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俺に恋愛なんてあり得ない  作者: 詩野聡一郎
第一巻
21/67

喧嘩


 七瀬を傷つけてからの四日間を過ごした俺が対価として得たのは、七瀬への情を俺の中からなくすことができないという、凄惨な代償だった。

 七瀬と出会う前には戻れないんだから、この情は巻き戻せない。

 そんな当たり前のことが、今は酷く理不尽なことに思えた。


「はぁ…………はぁ…………」


 俺は走る。

 走って、息を切らして、自分を苦しめてしまえば何も考えなくて済む。

 なんなら永遠に走っていたいのに、この逃避行にはゴールが決まっている。

 手に収まったスマホには、そのゴールが表示されていた。

 俺はそのゴールまで、足を止めることなく現実逃避を続ける。


「はぁ…………はぁ…………」


 いつかの日曜日みたいに、いつものお出かけみたいに、俺は相変わらずTシャツとジーンズだけで家を出てしまった。

 夜風の冷たさが俺の身を裂くが、今はそれが心地よい。

 何の不安も感じられないぐらいの幸せよりも、俺はこうして痛みを感じている方が幸せに感じる。

 奪われた幸せが永遠に取り戻せないという苦しみを、感じなくて済むから。


「はぁ…………くっそ…………」


 昔は七瀬のトレーニングに付き合ったものだが、今ではすっかり鈍ってしまって、足が止まりそうになる。

 授業でスポーツもやっているというのに、一年のブランクは容赦なく自らの分け前を俺に要求し、体力はいつの間にやら目減りしている。

 呼吸が干乾び、荒くなって、肺の奥が朽ちてしまいそうになる。

 それでも、今ならまだギリギリ間に合う。


「よし…………!」


 運よく青く光りはじめた信号を横目に、俺は走り抜ける。

 この先にあるのは、何の変哲もない近所の月極駐車場。

 車はほとんどなくて、本当に採算がとれているのか、詳しくない俺にはよくわからない。

 だけど、そんなことは今はどうでもいい。

 俺の視界に写る駐車場には、三台の車しかなかった。

 右手に停められた白いバンと、左手に停められた種類もよくわからない黒い車を眺め、通り過ぎる。

 あとは、奥の方に停められた赤いスポーツカーだけ。

 その車高が低いおかげで、本来なら車の陰に隠れているはずの目的地がよく見えた。

 暗がりを電灯が照らしている。

 そこに誰かがいるのはわかるが、輪郭はぼやけていて男なのか女なのかさえよくわからない。

 しかしまあ、おそらくは目的の人だろう。

 そう大雑把に当たりをつけて、俺は。



 不審な足音に振り返るその人物に向かって、全速力でぶつかった。



 疲労交じりの助走が込められたタックルを受け、駐車場を囲むコンクリートブロックの壁に相手が叩きつけられる。

 対する俺も、さすがにキツイ。

 散々走り回った挙句にこれとは、全身を襲う反動で胃の中身を吐き出してしまいそうになる。

 ただ、今の俺にはまだやることがあった。


「…………あ」


 俺がぶつかった人物とは、別の人物。

 車高の低い車のシルエットで隠れてしまうほどにその存在感は小さく、儚い。

 本当にどんくさいな、お前は。

 俺を見る瞳を無視して、その両腕を掴んで強引に引き上げる。

 いつかの日とは、逆に。


「逃げろ、七瀬」


 たったそれだけの言葉だが、今の状況では充分だった。

