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俺に恋愛なんてあり得ない  作者: 詩野聡一郎
第二巻
36/67

謝罪

 滝川と並びながら歩き、俺は中庭に着いた。

 後ろに並ぶ七瀬と瀬戸の存在の質量を、今日ばかりはやけに重く感じる。

 四人の足取りの方は明らかに重く、誰もが全く会話の糸口を掴めないままだった。

 しかし、中庭に着いてしまえば話は別だ。

 ここまで来れば、四人の選択肢はたった一つに収束され、「道中に会話で場を和ませる」という可能性は捨象される。

 つまりは、不自由になることでかえって行動しやすくなるわけだ。


「桜井」


 滝川の声も、今日ばかりはやけに鋭く聞こえてくる。

 滝川が目で指し示しているのは、俯き気味に先を行く七瀬の背中だ。

 追いかけろという意味なのは、さすがに俺にだってわかる。

 ただ、追いかけたところで俺が今の七瀬に何ができるのか、何の言葉をかければいいのかは、わからない。

 でも、追いかけなければいけないんだろうなというのは、俺自身も感じるところではあった。


「七瀬」


 近づいて言葉をかけても、七瀬は少し身を固くしただけで、俺の方を見てもくれなかった。

 昔はいつも気軽に慰めていたけど、それは他人のやったことだからであって、自分がやったこととなると話は別だ。

 罪悪感だけが心に塗り尽くされ、とてもじゃないがポジティブな言葉を発想することができない。


「…………」

「…………」


 そして何もできないまま、お互いに無言で「いつもの場所」に辿り着いてしまう。

 七瀬が「いつもの場所」に座る。いつもだったらその隣に俺が座らせられていたが、さすがに今日は抵抗があった。

 今の俺は、七瀬の近くにいていい存在じゃない。

 だから、俺は人ひとり分のスペースを空けて、七瀬の隣の隣ぐらいの位置に座り込む。

 ここにきて初めて七瀬は俺の方に顔を向け、茫然とした表情を見せてくる。

 その表情の意味を理解できない俺を嘲笑うように、七瀬の表情が少しずつ泣き顔に変わっていく。

 どうしようもない俺の心の中に、罪悪感だけが沈殿して溢れそうになる。


「桜井、詰めて」


 今度は瀬戸の言葉が、俺を背後から鋭く突き刺した。

 その刺痛から逃れるように、俺の身体は前に向かう。

 社会的動物としての反射行動が、俺を七瀬の隣に座らせる。


「よし」


 瀬戸は俺の姿を見て満足したようで、七瀬の逆の隣に座り込んだ。

 そして、俺を逃がさないかのように、滝川が俺の隣に座ってくる。

 結局はこうして、いつもの中途半端な形に収まってしまう。

 俺と七瀬は、他人と上手く関われない人間だから。


「……あの、その……」


 七瀬が不安を目に溜めながら、バッグに手を入れている。

 この先の展開は、嫌でも嫌なほどに予想がついてしまう。


「これ、よかったら……」


 七瀬の手には弁当箱。今日、俺が返却したのとは別の、新しいものだ。

 それが俺に対して、差し向けられている。

 俺の目の奥で瞬いた流星に向けた七瀬のお願い事は、厄介なことにまだ継続中らしい。

 俺の手は、不自然なほど自然に、七瀬の弁当を受け取ってしまった。


「愛美ちゃんも……」


 そのまま七瀬は、もう一つの弁当を瀬戸に差し出す。

 一方の俺はというと、弁当を開けることすらできそうになかった。

 今日の朝、七瀬がどんな気持ちでこれを作ったのかを考えるだけで、指が震える。

 どうすればいいんだと嘆きたくもなるが、どうしようもないからこうなっている。

 七瀬から上手く遠ざかることができないし、七瀬に近づくことは絶対にできない。

 だからこんな中途半端な距離で、手に届かない七瀬の傍観者をやらされてしまう。


「――ごめん! 紗花」


 俺なんかとは違って、瀬戸はきちんと動ける奴だったようだ。

 七瀬の弁当を受け取るよりも先に、瀬戸は頭を下げていた。

