1-4 暴君と傾国の婚約者
『また会えたな』
レスティアがお茶会を終えて王妃に挨拶をし、片付けをして帰ろうとした時には既に外は激しい雨が降っていた。夕立ですぐにやむだろうから、少し休んでいってくれと王宮の侍女達からの言葉を受け、雨が上がるのを待っていた時だった。外廊下で雨の様子を見に来ると、もうやみかけで、そろそろ帰ろうかと思った矢先に声をかけられる。長い黒髪に、色黒の肌。長身で色気ある美丈夫。前方からやってきた人物は遠くからでもわかる。畏まってスカートの端を持ち頭を下げる。
『ディアス皇子、お会い出来て光栄でございます』
『こんなところで会えるなんてラッキーだな』
見事なカーテシーにも構わずディアスはフランクに笑い、距離を詰める。
『あれからずっと、気になっていた。今回ので会いに行こうと思ったが、何分日程がギチギチに詰まっていてな。だが、会えて良かった』
ディアスの言葉にレスティアは当たり障りなく小さく微笑む。
『なあ、俺をどう思う?』
『どう……と仰るのは?』
『レスティアから見て俺はどういう男に見える。魅力的か?』
『まあ……ええ、ディアス様は男らしくて色っぽく、素敵な男性だと思いますわ』
『じゃあ、求婚についてはどうだ?』
『……あれはお戯れではなかったのですか?』
今日は手元に扇子はない。顔を隠すこともできずしまったと内心思う。ディアスは片眉を上げてふっと笑う。
『戯れだと? 心外だな。真剣な申し出に』
『ですが、私には婚約者がいると申したはずでは』
『しかし王子は他の女に執心で、お前に目もくれないんじゃないのか』
『ええ……まあ特定の一人、ではなく不特定多数なのですが』
一人じゃないだけ質がいいのか、むしろ一人じゃないから質が悪いのか……何とも微妙なところだが。
『では、お前は婚約についてどう思ってる?』
ディアスの言葉に顔を上げる。彼はレスティアを見つめて続けた。
『ライハンの王子との婚約を取りやめて、アイラモルトにくるのはどうだ』
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
――この間のディアスとの会話を思い出す。どうやら彼は本気で求婚をしてきているらしい。レスティアがクライヴの婚約者だと知ってなおだ。なんともすごい。いっそあっぱれと清々しいほど尊敬する。
次回の茶会の案内状や招待状を書き記すレスティアは、この間の茶会での会話が頭に浮かんだ。クライヴとの話になると皆、口々に言うのはお似合いだという言葉。そして中には幼い頃から出会っていて結婚が定められているなんてまるで運命のようだと、うっとりとレスティア達を見る者もいる。
クライヴとの結婚は、もう当たり前のようなものだと思っていた。20になれば結婚するし、ゆくゆくは王妃としてこの国を治めていくものだと。それにはなんの疑問も抱かなかった。由緒ある公爵家に生まれ、生まれた時から決まっていた婚姻は、公爵家の一人娘として当然の責務だと思っていた。そこへ突然違う道もあるのだと開かれ知る事になると、少し興味も湧く。
そう言えば今日が王子たちが滞在する最終日か。明日にはそれぞれ自国へ帰って行く。
レスティアは書き物の手を止めながらふと考える。彼らが帰れば暫く顔を合わす機会はないだろう。このまま問題を引き延ばしわだかまりがあったままだと後々の外交に響きそうだ。特に王太子とディアスは既に関係性があまり良くないように思える。あの暴君、隣国の皇子相手くらいしっかりやれと悪態をつきたくなる。しかし外面だけはよく公務は上手くやるはずのクライヴが、ああして感情を国としても大事な来賓相手に向けるのは珍しい。しかも相手は帝国の皇子だ。それなりに彼もわかっていて考慮していただろうに。
さて、どうするかとレスティアは顎に手を当てた。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「皆様に集まっていただいたのは、明日で皆様も帰国で本日が最終日と言う事で、意見交換をさせて頂きたいと思っております。王子様方は何か今回の滞在や視察で気になったようなことはありますでしょうか?」
明日の帰国に向け、最終日の今日はこの一週間のライハンの滞在で見た事や思ったことについての意見交換の場が設けられた。
「正直こんなにゆっくりライハンの国を回ったことがなかったから、色々と楽しめたし勉強になったよ。警備隊の体制もしっかりしていて治安も良かった。街の様々な場所に駐屯地の様な場所があるのもいいね。あれなら困った時に気兼ねなく誰でも入れる」
