拾ったうさぎの大錦
うさぎが月に上って二日後。今日も氷屋は閑古鳥で、そろそろ冬の副業の準備をしないとねェと、首筋を撫でながら上のリビングに戻ってきた時だった。
コンコン、と掃き出し窓に何かがぶつかる音がした。
「なんだァ?」
眉を顰め、訝しげに思いながらも窓を半分ほど開けてみると、空いた隙間からぴょんと何かが飛び込んできた。
「おわぁ!? って、うさぎ!?」
「お兄さん! あぁお兄さんやりました! やりましたよぉ!」
飛び込んできたのは、あの日の片耳が折れたうさぎだった。
ぴょーんと胸元に跳びついて、やったやったと繰り返すうさぎに、まぁまぁ落ち着けよと苦笑いで声を掛ける。
「その様子じゃあド肝抜いて一泡吹かせられたのかい?」
「えぇ、えぇ! 天帝様も姫様達も大層驚き気に入ってくださいやした! 特に姫様方が絶賛してくださいやして、末姫様の初誉れを私が賜ることができやした! 全部全部お兄さんのおかげでさぁ! ありがとう、ありがとう!」
そう言ってほろほろと涙するうさぎの背を、良かったなぁと撫でてやると、ズビッと鼻を啜ったうさぎは落ち着いたのか、恥ずかしそうに頭を掻いてぴょんとおれから飛び降りた。
「いやぁ、面目ねぇ。嬉しさの余りはしゃいじまって」
「はは! いいってことよ。良かったじゃねぇか。褒美はなんだったんだい? 勲章かい?」
ソファに腰掛け、ラグに座り込んだうさぎに問いかけると、うさぎは嬉しそうに笑って月の宮での出来事を語りだした。
「天帝様の褒美は毎年色々と変わるのですが、今年はなんと天帝様が一つ願いを聞き届けてくれると言うものでして」
「エッ、そりゃあ凄いじゃねぇか!」
「えぇ、ここ数年で一番の褒美だと周りもざわついておりやした。それで私は畏れ多くも天帝様に伏してお願いしたんでさぁ」
「なんて願ったんだい? 勿体ぶらずに教えてくれよ」
続きを強請るおれに、うさぎはコホンと咳払いをすると、穏やかに微笑んで口を開いた。
「今日までに、成金うさぎに因って不忠義者の誹りを受けた者たちの名誉の回復を、と。お願いいたしやした」
「!?」
そして思いもよらなかった願いに驚くおれをそのままに、うさぎはなおも言葉を続けた
「『今日まで、そこな卑怯者の献上した品は全て他の者を虐げ奪い取り、金に物を言わせせしめた物にございます。そしてあたかも自分で用意したかのように見せかけ、虐げた者を献上品の用意もできぬ不忠義者と誹ってきたのです。私はそれが許せない』」
「『実は私も本日、本当は違うものを献上するはずでした。山で取れた栗を餡にした栗大福です。
しかし月光の橋を渡る際、あの者に包みを奪い取られ、あげく橋から突き落とされたのです。証拠ならあの栗大福のレシピを[[rb:諳 > そら]]んじましょう。あの者には言えぬはずですから』」
……講談師の演目を聞いているような、熱の入った語り口に思わずこちらも聴き入ってしまう。
「……そう申し上げると、天帝様は頷き、成金うさぎに栗大福のレシピを諳んじるよう命じやした。しかし奴は口籠るばかりで、基本的な大福の作り方すら言えなかったんでさぁ。
それで私の訴えは事実だと言うことで、天帝様は願いを聞き届け、不忠義者として登城を禁止された者たちの規制を解き、名誉を回復すると約束してくだすったんです」
ふぅ、と一息ついたうさぎだが、その口はまだ止まらない。
「また本当の不忠義者だった件のうさぎは叩いてみれば余罪が出るわ出るわで、罰として月からの永久追放と財産の没収がされたようで。一部は慰謝料として誹られた我々に配分されやした。
月の縁者にとって月の地を踏めぬのは死よりも辛く耐え難い仕打ち、奴は一気に老け込み引き摺られるように月の都を追い出されて行きやした」
「なんとまぁ……」
……一泡吹かせてこいと、ド肝を抜いてこいとは言ったけれど、おれの肝まで抜くこた無かったんじゃなかろうか。それくらい、うさぎの話は衝撃的で、スカッと胸がすく思いがした。
「しかしお前さん、できたうさぎだねぇ。欲が無ェっつぅのか。おれなら私利私欲に塗れた願いを口にしそうだ」
わははと笑えば、うさぎはきょとりと目を丸くすると、穏やかで優しげな目をしておれを見上げた。
「私がこうして誉れを賜れたのは、お兄さんから受けた恩のお陰でさぁ。そういう受けた恩や親切は周りに回していくもんだとおっかぁによく言われやした。それが巡り巡ればお兄さんへの恩返しにもなりやしょう」
そうニコニコと微笑むうさぎに、『本当にできたうさぎだよ』と照れ隠しで鼻を軽くピンと弾けば、うさぎはカラカラと笑って『それでですねぇ』と言葉を続けた。
「まだなんぞあるのかい?」
「大有りでさぁ! こっからがお兄さんには本題かもしれやせんね。私は天帝様に地に落ちた後お兄さんに助けられたことを話しやした。見ず知らずの憐れなうさぎのために、知恵と新たな団子の材料を惜しげもなく与え、一泡吹かせてこいと快く送り出してくれた優しい青年のお陰でここに居るのだと話しやした。同胞を助けるのも受けた恩を回すためだと」
「はぁ!? よせやい! おれァそんな大層な事してねぇよ」
ぎょっとして口を挟めば、うさぎはずいと近寄り、『大層なことでさぁ!』と鼻息荒くのたまった。
「我らは地に暮らしていても月の民。その民を救ってくれたのだからと天帝様ご家族は大いに感激なさって、お兄さんにも褒美を授けたいと仰りやした。姫様方も大賛成で、皇后様も地の帝にそちらの民からこんな恩を受けたと、感謝の手紙をしたためると仰られ、地の宮へ早文を出されておりやした」
「は、はぁ!? お前さんを助けただけでとんだ大事になってるじゃないか。お、おれそんなつもりじゃ無かったんだが!?」
天帝に加えてこちらの帝まで話が及ぶなんて! おれァただのしがない氷屋でしかねぇんだが!?