 俺たちの事情に置いていかれた滝川は、黙って事態を見守ってくれている。

 周囲の人達も、今日ばかりは何かを感じ取って、こちらをあまり見ないようにしてくれているようだ。


「…………どうして?」


 ただ、何故か当の七瀬だけがよくわかっていないようだった。

 その言葉は皮肉でもなんでもなく、本心からのものだと、少なくとも俺にはわかった。


「え、いや……あの、その」


 そのせいで、かえって瀬戸の方が困惑してしまう始末だ。


「紗花を……仲間外れにしちゃったから」


 そして、瀬戸は本質を突きながらも可能な限り曖昧化した表現で、七瀬の疑問に応えようとする。

 先日の七瀬といい、あまりにも人として正しすぎるその思いやりが、俺にはかえって辛かった。

 何もかも俺のせいにしてくれた方が、気持ちはずっと楽だ。ネガティブ感情を向けられるのは慣れている。

 俺は、その程度の存在だから。


「ええっと……」


 紗花の目が、虚空に漂う答えを探して彷徨う。


「あ、そっか。私が仲間外れにされて落ち込んでると思ってたんだ?」

「…………え、違うの?」


 瀬戸の疑問には同意する。俺も、てっきりそうだと思っていた。


「うーん、ちょっと違うかなぁ」

「え、そうなんだ……」


 七瀬の明確な否定によって、瀬戸の謝意は行き場を失ってすっかり消沈してしまった。

 結局、七瀬が何で落ち込んでいるのかは、俺たちにはよくわからないようだ。

 ただ、とりあえず俺は言っておかなければいけないことがある。


「ごめん」

「え……?」

「俺が瀬戸に頼んだ」

「……何を?」

「七瀬と距離を取るのに協力してくれって、頼んだ」


 天秤があれだけ傾いていたのに、結局俺は罪悪感に従って自白してしまう。

 黙って墓まで持っていけばいいのに、それほどの心の強さを持てていない。

 目の前の七瀬の沈んだ表情を消したくて、口先一つで何とかしようとしてしまう。


「……そっか、そうなんだ」


 俺の一方的な言葉は、俺の想像以上に七瀬の気分を変えてしまった。

 七瀬は沈んだ表情を消すどころか、何故だか笑顔を俺に向けてくる。

 全く意味がわからない。俺には、七瀬の機微の境界が見えてこない。


「よかった~」

「……何が?」

「桜井くん、もう私なんかのこと忘れちゃってるのかなって思ってたから」


 なんだそれ。忘れるってどういう意味だよ。

 俺がお前のことを忘れられるわけないだろ。

 だからこうやって無様に逃げ回ってるんだよ。

 俺の気も知らないで、ニコニコと暢気に笑いやがって。

 どうせ、あと二年もすれば村上のように遠くに行ってしまうクセに。


「まだ、私には勝ち目があるみたい」


 そう言って、七瀬は真っすぐに俺の目を見てきた。

 おそらくは、お互いに自分が最低な奴と思い知らせる勝負のことだと思うけど、俯いて目を逸らす。

 手元の弁当に意識を集中させることで、七瀬との未来についてを視界から外す。


「――あはは、あはははは」


 俺と七瀬のやり取りのどこが面白かったのかわからないが、たまらず瀬戸が笑いだしていた。

 つられて笑ってやりたいところだが、原因が見えてこないので自分のツボを押せそうにない。


「いやー、紗花には敵わないな」

「……どういうこと?」

「紗花の懐、ホントに深すぎってこと」

「えへへ……そうかな?」


 この頃になればもう、七瀬にはすっかり笑顔が戻っていた。

 そして俺の手の中には、厄介なことに三日目の唐揚げが収まっている。

 三日連続となるとさすがに胃もたれしそうだ。ただでさえ罪悪感で胃が傷ついているのに。


「じゃあ、食おうぜ」


 ずっと見守ってくれていた滝川の言葉が鶴の一声となって、俺たちはいつも通りの光景を取り戻した。

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