋る。


「やはり性悪な娘だな!可愛いキャサリンに対してその態度はなんだ!」


「侯爵様、わたしはもう除籍の書類ににサインをしました。わたしはもうただの『アリスティア』です。この屋敷に今、留まることすら不敬なことですわ。お話が終わりましたのでこの屋敷を出て行こうと思います。

 キャサリン様が一口飲まれた毒は、わたしが飲んでも体調には何も変化はありませんでしたわ。ただ、お砂糖の代わりにお塩やスパイスが入っておりました。これは誰かの悪戯か嫌がらせではないでしょうか?」


 紅茶のカップをテーブルに戻して「少しまだ残っておりますので調べてみてください」と伝えた。

 ーー考えてみたらわたしが調べる必要なんてないわよね。


 部屋を出て行く時に振り返り

「何も持っていきませんからご安心を。このお洋服も下着も全てわたしがお祖母様から頂いたお金で買ったものです。侯爵や夫人から買ってもらったものではありませんのでこれだけは着ていきますわ」

 と言うと扉を閉めた。


「では失礼致します」


「アリスティア、待ってくれ!」

 ケリーの必死の声が聞こえてきたけど、無視よ無視!!





 そのままわたしは門に向かった。


 予定より少し早かったけど、やっと侯爵家から縁が切れた。


 妹だけを可愛がる両親、わたしの物ならなんでも欲しがる妹。


 そんな三人からやっと決別できた。


 何も持たずにこの屋敷を出る。

 元々あの両親はわたしに何かを買ってくれたことなどなかった。ほとんど祖父母がわたしの生活に必要な物は買い与えてくれた。


 祖父母がいなければまともに生きていくことはできなかったと思う。屋敷では祖父母の息のかかった者達がわたしの面倒を見てくれていた。


 だから祖父母から買ってもらった大切な物は新しく暮らすための家にこっそりと移動してある。


 でも祖父母のところへは行かない。迷惑をかけたくない。二人はいつでもおいでと言ってくれているけど、あの両親のことだからまた難癖をつけてくる。


 可愛いキャサリンのお願いのためなら祖父母に対しても強く当たる人たちだ。


「ただいま」


 誰もいない小さな家に挨拶をした。


 とりあえず大切な物は運んでいて正解だった。


 さあ、今日からわたしはただの「アリスティア」として生きていける。



◆ ◆ ◆


 

