オイオイ!!
そよそよと柔らかく吹く風に身を委ねていたら、なんだか気持ちがよくなってきた。
そして眠くなってくる。俺がウトウトし出した頃、馬車が止まった。
「到着致しました。お嬢様、そしてお客様」
御手のモーリスの声が聞こえる。
ああ、もう到着したのか。欲を言えば、もう少しこのまま眠っていたかった。
俺が馬車から降りると、そこには朝見たメイドが立っていた。
「お帰りなさいませ、レべカ様」
メイドは、俺に続いて馬車を降りてくるカズトを見て目を見開いた。
そして、
「マルク様……?あなたはマルク・リュカス様ですね?どうして………」
と小声で自分に言い聞かせるかのような、小さい声でつぶやいた。
どうして……… それはこちらの台詞なのだが。
なぜ、そんなに驚いている。
馬車から降りて俺の横に立ったカズトが、ゆっくり礼をした。
そして、にっこりと微笑みながらカズトがこう告げる。
「こんにちは。少しレべカとお話がしたくてね。お邪魔しても大丈夫かい?」
メイドは
「もちろんです、ようこそいらっしゃいました。マルク・リュカス様」
と深々と頭を下げ、こちらへ、と宮殿の中に俺たちを案内した。
中に入るなり、カズトは宮殿の高い天井を嬉しそうに仰ぐ。
「いや。実にいい宮殿だね」
カズトの言葉に、そりゃどうも、と、思わずマコトモードの口調が出そうになる。
俺はわざとらしく咳払いをしてごまかした。
「話すの、ここで、よ、よろしいかしら?」
そう言って俺は、食堂の扉を指す。
「2階に応接室がございますが、こちらでよろしいのですか?」
とメイド。
応接室なんか存在していたのか。
でも俺が食堂を指定したのは、歩く距離が最小限で済むからという理由なのでここでいい。
むしろ、ここがいい。カズトとの話が短時間で済んだにせよ、俺はせめて出入り口まではこいつを見送らないといけないだろう。仮に2階に上がった場合、1回余計に階段を行き来することになる。それは絶対に避けたい。
カズトも俺の思惑に気付いたのか、笑いを含んだような声で同意した。
「僕もそれで構わないよ」
メイドはわかりました、と礼をして
「ただいま食堂は昼食の準備中でしたが、もう少し待って頂けるように頼んで参ります。少々こちらでお待ちして頂けますか」
ああ。そう言えば昼飯をまだ食っていなかったな。
昼食の準備をしていたのか、すまない。悪いことをした。
しかし、もう決まったことなのでいいだろう。
俺とカズトはメイドの言葉に頷き、食堂の準備が整うのを待った。
待っている間に、すれ違う宮殿の中の者たちが、俺に礼をすると同時になにやら、驚いたような表情を見せて歩いて行った。と言っても、料理人2人と朝、俺の身だしなみを整えたメイドの3人だけだが。
その表情はカズト、マルク・リュカスに向けられたものだとわかる。だが、みんなしてなぜそんなに驚く。確かにマルクは美青年であるが、美青年とはそんなに他人の目を惹くものなのだろうか。
ふと疑問に思い、隣のカズトに目をやる。
……… ああ。はいはい。
俺の隣の厨二男は手鏡を持って、その金髪を愛おしそうに弄っていた。
勝手にやっててもらって構わんが、ひとつ言わせてくれ。その鏡、どこから出てきたんだ。
宮殿の中の奴がええ!という表情を見せていたのは、こいつの言動が原因だったのかもな。
ふん、と俺が鼻を鳴らしたところで、
「お待たせ致しました。準備が整いましたので、どうぞこちらへ」
とメイドがヒョイと扉の隙間から顔を出した。
「行くぞ」
俺は小声でカズトに言い、扉から食堂の中へ入った。
長い長い長方形のテーブルに沿って両脇一直線に並ぶ椅子に、俺とカズトは対面して座った。
中で待機していたメイドが、紅茶を俺とカズトの前に置く。
「ありがとう」
礼を言うと、お盆を抱えたメイドは頭を下げて扉を開けて失礼致します、と食堂を出ていった。
広い広い食堂にポツン、と2人だけというのは何だか落ち着かない。
「なんか落ち着かないな」
そう告げる俺にカズトは肩をすくめる。
「なんだい。マコトがここを指定したんじゃないか」
まあ。そうなんだが。
「それにしても相変わらずだね、マコトは。こっちの世界でもエネルギー消費は最小限をモットーにやっていくつもりかい?」
「別に俺はそれをモットーにしているわけではない」
俺は強い口調で断固として言い切る。これは俺のモットーでも何でもない。
なぜかって、俺はエネルギー最小限を目指しているわけではないからだ。
そんな生活を送っていたら、いつの間にか、それに慣れてきてしまっただけだ。
いかん。少しカッとなってしまった。
俺はカップに入った紅茶を一口すすり、気持ちを落ち着けた後、再び話を切り出す。
「で。お前はどこまでこの世界のことを知っているんだ。この世界について話すためにここに来たんだろ」
「はは。そうだったね」
そう言って、カズトはカップの手持ち部分に手を掛ける。
「簡潔に言おう。マコト、この世界はね」
息をのむくらいの間があった。
「乙女ゲームの世界だよ」
………………… 乙女ゲーム?
