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俺に恋愛なんてあり得ない  作者: 詩野聡一郎
最終巻
62/67

春先


 春先の暖かい日差しを浴びながらも、吹き抜ける風にはまだ冷たさが感じられる。

 こんな、何でもない日常が俺は好きだ。

 多くの人が劇的な冒険――非日常を望んでいるけれど、俺は日常の方が好きだ。

 何も起こらない朝。いつもと変わらない通学路。

 周囲から聞こえる、自分には関係のない無味乾燥な言葉の数々。

 そんな「いつも通り」は、人によっては退屈かもしれない。

 でもいつも通りということは、予測可能で安心できるから。

 予測不可能な不幸は起こってないって、実感できるから。俺は日常が好きだ。


『――――――――――――』


 遠くから、意味があるようで意味のない、無味乾燥な言葉が聞こえてくる。

 今日は卒業式。でも、出席する意味が感じられなかったから、サボってる。

 どこで時間を潰そうかなとあれこれ行ってはみたけれど、結局どこに行っても紗花のことを思い出してしまうから、早々に観念して中庭にきてしまった。

 俺と紗花の間に、まだかろうじて未来があった頃の「いつもの場所」。

 短い間だったけど、ここで毎日弁当を食べて、他愛のないことを話して、笑って、楽しかった。幸せだった。

 結局零れ落ちてしまったけど、でも、やっぱり俺、紗花のことが好きだったよ。

 滝川も、瀬戸も、村上も。そして浜田も。好きだったけどさ。でも、やっぱり紗花が一番だった。

 俺に恋愛なんてあり得ないと思ってた。俺が恋愛感情を持つなんて、絶対にあり得ないと思ってた。

 でも、本当はこんなに近くにあったんだな。少しでも良い方向に足を踏み外していれば、こんなにも幸せな落とし穴に落ちることもできたんだな。

 気づいた時にはもう、何もかも取り返しつかなくなっちゃってたけどさ。でも、やっぱり、少し嬉しいな。

 紗花が俺に温もりを与えてくれたから、紗花が俺に恋愛を教えてくれたから、きっと、これからも生きていけそうだ。

 未来はまだ何もかもわからなくって、全部が全部不確定なままだけど、紗花が背中を押してくれたから、俺、また頑張ってみるよ。

 本当にありがとう。

 さようなら、紗花。




「や、久しぶり」

「――――――え」


「ここ、いい?」

「――――――」


「…………」

「……なんでいるの?」


「なんでだろうなぁ」

「…………」


「当ててみてよ」

「…………」


「…………」

「……俺のことを、笑いに来たから」


「違うよ」

「…………」


「…………」

「…………」


「久しぶり、桜井くん」

「…………」


「…………」

「……久しぶり、紗花」




 いつかの反実仮想は、意地悪なことにほんのわずかに捻じ曲がった状態で、何もかもを実現した。

 紗花が、隣にいたから。



「……桜井くん、大丈夫?」

「ああ、うん。今日は、調子が良いから」

「それなら……よかった」


 あの日、俺の自律神経はついに失調し、適応能力は限界に達してしまったらしい。

 別に、紗花のせいじゃない。母さんと会うのが俺には早すぎたという、ただそれだけのことだ。

 むしろ、紗花には感謝したいぐらいだ。紗花の温もりは、俺の心を支え続けてくれていたから。


「あのさ」

「……うん」

「ご両親に、よろしく言っておいて」

「うん。わかった」


 結局、俺はずっと家から出られなかった。

 何週間も休んでいたことで、異変に気付いた紗花が両親に相談してくれたおかげで、俺はこうして立ち直ることができた。

 まさか、母さんが紗花に渡した合鍵が、こんなところで役に立つとは思わなかった。

 皮肉なもんだ。母さんのせいで命を落としそうになったのに、母さんのおかげで命拾いするなんて。


「それ……」

「あ……うん」

「気に入ったの?」

「そう。お気に入りなんだ」


 紗花は、あの日買ったトレンチコートを着ていた。

 その下は、あの日と同じで花柄の白いワンピース。

 あれから年月が経って、大人びていた服装はすっかり紗花に似合っていた。

 そこから感じられる時間の流れに、俺はどうしても寂しさを覚えてしまう。


「それで、よく入れたな」

「ふふ。学園のアイドルですから」

「よく言うよ。元、アイドルだろ」

「あはは」


 紗花は、もう北雪学園の生徒ではない。

 村上も、滝川も、瀬戸も、浜田も。みんなとっくに卒業して、次の道へと進んでしまった。

 俺はというと、三年生を留年してしまった。

 さすがに紗花の御守の加護も、進級で使い果たしてしまったらしい。

 そりゃそうだ。一年間全くと言っていいほど学園に通えなかったんだから、都合をつけるにも限度がある。

 でもまあ、一年休養したおかげで、こうして卒業できるぐらいには通えるようになった。

 授業にはほとんど集中できなかったし、かろうじての出席率とぐちゃぐちゃなテストの点数を元に、先生方の思いやりでもらった単位と卒業資格だけど、なんだか俺にはすごく温かいものに思えた。