「ふー、やっと自由になれたわ」


 祖父母から引き継いだ仕事は美術品の売買だった。


 お祖母様は昔から絵画を集めるのが大好きでわたしが祖父母の屋敷に遊びにいくとたくさんの美術品を見せてくれた。


 絵画はもちろん彫刻やガラス細工、オブジェなどを扱っている。

 祖父母は貧しく創作活動が難しい若手の芸術家のパトロンとなり、屋敷に住まわせ金銭的援助を惜しまなかった。


 この国の芸術家の育成に深く関わってきた。


 そんな祖父母に対して息子であるお父様は『あんな無駄遣いばかりして!』といつも文句を言っていた。


 あんな素敵な祖父母からどうしてこんな馬鹿で最低な息子が生まれたのだろうとしみじみ思う。


『アリスティア、ごめんなさいね。甘やかして育てた私達が悪いの』


 そう言って謝られると何も言えなくなる。わたしの顔はお祖母様に似ている。そう、両親が嫌っているお祖母様に。


 侯爵の名を継いだお父様は突然厳しくなった祖父母を嫌った。今まで甘やかされていたのに『侯爵になったのだから甘えは禁物だ』と言われてもお父様からしたら今更だった。


 領地運営なんて興味もない。好きなことをして好きに過ごす。賭け事をしたり社交を楽しむのがお父様の毎日、煩わしい侯爵の仕事など興味すらなかった。


 家令や執事、側近が必死で領地経営をしてくれているのを当たり前だと思っている。お金はいくら使っても減らないとさえ思っているのかもしれない。ーーー馬鹿すぎる。


 あの人達はうるさく小言を言う祖父母を疎ましく思い、祖父母に似ているわたしが生まれた時、わたしを疎ましく感じ、わたしのことを愛せなかった。

 特にお母様はいつも姑と舅に『無駄遣いのし過ぎだ』と注意されていたので気に入らない。わたしの顔を見るとイライラするらしい。


 おかげでほんの少しの失敗も許してもらえず、お母様はわたしを毎回鞭叩かれていた。


 その時の愉しそうな顔が忘れられない。

 どんなに泣いても謝ってもお母様はやめてくださらなかった。


 お父様は最初の頃は鞭を振るうことはなかったけどその分わたしに文句を言うのがストレス発散だったようだ。


 甘やかされて育った妹のキャサリンはとにかくわたしの物を取り上げるのが楽しいらしい。取り上げてしまえば興味がなくなりすぐにぽいっと捨ててしまう。


 欲しいのはわたしが持っているからだ。わたしの手から離れてしまえはどうでもいいらしい。わたしが悲しむ姿を見るのがとても愉快で爽快なのだと言われたことがある。


『だったら返して。あれはわたしの大切な物なの』

 そう言って捨てられ放置されたわたしの大切な物を返してもらうようにお願いしたら、キャサリンは『お姉様が意地悪してわたしの物を奪おうとするの』と両親に泣きついた。


『可愛いキャサリンに意地悪をしおって!』そう言ってお父様は初めてわたしを鞭で打った。


 動けなくなるまで鞭で打たれてその後物置部屋に入れられた。


 手当てもされず鞭で打たれた体は悲鳴をあげ高熱で寝込んだ。


 祖父母の息のかかった使用人達がこっそり医者を手配して治療してくれた。そしてバレないように看病してくれた。


 あの時何もしてもらえなければわたしは死んでいたかもしれない。



 まともに仕事をしていない両親はわたしがこっそり祖父母の仕事を手伝っていたことは知らない。遊んでばかりの両親はわたしには関心がない。あるのはキャサリンのことだけ、わたしに声をかけるのは罵倒する時とキャサリンのためにわたしを叱る時だけ。


 いつも本ばかり読んでいると思われていた。図書館に行くと言って外出ばかりしていたから。



 ベッドに横になり、一人昼間のことを思い出しクスッと笑った。


「ふふっ、ケリー様ったら面白かったわ。わたしに浮気がバレていないと思っていたのね、あれだけ他の女性の香水をプンプンさせて会いにくるのだからバカでもわかるわよ。まっ、キャサリンにはわからなかったみたいね、自分も香水をいつもたくさんふりかけているから」


 クスクス笑っていると寝室に顔を出した二人。



「お疲れ様でした、お嬢様」


 家の鍵を開けて中に入ってきたのは執事のダニエルと息子のマールスだった。


 わたしはベッドから起き上がるとにこりと微笑んだ。


「上手く出て来れたの?」


「はい、旦那様達は屋敷の中がどうなっているかなんて気にもしておりません。贅沢しすぎて借金だけが残っているなんて思ってもいないようです。お嬢様が書いてくださった紹介状のおかげで使用人は皆こっそり出て行きました」


