スラムのガキとドブさらい
右手にはスコップ。
左手にはバケツ。
頭にはヘルメット。
足には長靴。
防塵用にゴーグルとフェイスマスクも。
そして汚して使い捨ててもいい布の服(特売品)。
これが冒険者としての勝負服だ。
「おーげさじゃね?」
依頼人はそう言うが、それは素人の意見というもの。
サムは含蓄を込めて「うるせーガキ黙ってろ」と諭した。
しかし依頼人は懲りずにサムの周りをちょろちょろする。
「なーなー、おれたちも手伝った方が早く終わるだろ」
「こいつはプロにしかできねー仕事だ。装備もない奴ァすっこんでな」
「だからそれおーげさじゃね?」
「うるせーガキ黙ってろ」
そのやりとりはサムがドブさらいする間、何度も繰り返された。
そう、サムが冒険者として受注した依頼は、ドブさらいだ。
誰もやろうとせず、受けたら馬鹿にされる依頼第一位、ドブさらいだ。
実務的な話をすれば、住宅周りの側溝、その蓋をこじ開け、生活排水の流れを詰まらせている汚泥を取り除く作業。それがドブさらいだ。
「ドブの中にはな、砂利が交じってて、裸足を突っ込もうもんなら傷だらけになる。その傷に汚れが入ると……まあ何だ、なんやかんやあってやべーんだよ」
専門的に解説しようとして、サムは失速した。
「なんやかんやって何だよ」
「やべーって何だよ」
「そもそもその程度の知識で解説しようっていうのが何だよ」
辛辣なガキども。だが、サムを嫌っているわけではなさそうだ。皆で尻尾を揺らしている。依頼してきた子どもたちは、そのほとんどが獣人だった。
「うっせえうっせえ! 作業が進まねえだろうが、いいからそこの溜まったバケツ運んどけ!」
獣人の子どもたちはキャッキャッとはしゃぎながら、バケツリレーを始めた。与えられた仕事をすぐに遊びに昇華できるのは、子どもならではの才能だ。甲高い歓声を後目に、サムはスコップで汚泥をせっせと掻き出した。
半日かけて作業を終えたサムは、ヤカンから直に水をがぶ飲みしていた。すっかり飲み干してヤカンの横腹をはたいていると、リーダー格の子どもから小銭の山を差し出される。誰が見ても「雀の涙」と評するこの依頼の報酬。自覚しているのだろう、差し出すのもおずおずといった手つきだった。ガキどもの小遣いをかき集めた全財産であることは想像に難くない。
サムは小銭を受け取ると、声をかけて子どもを一列に並ばせる。そして一人一人に小銭を配り直した。
「バケツ運んだ手間賃だ。労働には報いねーとな」
リーダーは戸惑った顔をするが、他の子が無邪気に喜ぶ手前、サムに突き返すことはしなかった。サムと目が合うと、会釈をしてから、走り出した子どもたちに合流していった。
「幼子を働かせるとは……とんだ悪党が、いるものだ」
声がした方を振り向くと、サムの傍らには老人がいた。
「気配消して近づくなジジイ。幽霊かよ」
「冒険者ともあろう者が、こんな老いぼれの気配も読めんで、どうする」
老いぼれ、と謙遜するが、この老人は道場の師範。なお、ご存命である。念のため。
サムが受注したのは、貧民街に居を構えるとある道場周りのドブさらい。
依頼人は道場の門下生である子どもたちだった。
「おれたちがやるって言ってるのに、先生は子どものすることじゃないって言うから」
「でも先生だって腰悪くしててドブさらいなんかできるはずないんだよ」
「だったら依頼出して、冒険者の人にやってもらおうと思ってさ!」
以上が、サムが依頼人たちから聞いたこの依頼の全容である。
「修行の一環ってウソついて、弟子に掃除させるのが道場のやり口だと思ってたぜ」
「喝ッ!!」
突然のジジイの咆哮に仰け反るサム。
「掃除は紛れもなく修行の一環だ。ただ、ドブ掃除は、小僧どもには荷が重いでな」
そう思うならアンタが冒険者に依頼を出せよ、何で子どもたちが依頼者になってるんだ。その指摘はサムも出会い頭に行った。老人の答えは「依頼を出したところで冒険者は『ドブさらいなんか』と言って受けんだろうが」という、的を得たものだった。
「あんなはした金で、受注する者が現れる、とは思わなんだ」
そう言われるのも、もう慣れた。
別にサムは、ドブさらいを生業としているわけではない。素材の採取や、モンスターの討伐の依頼を受けることもある。ただ、いつまでも酒場の壁に貼り付いたままのドブさらいの依頼書を見ると、ついつい手に取ってしまう。その度に言われる。「本当に来るとは思わなかった」と。