さっと青褪めたおれを見ているくせに、うさぎはてしてし前脚でおれの膝を叩きながら『ちゃんと聴いてくだせぇ』と更に言葉を続けた。
「で、ですねぇ。こちらが天帝様よりお預かりしたお兄さんへの褒美でさぁ。あ、こちらの筒は感謝状って仰られてやしたが、今広げやすかい?」
「いやいや! 立派な額買ってきてからじゃねぇと怖くて広げられねぇよ!」
うさぎはおれの渡した保冷バッグから綺麗な包みと卒業証書が入ってそうな黒い筒を取り出すと、筒を掲げて問いかけた。
それにぶんぶんと首を横に振って答える。そんなもん綺麗に手を洗って立派な額用意してからじゃねぇと触れねぇ!
「そうですか、でもこちらの包は今開けてくれやすかい? 生モノなんで」
「そりゃ、いいけどよぉ…… なんか風呂敷がキラッキラしてんだが……」
濃紺の手触りの良い生地にキラキラと織り込まれた金糸が輝く、まるで星空のような風呂敷の結び目をそっと摘んで引っ張ると、それは結んだ後すら残らぬほどするりと解けて広がった。思わず感嘆の溜息が漏れたのは言うまでもない。
その風呂敷の中から出てきたのは、熨斗の巻かれた桐箱で、丁寧に熨斗を剥がして蓋を開ければ、まんまるの満月を思わせるようなクリームイエローの美味そうな餅菓子が詰められていた。
「おぉ、風呂敷にはびびったが、これは美味そうだなぁ」
色からして黄身餡か、はたまた芋か栗かなんだろうか。
縁者も居ない一人モンには多いくらいのそれについと手を伸ばした時だった。
「これは月の宮での行事の際に、天帝様のご家族と招かれた貴賓のみに振る舞われる餅菓子でして。多分地の民だと地の帝様かその御家族くらいしか食べたことは無いんじゃねぇですかねぇ。
いやぁ、私も先日末姫の初誉れを賜ったことで一つ頂いたんですが、ほっぺたが落っこちるほど美味かったなァ」
うっとりと頬を押さえるうさぎに、おれは真顔で伸ばした手を引っ込めた。こっちじゃ帝しか食えねぇようなモン畏れ多くて摘めねぇよ!
「あれ? 食べねぇんで? 明日の夕暮れには固くなっちまいやすけど」
「いや、おま…… ハァ……」
次々と爆弾発言投げられて、こっちは全弾被弾で気力も体力も瀕死だっつうのに。
しかし、末姫様の手ずから賜った餅菓子を思い出したのか、うっとりと語るうさぎを見ていたら、なんだかどうでも良くなってきた気がする。
おれはもう一度大きなため息をつくと、パンっと頬を両手で叩き気分を入れ替え、桐箱を手に取ると掃出し窓を開け放ち、未だうっとりと思い出語りを垂れ流すうさぎに声を掛けた。
「おい、お前さん。おれ一人じゃこんな量食えねぇからこっちで一緒に食おうぜ」
「エ、私もいいので?」
「当たり前ェだろうが。おまえさんを助けたから貰えたようなもんだ。
それに美味ェもんは誰かと食った方が更に美味ェからな」
ニカッと笑うおれに、ぽかんと口を開けていたうさぎの表情が感極まったようにくしゃりと歪むと、『是非に!』とまたうさぎはぴょんとおれの胸元に跳びついた。その背をぽんぽんと軽く撫でると、うさぎは嬉しそうに耳をふるりと震わせた。
◆
ベランダからうさぎと共に少し痩せた月を眺める。
大月見も終わりなのか、月光の橋は月の側から段々と薄くなり、その上を慌てたように跳ねて下るうさぎ達の帰宅ラッシュが面白くて、二人で『落ちんなよ』と野次を飛ばして笑いあった。
「なんだかなぁ。おれァおこぼれ餅を拾うつもりで外に出たんだがな。餅よりえれぇもん拾っちまった気がするよ。とんでもねぇ福が来た」
「ふふふ! 私も自分が落っこちるとは思いやせんでした。色々ありやしたが、まぁ終わりよければ全て良し、てやつでさぁな!」
「違いねぇ!」
そうして並んで笑い合って食べた餅菓子は、今まで食ったどの餅菓子よりも、甘くてふわふわでもちもちで、とんでも無く優しい味で、美味だった。
おしまい