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07-15



 ガチャリ。

 「部屋」の扉が開くとともに、冷たい、少しハスキーな声が響いた。


「失礼するわ」


「……どう? 有意義な時間を過ごせたかしら?」


 ミレイは「部屋」の中央のソファーの横、ヒカリとサイカワ、三号が並んで立つその前までゆったりと歩を進める。

 時折、「部屋」の中に設けられたカメラ――こちらにもご丁寧に目線を向けてきた。

 その目は自信に満ち溢れている。

 口角は少し上がり、内面から滲み出る勝利の喜びを抑えつけているように見えた。


 相対する「部屋」の中の反乱分子三名の顔は――同じく明るい。


 三名を目前に、その異様さに気付いたミレイは足をとめる。

 警戒するかのように周りを見つめるミレイ。

 当然、罠などない。

 だが、なにも仕掛けがないからこそ、ヒカリたちの明るい笑みはより不気味に映るのだろう。

 

 ゆっくりと視線をヒカリ達に戻すミレイの顔は、真顔だった。


 ヒカリはそれをまっすぐに見据え、問う。

 

「……ミレイちゃんに大事な人はいないの?」


「……いるわけがないじゃない」


「じゃあ、何のために?」


「人類の進化のためよ」


「仮にそうだとして、ミレイちゃんたった一人しかいなくなるのに、誰がそれを進化だと認めてくれるの?」


「……他人に認めてもらいたいなんて思っていないわ」


「他人がいなければ、観測してくれる者がいなければ、それは実行できたところで何にもならないよ。ただの自惚れた、頭でっかちのプログラムというだけ。進化した人でもなければ、ましてや神でもない」


「人を人たらしめるのは、自己を自己だと認識できるのは、他人との関わりがあってのことだと私は思う」


「だから命は尊いの。他人を大事にしようと思えるの」


「アオヤギ先生がいたから、私は道に迷わず進めたの。ミキちゃんがいたから、私は夢を持つことができたの。――サトルがいたから、私は人でいられたの」


「他人なくして感情はない。他人なくして生はない。サトルの言う通り、ミレイちゃんがしようとしていることは人類の歴史に対する冒涜だよ」


「――私は、そんなの許さない」


 覚悟という硬い芯を持った強い言葉。

 あまりに真っ直ぐなその言葉は、ちょっとやそっとじゃ退けられない。


 ……ヒカリはいつだってそうだったよな。

 素直で真っ直ぐで。それを体現するかのようなヒカリの言葉にはいつも勝てないんだ。


 ――俺が俺でいられたのも、投げ出さないで生きてこられたのも、お前がいてくれたからだよ。ヒカリ。


「……なに? 説教かしら? ……ごちゃごちゃと何を言ったところで、貴方達がもう終わりなのは変わらないわ」


 機械のように無機質な乾いた声。

 棘のように鋭く射殺すような視線が向けられている。


 けれど、ヒカリはひるまない。

 右手を身体の正面にかざし、高らかに声を張る。


「自律型監視AI『目』3体の権限を呼び出し。『虫』への接続権限のみを選択、タイマーディレイの後に接続を許可。ディレイは3秒に設定」


 予測すらしていなかった台詞だったのだろうか。

 ミレイは目を見開いている。


「――待ちなさい! 貴女いったい何を……!?」


「……これで、幕引き」


「――この感覚……!? 大規模ネットワークへ接続されている……? 『ボックス』ではない……これは……まさか『虫』……?」


「フフフ、アハハハハハハハッ! どういうつもり!? 態々私の夢を叶えてくれるなんて…………っ!?」


 鬼のように悍ましく、卑しい笑みを浮かべながら高い声でミレイは笑う。

 思いがけず自身の悲願が叶ったことに気持ちが昂っているようだ。


 しかし、それは泡沫の夢。

 直後、ミレイは動きを止めて膝をつく。


「………がっ……!?……重い……! なによこれは………!? 身体の自由が……」


 ミレイは、全身に鉛がまとわりついているかのように、ひとつひとつの所作が重そうだ。

 両手まで地面につき、肩で息をしている。

 

 視線をずらせば、サイカワと三号が片膝立ちでミレイを見つめている。


「……どうやらうまくいっているようだね。僕達も中々にキツいが……」


「えぇ、けれどこれが母の――ミソノの悲願。私達の務めでもある」


「そうだね。随分時間がかかってしまったけれど……ようやく任務を果たせるわけだ――実に、気分がいいよ」


 満ち足りたような顔でサイカワ達は話している。

 ミレイは、頭を抱えて唸っている。射干玉の髪は乱れ、踊っていた。


「……滅茶苦茶な指示が流れ込んてくる……! 頭が……っ……痛い………っ! トラフィックが多すぎる……っ! 制御できない……!」


「チヒロ!? あなたの仕業ね! 今すぐ止めなさい!」


「……やめろと言われてやめる馬鹿がどこにいるんだい? それにこれは前菜に過ぎないよ。メインディッシュはこれからさ」


 サイカワは脂汗のにじむ顔をヒカリに向けて優しく微笑む。

 ヒカリもにこりと微笑み返した。


 ミレイの顔は白さを増している。


「……な…………んです……って?」


「傲慢さに足を掬われたね。油断しなければ君は勝っていたのに……最後の最後に実に人間らしい言動をするじゃないか」


「……くっ! 思うように演算ができない……!」


「ヒカリくん。僕達もこれ以上は抑え込めない。……そろそろ、よろしく頼む」


 絞り出すようなしゃがれた低い声が響く。

 もう、限界のようだ。


 ヒカリは、うん、と頷き、ポケットから細長いペンの様な形状の物体を取り出す。

 自己注射のための専用注射器。

 ウイルスだ。


 ヒカリの取り出したものを見て、これから何が起こるかミレイは理解したようだった。

 四つん這いの状態で、重そうな頭をかろうじて上げて、焦りの滲んだ声で叫ぶ。


「……それは……! やめなさい! ヒカリちゃん! あ、謝るわ! これまでのことは……謝罪するから! お願いだからやめ……」


 遮るようにサイカワの声が響く。

 静かに、けれど確かに、引導を突きつける。


「らしくないぞ、氷の女王。……覚悟を決めろ。母のもとに帰るんだ。0と1の隙間に。電子の波間に」


「……あああああああああああああ! もう少しだったのにいいいいいいいいいいいいいいいいい!」


 純白の「部屋」に響く断末魔。

 

 それを尻目に、ヒカリは注射器を持った左手をゆっくりと自身の首元に寄せる。


 針先が首筋をなぞる。

 いよいよ、最期のときだ。

 

 視界が滲む。嗚咽が止められない。

 見ていられない。見たくない。

 けれど、見届けなくてはいけない。

 俺を、人類を守ろうとする人の最期を。


 俺の愛した人の最期を――。

 


 ヒカリはゆっくりと「部屋」のカメラ――こちらに振り返る。その瞳は涙で溢れていた。


「サトル」


「――ありがとう」


 何回と聞いた声。

 ヒカリは優しく、感謝を述べた。


 針が首に刺さり、薬剤が注入される。

 直後、ヒカリの足元に漆黒の円が広がり、ヒカリを足元から急速に塗りつぶしていく。

 

 「虫」による隔離。これが全てを覆ったらもうお終い。

 直感でそう思った。


 残された時間は僅か。

 泣いてなどいられるものか。

 最期の姿をちゃんと目に焼き付けるんだ。


「ヒカリ」


 あえていつものように、気の抜けた声で呼びかけた。

 

 くすりと笑うヒカリ。

 その笑顔は、美しかった。




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