07-13
涙が溢れ出してくる。
泣いている場合ではないのは理解している。けれど、理解とは別のところでこの脳は動かされている。俺が肯定した感情の部分で。
あいかわらず、ヒカリの目は優しい。
見つめられると、どうしても弱い。
柔らかい見た目と言動にそぐわない力強さを灯した――俺の好きな目で。
「……私は、サトルに生きていてほしい」
「このままじゃ、私は、ミレイちゃんにいい様に使われて、サトルに迷惑をかけたまま死んじゃう。そしてサトルもいずれ……私は、そんなの嫌だよ」
「……どうせ死ぬなら、人を、サトルを守って死にたい」
「お父さん、お母さんが命をかけて負ってきた務めもある。……それも果たしたいの。アオヤギ先生の思いも」
「サトル達が物理空間に残ってまで守ってきた世界を、ミレイちゃんの好きなようにされちゃうのも嫌」
「サトル達が守ってきてくれた世界を、私も守りたいの。これは、私のエゴ。……ミレイちゃんと変わらないね。けれど、だからこそ通すの。命をかけて」
迷いのない、まっすぐな言葉。
揺るがない芯の通った言葉に、反論は見当たらない。ちょっとやそっとの言葉では覆せない。揚げ足取りもすべきでない。
なぜなら――その本質は俺と同じ。
――あなたを守りたいから。
それをしようとした者に、それを否定することなどできようものか。
どこまで行っても俺とお前は――。
これまでの歴史が物語る。
ふたりの関係性と、それが故にそれが成す結末。
こんな終わりは望んでいない。
けれど、これ以外の終わりはない。
自分達だけが良ければよいなど、言える性分でもないから。
とうとう溢れ出す涙を止められなくなってきた。
雨のせいと誤魔化すことももうできそうにない。
情けなさと口惜しさと。
きっといま噛み殺している嗚咽はその発露だ。
「……私の夢を叶えられないのは、ちょっと残念だけどね」
「……夢?」
声音をできるだけ整えて、ヒカリの発言の意味を問う。
たしか、ネコタニが部室に来たときにも話したか。あのときはタイミング悪くサイカワが訪ねてきて有耶無耶になったんだったな。
「……私、ライターになりたかったの。人知れずがんばる人達に焦点を当てた記事を書きたかったの」
そうか。
ヒカリはライターになりたかったんだな。
恥ずかしがって教えてくれなかった夢。
物を例えるのが上手だったり、文章を書くのが得意だったりするのはその夢のために人知れず努力した結果かもしれない。
そうだったんだな。
……ヒカリの夢が叶うところ、見てみたかったな。
「……ヒカリ君。もしいま原稿があれば、僕がその記事を配ってあげようか。txtファイル程度の簡単なものに制限されるけれど」
まさに鶴の一声だと思った。
この絶望的な状況で、唯一光る明るい話題。
……できることなら、叶えてやってほしいと心から思った。
「できるの?」
「……お安い御用だとも。『虫』に侵入させるウイルスにその記事を持って行かせる。込み入ったことは難しいけれど、『虫』を壊す瞬間に『虫』から『ボックス』内の任意の空間にパスを作って、そこに記事をばら撒かせるくらいなら可能だよ」
「僕たちの最期の仕事だ。それに付き合わせてしまうのだから――それくらい、やらせてくれないかな」
サイカワは微笑みながらヒカリに提案する。
ヒカリは満面の笑みだ。
「……嬉しいな。最初の記事は決めてるの。ずーっと温めてきたものだから。……あ、でも、ちょっと書き足したいから、ちょっとだけ待ってもらっても大丈夫?」
「もちろん」
「よかった……ありがとう。その記事はね、私の大好きな人のことを書いた記事なの。大事に届けてほしい」
「任せてくれ」
「ありがとう」
ヒカリの夢が、欠片でも叶いそうなことに安堵する。
少しだけ力が抜けるとともに、襲ってくるのは寂しさ。あとほんの一時間強で、ミレイが定めたタイムリミットになってしまう。
サイカワも腕時計で時間を確認している。
思ったよりも経過していた時間に少しだけ驚いているようだ。
「……よし、ならば早速準備に取り掛からなければならないな。時間がない。……集中して作業したいから、僕と三号を二人にしてくれると助かるな」
二人? いや、それは構わないけれどどこかに行くのか? それともこの「部屋」で? ヒカリはどうするんだ?
「三号。一旦こっちに戻ってきてくれ。それと――」
「わかっているわ。言われずともね。戻るときに入れ替わる。……ヒカリちゃん、ちょっとびっくりするかもしれないけれど、すぐ慣れるからね」
「……え? どういうこ……」
ヒカリの声が途切れたかと思った瞬間、「部屋」からヒカリの姿が消えた。
「……どうした!? ヒカリ!?」
予想だにしない出来事に思わず焦る。
三号が何かしたのかと、横にあるマネキン――人型機体を見やれば、手をだらりとたらし、直立不動の状態で停止している。スキンも消えて、まさにマネキンのように生気を感じない。
直後、マネキンの足元から青色の光が発せられる。これは……スキン――立体映像だな。
足元から頭に向かって徐々に上っていく青い光。
腰のあたりまで映し出したスキンは、今日の幼馴染の服装に似ている気がした。
まさか――。
三号の声が携帯端末のスピーカーから響く。
「心配させてごめんなさいね。けれどなにも恐れることはないわ。制御権をヒカリちゃんに渡したの。……私たちが準備を終えるまでの間、好きに使ってもらって構わない」
人形機体の青色の光は首元まで差し掛かっている。
――間違いなく、ヒカリの服だ。
「移動する時間が勿体ないから、この『部屋』で作業させてもらうよ。勝手に借りておいて申し訳ないが、端末の負担軽減のために『部屋』の維持以外の機能は全て切らせてもらう。終わったら声を掛けるから、それまでは携帯端末は使えないと思っていてくれ。……勿論、悪用なんかしないから安心して」
マネキンの首元からゆっくりと上がる青い光。
何回と見た顔が映し出されていく。
この10年、端末の中でしか見ることのできなかった顔を――。
「では、また」
青い光がマネキンの頭部の頂点に達したと同時に、携帯端末の画面がブラックアウトした。
けれど、そんなことは気にならなかった。
もっと大事な――人が目の前に現れたから。
「……ひさしぶりだね、サトル」
「……ヒカリ」
いつの間にか、雨は止んでいた。




