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03-02



 夕刻、陽の落ちかけた空は朱の色を強めている。

 夏至に向けてどんどんと日が伸びていくこの頃は、暑さも加速度的に酷くなっていて、この時間においても外の熱気は殺人的だった。

 カーテンを閉め切って窓からの熱を遮断しつつ、エアコンの温度を下げる。

 いまこの時点でこの暑さなら7月、8月は一体どうなってしまうことやら……と毎年思って、毎年なんとかなっている。非力な人間の意外なたくましさを毎年実感している。 


 通話状態に保持した携帯端末からはドタドタと走り回る音が聞こえている。

 音の主は意図せず他所の世界に引っ越した、近くて遠い、幼馴染み。


「雨だとちょっとだけ涼しいけど湿気がすごくてプラマイゼロだ! 窓を開けねば!」


 どうやら今日の電脳空間は雨らしい。


 いまヒカリは大学の部室に来ている。

 4限が終わった時分、この後の講義はなく、普段であれば夕飯を楽しみに自宅に帰る頃合いだが、今日はそうはいかない。


 閑古鳥の鳴く我らが手助けクラブにまた客人が来るというのだ。


 先週久々にエラい美人の客人が来たばかりというのに、また来客とは非常に珍しい事態だ。

 ……あ、だから雨なのか?


 そんなくだらないことを思いながら、小さい画面の中で右に左に走り回るヒカリを眺める。

 窓という窓を開けようとしているようだ。

 湿度の高さが不快なら、雨の降っている状況で窓を全て開け放つのは悪手なような気もするが、湿度がさらに高くなろうとも外の涼しさを取り入れることのほうが急務のようだ。それほど我らの部室は暑いのか。


 昨日のシノノメの帰りから、ヒカリとは碌に会話できていない。

 お父さん、お母さんに花を供えられなかったこと、供える場所があるかどうかも分からなくなってしまったこと。話題とするには如何せん重く、かと言って触れないのもまた喉に何かがつっかえたようなもどかしさがあって、言うに言われぬ立ち往生となってしまっている。この触れぬ触れないの悩ましさに思考が持っていかれて、あの工場の謎に対する推理に頭のリソースが回らない始末だ。――同じ事象を見ているはずなのに。見る角度でこうも変わるかね。いや、見る角度もそうだけど、触れる相手も影響するか。



「いやー、湿気で髪がくるんくるんになっちゃうなぁ。けどちょっと涼しくなったから良しとするか!」


 どうやら窓の開放は済んだらしい。そして案の定というか部屋の湿気がさらに高くなったようだ。


「そんなにひどい雨なのか?」


 世間話から切り込んでみる。


「んー、ずーっとシトシトと振り続けている感じかな。ザ・梅雨って感じ」


 ……ほーん。まぁこっちの世界は梅雨が無いのでわからないんですけれども。


「ところで、今日も客人が来るんだろう? どうしたんだ、こんな頻繁に人が来るなんて」


「だよね、私もわからない。けどちゃんとお客さんだよ、手伝ってほしいことがあるから相談しに行っていいかと聞かれたもん」


 なるほど、冷やかしの類では無いんだな。

 工学部のマドンナが一度訪れたサークルだから、それに興味を惹かれただけの輩の線も考えたが……穿った見方が過ぎたようだ。

 真っ当な客人なら、その悩みの解決の手助けをしてやらんとな。……正直、ミレイの件が何も分からず有耶無耶のまま止まってしまっているのが非常にモヤモヤするけれど。仕方がない。


「しかし、どうしても今日なんだな。4限が終わって帰るには良い時間だというのに。明日は午後の講義の無い日だから明日の方がゆっくり話せたんじゃないのか?」


「私もそう思ったんだけどね、どうしても今日が良いんだって。急ぎなのかもね」


 急ぎかぁ……急ぎの仕事ってあんまり良い印象ないなぁ……負荷の大きい仕事だったらどうしよう……


「……大変な仕事だったらどうしようって思ってるでしょ? わっかりやすーい」


「いやだって、急ぎってことはそれなりに切羽詰まってるってことだろう? 大変そうな印象しかねーよ……」


「あはは、たしかに。けどまぁ、なんとかなるよ、サトルと私なら」


 ヒカリはいつものニコニコとした笑みを見せてくれた。

 その何の根拠もない自信は何処から来るのかと聞いてみたいが、不思議と根拠を聞かずとも、本当になんとか出来そうな気になるから困る。これがヒカリの不思議な力、もはや才能の類だ。


 ……それよりも、昨日のことはある程度吹っ切れたのかな? 笑顔が見られたことはほっとしたけど、無理していたりしないだろうか。

 相変わらず昨日の話題は触れにくいけど、いつまでも放っておくのもなぁ……うーん。



 ――コンコン。



 部室の扉から堅く短い音が2つ。

 恐らく、いや十中八九、今日の客人だろう。ようやく来たか。


「はーい、どうぞー!」


 ヒカリの明るい声が響く。

 それに呼応するように低めの声が響いた。


「失礼するよ」


 開かれる扉の背後から現れたのは、梅雨の湿気が触れた端から乾いていきそうなほどの爽やさを纏った青年だった。




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