 意識に事実が定着していない七瀬の表情を見ながら、俺は彼女の背中を押す。


「いいから!」


 おそらくは、荒くなってしまった俺の語気がもたらす恐怖心に急かされて、七瀬は走り出す。

 その先に見える信号は、まだ青のままだ。

 慌てて交通事故はなさそうだな。よかった。

 でも、あいつはどんくさいからな。

 こんな状況だと帰り着くまで余計に時間がかかってしまうかもしれない。

 だから俺がここで時間を稼ぐのは、ただの無益な保険だ。


「…………お前」


 身を起こしたその人物が、俺を見て呟く。

 俺も、その人物には見覚えがあった。

 俺よりも長身で、眼鏡をかけていて、勉強ができる、俺の友達。

 村上だ。

 どうしてここに村上いるのかは、よくわからないけど。


「桜井……どうしてこんなところにいる?」

「さあな」


 木曜日と同じく殺気立った村上に、俺はとぼけてみせる。


「僕は知ってるんだぞ。お前が来た理由を」

「それはすごいな」


 俺が来たのは、七瀬からメッセージが送られてきたから。

 スマホの文字入力画面で上から三つを組み合わせただけという、そんな単純な暗号が、はじめて送られてきたから。

 その意味を忘れたくても、忘れられないぐらいに大事なものとして頭にこびりついていたから。

 七瀬が冗談混じりに設定していた、いざという時のためのGPSを未だに解除してくれていなかったから。

 それを知っているのだとしたら、たぶん村上は七瀬と親しい仲にある。

 もしかしたら彼氏かもしれないな。

 それなら、別にそれでいい。

 痴情のもつれに巻き込むなと、文句を言えば済む話だ。


「桜井、お前――――七瀬さんのストーカーだろ」

「…………へぇ」


 俺にとっては残念なことに、村上は七瀬の彼氏ではないらしい。

 頭の中で色んな情報が繋がり合い、一つの絵を描きそうな感覚は、不謹慎にも知的な快感を俺の脳内に生み出す。


「どうしてそう思うんだ?」

「毎日見てたぞ。桜井が、七瀬さんの後をつけ回しているのを」


 村上の言葉があまりに馬鹿げていて、思わず口元が歪んでしまう。

 どうしてこいつはあんなに頭が良いのに、こんな簡単な証明問題を根本的に誤答しているんだか。

 まあ、七瀬とのテストに落ち続けた永年落第生の俺が言えたことではないけどな。


「馬鹿だろ、お前」

「……は?」


 あまりにも馬鹿らしくなってしまって、ついつい笑った俺の言葉が挑発に聞こえたらしく、村上は怒りの表情を隠さない。

 手は握りこぶしを作り、今にもこちらに殴りかかろうとしているようにも見える。

 それなら、丁度良い。

 俺が殴られれば、七瀬が逃げる時間を少しは稼げそうだ。


「俺が七瀬をつけ回してるストーカーなら、それを毎日見てるお前もストーカーだろ」


 村上の手の動きは、想像以上に早かった。

 途中で腕を掴んで抑え込んでやろうとも思っていたのに、反射神経で身を捩って衝撃を減らすことで精いっぱい。


「僕は違う!」


 何が違うんだよ、と笑ってしまう。

 俺も喧嘩っ早い性格だったから、さすがにこのぐらいの痛みには慣れている。

 精神的な痛みよりも、このぐらいの肉体的な痛みの方が気楽に構えられるしな。

 体勢を整え、俺は村上に向かって飛び蹴りを放つ。


「何が違うんだよ」


 後先考えない無鉄砲な足裏は、棒立ちのままの村上の膝に綺麗に入った。

 おそらく、村上は喧嘩をしたことがないのだろう。