「ところで、あのチビたちだけど」
交わした言葉や、そのときの様子を思い出しながらサムが言う。
「ありゃ本当にただの生徒か? ここが自分の家みたいに言ってたぞ」
「ただの生徒だよ。自分の家のように、寝泊まりしてるだけのな」
「ドブの臭いがする道場に見ず知らずのガキを住まわせるなんざ、とんだ悪党がいるもんだ」
サムの言葉に、老人はフンと鼻を鳴らした。
「だいたいさ、この道場って何教えてんの」
「『ばらん道』」
「……それは、何を教えてるんだ?」
「ざっくばらんに」
「そうか、なるほど、だから『ばらん道』」
「いや、それワシの名前。バランドゥと申します」
「はったおすぞジジイ!」
「そうかそうか、それをお望みか。労働には、報いんとな」
ジジイ――フルネームはバランドゥ・ロヒンダ――は立ち上がり、サムに「支度せい」と促した。
「あ?」
「報酬代わりに、タダで、稽古をつけてやる」
サム・アッカーソンは冒険者である。
ただの冒険者ではない。ドブさらいのついでに厄介事を請け負ってしまうお人よしの冒険者。
二つ名を『ドブサライヤー』という。
「……うげぇ」
たいていの冒険者と同じく、稽古も努力も嫌いだ。
*
「うっわ痣だらけ。ドブさらいじゃなかったんすか」
「あのジジイ実戦形式で稽古しやがんだよ」
「もしかしてドブに頭から突っ込んだんすか。えんがちょ」
「人の話聞いてくれる?」
バランドゥ老人にボコボコにされたサムは、仕事帰りの一杯を嗜んでいた。移動酒場があればそこに寄るのだが、馬車馬兼看板娘のケンタウルス娘によると、
「店長が腰やっちゃったんで、しばしの間休業っす」
とのこと。そしてチラシも一枚手渡された。
「だもんで、あたしもしばしの間独り立ちっす」
それは貧民街で出店を始めるという広告であり、もともと馬娘の料理の腕を高く買っているサムはすぐに足繫く通うようになった。
「店の名前とかねえの? チラシにも書いてなかったけど」
「屋台に名前なんていらないと思うっすけど」
「いやいやいや、口コミで広げるにしてもだな、せめてこう、店主の名前をつけたナントカの店ってだけでも」
「……あ。名前聞き出そうとしてんすか?」
図星だった。短くない付き合いだが、サムは馬娘の名前を知らない。別に訊ねるようなことでもなかったからだ。初対面でちゃんと聞いておかないと、もしかしたら一度聞いたけど忘れてるのかもしれない、それって失礼じゃないですか? と、なかなか訊ね難くなる。それが、名前である。
「普通に訊けばいいのに」
「じゃあ普通に訊くけど、あんた名前は」
「教えないっす」
「何なんだよ!」
そして、こんな風にはぐらかされると、いよいよ知る機会がなくなるのが名前である。執着しても仕方がないし、サムは黙って酒を呷り、揚げ串を頬張った。
店主の意向で「とりあえず焼いた肉出しときゃいい」と客をナメた経営方針をとる移動酒場とは異なり、彼女が仕切る出店では馬娘らしく凝った一品料理が提供されていた。だが、それは初めのうちの話。
「結局、安いからってことで煮込みと揚げ物の二強になるんすよねぇ」
「まあ貧民メシはそういうもんだよ」
かくいうサムも、ここ最近はずっと揚げ串を注文している。安いから。
「っつーか、凝った料理を出したいんなら貧民街じゃない方がよかったろうに」
「いやー、あたしの図体じゃ繁華街だと納まりが悪かったっていうか……」
あははと笑う馬娘だが、気持ちの良い扱いを受けなかったであろうことが簡単に想像できた。そもそも他種族との馴れ合いを好まないはずのケンタウルスと共同生活を送るなどと想像して設計されている街ではない。それを察してサムは、同情の代わりに、
「自虐話してんのに品を作るな」
と馬娘にツッコミを入れた。そのポーズは、カラダに自信のある者しかとらない。
そして会計時に時価を上げられた。なんて店だ。
*
サムが当面の寝床にしている棺桶宿屋に来客があったのは、道場のドブさらいを終えた数日後であった。客人は、道場にいた孤児たちのリーダー格。サムが報酬を子どもたちに還したことで困った顔をしていた少年である。
「あの、『ドブさらい屋』さん」
「『ドブサライヤー』。最後伸ばして」
