及疑
俺が瀬戸や七瀬と遊んだ休日の翌週には、実は学生らしいイベントが控えていた。
球技大会だ。
北雪学園の球技大会は、暑さが弱まってから開催される。
ただし、最近はいつまでも暑いから、十年後ぐらいには開催時期がズラされているかもしれない。
熱中症対策もしつこく指導されていて、望む望まないに関わらず定期的に水分をとらされる。
「あっついよなー、今日」
「そうだな」
こんな暑い日に、よりにもよって学園のグラウンドで、滝川が呟く当然の感想に俺は相槌を打っていた。
俺と滝川がここで座ってのんびりと会話しているのは、俺たちが選択したサッカーの試合が終わって暇だったからだった。
結果は一回戦敗退。運悪く三年生に当たってしまったので、平均的に見て一年分の発達差はさすがに覆せなかった。
まあ、この暑い中これ以上動かなくて良いというのは、少しありがたいかもしれない。
「そういやさ」
「なに?」
「なんで桜井はサッカー選んだの?」
「ああ」
実は、俺はサッカーのルールをろくに知らない。そして、知らなくても意外とサッカーはできる。
何故かといえば、俺のポジションがディフェンダーだからだ。
ディフェンダーはとりあえずぶつかることを覚悟でボールを奪いに行けばいいだけなので、単純で気が楽だったりする。
アタッカーは運動部が勝手にやってくれるからな。
まあ、もう一つの理由としては、女子と関わらないで済むというのもある。
基本的に球技によって男子と女子で別れるものの、稀に数合わせだったりで男女混合になるものも出てくる。
ただ、サッカーみたいにある程度の人気があるメジャーな球技では、そういうことはまず起こらない。
万が一、女子とぶつかったらと思うと怖いし、そのリスクを考えたら満足に動けなくなってしまうので、男子だけでサッカーをするのが一番気楽だった。
この辺りはややこしくて言うつもりはないけど。
「要するに、気楽だったからだな」
「なんだよそれ」
「ぶつかればいいだけだから」
男子とならな。
「滝川の方は?」
「んー?」
「なんでサッカーにしたんだ?」
北雪学園の球技大会では、部活動と同じ球技を選ぶことは禁止されている。
とはいえ、野球は種目に入っていない。ただ、ソフトボールはある。
俺としては、滝川はソフトボールを選ぶんだろうなと思い込んでいた。
確か、去年はソフトボールをやっていた気がするし。
「あー、中学の頃はサッカーやってたんだよね」
「へー、そうなんだ」
「そうなんですよ」
滝川らしからぬ敬語に、思わず笑ってしまう。
「なんで辞めちゃったの?」
「あー」
「悪い、答えにくいか?」
「いや。単純に野球がやりたくなっただけだわ」
マズイことを聞いてしまったかなと思ったけれど、そんなに深刻な理由じゃなかったようで一安心。
「そういや、瀬戸と七瀬さんはバドミントンだっけ」
「そうらしい」
俺たち三人の万有引力はこんな状況でも作用するらしく、七瀬と瀬戸は同じチームでダブルスに出場することが運命づけられている。
「桜井、応援行かないん?」
「え? なんで?」
男子が女子の球技応援しに行くもんなのか? よくわからないな。
まあでも、滝川が言うんなら、そういうことをする人もいるんだろうな。
「七瀬さんの活躍、見たくないのか?」
「別に見たくないんだけど」
「えー、行こうぜ?」
「いやだよ」
いつの間にか一緒に行く流れになっているのが、なんだか怖い。
ここで俺が行ったら、俺が七瀬の彼氏だとかいう噂をますます補強してしまう気がして、逆立ちしたって行きたくない。
「ほらほら」
「あーあー」
でも、結局は滝川の膂力には抗えないわけで、俺はほとんど強引に立ち上がらされてしまう。
そして、腕を引っ張られて、ズルズルと体育館まで連れていかれてしまった。
引っ張られるのにも意外と抵抗できないもので、人間は身体が傾くと倒れまいと咄嗟に足を出したりするけれど、たぶんその辺りの本能が利用されていると思う。
「――ほら、桜井。ここ」
そう言って、滝川が体育館の片隅を指さす。
ベストポジションとは言い難いが、十分にコートが眺められそうな位置だ。
そこに俺が座り込んだところで、ちょうど近くのコートに七瀬と瀬戸が立っているのが見えた。
七瀬の髪は少しだけ伸びているから、さすがにこういう時は軽く結ってまとめているようだ。
「ギリ間に合ったな」
「そうだな」
別に間に合わなくても良いのに、と思わないでもない。
滝川が隣に座ったと同時に試合が開始し、七瀬と瀬戸、そして対戦相手二人の合計四人がコートを動き回る。
興味本位で少し周りを見てみると、やはり多くの生徒が七瀬と瀬戸のプレーを眺めていた。
たぶん五割ぐらいは七瀬が目当てで、二割ぐらいは瀬戸が目当て。一割は両方目当てだろう。
こんな時でも、七瀬が人気者なのは疑いようがない。
「はぁ……」
「どしたん?」
「いや……」
また変な噂を流されても困る、と言ったところで、噂を信じ切ってる滝川にはわかってもらえなさそうだ。
「あ。もしかして噂、気にしてるのか?」
「……え?」
「大丈夫大丈夫。みんな薄々気づいてっから」
想定したこともないほどに察しの良い滝川の言葉に、その意味を理解しきれない。
気づいてる? 気づいてるって何が?