 相手を一回殴って直近の怒りが発散されたことで、満足して立ち止まってしまっているから。


「……桜井、七瀬さんに付きまとうのはやめろ!」


 村上は膝を押さえながら、その言葉で俺の良心を促そうとしてくる。

 でもあいにくと俺に良心なんてものはないから、一回の攻撃で満足する気なんてサラサラない。


「何言ってんだ」


 村上の顔を狙った俺の手は、とっさにガードを固めた村上の肘に防がれる。

 村上は眼鏡をかけているんだから、それを守ろうとするこの動きは必然。

 一年生の頃に、村上が話してくれたことがある。


『この眼鏡は、僕の生命線なんだ』


 村上は生まれつき目が悪い。

 幼少の頃は、その矯正でだいぶ苦労したと言っていた。

 今でも目が疲れやすいとも言っていたが、村上はそれを酷使してでも、勉学への努力を厭わない。

 それで全国模試に名前が載ってしまうんだから、こいつも七瀬と同じようにとんでもない努力家ということだ。

 両親から与えられた「努」という名前に恥じない村上の生き方を、俺はひそかに尊敬している。

 俺は、自分に与えられた名前が好きではないから。


「付きまとってるのはお前だろ」


 俺の手を止めた村上の肘を力点に利用して、そのまま逆の手を村上の腹に叩き込む。

 村上の喉が裏返るような音を聞きながら、俺の中の暴力性は急速にその熱量を失っていた。

 俺の愚かしさを嘲笑うメタな自分が、俺が獣性に身を任せることを阻害している。

 そう、俺は所詮こんな奴。

 友達を大切にできない奴なんだ。

 せっかく村上が心を開いて話してくれたことを、こんなくだらない喧嘩で利用するような人でなしだ。

 そのくせ、自分のことは欠片も話したりなんかしない。

 だからこの時間が終われば、きっと村上は俺の手の届かないところに行ってしまう。

 七瀬と同じように。


「僕は……げほ……付きまとえるほど……七瀬さんの近くにいない」

「何だそれ、意味わかんねーよ」


 腹を抑える村上を見ながら、俺は自分の感情をなるべく切り離して応答する。

 今、自分の感情を覗いてしまったら、俺は自分の醜さに耐えられなくなって時間を稼げなくなりそうだ。


「桜井は、いいよな」

「……何が」

「七瀬さんと友達で。親しそうに話をして」

「友達じゃねーよ。本屋でちょっとぶつかって、ちょっと話しただけだろ」


 村上の返答に、俺は決まりきったアリバイを答える。

 これは七瀬と村上、そして滝川と共有した客観的で揺るぎない事実。


「何言ってるんだよ、桜井」


 でも、村上は納得してくれない。

 その理由に、俺は思い当たることができない。


「毎日見てたって、言っただろ」

「…………え」


 身体は火照っていたはずなのに、何故か今は強烈な寒気を感じる。

 俺の歯はガチガチと不協和音を奏でて、自分が今どこにいるのかさえ、わからなくなってしまいそうになる。

 村上は何を見ていて、何を見ていないのか。

 あるいは、全てを見ていたのか。


「違う……いや、違わない……かもしれない……けど……」

「…………」


 思考時間を稼ぐための間に合わせの言葉を、村上は醒めた目をしながら流してしまう。

 俺が必死に構築したアリバイは、未完成な客観性を完全に突かれてしまって、観察者によって完結した主観の前に崩れ落ちた。

 どうすればいい。

 どうすれば、七瀬のことを守ることができる?