細かいところだが、指摘し続けないと浸透はあり得ないのである。
「この前はありがとうございました」
「どうした、またドブが詰まったか」
「……あの、もう少しちゃんと受け答えしませんか。人として」
ありがとうどういたしまして、というやりとりにさほど意味や価値を見出せないサムであったが、ガキに説教されるようではその認識を改めないといけないかもしれなかった。
「で、何だよ」
だがそれは今でなくてもいいや、と思ったサムであった。
「……道場のことなんですけど」
サムはまどろっこしい話を好まない。わざわざ自分のところに来るということは、ドブさらいの依頼に違いないと思った。言い難そうにしているのは、前回のようなことを期待しているからだろう。子どもたちに駄賃を渡して実質無償にしてしまったのはよくないことだったかもしれない。その安易な優しさをずっと反省していたので、少年が次に口にする言葉への返事とするべきは二つの意味での「やっぱりな」なのだとサムは決めた。
「ウチの先生、悪人かもしれない」
「やっぱりな」
「えっ」
「えっ」
正面衝突事故が発生した。
少年の名はマーヒロー。バランドゥの道場では年長者であり、サムが思っていたとおり、子どもたちのまとめ役を自任している。だいぶ人間寄りの見た目で、獣の耳と尻尾があるだけというタイプの獣人。犬のような耳だなとサムは思ったが、本人に聞いてみたところ「詳しくは知らない」とのことだった。
棺桶宿屋から路地裏に場所を移し、マーヒローが最初に語り出したのは、貧民街の裏事情であった。
「貧民街には獣人が多いけど、特に獣人だけが集まっている区域があって、そこを仕切っているのはいわゆるギャングなんです」
聞いたことはある。獣人ギャング。もともとは人間の迫害から身を守るための自警団として発足し、あとは清濁併せ飲まないと守れるものも守れないという理屈でお決まりの闇組織化を辿っていったグループだ。
「そのギャングのメンバーと、バランドゥ先生がこっそり会っているのを見ました」
「……何を話してたんだ?」
「聞こえるほど近くにはいなかったから……」
「金返せとか」
「いや、そういうのはなかったかな」
「土地よこせとか」
「……言い合いをしている感じじゃなかったです」
ギャングは地上げに来ていて、バランドゥ老人はそれを突っぱねた。そういうオチだとサムは予想していたが、それなら多少なりとも剣呑な雰囲気になるだろう。では、やはりつながりがある故の円滑なミーティングだったのか。
「あぁー……」
思わず「めんどさい」が溜息となって漏れ出た。
「……わかった。いやわかってないけど。とにかく、まあ何とか、何かこう……何かやってみる」
「めちゃくちゃ歯切れ悪いですケド……具体的には、何するんですか?」
「痛いところ突いてくるガキだな」
「当然の質問をしただけなんですが……」
サムの「かしこさ」不足の頭では、方法は一つしか思いつかない。本人に直接問い質すことだ。できれば屈服させ、嘘をつけない状況に追い込めれば尚ヨシ。
が、しかし。
「ジジイ強いよな」
「稽古だっていってボコボコにされてましたもんね」
勝てるイメージがまったく湧かない。結局またボコボコにされて「ワシ、また何かやっちゃいましたか?」とベロを出しながらすっとぼけられて終わりだろう。
「どうすっかなあ……」
*
「うっわ痣だらけにコブだらけ。モンスターにやられたんすか」
「ジジイ」
「ヘボすぎないすか? 現役の冒険者が」
「うるせー。揚げ串ください」
はいはい、と応じる馬娘。
「で、どういう風の吹き回しっすか。特訓とか柄じゃないでしょうに」
「……まあいろいろあんだよ」
いろいろあって、サムは道場に入門することにした。すべては、バランドゥに付きまとう大義名分を得るためだ。監視していれば、獣人ギャングと接触する現場を抑えられるかもしれないし、サムが邪魔で接触できないのであればそれはそれで抑止力となって結果オーライというやつだ。
問題は、その結果がいつ出るかわからないということだった。
「いつまでやるんすか、それ」
「依頼人が満足するまでかな」
「子どもに甘いっすねぇ。同情してんすか」
「同情なもんか。普通のことしてるだけだ」
「その『普通』を、してもらってこなかった子が相手っすもんねぇ」