「それは……どういう……」
「桜井が七瀬さんの彼氏って噂が、あくまで噂ってこと」
「は……?」
今まで苦悩していた時間がまるっきり無駄だったと言われたような気がして、今回ばかりは頭が痛くなってくる。
というか、じゃあなんでお前はあんなにしつこく俺に言ってきたんだよ。
「七瀬さんも瀬戸も別に出身中学隠してないし、桜井が言わなかったとしてもそりゃ想像つくって」
「あ、ああ…………なるほど」
俺も別に隠しているわけではないんだけど、確かに積極的に言うようにはしていなかった。
むしろ、自分のことについて言うのは全般的に消極的だったかもしれないな。出身中学はもしかしたら瀬戸にしか言ってないかもしれない。
ただ、そうなってくると一つ疑問は降ってくる。
「気づいてるなら、どうしてみんな俺のことを変に言ってたんだ?」
「彼氏って?」
「そう」
「ああ、そりゃ嫉妬でしょ。同じ中学ってだけでお近づきになれてズルいよなっていう」
「……あっそ…………」
こんなくだらないことで困っていたと思うとさすがにイライラぐらいはしてくるが、勘違いされていなくて良かったという気持ちの方が大きくはあった。
結局これも、七瀬のせいだ。
「ってか、七瀬さんが自分で否定してたからな」
「え、そうなのか?」
「噂を信じなかった奴に告白された時に、そう言ってたらしい」
「……え?」
「これもあくまで噂だけどな」
そんなこと、全然知らなかった。
朝は一緒に登校しているし、昼は一緒にご飯を食べているし、放課後になれば一緒に帰っているのだから、そんな暇があるなんて想像もできなかった。
ただ、言われてみれば、七瀬から「少し遅れる」という連絡を放課後に受けたことはあった。
そんなに待つこともなかったから気にしていなかったけれど、おそらくはあの時に告白を受けていたんだろう。
「で、そこまで知ってて、なんで滝川は俺に彼氏だ彼氏だって言ってきてたんだよ」
「ははは、さっき言っただろ? 嫉妬だって、嫉妬」
「はぁ……?」
意味がわからない。お前は七瀬と付き合うとか考えたこともないって言ってたじゃないか。
ああ、もしかしてA組に七瀬が来てから気になり始めたのか? 確かに、その可能性はあるな。
それなら、滝川が七瀬を支えてあげて欲しい。俺には荷が重すぎるし、俺には持てないものだから。
俺が、持ってはいけない者だから。
「ところでさ。桜井」
「……なに?」
「桜井はどっち狙いなんだ?」
「どういうこと?」
どっち狙い? なんだそれ。どういう意味だ?