「あ、いや……あれは……そう、実はさ。俺と七瀬は中学が同じなんだ」

「…………」

「それでさ。お互いに顔は知ってるけど、話したことはないって感じ。よくあるだろ? そういうの」

「…………」

「だからさ。だから……前に本屋でぶつかった時も、ほとんど初対面みたいなもんだったんだ」

「……へぇ」


 村上の反応に、何だか嫌な予感がしてくる。

 今になって思えば、あの時の村上は既に俺と七瀬のことを探っていたのかもしれない。

 でも、この論理なら大丈夫。七瀬のことを守ってやれるはずだ。


「もしかしたら村上はさ。俺と七瀬が同じ方向に帰ってるのを見たこともあるかもしれないけど」


 そう、この可能性は考慮しなければいけない。

 でも、さすがに登校の時に一度だけ話したのは見ていないだろう。だから、大丈夫。


「そりゃあ、中学が同じなんだから、同じ方向に帰ったりすることもあるだろ?」

「…………」

「それで友達って言われちゃ、困っちゃうよな。ろくに話したこともないのに。だからさ――」

「何言ってるんだよ、桜井」


 全く同じ声音で繰り返される村上の言葉は、俺の虚勢を削ぐだけの不気味さを持っていた。

 村上が、俺の目を見る。


「目と目で、話してただろ」

「……………………は?」


 突然挿し込まれた文学的表現に、俺は呼吸することを忘れていた。

 独り連想ゲームは「目と目を合わせて話すのが一番気持ちが通じる」に行き着くが、批判的思考で即座に対応する。

 目と目を合わせて話すならわかるが、目と目で話をするなんてできるわけないだろ。

 そもそもからして、目と目を合わせることなんてほとんどなかったわけで。


「目は口ほどに物を言うってことわざ、知らないか?」


 村上の優等生トークが、より強い説得力を持って俺の批判的思考をかき乱す。

 それじゃあまるで、俺と七瀬が目を合わせるだけで会話できるみたいじゃないか。

 そう、納得してしまいそうになる。


「僕はさ。正直言うと、桜井が羨ましかったんだよ。もしかしたら、そうなのかなって」

「…………何言ってるんだ? わけが……わから」

「二人は、恋人同士かもしれないと思った」



「目と目を合わせたとき」



「お互いしか見えていない感じで」



「傍から見ても甘酸っぱい雰囲気が流れていて」



「恋人みたいに、はにかんでいるように見えた」



「…………なんだよ、桜井。図星か?」


 自分でも気づかないうちに、俺は村上に掴みかかっていた。

 村上もそれに対抗して両腕を伸ばした結果として、俺たちは円陣を組むような状態に陥っている。


「……そんなわけが、ない」

「何が」

「俺が、七瀬を見て、そんな表情をするわけがない」


 全部を捨てた俺が七瀬を見て何か思うなんてことは、そんなことは絶対にあり得ない。

 俺の中に今も残っているのは、どうしても消すことのできなかった、感じることもできないほどにちいさな情でしかない。


「そう。別にそれでもいい」

「――――」

「でも、七瀬さんは違う。七瀬さんは、たぶんお前のことが好きだ」

「…………………………一体何を言ってるんだ? お前」


 そんなわけがない。

 そんなものは、反実仮想に過ぎない。

 文法間違ってるぞ、村上。

 だから、こんなものは代わりに俺が捨ててやる。


「桜井は、気持ち良かったか?」

「は……?」

「七瀬さんが……とてもかわいい女子が、自分にだけ特別な表情をしてくれて」


 あり得ない。


「自分だけが、七瀬さんとわかり合えてるって」


 あり得ない。


「七瀬さんに好かれてる自分は特別なんだって」


 あり得ない。


「そして――――他の男子を、内心では見下していたんじゃないのか?」


 それだけは、一番あり得ない。


「村上……お前は」

「…………」

「お前は…………何が言いたいんだよ」


 あり得なさすぎて、言われてることが何一つわからないよ。

 宇宙人と話してるみたいだ。


「去年、僕は七瀬さんに告白した」

「……そうかい」


 お前らだけで勝手にやってろ、そんなことは。


「もちろん、断られた」

「……そう」


 だろうな。七瀬はまだ男が苦手だから。


「その時に言われたよ。まだ男の人とは上手く話せないからって」


 ほらな。思った通りじゃないか。


「でも――それは嘘だった」

「は…………?」

「だって、桜井のことは平気じゃないか」

「………………………………………………」

「七瀬さんは桜井が好きだから、他の男子を避けてたんだろ」

「――――――勝手に決めつけるんじゃねぇ!!」


 村上の水平思考に俺は怒りを止められず、その感情を自認するよりも先に吼えていた。

 何かに取り憑かれたように、全身の力がみなぎってくる。

 その力の奔流に任せ、音の無い軋みを上げる両腕で、俺は村上を壁に押し付ける。


「何なんだよお前らは! 恋だの愛だのって! いつも、いつも……いつもいつもいつもいつもいつも」


 今までに溜まり続けた怨嗟の言葉が止まらない。

 村上への憎しみが止まらない。

 他の人に向けるべき感情まで村上に向けている自分自身への憎しみが止まらない。


「いつも、そうやって綺麗な言葉を使って自分の醜さを正当化しやがる! ふざけてんじゃねーぞ!!」 

「――七瀬さんは、僕を見てくれなかった!!」


 村上が押し返してくる。でも、譲らない。

 この憎しみは、誰にも譲るつもりはない。


「見てくれなかったんだ! 僕以外の男子も! でも桜井は違う!」

「だからなんだっていうんだよ!?」

「それってもう桜井を好きってことだろ!? それは疑いようがないだろ!!」

「違ぇえええええええええええええええええええええええええええええええ!!」


 お前らのそんなくだらない感情で七瀬を穢すのはやめろ。

 そうやってお前らはいつも、何でもかんでも邪推して、誇張して、補強して、改変して、伝播させる。

 そうやってお前らはいつも、たった一人の人間を追い詰める。

 告白したんだろ? 好きなんだろ? 愛していたりもしないのか?

 一回フラれただけで、その感情は反対側に変わってしまうようなものなのか?

 恋はそんなに軽いものなのか? 愛はそんなに薄いものなのか?