サムは鼻を鳴らし、揚げ串にかぶりついた。
この都のように、主に人間が主流層である地域では、獣人の孤児は珍しくない。
獣人だけの社会では維持できない高い生活水準に憧れ、子連れでやってきたはいいが、人間特有のルールになじめなかった親がいざこざを起こして投獄される。その際に運悪く長期の懲役となった場合、塀の外に残した我が子と縁切りをしてしまうケースが多かった。
これは獣人にとって「成人」と見なされる時期が(種族によってバラつきはあるものの)人間のそれよりも早く、投獄中に独り立ちを迎えてしまうから。こうして都会の獣人っ子は、親の所在は明らかでも結果的に孤児として育つことになる。
バランドゥの道場では、そういった子どもを拾って生活させているのだろう。学のないサムでもそう察しがつくほど、有名な社会問題であった。
「にしても、マーヒローっすか」
「それが何か?」
「いや、人間っぽい名前だなーって思って」
「……そういえば」
獣人の名前は、人間の感性に寄れば独特なものが多い。その種族にしか発声できない音を使ったり、そもそもその『鳴き声』こそが名前であるという者がいたり、人間と獣人がコミュニケーションに躓く要因の一つである。これまでに知り合った獣人や、道場にいた他の子どもたちの名前に比べて、『マーヒロー』は人間の名前そのものと言ってよかった。
「まあでも、人間かぶれの獣人なら子どもにそんな名前つけることもあるんじゃね?」
「それもそっすね」
「あんたの名前はどうか知らんが」
「あっはっは、カマのかけ方がザコすぎっすよ」
ダメか、と舌打ちするサム。馬娘はもしかしたら、どうせ人間には呼んでもらえないような名前だからと伏せているのかもしれない。
「ざぁこ♡ざぁこ♡ざこ人間♡」
「人間をおちょくってるとぶっとばすぞ!?」
「店員への暴言は一回につきこちらのお値段となってるっす」
「そんなもんメニュー化すんな。ていうか先に暴言かましたのそっちだろ。払えよ」
「カラダで」
「じゃあいいです」
サム側は譲歩したのに罰金は無慈悲に料金に上乗せされた。なんて店だ。
さて、マーヒローから依頼料をとる気にもなれず、道場に通う間はサムの無収入が確定している。金もないのに飯を食うわけにもいかず、サムの足は馬娘の出店から遠のいていった。報酬代わりに貰っているものといえば、
「ハイ一本! ワシの勝ち!!」
大人げないクソジジイからのしごきと、説教であった。
「なぜ負けたか、わかるか?」
「……」
「勝てねぇからだよ!!」
ゲヒャヒャヒャと嗤うバランドゥ。「こいつにさえ勝てるなら、俺は世界で二番目に弱くったっていいのに……!」という思いを強くするサムである。
「負けない方法はある。勝とうとしないことだ」
一応、ちゃんと意味がありそうな説法もしてくれる。
「欲をかくから、手痛いしっぺ返しを受けることになる。深追いしてまで勝ちを獲りにいくな。自分の身を守れれば、それで充分だ」
痛みで呻き声しか出せないサムにそう言い残し、バランドゥはその場を後にした。入れ替わりにマーヒローがやって来て、サムを助け起こす。
「また勝てませんでしたね」
「フン、致命傷は負ってねえ」
「いや負っちゃダメでしょ稽古で」
「見張りの方は?」
「先生、今は他の子たちの相手してるから大丈夫。必要ないです」
入門してからこっち、マーヒローと交代しながらバランドゥの動向を見張っていたが、今のところ尻尾を出すそぶりはない。
「うちの師範は尻尾がない、のかもしれない」
「ないですよ人間なんだから」
「びっくりするほどノッてこないときあるよなマーヒロー君な」
敗者の義務として道場の雑巾がけを二人がかりでこなす。軽口を叩きながらできるほど慣れてしまった。即ち敗北の積み重ねであるのがサムにとっては苦いところである。
「サムさん、正直なところ、僕のこと嘘つきだと思ってるでしょう」
雑巾の手を止める。少し考えて、サムは正直なところ「まあまあ」と白状した。
「無理もないですよね。あれ以来、ギャングなんて全然姿を見せないんだから」
「ぶっちゃけ嘘なのが一番嬉しいまであるよ。ギャング怖ぇーし」
「本当に、ギャングが出てきたらどうします?」
それは馬娘からも問い質されていた。プロの暴力集団が絡んでくるとなると、無償で請け負う依頼の範疇を超えている。