「予定より早くなってしまったから心配していたの」


「大丈夫です、皆いつでも辞めれるように準備しておりましたので」


「そう、よかったわ」


 わたしを大切にしてくれた使用人のために紹介状とこれから働ける場所を探しておいた。


 わたしを冷遇してきた使用人達にはもちろん何もしていない。


 明日の朝、突然使用人がいなくなって困るのは残りの人たち。仕事が増えて困ってしまうだろう。


 執事や家令に仕事を押し付けていた両親もこれからパニックになるだろう。だって重要な仕事を受け持っていた人達はみんな辞めていったのだもの。


 これからたくさんの督促状が届くことだろう。


 今まで好き勝手に贅沢をしてきたツケが今からやってくる。


 祖父母はもう両親と縁を切っていた。

 切ったのは両親。


『あんな小言ばかり言う親などいらない!』と言って捨てたのだ。


 捨てたつもりだけど捨てられたのは両親かもしれない。祖父母はもう両親に何も言いたくないし、助けるつもりもないと言っていた。


 まともに領地運営すらしない。遊び呆ける息子夫婦にもう手を差し伸べるつもりはないらしい。


 わたしは祖父母にずっと助けられて育ってきた。


 両親に愛されない代わりに祖父母が愛情を持って接してくれた。


 そう言えばケリーとの婚約は珍しくお父様が決めたのだった。わたしに関心すらないお父様が。


 まあ、理由も要らない娘を高く買ってくれたから。お父様は持参金を払わないで済むし、支度金までもらえると聞いて喜んでわたしをケリーと婚約させた。


 ケリーのお父様は、わたしが学校で成績優秀だったのを知りケリーの妻にと欲しがった。


 ケリーはあまり勉強が好きではないし、侯爵家嫡男なのに優柔不断でこのままでは先行き不安でしかないと勉強が得意なわたしを選んだのだ。


 だけどわたしはケリーの女好きにはどうしても耐えられそうもなかった。

 だから女性との淫らな写真を集めた。


 もちろんあれは本当の写真。わたしがケリーの浮気相手達にお願いして写真を撮って送ってもらったのだ。


『わたしがケリーと婚約解消すればあなたが侯爵夫人になれるかもしれないわ』と耳打ちしたら喜んで写真を撮ってくれた。


「ダニエルとマールス、明日からよろしくね。お店の出店の準備もしなければいけないからしばらくは忙しくなると思うの」


「大丈夫です。あと少しで準備は終わるところだったんです」


「そう……わたしもしばらくは店主として頑張るわね。あと一踏ん張りしなくっちゃ。お店を軌道にのせていっぱい稼いでみんなで楽しく暮らしましょう」


「一人でいるのは寂しいかと思って急いで来たのに落ち込んでいないから、ちょっと安心しました」


「だって、追い出されるつもりだったんだもの。心の準備はできているわ。キャサリンも馬鹿な子よね?いくらわたしのものが欲しいからとハズレのケリーを欲しがるなんて……」


「ケリー様はこれからどうなるのでしょう?」


「さあ?おじ様はかなりお怒りだったわ。でもこの半年間は婚約解消を黙っていてくれたわ、わたしが屋敷を出るための時間を作ってくれた。でも本人が知ってしまったからおじ様も動くかもしれないわね?」


「動くとは?」


「キャサリンとの婚約?それともエリー様かシャロン様と婚約させるか、廃嫡するか、後継者を次男に差し替えるかもしれないわね」


 おじ様はお父様と違って侯爵当主として正確な判断をする人だ。我が息子であっても最終的には侯爵家のために切り捨てることも厭わないだろう。

 それともまだ利用価値があると判断してケリーをどこか金持ちの未亡人にでも高い支度金をもらって婿に出すかもしれないわ。


 小娘でしかないわたしをおじさまはとても高く評価してくださっている。


 おじさまの領地で採れるアメジストはとても良質で評判がいい。わたしも取引をさせてもらっている。

 わたしが雇っている彫金師はアクセサリーやジュエリーをつくる職人でかなりの腕前。祖父母がずっと援助をしてきた一人だ。今では我が国一番の人気彫金師となり彼に仕事を依頼出来るのはわたしと祖父母だけ。


 だからおじ様は息子に半年の間婚約解消のことを伝えなかった。わたしに不利になることは絶対にしたくなかったから。

 ま、おじ様はわたしが婚約解消をお願いしに行くまでわたしが『アリス商団』のオーナーだとは知らなかったから正体をバラした時はかなり驚いていたわ、ふふっ、かなりあの顔は面白かったわ。

 おかげで簡単に解消できて助かったわ。




 ちなみに最近は王宮の中の建て替え中の離宮の装飾品なども手掛けていて、かなり儲けさせてもらっているわ。


 今度城下に出すお店は小さいながら国内外の美術品を扱うお店にするつもり。


 わたしの小さな家にはたくさんのわたしの愛するべき人達が集まってきた。



 執事のダニエルと息子のマールスに家令のリチャード、侍女長のリズ、商団の表の代表をお願いしているハンクス達が集合した。


「みんな、やっとあの屋敷から出られたわ。これからは表立って動けるわ。よろしくね」


「もっと早くに出てくれば良かったのに」

 マールスの言葉に苦笑してしまった。


「わたしが成人するまではあそこにいるのがベストだったの。あの人達から全て詐取されてしまうのは嫌だもの。成人になれば籍を抜かれても抵抗できるでしょう?」


 テーブルに頬杖ついてみんなに向けて静かに笑った。


「ふふふ、これからあの人達はどうなるのかしら?」


 わたしってかなり性格悪くなったわ。あの人たちのおかげよね。



◆ ◆ ◆


「いらっしゃいませ」


 いつもご贔屓にしてくれる子爵様は、店に入ってくるなり好みの絵画を見つけてはすぐに購入を決めてくれるお得意様。


「おお、店主。この絵は素晴らしい」


「こちらは新進気鋭の画家で風景画を得意としております。ですが今回初めて人物画を描いたそうです……彼の愛した女性との幸せだった日のことを思い出し、二人の後ろ姿を描いております。

 後ろ姿なので二人が今どんな顔をしているのかは想像するしかありませんが……彼の彼女への慈しむ愛を感じますわ」


「そうですね、想像を掻き立てる絵ですね。ぜひ欲しい」


 ーーふふっ、この画家を気に入ってくだされば彼も少しは生活が楽になるわ。

 子供さんも小さいし、少しでも高値で売ってあげないと。


「ありがとうございます、では向こうで商談をしましょう」


 子爵は気に入ればお金に糸目をつけないお方。


 話を進め、絵の販売額が高値になった。画家にはかなりの金額を支払うことができそうなので内心ホッとしていると、何かを子爵が思い出したようで突然わたしに話をふってきた。


