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俺に恋愛なんてあり得ない  作者: 詩野聡一郎
第二巻
28/67

悪夢

 結論から言うと、俺の愛した日常はほとんど消え去ってしまった。

 その原因の第一位は七瀬がこの世に存在していることで、二位は七瀬がこの世に生まれてきたことだ。

 まあそんなのは冗談として、現実的に考えても、七瀬が一番の原因であることには変わりない。

 村上、七瀬と立て続けに大喧嘩をして数日経ち、学園に帰ってきた俺に、玄関で滝川が真っ先に聞いてきた。


『七瀬さんと付き合ってるってマジなの?』


 一体全体どうしてそんなことになってしまったのかはわからなかったが、非常に迷惑だった。

 聞けば、七瀬が一週間休んでいた時、毎日俺が放課後に慰めていたことになっているらしい。

 なんでこんな嘘がまかり通ってるんだ。論理的に破綻していないか? 友達でもないのに。

 まあ噂は葉だけで生まれたりもするだろうが、やはり根がなければさすがに続かないだろう。

 そう楽観視していた俺は、教室に入るやいなや、この世で一番見たくない光景を目にする。


『あ。おはよう、桜井くん』


 俺の席には、何食わぬ顔で七瀬が座っていた。わけがわからなかった。

 友達みたいな距離感で当然のように挨拶をしないで欲しい。これ以上は誤解されたくない。

 ただ、少しだけ安心できるところもあった。

 七瀬は俺のストーカーになるとか言っていたが、教室に来る程度のことだったらしい。

 これなら大丈夫だろう。そう、安心していた。

 その時までは。


『七瀬さん、座りたいので離れてくれない?』

『え、なんで?』


 七瀬はいつも通りに、不十分な表現を使って俺の社交性を試してくる。

 今すぐにでも砕けた口調で言い争いたい気持ちになったものの、俺はかろうじて耐えていた。

 その後までは。


『そこって紗花の席だよ?』

『は?』


 七瀬から斜め前の席に座る瀬戸は、わざとらしくきょとんとした表情で俺を見ている。

 いつの間にか七瀬を下の名前で呼んでいるのは本当にコミュニケーション能力が高いなと感心するが、今はどうでもいい。

 ……俺は気づかないうちに平行世界か別の世界線に来ていたのか? 一体何が起こっている?


『あー、桜井がいない間に席替えがあってさ』

『え?』


 後ろにいる滝川がフォローを入れてくれるものの、全くフォローになっていない。

 いや、俺は七瀬がここにいることが意味不明なだけであって、席替えは…………

 ……ん? 「紗花の席」ってなんだ? いつの間に俺の席は強奪されていたんだ?

 意味がわからないんだが。それが席替えとどう関係するんだよ。

 ついこの間、警察の世話になった俺が言えたもんじゃないが、とりあえず現行犯逮捕しろよ。


『ていうか、桜井笑える』

『なにが?』

『わざわざ“七瀬さん”って。そもそも友達でしょ?』

『は?』


 突然の瀬戸の暴露に思わず睨みつけると、瀬戸は肩をすくめて返す。

 なんだそれは。いつからここはアメリカンスクールになったんだよ。

 縁切りから復縁することもなく二連続で喧嘩中だから、友達なんかじゃないんだけど。

 というか俺と七瀬のことは納得してくれたんじゃないのか? 勝手に関係を捏造するなよ。

 もう何が何だかわからない俺に対し、七瀬は不快にもニコニコしながら大げさに両腕を伸ばし、一つ前の席を指し示す。


『こちらが桜井くんの御席となっております』


 ………………え? 席替えってそういうこと?

 いや、それはいいんだけどさ。いや、でも…………まあいいか。

 わけがわからないが、とりあえず促されるままに座ろう。

 あまりにも複雑すぎる現実世界の調査分析を諦め、俺は七瀬の一つ前、瀬戸の隣の席に座った。


『あ、紗花はこの前からA組だから』

『は?』

『仲良くしなよ~』


 脳を襲い続ける情報の洪水を前に、自己統制力の一切を失った俺は、思わず後ろの七瀬に振り返る。

 意味がわからない俺を、七瀬はいじめるようにニコニコして眺めていた。

 全部お前のせいか。


『私らの出身中学に目つけられちゃったみたいでさ』

『…………なるほど』

『紗花、先週なんかあったんでしょ?』


 そこに関してはノーコメント。黙秘権を行使する。

 後ろから手で抑えた笑い声が聞こえるのは、あまりにも不快なので俺の耳の錯聴だと思いたい。


『で、ちょうど村上も受験のストレスでやられちゃって』

『…………』

『そこに紗花が入ってきたってわけ』


 なるほど、となると同時に大人達は本当に汚いなという感想が出てきた。

 つまりこういうことか? 俺と瀬戸で七瀬の御守をしろってことか?

 それで上手く問題を小さくして揉み消そうって魂胆か? なんだよそれ。

 確かに七瀬は傷ついてるかのように思えるかもしれないだろう。普通は。

 でも、あくまでそれは文脈に対する倫理的な思考の産物であって、俺と散々喧嘩していた程度には元気だぞ。

 さすがに村上と鉢合わせないようにするのはわかるが、ここまでする必要があるのか?

 そもそもB組の方が友達多いのに、どうしてAに来る必要があるんだ?

 まさか七瀬が男を苦手としていても、中学が同じなら大丈夫だとでも思ってるのか?

 そうとは限らないだろ。例えそうであったとしても。そうなるのはおかしいだろ。


『あと送り迎えも私たちですることになってるから』

『……………………………………………………は?』


 俺にはわからない。何もかも。欠片も理解できない。

 ボディーガードなんて絶対にやりたくなかったのに。

 ボディーガードなんて絶対にやるはずなかったのに。

 なんでこんなことになった。こんな世界線には来たくはなかった。

 どうして俺には世界を移動する能力がないんだ。今すぐ逃げたい。


『頑張れ、桜井』


 滝川がニヤニヤしながら俺の肩に手を置いて、窓側の席へと去っていった。

 あいつ、他人事だからって楽しんでないか? そんなんいじめだぞ、いじめ。

 まさか俺が本当に七瀬の彼氏だと思ってないよな? 後で絶対に問い詰めてやる。


『はぁ…………』


 ため息をつく俺の背中に、何かチクチクとした感触がある。

 なんだよこのやり方。あまりにも古典的すぎないか?

 あんまりやりすぎると背中に跡残るんだぞ。責任取れるのかよ。

 こんなんいじめだぞいじめ。いじめはやめろよ、いじめられっ子。


『なんだよ』

『…………ふふ』


 振り返ると、元凶は過去最高に良い笑顔を見せていた。

 こんなの完全にいじめで全人生分の快楽を感じている奴の顔じゃないか。

 本当の本当に最低な奴。あんなにいじめられて泣いてたクセに。

 お前を慰めるために浪費した俺の良心を今すぐに返してくれ。


『末永くよろしくね、桜井くん』

『は?』


 七瀬の過去最低な挨拶に、俺は思わず新たな自分の机を蹴っていた。

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