「そうなりゃ、衛兵に通報して任せるか」
「……その方がいいですよ。先生に勝てないんじゃ、ギャングにだって勝てないし」
とは言っても、事がそう上手くは運ばないだろうことはわかっていた。衛兵はギャングに手を出したがらない。しかも貧民街の住人のためにわざわざ動いてくれるかどうか。その不安をあえて考えないように、サムとマーヒローは四方山話を続けた。その話の流れで「マーヒローって名前、かなり人間っぽいよね」という話題にもなったのだが、
「マーヒローは、そのへんのおじさんから貰った名前です」
「ちょっとよくわからない」
そう軽く流してしまったそのとき、サムは、本当に何もわかっていなかった。
*
そして事件は起こった。馬娘の出店が襲撃されたのだ。
*
事は馬娘が店を離れていた際に行われたらしく、彼女は無事だったが、店舗は損壊、用意していた食材がすべてドブに捨てられる被害が発生した。
「いやー、きついっす。営業はしばらくムリっすね」
金欠につきサムの足が遠のいている間に起きた事件。その時サムは、バランドゥに稽古で「何で負けたのか次までに考えといてください、ほな」をされている最中だった。
「軌道に乗ったらツケもオーケーにするつもりだったけど、その前に閉店っすかね」
「ツケねえ……前から訊こうと思ってたんだけどよ。何でツケなんかやるんだ。絶対儲からないし、踏み倒されることだってあるだろ」
「いつもツケで飲んでる人がそれいいます?」
「踏み倒しはしてねーよ」
そこはしっかりと主張しておくサムである。馬娘は「わかってますよ冗談じゃないすか」とカラカラ笑う。なにわろてんねん。
「店長に言われてるんすよ。いつか独立してもツケはやれって」
馬娘が雇われた当時も、サムと同じ疑問を持ったらしい。サムとは違いできる女な馬娘は即座に「絶対悪い奴らが群がってくるっすよ」と意見したところ、移動酒場の店長はこう言っていたそうだ。
「『いいんだよ最初はツケで。どうせ腹いっぱいになりゃ、悪いことする気はなくなるんだから』」
「……そうかぁ?」
「当たり前にできてる人は自覚ないっすよね、そりゃ」
確かに、腹が減ってパンを万引きしようとしている奴の口にパンを突っ込んでやれば、万引きする理由がなくなる。しかし、それとこれとは話が別とばかりに万引きを遂行したり、味を占めてまたパンを突っ込んでもらうために万引きを仄めかすようになったり、とにかく、甲斐のない奴だって間違いなくいる。
「当たり前にできない奴にも食わせるのか?」
「そうっすよ。ていうか、食わせてみなきゃどんな人かなんてわからないし。でも、どんな人だって、焼いた肉はすぐ食べた方が美味しいってのはわかるでしょう。わざわざ盗んで逃げ回った先で冷めたのを食べるか、お行儀よくカウンターに就いて焼きたてを食べるか。ツケでいいなら、どっちを選ぶっすか?」
サムは深く頷いた。答える必要などなかった。
「どっちを選ぶかって訊いてんすけど」
焼きたてです、と答えて、改めて深く頷いた。すべてが腑に落ちた気分だった。
「……そうか。だからおやっさんは、小難しく考えなくていいように串焼きだけ作ってるのか」
「いや本人が料理覚える気ないだけっす」
腑に落ちて損した。落ちた何かを返してほしい。
「なあ。犯人、捕まえたいか」
「捕まったら、話を聞きたいっすね」
「は? それだけ?」
「それだけって何すか」
「あんたのことだから自分の足で蹴り飛ばすくらいするかと」
「お裁きなんてお上に任せときゃいーんすよ。こっちはそんなヒマじゃないし」
「話って、何聞くんだよ」
「何が気に入らなかったのか聞いておかないと、次に店出すときに活かせないっすから」
「……ふん。店主もバイトも揃って懲りねえ連中だな」
鼻を鳴らし、サムは腰を上げた。
「その依頼、このドブサライヤーが請けてやるよ」
「えぇ……」
「何で嫌そうな顔すんだよ」
「金がないって言ったばっかじゃないっすか。ケツの毛までむしり取るつもりっすか」
「せめて尻尾の毛って言わない?」
「いやマジで出せる金はないっすよ、冗談抜きで」
「金はいらん。その代わりに、」
――あんたの名前、教えてくれよ。
「は? 口説いてんすか?」
「んなわけねーだろ馬鹿娘」
ツケどころかタダ働きしてやるという意図がどうして伝わらないのか。理解に苦しむサムである。