「店主、最近コックス侯爵の評判がかなり悪いと耳にしているかい?」


「……ええ、まあ、そうですわね、それとなくは聞いております」


 ーーふふっ、もう首が回らなくなって色んな人たちに借金の申し入れをしているけど誰も相手にしていないらしいのよね。


「もしここに来ても絶対に相手にしないほうがいい。彼らは貴族としての誇りもそしてそれに見合うだけの仕事もしていない。領民から金を巻き上げて遊び呆け贅沢をして使いまくったんだ。今まで支えてきた者たちが屋敷から去ってもうお金も領地運営も回らなくなってしまった。あとは落ちるところまで落ちるしかない。誰も助けようとはしない、君も情はあるだろうが助ける価値のない男だ、絶対にやめておきなさい」


 ーーそんなこと長年虐げられたわたしが一番わかっているわ。

 あの人達に情なんて湧くわけがない。


 だけど………


「ご忠告ありがとうございます。それでもあの人達は……血をわけた家族なのです……やはり心配はしておりますが……平民になったわたしにはなんの力もありませんから……」


 ここはしおらしくして、悲しげな顔を見せた。


「彼らはこの店のことは知っているのか?」


 わたしは首を横に振った。


「知らないと思います……たぶん」


 ーーあの人達が知らない訳ない。だけどこの店の売り上げなんてたかが知れてるから、興味もないのだろう。


 でも……多分、あと少ししたら……



 


  



 嫌な予感だけは当たる。

 思ったよりも早く現れた。




「お姉様ぁ!このお店とても素敵だわ」


「キャサリン様、お貴族であるあなたが平民風情のわたしのお店に来られるなんて……申し訳ありませんがぜひお引き取りを。侯爵家の名が汚れてしまいますわ」


 ーー帰れ帰れ!このお店はあなたなんかが来るところではないわ。


「そんなことないわ。こんなチンケなお店だけどとても綺麗な装飾品もあるし、絵画も素敵。ねぇお姉様ぁ、このお店わたしにちょうだい」


「申し訳ございませんが、『ちょうだい』と言われて差し上げられるものではございません。

 この場所にはわたしが見つけてきた大切な絵画や装飾品が置いてあります。ひとつひとつ価値を見つけ、作家や画家の方達と話をして大切にお預かりして売らせていただいているのですわ、その信頼を壊すことはできません」


 ーーあなたにお店を任せればここに『置いていい』と言ってくださった方達に失礼になるわ。


「どうして?」

 キョトンとするキャサリン。

 ーーハアァ……わたしが今話した言葉の意味が、この子にはわからないのね。


「お姉様がこのお店を出したのでしょう?わたしがこのお店をもらってお姉様が働けばいいじゃない。お店の売り上げだけわたしが貰ってあげるわ、ふふふふ、わたしったらなんて頭がいいのかしら」


 キャサリンはいいことでも思いついたかのように嬉しそうに声を弾ませている。


 ーー頭が痛い。この子は寄生虫なんだわ。


 良かった。早めに侯爵家で働いていたダニエルやマールス達をこのお店から離しておいて。もしこのお店で働いていることがあの両親にバレたら連れ戻されていたわ。


 ダニエル達がいないとあの侯爵家は潰れてしまうしかないものね。躍起になって探しているはずだわ。


 でももうダニエル達をあの屋敷には連れ戻させはしないわ。


 寝る暇もなく働かされ続けボロボロになったわたしの大切な人達。今度はわたしが守るわ。

 ずっと幼い頃からあの屋敷でわたしを守ってくれた人達、今度はわたしが恩返しをするの。


「キャサリン様……このお店のオーナーはわたしです。あなたはただの他人でしかないのにどうしてあなたがお金を貰えるとおもわれるのですか?」


「えっ?だって、お姉様はわたしのお姉様なのよ?お姉様のものは全てわたしのものだもの。わたしが貰うのは当たり前のことでしょう?

 もう!お姉様ったら、どうしてそんなことも分からないのかしら?」


「わたしはキャサリン様とはもう他人です。あなたのご両親から縁を切られております」


「ふふっ、それなら大丈夫だわ。だってわたしは縁など切っていないもの。それは両親だけでしょう?」


 奥にいたお店で働いている女の子にお茶を出すように言った。


「ねぇそこのあなた、わたしにお茶を入れてちょうだい。

 あ、それから、そこにあるブローチ素敵ね。きっとわたしのために作られたものだわ。それから……窓際に置いてある宝石箱もなんて煌びやかで豪華なのかしら?それも持って帰るわ。明日はお父様とお母様も連れてくるわね。

 待っていてね、最近は屋敷の中がなんだか暗くて居心地が悪かったの。

 お父様もお母様もこのお店を見たら喜ぶわ。ここにある物を全部売ればしばらくはまた遊んで暮らせるわ」


 そう言ってお茶を飲みながらお店の中をキョロキョロと見回しているキャサリン。


 ーーこの子は何も変わっていない。今はお金に苦労しているはずなのに。



「もうわたしってほんと天才だわ!