漠然としていて、何のことかよくわからないな。
「だからさ、七瀬さんと瀬戸のどっちが好きなのかって意味」
「はぁ……」
さっきからため息しか出てこない。
なんですぐこういう話になるんだ。俺にはあり得ない話なんだって。
七瀬が好きとか、瀬戸が好きとか、そんなの考えたこともないよ。
「どっち?」
「どっちもない」
「おいおい、そりゃないだろー」
「そりゃあるんだよ。ないあるの」
「はっはっは、なんだそれ」
「はぁ……」
わざわざこんなところまで連れて来られて、こんな話に付き合わされるなんて変に疲れてくる。
視線の先で楽しそうにバドミントンに興じている七瀬と瀬戸が恨めしくなってくるぐらいだ。
帰りたい。帰ろうかな。
「――実はさ。俺、瀬戸のことが好きなんだよね」
「え…………」
滝川の告白は急展開すぎて、帰ろうと思っていた俺の気勢を完全に削いでしまった。
思い起こせば、前に滝川は「友達みたいな子が良い」と言っていたけど、あれは瀬戸のことだったんだろうか。
どうしてそれをわざわざ俺に言うのかはわからないが、頭の中に思い当たりがあるせいで変に当事者感が生まれてしまい、このまま話を聞かなければいけないような気分になってくる。
「でもさ。瀬戸は桜井のことが好きかもしんない」
「は……? そりゃないだろ」
確かに最近は七瀬絡みで一緒にいる時間は多いし、前から席は隣だった。
だからといって、こんな短い時間でそこに好意が生まれるなんて、まるで恋愛小説みたいに出来すぎていると思う。
例えあったとしても、それはあくまで友達の範囲であって、失礼だけど吊り橋効果みたいに曖昧なものなんじゃないかとすら思えてくる。
それとも滝川としては、俺と瀬戸が一緒に外出していたのをこのあいだ見たから、そう思っているんだろうか。
あの後、七瀬と三人でいた時間の方が長かった気がするぐらいなんだけどな。
「まあ桜井ならそう言うと思ってたけどさ」
「あっそ……」
「“そりゃある”かもしれないだろ?」
村上といい滝川といい、どうやら俺の観察眼には信頼が置かれていないらしい。
これでも俺なりに結構考えているつもりなんだけどなぁ。そんなに変か?
俺みたいなヒトモドキには、普通のヒトの感覚はよくわからないよ。
「それで、何が言いたいんだ?」
「もし瀬戸が告白してきたら、ちゃんと真剣に考えてやって欲しい」
「……わかった」
わかった、と口では言っておくけど、実際は考えるまでもなく答えは決まっている。
俺が瀬戸と恋愛するなんてあり得ない。
俺の抱える呪いで瀬戸を傷つけるわけにはいかないから。
「ちなみに、オッズは半々ってことになってる」
「オッズ……?」
「桜井が七瀬さんとくっつくか、瀬戸とくっつくかってこと」
「あぁ…………」
何だろうと思って聞いたけど、どうでもいい内容でがっかりした。
何をどれだけ賭けたところで、このゲームは誰も儲けられずにお流れになることが確定している。
いつも通りに、胴元が儲けるだけだ。
……ん? この場合の胴元って誰になるんだろう。事なかれ主義の学園か?
「ただ、一つだけ問題があってさ」
「…………」
「村上に悪い噂が出てきてる」
「――――――――――――え?」
目の先ではワンゲーム取ったらしい七瀬と瀬戸が喜び合っているのが見えるが、そんなことはどうでも良くなってしまっていた。
どうしてこの話の流れで村上が出てくるんだ? それに、悪い噂?
言いようのない、嫌な予感がしてくる。
「前に、桜井と瀬戸が屋上で食べてた時あっただろ」
「……あったな」
「あれ、やりすぎたな」
滝川は、俺と瀬戸があの行動に至った意図を知っている。
まさに滝川の目の前で、瀬戸と俺は七瀬に謝ったからだ。
その上で「やりすぎ」と言うなら、大体予想はついてくる。
もしかしたら、あの時の滝川はその現場を見ていたのかもしれない。
「恋人みたいなことしてただろ?」
「…………」
そうだろうなと思っていた。ハンバーグのことだろうなと。
瀬戸はあのぐらいのインパクトが必要だと言っていたけど、あれは七瀬だけじゃなく周囲の全てにとっての劇薬だったらしい。
もはや薬ですらないかもしれない。過ぎたる薬はただの毒だ。
そもそも、両者は根を同じくするものだから。
「まあ、俺はわかってるつもりだけどさ」
「……そうか」
「でも、あれのせいで桜井と瀬戸が付き合ってるんじゃないかって噂が大きくなっちまった」
頭の痛みが増してくる。
なんですぐこんなことになってしまうんだ。めんどくさい。何もかもがめんどくさい。
お前たちの欲望を中心にした宇宙に、俺を巻き込まないでくれ。
俺のことは、頼むから放っておいてくれ。
ただ、ここまで話を聞いても、どうして村上の名前が出たのかはわからなかった。
「それで……どうして村上の噂の話になるんだ?」
「桜井と瀬戸が付き合うとするだろ?」
「……ああ」
「それで七瀬さんが余ったら、村上が襲うんじゃないかって言われてる」
「――――――――――――――――――――――――――――――は?」
襲う? は? わけがわからない。何を言ってるんだ? そんなことが? え?