*
「たのもーう!」
バランドゥ道場に響く威勢の良い声。道場破り気取りのサムだ。
「なに遅刻してんだよ」
「てゆーかここ最近サボってたよな」
「教育教育教育教育教育教育教育教育」
容赦のない兄弟子。普段なら「大変申し訳御座いません」と厳しく即徹底するところだが、今日ばかりは、無視してバランドゥだけを見つめた。
「稽古じゃなく、勝負しに来た」
「稽古ですら勝てない者が、か」
バランドゥの言うことは尤もだ。今も、瞑想の姿勢を解かずにいる老師に勝てる気はまったくない。勝ちを獲りにいくなと教える「ばらん道」ではこういう場合、手出しをしないのが正解なのだろう。
だが、バランドゥに言うことを聞かせるには、勝つしかないのだ。
「俺はどうしてもあんたから一本取らなきゃならん。そのために手段は選んでいられねえ。俺の得意分野で勝負させてもらう」
「ほう。何かね?」
不敵に笑うバランドゥに、サムは勝負内容を告げる。
「ドブさらいで勝負だ!」
「ワシの負けです」
一秒足らずで勝負がついた。
「絶対にやだ。絶ッ対にやだ!」
「ジジイ……」
「イヤッ!イヤッ!!」
「ジジイ!!」
「何でもしますから!」
「もういいよ! 何なんだよ、そんなに嫌がらなくなっていいだろ! たかがドブさらいだぞ!?」
ちょっと傷ついたサムである。
「たかがドブさらい、されどドブさらい。もっと自分の仕事に誇りを持ちなさい」
「うるせえよ、全力で拒否った人間がよ」
サムがドブさらい勝負を提案したのも「きっとやってる最中にジジイの腰が逝くだろう」という魂胆あってのことなので、決して誇れたものではないのが玉に瑕。
なお、ガキどもは「茶番だな。行こ行こ」と言い捨てて早々に散っていった。子どもはいつだってつまらないものに厳しい。それでいいと思った。サムがこれからしようとしているのは、よっぽど面白くない話だ。
「勝ちは勝ちだ。何でもするって言ったよな?」
ここで「じゃあドブさらいをしてもらおうか」とドツボにはまる要求をしたくなるのをぐっとこらえて、サムは当初の目的どおりの言葉を口にする。
「マーヒローに会いたい。ここ数日、探してるけどいないんだ。あんたが匿ってるんだよな」
バランドゥは答えない。構わず、言うべきことを続けた。
「出店を襲撃したの、あいつだろ」
*
バランドゥが立てた推測は、サムとほぼ同じだったようだ。
馬娘の出店を襲撃するにあたって、一番の障害になるのは入り浸っている冒険者ことサムであった。では、サムが出店から引き離されるきっかけは何であったか。
同時に、でまかせを言ってまでサムをバランドゥにぶつけなければならなかったのは何故か。それはバランドゥの目をサムに向けさせて監視下から逃れ、襲撃を実行する隙を作る目的があったからではないか。
「となると、思い浮かぶのは一人、だよな」
バランドゥに連れられた先は、道場の中のいわば『懲罰房』。他の子どもたちとは隔絶された個室に、マーヒローは一人佇んでいた。薄暗い中でも火が灯るように明るい瞳に、やはり獣人なのだなと当たり前のことを思う。
同行させた馬娘に、サムはマーヒローを指し示して頷いた。これで依頼はほとんど完了。あとは当人から聞き出すだけだ。馬娘が黙ったままでなかなか切り出さないので、若干躊躇いながら、サムは言った。
「どうしてこんなことした?」
「わからない」
即答。面食らうサムに、マーヒローは次の言葉を放つ。
「どうしてそんなことを訊くのかわからない。僕は貧民街の獣人だよ、それ以外の理由を求めるの?」
「お前……」
言葉に詰まった。三流とはいえ、サムも冒険者の端くれだ。むしろ三流が故に気をつけねばならないからこそよく知っているともいえる。貧民街で最低限、いや、最低の人間のルールしか学べないまま冒険者となるしかなかった獣人の手癖がどれだけ悪いかということを。
サムの狼狽を薄く笑うマーヒロー。バランドゥを見張っている間、相棒のように振る舞っていた頃には、見せたことのない顔であった。
「僕が最初に奪ったもの、何だかわかる?」
わからん、とサムは素直に答えた。
「名前だよ。『マーヒロー』は、僕の目の前で野垂れ死んだ人間の名前。もったいないから僕が使うことにしたんだ。僕、名前なかったから」
「……どういうことだ?」
