02-02
「ぶっ、物理空間に行くぅ!?」
正面に座っていたヒカリが勢いよく立ち上がりながら、大きな声を出した。
「えぇ」
ミレイは冷静に短く答える。
ヒカリは立ち上がったままわたわたしている。
「ど、どうしてそんなこと、というかどうやって、身体は? あ、でも……」
「落ち着けヒカリ」
驚きのあまり支離滅裂になりかけているヒカリを諭した。
そうなる気持ちは十二分にわかるけど。
ヒカリはキョロキョロと周りを見渡して、自分が無意識に立ち上がっていたことに気付くと、恥ずかしそうに着席した。
「ひとつひとつ聞かせてくれ、ミレイ……さん」
「ミレイでいいわ」
「わかった、ミレイ。物理空間に行きたいとはつまり、物理空間上の身体を手に入れたいってことか?」
念のため問いかける。
ミレイはハッとしたような顔をして、慌てて答える。
「いいえ、ごめんなさい、語弊があったわ。物理空間上の身体を手に入れたいというわけではないの。正確には物理空間を見に行きたい、よ」
「いや、大丈夫。しかしよかった。物理的な身体を手に入れるのは俺たちでは出来かねるから」
俺たちでなくても不可能だ。空っぽの肉体を手に入れることなんか。
多くの人類は電脳空間に移住してしまった。
いま物理空間に残っている人は限りなく少なく、物理空間上の人類の活動もまた非常に少ない。したがい、人的にも物的にも、食料の調達とかインフラの整備とか、その日その日を生き抜くために必要なリソースしかない。
電化製品とか車とかはジャンク品を使いまわしている有り様だ。
意識データを転送できるロボットなんて作るほどの余裕はないし、ましてや、肉の身体を作るなんてできない。
ミレイは胸の前で手を振りながら続ける。
「私の親の代から電脳空間に移住したから、私の身体は電脳空間にしかない。物理空間で身体を手に入れることなんか不可能ってこともわかっているわ」
「けど、それでも。私は物理空間を見に行ってみたいの。――お母さんが見たいと言っていたものを見たいの」
そう話すミレイの目には強い意志が感じられた。
よほど見たい光景がそこにはあるのだろう。
ミレイは続ける。
「そう、つまり、私のお願いは、物理空間を見に行くのを手伝ってほしいってことなの。」
「電脳空間ネットワークは基本的にサーバ上で閉じているから、物理空間を見に行くことができるノードにアクセスするのはなかなか難しくって……」
……おや、妙に詳しいな。
そう、ミレイの言う通り。
ヒカリやミレイたちが住んでいる電脳空間は、物理空間を見る手段に乏しい。
人の移住が進んでいく過程でそうなってしまった。
電脳空間「ボックス」の運用開始当初はまだ人類の生活の拠点が物理空間だったので、そこには多数のIoT機器が存在していた。それらの中にはカメラを有する機器もあって、電脳空間からそれらにアクセスすることで物理空間を見ることもできたわけだ。
だが、「ボックス」の隆盛とともに、物理空間においてそれらの機器を所有し保守する人間がみるみると減っていった結果、今では殆どの機器がネットワークから切り離されてしまっている。機器の故障、寿命、電源の喪失、理由は様々。
いま生きてネットワークに接続されている機器は……それこそ電脳空間「ボックス」を構築しているサーバくらいのものだろう。……1つ、例外を除いて。
これが、ミレイが「閉じている」と言った背景だ。
「だから、実際に物理空間で生活している人にお願いするしかないって思ったの。ごめんなさい、図々しいことは承知しているのだけど……」
ミレイはバツが悪そうに呟いた。
……ちょっとお出かけするくらいだからそんな大したことじゃないんだけどな。
一息おいて、いつもより少しだけ落ち着いた声を意識してミレイに答える。
「……図々しいなんて全く思ってない。むしろ役に立てそうで何よりだ。物理空間に住みながら、このサークルをやっていた甲斐があったってもんだ」
「サトルの言うとおりだよ、ミレイちゃん! なんにも気にすることなんてないよ! ミレイちゃんが見たいものが見られるように頑張るよ! 主にサトルが」
「……たしかにその通りなんだけど、その言い方はなんか釈然としませんよヒカリさん」
冗談めかしてちょっと小言を言ってみた。
ヒカリとミレイはクスクスと笑っている。
その後でミレイは、こちらに向かって頭を下げて感謝を告げた。
「ありがとう、サトルくん、ヒカリちゃん」
希望が叶いそうなことがわかって安堵したのか、ミレイの表情には柔らかさが見て取れる。
それを確認してから、ミレイのお願いに対する自分の提案を伝えた。
「物理空間を見に行くだけなら難しいことは何もない。こうやってテレビ電話を繋ぎながら俺が出歩けばいいだけだ」
「だが、それだと少しばかり味気ないだろうから、……いや大した差はないかもしれないが、もう一つの方法を提案するよ、ヒカリはこの手のが好きなんだ。なぁ?」
「そう! やってることは実質ほぼ同じなんだけどこっちのほうが臨場感があって良いんだよー!」
「……どういうこと? ごめんなさい、話が見えないわ」
「あぁ、順を追って説明するよ」