 俺には、わからない。

 お前らの感情が欠片も理解できない。

 欠片も感じられない。欠片も同定できない。

 だから。

 俺に恋愛なんてあり得ない。


「男が苦手で何が悪いんだよ!? それなのに男友達がいて何がおかしいんだよ!?」

「……何、を」


 もう、どうでもいい。

 何もかも、どうでもよくなった。


「それがその人なんだろ! それが七瀬なんだろ!!」

「――――」

「お前らは! そんな七瀬を好きになったんだろーが!!」


 もはや、これは村上に対する言葉ではない。


「何が恋愛だ! 何が青春だ! どいつもこいつもふざけやがって!!」


 こんなものは口論にすらなっていない。


「勝手にお前らが好きになったのに! お前らの思い込みを勝手に押し付けてるんじゃねーよ!!」


 不幸にもこんな世界に生まれてしまった、恋も愛もわからない俺がぶちまけているだけの、ただの愚痴。


「みんなして七瀬を仲間外れにしてさあ! そんなのいじめと同じだろ!? 七瀬は……七瀬は、お前らが気持ち良く生きるための道具じゃない!!」


 ずっと言いたかった。

 これを、言ってしまいたかった。


「もうさ……もう、誰でもいいからさあ……誰でもいいから、誰か七瀬のことをちゃんと見てやれよおおおおおおおおおお!!」






 何もかも、ぶちまけてしまった。

 取り返しがつかないけれど、そのことが何だか気持ち良く感じられた。


「…………」

「…………」


 俺も、村上も、何も喋ることができない。

 最高に近所迷惑なことをしておいて、最高に気持ち良くなってしまったのは、少し不謹慎かもしれない。

 でも、もうどうでもいい。

 何もかも、ぶちまけてしまったから。


「…………ぁ」


 静寂を破ったのは、村上の口から漏れた、声にもならないぼんやりとした音だった。

 漠然とした俺の意識でも、村上が何に反応したのかは、よくわかった。

 こんなに遠くからでもわかるぐらい単純明快な、パトカーのサイレン音だったから。


「………はは」


 ここまでくると、なんだか逆に笑えてくる。

 たぶんそのパトカーは俺たちのところに来るんだろうな、という確かな予感があったから。


「…………ごめん」

「え……」


 村上の口から予想もしなかった言葉が出て、俺は呆気にとられるしかなかった。

 あんな、不特定多数に向けた理不尽な感情をぶつけてしまった俺に、どうして謝るのかがわからない。


「本当は、こんなつもりじゃなかったんだ」

「そう……か」


 今さらそんなことを言ったって、もう全部終わってしまったことだ。

 この喧嘩は、巻き戻せないんだから。


「僕は、さ」

「……ああ」

「七瀬さんにフラれて……そりゃそうだろうな、って思った」

「……そうか」

「七瀬さん、学園のアイドルだしなって。狙ってる男子はいっぱいいるし、僕なんかではそりゃあ釣り合わないもんなって」

「…………」

「でも……でも、やっぱり気になってさ。七瀬さん、二年になっても誰とも付き合ってなさそうだったから」

「…………」

「だから僕にもまだチャンスはあるんじゃないかなって、そんな……そんな馬鹿げたことを、考えた」


 なんだ。思ったよりちゃんと恋愛してるんじゃねーか。

 勝手に一人で怒り狂ってた俺の方が馬鹿みたいだ。


