6 遭遇
「お辞めください、聖女様」
イザベラの慌てた声が聞こえ、私は上半身を90度に倒した完璧な礼の姿からゆっくり上体を起こす。
「私は、ただ聖女様にこの国の常識的なルールをお伝えしたかっただけですわ。そんな過剰に頭を下げさせるつもりはないんです」
私の日本人的謝罪は過剰だったみたい。
イザベラに気を使わして、申し訳ない気持ちになってくる。
「―――…………何をしているの?」
突然、横から声がしてハッと振り返ると、明らかに怒った顔のハリーがいた。
視線をイザベラに向けると顔が青ざめている。
イザベラは小さく震えながら、しかし、はっきりと言葉を続ける。
「ハリー殿下、私たちは聖女様とお話ししていただけですわ」
「マリーに頭を下げさせるのが会話?」
「いえ、違うんです。聖女様がご自分でされただけで」
イザベラが言葉を重ねるがハリーの表情はどんどん険しくなっていく。
「あのっ!違うんです。これは私の国の丁寧な礼で。誠意を見せないとと思って私が勝手にやったんです」
私は慌ててハリーとイザベラの会話に割って入る。
(うん?会話に割って入るのはマナー違反になるのか?)
一瞬、気になったがもう発言してしまった。
「マリーがそう言うならいいんだけど、側から見たら大勢の女性たちが寄ってたかって、マリーを吊し上げてるように見えるよ」
「――…そ‥そんな」
ハリーの発言にイザベラがショックを受け、固まってしまった。
私はハリーの方を向きながら言葉を発する。
「いやいやいや、吊し上げられてなんていません。
イザベラ様は、私にこの国のマナーについて教えてくださっていただけです。王太子殿下が気になさることは何もありません」
(そうだ。イザベラは何も変なことは言っていない。
取り巻き達には少し嫌味を言われた気もするが、マナー違反を先にしたのは私だし、これからの振る舞いを考えるいい機会になった)
「…王太子殿下?マリー、私のことはハリーと呼んで…」
「いえ、これからは王太子殿下と呼ばせていただきます」
私はハリーの声に被るように発言する。思ったより大きな声になってしまった。ハリーはチラッとイザベラの方を見た後、私の方に視線を戻し、言葉を発する。
「わかりました。では、マリーが呼びたいように呼んでください」
「はいっ。王太子殿下」
私はニコッと笑って答える。これで一つ〝婚約者のいる男性に馴れ馴れしくする聖女〟というレッテルから解放される。
(――…ふぅ…二度とハリーと呼ばないと心に誓った)
「イザベラ、私は少しマリーと話があるから、失礼するよ。さっ、マリー行きましょう」
ハリーがイザベラに声をかけた後、私の肩を抱き寄せて歩き出そうとしたため、私はすかさずハリーの手を振り払い距離を取る。
(――………こいつ…また婚約者のイザベラのいる前で勘違いされそうなことを)
「――………マリー」
ハリーは手を所在なさげに空中にとどめたまま、呆然と呟く。
「はいっ。ただいま参ります」
私は短くハリーに言葉を返しイザベラの方を振り返ると、今度は軽く30度くらいに上体を倒し礼をした。
「イザベラ様、今日はありがとうございました。どうかまたマナーについて教えてください」
「えぇ…もちろんですわ」
イザベラの返答を聞いた後、私はハリーについて歩き出す。
私は極力トラブルに巻き込まれたくない。最低限聖女の役割を果たし、後は穏便に生きていきたい。
(どうか今後もトラブルが起きませんように)
心の中でそっと呟いて空を見上げる。