07-02
……なるほど。アオヤギ先生を知らない、ときたか。
ネコタニと同じように記憶をいじられた……?
……いや、ミレイが「虫」を良いように使う首謀者ならば、自身の記憶をも改変するとは思えない。というか、そもそも、ミレイが「目」のプロトタイプなら「虫」からの干渉は受けないから、記憶の改変は不可能のはずだ。
つまり――これも嘘をついている……?
いや、万にひとつ――サイカワ達の言うことが嘘で、本当にミレイが何も知らない、「目」のプロトタイプでもない、ただの一人の女性で、ネコタニと同様に記憶を改変された可能性を排除できないか……? ……仮にそうだとしても、指輪の存在を知っていることをどう説明をするのか疑問だが。
「俺達の高校時代の部活の顧問だよ。先週、お前のお母さんのパソコンのロックを解除してもらいに一緒に訪ねたじゃないか」
「…………それはスワ先生だったでしょう?」
ネコタニもスワ先生と言っていた。
もしここで全く異なる名前がミレイの口から出れば、ミレイの記憶が「虫」により改変されていない証拠となったが……ネコタニの情報と整合は取れているように見える。
「スワ、か。下の名前は?」
「……失念してしまったわ」
「虫」による記憶の改変がどのようになされているかわからないが、特定の情報をすっかり別の情報に差し替えたのだとしたら、あのときアオヤギ先生はフルネームを名乗り自己紹介をしていたから、そのスワとやらもフルネームで自己紹介をしているはずで、ミレイはそれを聞いているはず………いや、記憶の改変のされ方が正確にわからないと妄想の域を出ないな。確認のしようがない。
ネコタニからスワとやらの名前も聞いておけばよかったな。
「…………そうか。俺達はスワ先生のことを知らないんだ。どうやら、アオヤギ先生という存在が消されて、スワという全く別の人物に置き換えられているようなんだ」
「『ボックス』の古い歴史について知った直後だから、少し考えてしまうんだが……心当たりはないか、ミレイ」
「……そんなこと、あるわけがないじゃない。人の記憶を操作するなんて。……失礼だけど、アオヤギっていう人は本当に存在したのかしら?」
「夢でも見ているのではなくて?」
ミレイはなに食わぬ顔で、ツンと冷たく、突き放すように話す。
恩師の存在を否定されたことに思わず苛つきを覚えるが、ふっと息を吐いて、努めて語気を和らげて詰める。
「人を消す……この電脳空間においては、人を電子基板上のデータに置き換えている以上、技術的には不可能な話ではないはずだ。つまり、いま俺が話しているアオヤギ先生の事象は、この電脳空間を自由にできる者――ノアボックスがそれをするかしないかが焦点だ」
「アオヤギ先生の部屋に訪れる前、俺たちの部室であの童謡の歌詞と現実の妙な一致について話したとき、組織ぐるみでの隠蔽の可能性があると、お前自身も言っていたよな? ……そのお前がなぜ、このアオヤギ先生に起きた事象は、夢幻の類だと切り捨てるんだ? ノアボックスを良くしたいと言っていたお前なら、疑う先はノアボックスになりそうなもんだがな」
「……なんのことだかわからないわ。童謡? 組織ぐるみの隠蔽? そんなこと、あるわけがないじゃない」
……すっとぼけもここまでくると清々しいな。
いや、本当に記憶を改変されている可能性をまだ否定できていないか……。
いずれにせよ、アオヤギ先生は存在していたということと、ノアボックスには黒い疑惑があるということを認めさせないと会話は平行線だ。何を話そうと、「知らない」と突っぱねられる。
アオヤギ先生の存在とノアボックスの疑惑が真実であることを認めさせたうえで、ミレイがどのような言動を取るか――それこそが、ミレイの腹の中を探る――ミレイが人類に仇なすAIであることを見極めるポイントなのに……。
いったいどうすれぱ――。
頭を掻きむしりながら携帯端末の画面から目を逸らす。
視界の端にマネキンのような人形――人型機体が映った。
――なるほど。
万が一にでも三号の姿をミレイに見られると、計画がバレてしまう可能性があるから、立体映像の出力をオフにしているのか。
ご丁寧に動きまで止めている。
余計な音も出さないためだろう。
左手に持ったハンディカムが雨に濡れないように、右手で傘のようにして固まっている。
その珍妙なポーズに少しだけ力が抜ける感覚を覚えた。
……ハンディカム。
アサギふれあい広場の幽霊騒動のときに使ったものだ。
録画した映像は、ハンディカムに挿入された記憶媒体の中にまだ入っている。どこのネットワークにも接続されていない記録媒体の中に。
あのハンディカムで最初に撮った映像は――。
「……サイカワ。使うって言ってたのはこのときのためか?」
「そのとおり」
ノアボックスの疑惑に関する記憶が消されてしまうことも、アオヤギ先生が消されてしまうことも、いずれも想定していたということか。そして、ミレイと対峙する可能性も。
記憶、そして人が消されたことの客観的な証拠を確保しておくために、あのとき態々部室まで来て、ハンディカムの動作確認を促したのか。
「……そうか。恐ろしく用意周到だな」
「それほどでもないさ」
「――ミレイ、残念だがあるんだよ。そんなことが」
ハンディカムの電源を入れる。
保存されている動画ファイルのうち、一番古い日付のものにカーソルをあわせ、再生する。
アサギふれあい広場に行く前日のものを。
部室で皆が集結する前から解散するまで、動作確認のために録画を回していたファイルを。