 ねっ?お姉様?早く新しい商品も置いてちょうだい。どんどん売ってね?わたし豪華な装飾が好きなの。絵画はわたしをモデルにしたらどうかしら?たくさん売れると思うの!

 いい考えでしょう?」


 お店の裏にいたハンクスが顔を覗かせている。

 その顔は………心配していたはずなのに呆れていた。


 と思ったら、キャサリンの発言にお腹を抱えて笑っているわ。


 ーーうん、キャサリンをモデルにすること、かなりウケたみたいね。



「今日はとりあえずお帰りください」


 お茶を飲み終わったらキャサリンに帰るように促した。


「どうして?わたしのお店なのに嫌よ!早く今日の売り上げをちょうだい。わたし最近ドレスを作っていないの。美味しいスイーツのお店にも行きたいし遊びにも行きたいわ」


「ケリー様と婚約されたと聞いております。ケリー様に買っていただけばよろしいのでは?」


「ケリー?ケリーは彼のお父様に仕事をするように言われて毎日働いているわ。わたしもうケリーなんていらないの、お姉様にあげるわ」


「ケリー様は貴族です。平民でしかないわたしとは釣り合いませんし、キャサリン様の大切な婚約者でしょう?」


 多分おじ様は、この二人をいずれ放逐するのだろうけど。侯爵家にキャサリンを嫁として迎えることはしないだろう。


 おじ様にとってこの二人は害でしかないもの。


 わたしもそろそろ次の準備をしなくては……


 もうこれ以上この人達と関わりたくないもの。


 キャサリンには少しお金を握らせて帰ってもらった。


 だけどキャサリンのことだから毎日このお店に顔を出しにくるだろう。


 お金を強請りに……はああ。



◆ ◆ ◆


 家に帰るとみんなにすぐに伝えた。


「みんなにはすぐにこの家からも離れて欲しいの」


「しかしそれは……」


「約束したわよね?もしキャサリンや両親がお店に訪ねてきたらわたしから離れると」


「………でも……」


 侍女長のリズはチャールズを嗜めてくれた。


「アリスティア様の邪魔はしない。ご迷惑をかけるわけにはいかないの、わたし達はここにいない方がいいわ」


「リズ、ありがとう。必ず終わらせたらみんなに会いに行くから信じて待っていて欲しいの」


 ーーあの人達から今度はわたしの大切な人たちを守る。


 わたしは成人して自分が闘うことができる力を手に入れた。


 お父様達は侯爵家が落ちぶれればまたわたしに縋ってくるのは目に見えていた。


 たとえわたしがいなくなっても必ず探し出して寄生してくる。

 働くのが嫌いで贅沢しか知らない三人。


 侯爵家の仕事は家令や執事がなんとか頑張ってくれていたのは確か。だけど最終的な決済はほぼわたしがやっていた。


 そのことをお父様だけは知っている。ううん、違うわね、ずっとわたしにさせていた、が正解だわ。


 幼い頃から勉強が好きだった。妹ばかりを可愛がる両親に少しでも気を引こうと幼い頃は必死で良い成績を取ろうとしていた。


 家庭教師をつけられ厳しく勉強をさせられていても、褒めてもらえるかもしれないと頑張っていた。

 だけどお父様はわたしを領地運営するのに利用するためだけに英才教育をさせていただけだった。


 気がつけば当たり前のように仕事をさせられていた。祖父母がこっそりつけてくれた使用人達がいなければわたしはゆっくり眠ることも食事を摂ることもなかっただろう。

 優秀な使用人が陰で助けてくれなかったら……


 ーーふふっ、あの頃のわたしに教えてあげたいわ。どんなに頑張っても両親に愛されることなんてないと。鞭で打たれ蔑まれ、最後は捨てられるだけなのだから………頑張らなくていいと、教えてあげたい。あの人達からの愛なんて要らないのよ。