「騎士の見回りだけだと一般人は取っ付きにくいしな」
「ああ。首都は特に色んな人間が行き交うから犯罪も多くなる。だから警備隊の駐在所を各地点に設置したんだ。あれから一気に犯罪率が減った。それに警備隊と市民の距離も近くなった」
「実はうちも治安については問題の一つになってるんだ。特に夕方から夜にかけての犯罪率が高くて。駐在所制度、参考にさせてもらって持ち帰って検討してみるよ」
「帝国はどうなんだい? 犯罪率は大陸の中でも低いらしいけど」
「俺のところは軍部が強い権力を持ってるからな。それが抑止力になってるんじゃないか」
「うわーコッワ。流石帝国敵に回したくないな〜」
ディアスの言葉に引きつりながらも笑うメルヴィン。意見交換がその後も続く中、クライヴとディアスは何度か視線が交わる。その視線は両者鋭く冷たいものの、この場では当たり障りなく意見を酌み交わして終わった。
そうした意見交換会も終了し、彼らは解散しようとそれぞれが立ち上がっていた時に、ディアスがクライヴへ口を開いた。
「レスティアの事だが」
その名前にクライヴが瞬時に視線を向ける。殺気立ったものを感じたのは、その場にいた他の王子一人だけではなかったはずだ。部屋に緊張が奔る。
「まだ返事をもらってないんだ」
そう余裕げに笑う心底いけ好かない男に瞳孔をガン開きにさせて睨み付けるクライヴ。
先日からずっと頭の中で同じ言葉がグルグルと回って腸が煮えくり返っている。
『そもそも、レスティアはお前に気が向いてないんじゃないか?』
隣国から飄々とやって来たアイツに、何がわかると、何を知っていると言うんだ。
レスティアが自分をそういう対象として見ていないであろう事は自分が一番良く知っている。それでも自分達は幼い頃からずっと、将来を伴にする相手として育てられて過ごしてきた。それは今でも変わらない。レスティアだって。
情はあるのだ。じゃなきゃ本当に嫌であれば暴れ散らかしてでも取りやめるはずだ。それでもずっと、王太子の婚約者の座を守ってきた。厳しい王太子妃教育も、やりたくもない義務も全部こなしてきて。なんだかんだ言って、ずっと自分についてきてくれていた。いつもはいはいと言いながら呆れつつも、見放すことなく傍にいてくれた。――そしてこれからもずっと、傍にいてほしい。自分の隣は、彼女であると決まっている。
「返事をもらってないからなんだ? あいつに手を出すなと忠告したはずだが」
赦し難い。他の男が彼女に手を出そうとするなんて。胸の中で酷くドロドロとした真っ黒なものが渦巻く。
「それとお前が軽々しくレスティアと口にするな」
クライヴがそうディアスへ告げる。しかしディアスはこう切り返す。
「何でだ? 聞いたところ、お前は他のご令嬢に執心で、婚約者のことは放っているようじゃないか。彼女じゃなくてもいいんだろう。思い合ってもいない。どうせ身分で勝手に決められた政略結婚だ」
そうディアスは言った。それにクライヴは口を開く。
「俺が結婚するのは、あいつしかいない」
見てみれば、ゾッとしてしまいそうな鋭い目で睨み付ける。その気迫に周りの王子たちも息を呑んだ。
「あいつは俺のものだ」
クライヴは断言する。誰にも譲らない。渡すつもりも、離すつもりも毛頭ない。たとえ幼い頃に勝手に決められた事だとしても、これだけは絶対に譲れない。そのクライヴの姿にディアスも驚いた。
――その時。
「私はクライヴ殿下のものではありませんが、将来王太子妃として、国を治めていく義務がございます」
柔らかく穏やかにも通る声がはっきりと聞こえた。一同は驚いてそちらを見る。そこには部屋に入ってきたレスティアの姿があった。彼女は集まっている視線もものともせず、彼らの前へと姿を現す。驚きと呆気にとられる王子たちを前にレスティアは続ける。
「まあ、クライヴ殿下が婚約を破棄すると仰られればそのお話もなくなりますが……」
視線を落として小さく零すレスティアは、再びしっかりとディアスを見つめ、前を向いた。
「残念ですが、ディアス様のお話はお受け出来ません」
真っ直ぐとした断りの言葉。ディアスは残念そうに笑い息を吐く。驚いて見えたのは、クライヴの方だった。
呆気にとられたままの王子たちだったが、ヒューゥとグレアムが口を吹く。
断った。レスティアがディアスの求婚を断ったのだ。クライヴが彼女を見つめる。
「――ですからこれ以上、言葉を頂いてもそれにお応えすることはできません」
「――それが、お前の答えか」
「ええ、はい」
