07-18
「――これが、例の基板ですか?」
「そう。さっさとやってしまうか。まずはこのポートにこの線を繋いで……と」
目の前の緑色の板を手に取る。A4サイズほどの基板が二枚。一枚は電源の制御に関連する共用部の基板で、もう一枚が――様子のおかしいと報告のあった――人を形成するデータの格納と演算処理を担う基板だ。
関連する基板だけキレイに取り外しておいてくれたようだった。すでにサーバ室ごと電源が切られてしまっていたから、「ボックス」のネットワークからの切り離しにシビアになる必要もなかったためだろう。
今の時分に冷房のないサーバ室で作業するのは身体的負担が非常に大きいからその配慮は助かった。本当に暑いんだ……いつだったかサイカワの嘘の依頼のためにワカクサに自転車で行ったが、あれと匹敵するくらいしんどい。
「……これを端末に繋いで『部屋』を起動。基板側も電源を入力して……と」
「ハード的な異常はなさそうな感じですかね?」
「ん、そうだな。このLEDが点くってことはハードとしては正常に動いている。だからあとは中のデータがどうかってだけだな」
「なるほどなるほど。鬼が出るか蛇が出るか、ですね」
「……出てくるとしたら人なんだから、それはちょっと失礼じゃないの」
「テヘ」
「テヘって。……よし、『ボックス』の擬似演算も問題なく動いている。……『部屋』に呼ぶぞ」
「ええ。緊張の一瞬ですね」
――過去の記憶が頭によぎる。
久々にサイカワ、という名前を思い出したからだろう。
あの日、ヒカリをウイルスの侵入経路にすることを議論したとき、サイカワはこう言った。
――侵入を検知されて即座に隔離されるかもしれないし、侵入した瞬間に『虫』の別の『神経節』に消される可能性も否定できない。うまく侵入し『虫』を破壊できたとしても、ヒカリ君への『虫』の『神経節』の埋め込まれ方によっては、『虫』の破壊とともにヒカリ君そのものがデータ群としての塊を保てなくなる可能性がある――と。
サイカワ自身も「虫」への接続権限がなく、「虫」の挙動を正確に把握できていなかったから、彼の発言は彼の持つ情報を全て持ち寄って導き出した起こり得る可能性――つまり、あくまで推論でしかなかったはずだ。
最悪の場合に自分がどうなるかを知ることはとても重要なことなので、それを配慮し推論を並べてくれたサイカワに不満などはあろうはずがない。むしろ、あの限られた時間とリソースの中、瞬時にあれだけの可能性を列挙できたことに畏敬の念を覚えているし、何より感謝している。
――だけど、実際に起きた事象と答え合わせをしてみると、たしかに一つだけ彼の述べたことと同じことが起きているが、しかしそれは、最後にどうなるかが述べられていないのだ。
ウイルスを注入した直後、ヒカリは漆黒の何かに包まれてその姿が見えなくなった。
直感的にあれは「虫」による隔離だと思ったが、あれがサイカワの言っていた「虫」による隔離だったなら、隔離されたヒカリはいったいどうなったのだろう。
まさしく隔離なら、「ボックス」のネットワークからも、「虫」のネットワークからも隔離されていたわけだ。
「虫」が生き続けていたのなら、隔離の後、ヒカリは処理されていたかもしれないが、隔離とほぼ同時に「虫」全体はウイルスに侵され破壊された。
この場合、隔離の後のヒカリの処理は実行されていない可能性はないだろうか。
またサイカワは、ヒカリへの「虫」の埋め込まれ方によっては「虫」全体の破壊とともにヒカリのデータまで壊れてしまう可能性を示唆していた。だがそれは、ヒカリが「虫」全体と接続されていた場合のみ想定される事象ではないだろうか。
「虫」が破壊される直前にヒカリは「ボックス」、「虫」の両者から隔離されていたのだ。だとすれば、ネットワークを通じて進行したウイルスによる「虫」の破壊は、そのネットワークから隔離されていたヒカリには及ばなかった可能性はないだろうか。
もしこれらが正しかったなら、ヒカリはウイルスの入口として機能した直後隔離され、そのまま隔離されていただけになる。それはつまり――。
コンコン。
端末からノックの音が響く。
鼓動が高鳴る。
「解錠」
努めて淡々と応えると、ガチャリと鍵の開く音。
キイと音を立ててゆっくりと扉は開いていく。
「――――久しぶり」
何度も聞いた、懐かしい声。
夏の日差しはどこまでも眩しく、目に染みた。
これにて本作は完結です。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました。
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重ね重ねになりますが、ありがとうございました。