乙女ゲームとはあれか。美青年たちが次々と出てきて………… ええと、どうなるんだ?
まあ、内容はよくわからないが女性向けの恋愛シュミレーションゲームであることはわかる。
というか、お前、乙女ゲームまで嗜んでいたのか。
俺はこいつに俗に言うオタク趣味があるということは知っていたが、
まさか守備範囲が乙女ゲームにまで及ぶとは。想像以上に広範囲である。完全に盲点だった。
「はは。動揺しているみたいだね」
カズトは片手でカップを弄ばせながら、楽しそうに微笑む。
なにが楽しいのだろう。
「色々つっこみたいところはあるが、まず1つ目だ」
俺は手に持ったカップを受け皿の上にコトン、と置いて話す。
「さっきもお前に聞いたが、もう一度。俺たちがここに飛ばされた理由はわからないんだよな?」
「そうだね。それはわからない」
カズトが頷いた。わかった。では、
「そして2つ目。俺、レべカ・アントゥルナはこのゲームにどう関わりがあるんだ」
カズトは肩をすくめた。
「さっき言っただろう、それ。それが悪役令嬢ってやつさ」
俺に考える猶予を与えることなくカズトが続ける。
「マコトはどうやら、乙女ゲームにおいて悪役令嬢がどんな役割を担うのか、わかっていないようだね。いいさ、僕が教えよう。そのために今こうして時間を設けているのだからね」
どうも。
「悪役令嬢は、ヒロインをあの手この手を使って陥れようとする。物語における悪役の令嬢のことさ」
あの手この手を使ってヒロインを陥れるとは。
いや、すごいことだ。悪役令嬢はエネルギーに溢れているな。
人を陥れるだなんて、この世でこれほど無駄なエネルギー消費があるか。いや、ないだろう。
そこで俺は、ひとつ出てきた疑問をカズトに投げかける。
「その悪役令嬢とやらは、物語上では最終的にどうなる」
カズトは某ネズミのようにハハッと声を上げて笑うと、
「いい質問だ」
と満足げに言った。
そして手に持っていたカップを受け皿に戻すと、両手を組んで方杖をついた。
組まれた手の上に置かれた顔が、俺をまっすぐに見つめて言う。
マルク・リュカスの青く透き通るような瞳。その瞳にこう、なんだ。
こんなにもまっすぐ見つめられてしまうと、なんだかなんとも言えない気持ちになる。
そしてそれと同時に、なにかゾクゾクするような嫌な予感を俺は感じ取る。
カズトがこうして、まっすぐと俺の瞳を見て話す時は大体碌なことがないのである。
ドク、ドク、ドク……… と、脈を3度打つような間があった後だった。
マルク・リュカスの麗しい声が広い広い食堂に響き渡ったのはーーーーーー。
「悪役令嬢には国外追放という運命が待ち受けているよ」
ノノノノ……… ノー!!NO!!!!! その4文字は俺の背中を震わせた。
国外追放という単語は俺にとって世にも恐ろしい言葉だった。
だって考えてみてくれ。
国外追放。それは自堕落な生活と正反対の四文字熟語だろう。
何もない状態から労力をこれでもかというほどかけないと、自堕落な生活など送れん!
ま、待て。荷物とか金が準備されるならばまだ希望はある。
「荷物とか、金とか装備は準備され」
「ないね」
カズトが俺の言葉を遮って即答した。
うむ。参った。
一生宮殿から出禁!とかならむしろ俺の望んでいる展開です、となるのだが、
何も所持していない状態での国外追放は、俺にとって一番キツい展開である。
国外追放だけは絶対に避けないといかん。
どうする俺、さあどうする俺………… と思考を巡らせる。
あ。あれ?
その瞬間俺は肝心なことに気付く。
俺は国外追放をここまで恐れる心配はないのではないだろうか。
国外追放の原因の方を考えれば、と。
そう。別に俺がヒロインを陥れる予定がないのならば、令嬢レベカ・アントゥルナは国外追放とは無縁。そういうことになる、よな?
俺は確かめるようにして、カズトの目をじっと見つめる。
俺の目を見てカズトはウン、と頷いた。
ような気がした。
本日もお付き合い頂きありがとうございマスタード!!!!!