ディアスの最後の問いかけに、彼女は手本にするような淑女の微笑みでゆったりと微笑んだ。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
――無事に組まれていた日程も終了し、王子たちは各々自国へと帰っていった。終わってみればあっという間だが、何とも濃い一週間とちょっとだった。ようやく安息ができそうだ。レスティアは自室で小さく息を吐く。
昨日、最後にやはり会っておこうと王城へ訪れると、何やら王子たちのいる部屋で揉めていたのが聞こえてきた。するとクライヴはレスティアの事を『俺のものだ』なんて言っている。それは流石に横暴過ぎる言い方だろう。レスティアは物じゃない。ちゃんと感情のある人間だ。自分自身を蔑ろにされているようで少し腹が立った。けれども、ディアスの行為も見過ごせない。だから彼女はあの場で言い切った。結果として、いい方向に転がった気がする。クライヴとディアスの関係も、若干の回復が見込まれる。これでひとまず安心かと、紅茶を傾けた。その時、侍女がレスティアの元へとやって来る。
「レスティア様、王太子殿下がお越しです」
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
王太子から訪問だなんて、一体どんな風の吹き回しか。客間に通した彼は既に座っており、レスティアは急いで彼のもとへ向かう。
「お待たせしてしまい申し訳ありません」
「いや」
おや。いつもならここで愚痴が一つくらい飛んできてもおかしくないはずなのに。視線も合わせず顔を背けたクライヴの若干の違和感に、レスティアは怪訝に思う。
「何かご用でしょうか?」
そう問いかけるも、クライヴは黙ったまま。一体何が目的で公爵邸までわざわざやって来たのだろうか。答えぬ王太子に仕方なくカップをとり紅茶を飲む。まあいいかとレスティアはクライヴを気にも留めぬまま、紅茶を嗜みしばし沈黙のまま時間が過ぎる。そしてついに王太子は声をかけた。
「レスティア」
久しぶりにまともに名前を呼ばれたわ、と思う。カップを置きレスティアもじっと、彼を見つめた。なんだかやけに真面目な顔をしている。しかし次の言葉に、レスティアは止まる。
「俺は共に国を治めるのは、お前しかいないと思っている」
そう真っ直ぐに見つめるクライヴの強い眼差しに、レスティアは少し驚いたようだった。
「……それは光栄ですわ。ありがとうございます」
思いもよらぬ唐突の彼の言葉に少し戸惑う。一体、突然にどうしたというのだ。しかしレスティアはそれでもさらりと軽く受け流す。
「国を治めることだけでない。俺の一生の伴侶も、お前しかいないと思ってる」
「はい……え」
涼しく頷き流しかけたレスティアは思わず顔を上げて聞き返し止まる。
「側室を取る気もない。もちろん婚約破棄もしない。だから婚約破棄するかもなんて無駄な考えをするな」
ただ真っ直ぐと、裏も表もない言葉。クライヴのその久しく見る自分に向けられた真剣さに、不覚にも驚く。婚約破棄はしない、側室も取らない、そう公言する意図は、一体。
でもどこか、幼い頃の自分の意見を通したがって意地を張る頑固な暴君の彼の姿とそれは重なった。
「……わかりました」
呆気にとられたレスティアだが、それから口元でふっと笑う。一方発言しておいて自分の言葉に少し恥ずかしくなったのか、クライヴは横暴に捲し立て始める。
「大体、お前は俺の婚約者なんだからな! もっと自覚を持って振る舞え!」
十分に品位を保って振る舞っているが、どうしろというのか。これ以上にないくらい王太子の婚約者としては完璧なはずだ。はいはい、と王太子の言葉を流し聞く。
「そもそもお前は俺への配慮が足りない。もっと俺をかまえ、気にしろ!」
「してるでしょう」
「じゃあ足りてない!」
とんだ我儘暴君王子の言いがかりだ。憤るクライヴにレスティアがしれっと淡々と答える。それから王太子の無駄な応酬は暫く続いたものの、なんだか久しぶりに幼い頃に戻ったようで、少し、レスティアは懐かしい気持ちを覚えて口元に自然と笑みを溢していた。
これにて一話終了になります!お付合いくださりありがとうございました(*^^*)次回は今回参加できなかった隣国のスパダリ王子が出てきたり、まさかの王太子と愛し合っていると豪語するご令嬢が出てきたりと、またドタバタするお話になる予定です(*´ω`*)
今後は話(章)ごとの不定期連載となります。次回更新をお楽しみにお待ちください!
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