「親に名前呼ばれたことないんだ。生まれてから、ここで独りにされるまで」
あぁ……と呻き声を漏らしたのは、サムだったか、馬娘だったか。自分たちは今、獣人孤児の最も深い闇に相対してしまっている。
目の前にいるのは、合法的に育児放棄された子どもだ。
*
「サムさん、ドブに落ちたもの食べたことある? 僕はこの街に来たばっかりの頃、何度かありついたことあるよ」
一緒に来た『親』は早々に軽犯罪で投獄され、子が成人して育てる義務がなくなるまでの間、塀の中でぬくぬく過ごすことにした。法で引き離された子の方は、何のアテもなく貧民街の最底辺を這いつくばって生きることになる。
彼はそこで、最底辺同士の奪い合いを経験する。誰かが拾ってきた生ゴミ、野垂れ死んだ者の所持品、時には命そのもの。そうやって彼は「マーヒロー」の名前を得て、運良く、孤児としてバランドゥ道場に拾われた。
道場での生活は、それまでに比べてまさに雲泥の差だった。同じ貧民街の中でもこれだけの格差があることに衝撃を受け、マーヒローは、この世の不平等について考えるようになったという。
「じゃあお前、昔いた場所の仲間に配るために食糧を……いや」
言いかけて、考え直すサム。だったら何故ドブに落としたのか。口に出さなくともその疑問に気づいたのか、マーヒローは「バランスだよ」と答えた。
「まともな食べ物をタダで手に入れたら、最底辺同士だけじゃ済まない。上も下も巻き込んだ奪い合いになる。やっかみは、自分が上にいると思っているヤツの方が激しいからね。だから余計な軋轢を起こさずに施すために一度汚した。あの連中なら気にせず持っていくだろうし、わざわざゴミを持っていくのを咎める人もいないだろうし。それに」
マーヒローは馬娘に目を向ける。射貫くような視線ではなかったが、それでも馬娘の肩が少し震えた。
「そっちのお姉さんにも気遣ったつもりだよ。大した損害が出ないよう、ダメージコントロールってやつ」
「……確かに、事情聴取されたとき衛兵さんから聞いたっす。うちの出店、タチの悪い連中にも目を付けられてたって。遅かれ早かれ同じことに……いや、もっと酷い事件になっていたかもしれないって」
サムも馬娘も、頭が良い方ではない。もうどうすればいいのかわからなくなってしまっていた。マーヒローがしたことは明らかに悪事だ。だが、そこに自分のためではない目的があったり、結果的に最悪の事態を防ぐためであったりしたなら、それは罪なのだろうか。ましてや、特殊な事情のある子どもがしたことならば。
「だからどうした」
一刀両断したのは、これまで沈黙を守っていた老師であった。
「かわいそうなら許すか。大義があるなら許すか。そのような道理はない」
これまでに聞いたどんな「喝」よりも、静かで、冷たく、重い言霊。
「ひけらかすようにべらべら喋りおって。不平等を是正するためにバランスをとったというなら、それを成したお主は何だ。見えざる手だとでも言うのか。くだらん」
吐き捨てる、というのが相応しい言い方。
「小難しいことを考えず、ざっくばらんに生きろと教えたはずだが……頭でっかちのお主には無理な注文だったようだな。お主には『ばらん道』破門を言い渡す。どこへでも行くがよい」
見放された。
その場にいる誰もが、そう理解できた。
「心配するな。お主は賢く、うまく立ち回れる。何も変わる必要はない。そのまま、賢いつもりで、踊らされていれば、いずれ相応しい場所に流れ着くことだろう」
マーヒローはバランドゥを睨み続けている。だが、言葉は出て来ないようだった。
「これは餞別代わりの助言だが、獣人ギャングに身を寄せるのはやめておけ。連中は、同じ獣人に手を上げた者に関わろうとはせん。むしろ、連中が受け皿になってくれないぶん、人間の冒険者たちには気をつけろ。冒険者にならないかと誘ってくるぞ。あいつらは貧民街育ちの獣人が大好きだからな」
サムは隣からバランドゥの表情を盗み見る。口の端が裂けるほど吊り上がっていた。
「危険な橋を渡らせる消耗品として」
マーヒローが言ったでまかせは本当だったのかもしれない。バランドゥが浮かべる残酷な笑みを見て、サムは、この老人こそがギャングの親玉なのではないかと思い始めていた。
*
マーヒローと名乗っていた獣人の少年は姿を消した。
