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俺に恋愛なんてあり得ない  作者: 詩野聡一郎
最終巻
56/67

誤訳


 結局のところ、紗花は参考書を一冊も買わなかった。

 国語も英語も社会も、おまけに数学と理科まで付き合わされたというのに、一冊も買ってくれなかった。

 さすがにうんざりしてしまって、愛想も尽きたので、もう帰りたくなってくる。

 だから紗花を放って、一階までエスカレーターで降りて、さっさと早歩きで行ってしまう。


「ま、待って!」


 紗花は、こんな時ばかり素早く俺に追いついてきて、後ろからパーカーを摘まんでくる。

 そんなに早く歩けるんだったら、普段からそうしていてくれないかな。


「…………」

「…………」


 こんなものはパーカーを投げ捨てれば切れてしまうほどの縁だけど、何となくそうする気になれなくて、そのままにしてしまう。

 そのせいで、俺と紗花はカップルみたいな距離感のまま、しかし言葉は一切交わさずに、噴水広場まで戻ってきてしまっていた。


「…………」

「…………」


 そろそろバスが出る時間だ。

 まあ、バスじゃなくて電車でも地下鉄でも、なんなら徒歩でもいいけれど、なんでもいいから帰りたい。

 もう、わずかな情も尽き果てただろうし。

 いや……それはないか。こうして紗花の匂いと体温を間近で感じているだけで、今まさに少しだけ幸せな気持ちになってしまっているからな。

 それも、一昼限りの夢でしかないけれど。


「……離してくれない?」

「…………」

「……はぁ」

「……あっ」


 もうこれが最後だろうからと、観念して自分の手で物理的に振り払う。

 指先に伝わってくる紗花の手は、冷たかった。なのに、俺の指先は熱くなるままだ。

 めんどくさいな、生物と性別って。


「手袋も、買っておけばよかったな」

「…………うん。そうかも」


 気を紛らわすために、触れた手をぶらぶらと振りながら話をしてみるけど、紗花は俺の揺らぐ手を見てばかりでろくな返しをしてくれなかった。

 なんだよ。そんなに物珍しいか?

 前も田中先生の本を取ろうとする俺のお遊戯会に興味津々だったけど、もしかして手フェチなのかな、こいつ。

 ああ、だから浜田なのか。あいつの手、白くて細くて綺麗だもんなぁ。

 ときどき、隣にお前がいるのかと錯覚しそうになるぐらいだった。


「じゃあ、もう俺行くから」

「待って」


 びっくりした。前に好意を受けた時みたいな速度で返されるもんだから、思わず足を止めてしまった。

 どうしてもあの時の紗花の真剣な表情が頭にチラついてしまって、動揺して、動悸が速くなって、二の句が上手く継げそうにない。


「…………な……なに……?」

「あの…………」

「…………」

「も、もう一カ所……行かない?」

「え…………」

「お願い……」

「でも……また買わないんだろ?」

「違う! 買う……買うから……」

「はぁ……」

「大事な物だから……お願い! お願い、します……」


 こいつは「お願い」に「お願いします」を被せれば俺が言うこと聞くと思ってるんだろうか。

 思い返してみれば、いつもこれで押し切られている気がする。過学習だと教えてやらないと。

 まあ、ここまできたんだから帰宅時間が三十分や一時間遅れようが大したことじゃないかな。

 彼氏不在というのにエア惚気を魅せつけられて、心はズタボロでこれ以上壊れようがないし。


「まあいいよ。で、どこなの?」

「…………」

「…………」

「……その……」

「いや、早く言ってくれないか?」


 早く済ませて早く帰りたいから。


「……ホ……」

「え?」

「スマ……ホ……」

「は? 意味わかんないんだけど」

「スマホ! 買いたい! です!」

「なんだよそれ」


 か細い声を出していたかと思えば、いきなり選手宣誓みたいにハキハキと喋り出すものだから思わず笑ってしまう。

 でも、その意味と理由はよくわからなかった。


「その……私のスマホも、ちょうど壊れちゃって……」

「ああ、そう」

「私、プランとかよくわからない……から……」

「ふーん」


 なら浜田に付き添ってもらえばいいのに。お得なプランでお揃いのスマホとかよくやるんだろ、カップルって。

 めんどくさ。俺は国語辞典でもなんちゃらペディアでもないんだけどな。巻き込まないで欲しいんだけど。

 いや、翻訳機扱いされてるのか。ははははは、そうかそうか。機械扱いか。いいよいいよ。

 何の感情も挟まずに、役割だけこなしてやるからさ。ガガガガガガ、ピーピー、ピロピロ。


「で、浜田はどこで契約してるんだ?」

「…………どうしてそこで浜田くんが出てくるの?」

「は?」


 めんどくせぇ。翻訳機といえどもさすがに古文みたいに複雑怪奇なコンテクストまでは読めないんだけど。

 俺ができるのはせいぜい形態素解析ぐらいなもんだから、必要十分で簡潔な文章を入力してくれないかな。


「じゃあ質問変えるけど、どこのショップに行くんだ?」

「……桜井くんは、どこのショップで契約したの?」

「え? まあいいけど。俺は――」


 俺が伝えたのは、この辺りの街中にはない、家の近くにある少し寂れたショップだった。

 普段使いするなら近場にしておいたほうが気楽に行けるし。そのうち潰れてそうだけど。


「じゃあ、そこにする」

「は? 何言ってんの?」

「そこにするから」


 そこにするもなにも、そこって昔に連れていってやったショップじゃねーか。

 別に新しい契約会社にするわけじゃないんなら、一人で行けばよくないか?

 というか、近場でいいならそれこそ浜田と行けよ。めんどくせーな。

 今から呼び出せばすぐに来てくれるだろ。彼女の頼みなんだし。


「じゃあ、浜田でも呼べよ」

「だから、どうしてそこで浜田くんが出てくるの?」

「はぁ? めんどくせーな」


 なんだよ喧嘩中か? あー、それなら納得がいくかも。

 でもまあ、喧嘩中だからって仕返しみたいに他の男と出かけるのはやめたほうがいいと思う。

 特に、俺みたいなクリミナルとネグレクターの血を引いてるサラブレッドは絶対に駄目だな。


「まあいいや。さっさと近所に帰ろう」

「……桜井くん、機種は?」

「え?」

「機種」

「はあ」


 わけがわからないけど、さすがに疲れ果ててしまったし、今の紗花には鬼気迫るものを感じるので、とりあえず教えてしまう。

 なんだろう。俺の機種なんて聞いたところで、ありきたりな安物だから何の参考にもならないぞ。


「じゃあ、それにする」

「は? 何言ってんの?」

「それにするから」


 何言ってんだこいつ…………意趣返しのつもりなのかよ……ふざけやがって…………。

 そんなに俺のことが嫌いなのかよ。そんなに俺に嫌がらせしたいのかよ。

 そりゃそうだよな。お前の気持ちなんて、俺は考えられなかったもんな。

 反対側に変わってしまうよな、やっぱり。やっぱりそうだよな、お前も。


「あのさ」

「……なに?」

「嫌がらせのつもりなのか?」

「……え?」

「あー、わかったわかった」


 はいはい出た出た。どうして私が怒ってるのか当ててみなさいってやつ。

 母さんもよくやってたんだよなこれ。めんどくさいったらありゃしない。

 わかったわかった。謝ればいいんだろ、謝れば。



 散々あれこれ言ったけどさ。

 この気持ちだけは本物だよ。

 だから、紗花にはちゃんとわかって欲しい。


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