 あの人達の行動なんて単純だから先が読める。だからこそ目立つ王都の街中にお店を出した。


 もちろん今置いてある物は本物。だけど今夜のうちに全ての商品は入れ替えた。


 明日には意気揚々と両親とキャサリンがお店にくるだろう。

 わたしを侯爵家から絶縁したくせに、このお店は自分たちのものだと言いに。


 金銭的に追い詰められているあの人達は領地運営を立て直すとか新しい事業を起こして収入を増やそうなんて考えるわけがない。


 楽してお金をどうやって手に入れるかしか考えていない。


 お祖父様達のことは追い出し縁を切っていて、簡単には近づけなくなっている。


 祖父母のそばには、お父様の姉が嫁いだ先の公爵家が目を光らせている。お金を無心したくても近寄ることすらできない。


 流石のお父様も自分より弱い者には強く当たれるけど、自分より地位の上の人にはへりくだることしかできない。


 だからわたしのところに来るのは必然的。


「ふー、あと少し……」


 一人になった家はとても寂しい。


 早くみんなとまた暮らしたい。だけどまずはあの人達をなんとかしないと一生付き纏われることになるわ。







 朝いつもより早く目覚めてしまった。


 作り置きしてくれていたパンとスープで簡単な朝食を終えて、職場へと向かった。


 小さなお店の従業員は、わたしとハンクスだけ。


「おはよう」


「おはようございます」


「ハンクスも今日は早かったのね?」


 ニヤニヤと思い出し笑いをするハンクス。


「今日もあのお嬢ちゃん、楽しませてくれるでしょうから、楽しみにしているんです」


 わたしより5歳年上のハンクスは元子爵家の嫡子だった。ある貴族に父親が騙されて借金を抱えてしまい貴族籍まで失うことになった。


 一家離散に追い込まれ母親は療養のため田舎暮らし、父親は今も行方がわからない。妹さんは孤児院で暮らしていたけど、わたしの仕事を手伝うようになってハンクスの収入がそれなりに入ってくるようになったので妹さんを引き取り今は二人で暮らしている。


 ハンクスにはずっとアリス商団の代表として働いてもらっているのだけど、今だけはこの小さなお店の従業員としてそばにいてもらっている。


 流石に一人で対峙するのは不安だし……頼りになるハンクスがそばにいてくれればわたしも心強い。


「ハンクス……ごめんなさいね、わたしがもっと力があれば良かったのだろうけど……」


「アリスティア様には十分お世話になってます。俺は感謝してますよ?」





 まだお客様が来る開店時間になっていない。


 ハンクスがお茶を淹れてくれて二人で静かにお茶を飲んだ。


 本日は快晴。


 窓際のテーブルの位置から澄み渡る青い空が見える。

 ーーあの青い空のようにスッキリと気持ち良い日にしないと……


 カップを持ってる手が小刻みに震えてしまう。それをハンクスに気づかれないように静かに微笑んでみせた。






 思ったより遅くあの人達は現れた。開店少し前だった。


「お姉様ぁ!」


 勢いよく扉を開けてやってきたキャサリン。


「また来たの?」


 冷たい態度で出迎えたのにキャサリンには全く通用しなかった。


 ーーいつもなら……『お父様ぁ、お姉様が冷たいですぅ、意地悪だわぁ』と泣きつくのに、後ろから現れたお父様をチラッと見たけど何も言わなかった。

ーーとってもご機嫌がいいみたいね。


「だって、このお店は、わたしのものよ?あら?昨日とは違う商品が並んでいるのね?このペン箱とても素敵。とても丁寧に彫られているわ、あっ……この絵も……ふふっ、高く売れるわね」


 店内を楽しそうに見て回るキャサリンとは対照的でムスッとしたまま突っ立っているお父様。


 以前のように綺麗な身なりではなくなっていた。どことなく薄汚れていて目も落ち窪んで疲れて見える。


 わたしにとっては他人でしかないこの人に声をかけるつもりはなく、わたしは無視して優雅にお茶を飲み続けた。


 お母様は今日は来られていない。

 ーーせっかくなら三人一緒に来てくれれば早くカタがつくのに。


「……………おい………」


 わたしに話しかけているようだけど無視していると。


「お前は耳が聞こえないのか?」


 座っているわたしの肩を掴んで怒鳴り出した。


「返事くらいしろ!!何を無視しているんだ!!わたしにもお茶を淹れろ!今日からここのオーナーはわたしだ!ったく、昔っから鈍臭いしまともに使い物にならないお前を見ているとイライラする!!」


 空いていた椅子にドカッと座り「早くしろ!」と横柄な態度。


 ハンクスはチラッと横目で見たけどすぐに自分のカップ視線を戻した。動く気はないようなので仕方なくわたしが席を立った。


「どうぞ」

 カップを持ってきて、残っていたポットからお茶を注ぐ。


 ーー残りものだからぬるくて苦味も出てるけど態々新しく淹れなおすつもりはないわ。


 お父様は一口、口をつけると眉根を寄せた。


「なんだ!この不味い紅茶は!」


「………これは特有のフルーティな香りや味わいを楽しめるブルーム産の茶葉を使用しておりますの、ご存知ありませんか?」


「ふんっ!紅茶の産地などどうでもいい!淹れなおせ!」


「申し訳ございませんがお客様でもないあなたのためにそれは出来かねますわ」


「はっ?わたしはお前の父親だぞ!こんなちっぽけなお店のオーナーになってやると言ってるんだ!侯爵であるわたしが!わたしがオーナーになればたくさんの貴族がこの店に買いに来てくれる!そうなればたくさんの金が入るんだ!感謝しろ!」