もはや変えようのない、この事件の結末である。
そしてそれは、同じ日にいなくなった何人かのうちの一人に過ぎない。
明日からは、何事もなかったかのように街は回り続ける。
だが、その前に。
去り行くスラムのガキを、サムが呼び止めた。
*
「ちょっといいか」
振り向いた自称マーヒローは、落ち窪んだ目でサムを見つめ返す。少したじろぎながらも、サムは決心して告げた。
「ドブに落ちたモノ食ったことはねえけど、食い物をドブに落としたことはある。あれ勿体ねえと思ってたから……それでも食えるっていう方法があるなら、興味ある」
「は?」
「あの、あたしも……」
サムの隣にいた馬娘も、おずおずと手を挙げた。
「料理を作る者として、ドブに落ちた後でも美味しく食べられるのか、興味があるっす」
「……は?」
つい先ほどまで、この世のすべてを恨むようだった目つきは、真ん丸になっていた。
あれよあれよという間に、サムと馬娘、そしてマーヒローはぐつぐつ煮える鍋を囲んでいた。鍋には、ドブから引き揚げた食材(おそらくは食べ残された肉)をぶち込んである。
「だいぶ煮たよな……」
「引くほど煮たっす……」
「いけんのかなこれ。おいマーヒローお前、どうなんだこれ」
「……」
「オイこれもう大丈夫? いけるやつ?」
「知らないよ……」
「知らねーって何だよ! 食ったことあるのお前だけなんだぞ!」
「じゃあもういいんじゃない?」
「じゃあって何すか! テキトーなこと言うのは無責任っす!」
「もう何なんだよこのバカども!」
ギャーギャーと騒ぎ立てながら、どちらが先に食べるかを押し付け合う大の大人二人、ドン引きしている子ども。
「料理人さぁ……味見する権利はそっちにあるのわからない?」
「じゃあ何すか。お客さんに一番に食べてほしいって気持ちは無駄死にってことすか」
「ドブに落ちたモノをめぐる争い方じゃないよ!!」
それは『普通』には到底及ばないかもしれないが、どん底というには、少しばかり賑やかに過ぎる光景であった。と、思いたい。
サムと馬娘は、その日のうちに普通に腹を壊した。
*
端的に言って、サムはこの問題の解決を投げた。
手に余ると思ったし、何よりマーヒローは救われようとしていなかった。
だから、説教して恩人を気取る代わりに、ドブに落ちたものを食べることにした。いつかまた顔を合わせたときに「やっぱドブに落ちたものは食っちゃいけねえよな」と、同じ話題を共有できる相手になることを選んだのだった。もう二度とやらない。
「で、今度は何を始めたんだ?」
有言実行、再び貧民街に出店を構えた馬娘に訊ねるサム。ただ鍋や鉄板が置いてあるだけで、何の店なのか本当にわからなかった。
「食材を貯め込んでると狙われるのがわかったんで、お客さんが持ってきた食材と手間賃を貰って、煮たり焼いたり揚げたりするサービス業に切り替えたっす」
「たくましいな……」
「前より繁盛してるっすよ。バランス……ってわけじゃないけど、こういう感じの方が、ツケにするより気楽でいいのかもしれないっすね」
「気づきがあったわけだな。得したようで何よりだ」
「うっわ胡散臭い言い方。そっちはどうなんすか、ぼちぼちでっか?」
「得なことなんてねーよ。損しないように生きるだけで精一杯だ」
別れ際にマーヒローから言われたことを思い出す。道場の子どもたちに報酬を返すのを見て、喜んで損を被るタイプの人だと判断して実行に踏み切ったのだという。実際いいように利用されてしまったのだから、優しくあろうとするのは存外に難しい。
「じゃあ、ちょっとだけお得にしてあげましょうかね」
と、馬娘からこしょこしょ耳打ちされたが、何のことやらわからなかった。
「なんて?」
「まあ、ほら。ヘンに聞こえるかもしれないけど、ウチの種族的には伝統に則っているというか」
「だから、なんて?」
「……教えてって言ったのはそっちじゃないすか。名前」
「今のが、名前?」
こくりと頷く馬娘。サムは「ちょっと失礼」とことわり、近場の公衆トイレに駆け込んだ。
そして爆発したかのような笑い声が、扉を貫通して響き渡った。
ザッ、ザッ、と蹄を研ぐように砂埃を巻き起こす馬娘。
何が起こるのかを察した人々は、円を描くように距離を取り始めた。
サム・アッカーソンが宙を舞うことになるのは、もはや変えようのない結末である。