 この世界に埋もれてしまっている優しさに、ほんの少しだけ触れられた気がしたから。


「……ねぇ」

「なに?」

「手……繋いで、くれませんか?」


 紗花の手が、おずおずと俺の方へと差し出される。

 もしかしたら見間違いかもしれないけれど、それは、震えているように見えた。


「いいよ」

「…………」


 俺の手を近づけても、紗花の手は何かを怖がっているみたいに、震えたままだった。

 ようやく手と手が触れても、紗花の指はどこか寂しそうで、紗花の横顔も不安そうに見えた。

 だから、少しでも安心して欲しくって、人差し指を、ほんの少しだけ絡めてみることにした。


「え……」

「…………」


 紗花が驚いたようにこっちを見るものだから、困ってしまって、今の俺にできる限りの気持ちで、曖昧に微笑んでみる。

 だけど、紗花を励ましたいだけなのに、どうしてか紗花は泣きだしてしまって、やっぱり、困ってしまう。


「ハンカチ、ある?」

「だい…………じょぶ……」


 紗花は、ワンピースのポケットからハンカチを取り出して、顔に当てていた。

 そのハンカチは、俺が前に貸したもののようで、どうやら捨ててくれていなかったらしい。


「ごめん」

「……え?」

「怖かったよな」


 きっと、あの日、伸びてきた手を力任せに振り払ったから、紗花は怖がっているのかなと思った。

 だから、きちんと謝っておきたかった。


「…………大丈夫」

「…………そっか」


 紗花に優しい言葉をかけてもらっても、やっぱりそれは気遣いだけなのかなと思ってしまうけど、紗花の指が気持ちを伝えてきてくれるおかげで、俺は安心することができた。


「…………」

「…………」


 やっぱり俺と紗花は、お互いに無言で、無駄な時間を一緒に過ごしてしまう。

 だけど、俺と紗花の手だけはお互いをわかり合うことができていて、そこから感じる温もりは、この沈黙の中でも、なんだか心地よかった。


「――ぁ」

「あの、さ」


 紗花が言おうとした言葉は、俺が機先を制したことで何だったのかわからなくなってしまったようだ。

 だから、俺はそのまま思ったことを伝えることにした。


「どうして、来たの?」

「…………」


 紗花の指の力が緩んで、指先は困ったように宙を踊っている気配がする。

 それは、ときどき俺の手の甲をなぞるものだから、何だかくすぐったい。


「あの……その……」

「…………」

「……第二ボタン」

「……」

「第二ボタン、もらいにきた……」

「そっか」


 俺にはそんなものの価値はよくわからないけど、紗花が欲しいと言うのなら、何でもあげたいなと思う。

 だから、紗花に触れていない方の手で、力任せに引きちぎってみようかなと思って、手をかけた。


「ま、待って!」

「……え」


 どうしてか紗花は、俺に触れていない方の手で、俺の腕を掴んできた。

 そのせいで、どうしても紗花との距離が縮まってしまって、紗花に対する恋心に気づいたあの日と同じ香りを感じてしまい、頭がくらりとしてしまう。


「お話」

「え……」

「もうちょっと、お話、しませんか?」


 紗花はそう言いながら、俺と目を合わせる。

 そこには、まるで紗花の気持ちが写っているように見えたし、俺の気持ちも映り込んでいるような気がしてしまって、なんだか少し、恥ずかしかった。


「いいよ」


 本当は、ずっと俺も、紗花と話したかった。

 紗花に言えなかったことは、たくさんある。

 紗花に聞けなかったことも、たくさんある。

 いつも逃げ回ってばかりだったけど、さすがにもう、観念した。

 紗花は無事に南西大学に進学してしまって、浜田も無事に南西大学に進学している。

 あれだけお似合いで、あれだけ仲良かった二人が、今でも付き合ってないというのは、やっぱりちょっと出来すぎで、信じられなかった。

 もし、そうでなかったとしても、大学では新たな出会いがたくさんあって、相変わらず紗花はたくさん告白を受けているだろうから、きっと良い人に巡り合ってると思う。

 俺はというと、先に進むこともできずに、いまだにこんなところで立ち止まってしまっている。

 今日、紗花が俺に会いにきてくれたのは、俺の人生における最初で最後の「出来すぎ」なんだろうなと、思った。

 きっとこれを逃したら、もう紗花と会うことはないだろう。紗花のご両親とは、また顔を合わせてしまうかもしれないけど。

 だからこそ、このロスタイムを大切に、できる限りのことを、話しておきたいなと思った。


「じゃあ、まずは私の話を、聞いてくれる?」

「うん。いいよ」


 紗花の声は、表面上は明るくなった気がした。

 だけど、手はなんだか強張っている気がする。

 俺には紗花の気持ちはよくわからないままだけど、でも、何を言われてもきちんと受け止めてあげたい。

 だから、俺は、紗花の手を強く、握り返した。

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