「何をおっしゃっているのですか?このお店はわたしのものです」


 ーー簡単にお店をこの人達に渡せば怪しまれるわ。

 しばらくは抵抗しないと。お父様はわたしが辛そうな顔や悲しそうな顔をすると、とても嬉しそうに微笑む。

 その顔は悦に入っているのか、わたしの苦しむ顔を見るのが快感のようだ。


 ーーほんと、クズだわ。この人都合よく、わたしを除籍して他人になったこと忘れてるのよね。


 心の中で大きな溜息を吐きながら長い一日が始まったのを感じた。


◆ ◆ ◆


 お父様とキャサリンはお店に当たり前のように居座り文句を言い出した。


「もっと金をかけて店内を豪華にみせないと良い客は来ないぞ」

「わたしはもっとぉ可愛らしいピンクとか白を基調にしたお店がいいわ。わたしに似合う可愛いフリルや小物、宝石を沢山置いてわたしの可愛いさをもっとみんなに見てもらいたいの。やっぱり可愛いわたしがお店に居るだけで可愛い物たちも引き立つと思うの、ねっ?」

 満面の笑みで微笑むキャサリン。

 ーー何を言いたいのかよくわからないわ。


「あとぉ、お姉様ぁ、早く画家を呼んでちょうだい。わたしの可愛い絵を沢山描いてもらって早く売り出したいの」

 甘えた声を出すキャサリン。


 ーーどうして自分を描いた絵が売れると思うのかしら?


「おお、それはいい考えだ。うちの可愛いキャサリンの絵ならみんなどんどん買ってくれるだろう」


 わたしとハンクスは二人の馬鹿馬鹿しい会話をうんざりしながら黙って聞いていた。


 二人のこの面白くもない芝居じみた話を聞いていると頭が痛くなる。ハンクスは初めはニコニコしていたが、お父様を見つめる目は冷たく射殺しそうな視線をお父様に何度も送っていた。もちろん能天気なお父様には全く気づかれていない。

 このお店をもらったつもりでご機嫌でいるんだもの。


 ハンクスの実家を陥れたのはもちろんこの目の前にいるお父様だった。


 元子爵家の領地の農作物が不作で食糧難になり困っていることを知り、快く支援して食糧を安い値段で売ったのがお父様だった。


 初めは良好な関係を築いて侯爵である父を信頼していたハンクスの父親。金銭的に余裕がなかった子爵は一応何か担保をと言うことになりハンクスのところで唯一お金になる鉱山を担保にした。


 お父様はその鉱山を狙っていた。


 食糧の値段を少しずつ値上げしていきもうこれ以上支払いはできないところまで追い詰めて最後は鉱山を手に入れた。


 子爵家は全ての財産をお父様に吸い取られ平民になり一家離散。


 子爵家の領地は侯爵家のものになってしまった。


 子爵は今も行方不明。夫人は精神的にも肉体的にも病んでしまいご実家の田舎に引き取られ今も療養中。年老いた平民の両親は娘を引き取るのが精一杯だったらしい。


 娘は行くところがなく孤児院に入れられた。

 そして息子のハンクスは13歳で平民になり、苦労しながら色んなところを渡り歩きなんとか仕事をしながら生きてきた。


 わたしとハンクスが出会ったのは偶然であり必然だった。

 復讐を狙いコックス侯爵の周辺を探っていたハンクスといつかコックス侯爵から逃げ出そうと試行錯誤していたわたし。


 アリス商団を作るきっかけになったのもハンクスの商才を目にしたからだった。


 祖父母の屋敷で使用人として働いていたハンクスは祖父母に頼まれパトロンになっていた画家や芸術家の世話をしていた。わたしもまた彼らの作品に触れ、これらを輩出するための場所を作り出そうと祖父母と動いていた。