村上はそんなことはしない。あいつは絶対に手は出さない。あいつは純粋で真面目な奴だから。
そもそも、村上と七瀬の件は隠されている。だから、当事者の俺たち三人以外は知りようがない。
村上は受験のストレスでやられて、七瀬は何らかの事件に巻き込まれて援助が必要だった。そういうことになっている。
それが、七瀬の意志だったからだ。
あの手の案件は、被害者の言い分が大きく通るところがある。後から聞くと、七瀬は事を小さくすることを選んでくれていた。
村上が決して手を出さず、明確な悪意もなかったからだ。七瀬はどこまでも良い奴で、村上を恨んでいないし、憎んでもいない。
七瀬は、自分が男が苦手ということで、過度に怖がってしまったと説明した。それは、一つの真実ではあった。
そして、その七瀬が語る真実は、学園にとっても都合が良かった。学園も、優れた合格実績を生み出してくれそうな村上を手放したくなかったんだとも思う。
そこに俺と村上がそれぞれ語った警察署での証言が混じって、せめぎ合った結果として、今の状態が生まれた。
村上は、変な噂になるのを避けるために生徒指導室に通った後、A組とは反対のD組に配置。
七瀬は、心理的援助を受けるために俺と瀬戸がいるA組に配置し、座席も通いやすい場所に固定化される。
そして、俺と瀬戸は七瀬のケアで拘束される代わりに、様々な件で学園側に配慮してもらえる……らしい。
これが、全員の欲望と都合が生み出した結果だったはずだ。
そもそも表向きだと、七瀬は学園を一週間休んだ時に、既に事件で心に傷を負っていたことになっている。
つまり、実際に七瀬と村上、俺が関わる事件があった日の一週間前に、七瀬一人の事件があったということにされているわけだ。
そして村上はというと、俺たち三人の事件があった日に受験のストレスで精神をやられたことになっている。
要するに、対外的には七瀬の身に起きた件と、村上の身に起きた件はそれぞれ一週間のズレがある、ということになっている。
だから、二人は無関係と考えられるはずだ。
だから、だから、だからだからこんな噂が出てくるはずなんてあり得ないのに――――――
「本当…………なのか……? それ…………」
一縷の望みをかけて滝川に確認をしてみても、滝川の表情は変わってくれない。
これは、俺をからかうためのドッキリでは、ないようだ。
「七瀬さんが巻き込まれたっていう“何か”も、村上が七瀬さんに手を出したんじゃないかって言われてる」
「なん…………で…………?」
「時期が悪すぎた。みんな完全に面白がって思い込み始めてる」
ふざけるな。ふざけるなよ。ふざけるんじゃないぞ。
そんなことで七瀬の願いを踏みにじるな。
そんなことで村上の未来を踏みにじるな。
村上は謝った。七瀬は許した。それだけで当事者の問題は解決してるんだぞ。
村上に世話になった奴もいっぱいいるだろ。村上を尊敬してた奴もいっぱいいただろ。
それを、ちょっと失敗しただけで、みんなして否定するのか?
お前らだって失敗して、何度も道を外れてるんじゃないのか?
村上が暴力を振るったか? 村上が盗撮をしたか? 村上が浮気をしたか?
何もしてない。何も手を出してない。気になる子を遠くから見てただけだろ。
俺の父親なんかと比べたら、村上はいたって健全な奴だよ。
すぐに手が出てしまう俺なんかには、もったいないような親友なんだよ。
いつかずっと酷い犯罪を犯してしまうだろう、俺なんかには。
「もし桜井が瀬戸と付き合うんだったら、七瀬さんのボディーガードは俺がやるからさ」
「…………」
「そうすれば、村上の噂だってすぐ消えるに決まってるって」
「…………」
「俺なんかじゃ、七瀬さんにとっては嫌かもしれないけどな」
「…………」
「だから、瀬戸が本当に桜井を好きなんだったら、きちんと考えてやって欲しい」
「…………」
「迷ったけどさ。友達だからこそ、桜井にはちゃんと言っておいた方がいいかと思って」
「…………」
「……桜井?」
はははははははははははははははは。
どうせこうなるんだよ、俺の人生は。
「おい、桜井」
俺の人生に安寧なんてあり得ないんだ。
俺が幸せになるなんて許されないんだ。
やっぱりな。やっぱりこうなるよな。
やっぱり俺は幸せになっちゃいけない人間なんだ。
「どこ行くんだよ」
どこだろうなぁ。どこか。どこか遠く。
みんなに迷惑がかからない遠くがいいなあ。
「ちょっと、やらなきゃいけないことができた」