 商団を作ること、売り出し方、一人一人の魅力をどうやって売り手に伝えるか、素人のわたし達にアドバイスしてくれたのがハンクス。お金を出したのはもちろん祖父母。

 そしてそのオーナーとして代表になったのがわたし。


 わたしは商才はないけどお金の管理は得意だった。そして芸術家に触れていたおかげで見極めるのが得意だった。

 作品の素晴らしさや目利きだけなら負けない自負がある。自分で創り出せないのだけど。


 こうしてハンクスと共にアリス商団を作り上げて大きくしてきた。


 祖父母と伯母様の嫁ぎ先の公爵家が後ろ盾になってくれたおかげで。


 わたしとハンクスの想いは一つ。


 この侯爵家を潰すこと。そして平民になるであろうこの人達がもう二度とわたし達の前に現れないように徹底的に潰すこと。


 そのためにこのお店を作った。


 今置いてあるものは名もない作品ばかり。


 わたしの大切な芸術家の作品は一つもない。


 この人たちのためにわたしの大切な人達が汚されるなんて絶対に嫌。だから昨日のうちに入れ替えた。


 ここにあるのはサンプル作品。わたしがこんなものが欲しいとわたしが試作品として作ったもので、とてもではないが売り物にはならない物ばかり。


 本物は全てアリス商団の印がどこかに押されている。

 ここにあるのは偽物。


 お父様達にはこのお店のオーナーになってもらい偽物を売ってもらい犯罪者になってもらう。


 ふふふっ。


 平民落ちくらいではまた何をするかわからない。わたしや祖父母にたかってくるかもしれない。


 しっかり犯罪者になってもらって罪を償ってもらわなければ。


 ハンクスの実家や他の低位貴族達にした仕打ちも、表面的には犯罪ではない。きちんと正式な書類を交わし合意のもと契約して、騙して奪っている。


 罪に問えない。


 ならば今度はきちんと罪に問わなければ。


 金銭的に追い込まれた侯爵家にチラつかせたお金になりそうな美術品達。(見た目だけは)


 わたしから奪うのは当たり前だと思っているこの人達にわたしは抵抗しつつも悲しげに奪われる。


「ここの売り上げはわたしが管理しよう」

 お父様がさも当たり前のように言い出した。


「ここはわたしのお店です」

 抵抗するわたしに威圧的な態度を取るお父様。


「お前は父親の言うことを聞けないのか?」


 ーーわたし、籍を抜かれてあなた達とは戸籍上他人ですよね?



「ですが………」


「ええい!うるさい!退け!」


 わたしが何か言い返そうとしたらわたしの腕を掴み椅子から引き摺り、床に叩きつけられた。


「あっ……」

 ーー痛っ。


 ハンクスが怒りでお父様に掴みかかろうとしたのを見て、首を横に振った。


 ーー何があっても手は出さないで!


 わたしはハンクスに目で訴えた。ここで手を出されればハンクスが捕まる。


 いくら落ちぶれて借金まみれでもまだ侯爵なのだ。こんな人達のために捕まるなんて絶対に嫌!


 わたしはこの人達の暴力に慣れている。死ぬことはない。痛みも数日我慢すればいいだけ。


 ハンクスには証人になってもらわなければ。


 耐えて!わたしが目で訴えると唇を噛み締めて悔しそうに耐えてくれている。


 ハンクスには事前に伝えておいた。あの人達はわたしに暴力を振るうだろうけど助けないで欲しいと、死ぬことはないからと。


 だけどハンクスはわたしが本当に暴力を振るわれるところを見たことがなかった。だから目の前で叩かれたりする姿にやはり耐えられなかった。



「やめてください!」


 お父様がわたしを蹴っているのを見て、わたしに覆い被さった。


「蹴るならわたしにしてください」


「ほう、アリスティアの代わりにお前が蹴られたいのか?いいだろう、思う存分蹴ってやる」


 お父様はハンクスを蹴り出した。


 それを座って見ていたキャサリンは愉しそうに笑う。


「やめて!ハンクスを蹴らないで!」


 わたしが泣きながら懇願するのにお父様はやめてくれない。


 借金で首が回らなくなりイライラしていたお父様は、そのストレスをわたしやハンクスを痛めつけることで発散しようとしていた。


 わたしが苦しめば苦しむほど喜ぶ。


 カランカラン。


 玄関の扉についた鈴の音が聞こえた。


 お父様は蹴るのをやめた。


「いらっしゃいませ」


 お客様にやわらかい声を出して迎えた。


「いらっしゃいませ、何をお求めですかぁ?」

 甘ったるい声でキャサリンも接客を始める。


 わたしとハンクスはお客様には見えない場所に横たわっていた。


「ハンクス………ごめんなさい。……大丈夫?」

 泣きそうな顔でわたしが聞くとハンクスは痛いのを我慢してにこりと笑った。


「よかった、こんな痛い思いをアリスティアがしなくて……」

 わたしの頬にそっと手が触れた。


 ーー涙?


 ハンクスはわたしの涙を優しく拭いてくれた。


 もう泣くことなんてないと思っていたのに。まだ涙は枯れていなかった。


























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