「七瀬さんが、A組の前に来てた時、あっただろ?」

「……そんなことも、あったかな」


 それはたぶん、俺が七瀬からストーカーの相談を受けた日の話。

 七瀬が、嘘をでっちあげてまで俺に手を差し伸べてくれた日の話。


「なんでだろう……って思った。友達に用かなとも思ったけど、手持無沙汰でずっと立ってたから」

「…………」

「でも、瀬戸と桜井とは少しだけ話してたよな。すぐにBに戻っちゃったけど」

「それで?」


 パトカーのサイレン音が近づいてきている。

 この辺りの店は潰れたらすぐに駐車場になってしまうから、もしかしたら警察の人もハッキリした場所がわからなくて混乱しているのかもしれない。

 あまり時間は残されていない。

 俺は、村上の返事を促す。


「でも……次の日に、全部わかったよ」

「なにが?」

「桜井と七瀬さんが目と目で通じ合っていたから」


 そんなことはあり得な――――いや、確かに俺はあのとき気を抜いていた。

 連絡なんて早々きやしないとタカをくくっていたから、あまりに気楽すぎる挨拶のメッセージに動揺して、つい反射的に近くに立っている七瀬の方を見てしまい、目が合った。

 大したことじゃないと思って、軽く流してしまっていたけれど。

 あれを、誰かに見られているとは思わなかった。


「それから、僕は……七瀬さんと、桜井がどういう関係なのか気になった」


 ははは。まるで、小学生の恋愛みたいだ。

 好きな女の子が他の男の子と仲良さそうに見えて、探偵ごっこをするなんて。


「七瀬さんがしばらく学園に来なくなって」

「…………」

「桜井のせいだと、すぐにわかった」


 村上は本当に、憎らしいほどに頭が良い奴だよ。

 だから、木曜日は俺に対してキツかったんだな。


「さっき……七瀬さんに声をかけたら、やっぱり図星だったみたいで」



「だから、桜井のことなんかやめたらって言った」



「そうしたら七瀬さんが怒って」



「喧嘩したはずなのに、なんだかおかしいなって口論に――」



「――いや、違うな」



「七瀬さんの感情をあんなに動かす桜井が妬ましかった」



「なんで僕じゃだめなんだろう」



「どうして桜井なんだろう」



「そう思って、色々言ってしまって」



「そして…………七瀬さんを、怖がらせて――――」

「――――悪い、村上」


 正直に言って、俺は村上の言葉のほとんどを聞き流していた。

 ただ、これだけは伝えておかないといけない。


「俺たちのモラトリアム、もう終わりみたいだわ」

「……そっか」


 駐車場の前にパトカーが止まっている。

 もうすぐ、警察官がこっちに来る。


「なあ、村上」

「……なに?」


 だから、最後にこれだけは聞いておきたかった。


「俺たち、これからも友達でいられるかな」

「……ははは」


 村上の乾いた笑いが聞こえる。

 パトカーのドアが開いて、警察官が降りている。


「桜井がいいんなら、いいんじゃないかな」

「そういうもんか?」

「そういうもんじゃないかな」


 警察官が、毅然とした表情でこちらに歩いてくる。


「じゃあ、さ」

「ん?」


 最後に、これだけは言ってみたかった。


「友達同士、二人揃って停学になろうぜ」


 喧嘩しても、友達は仲直りすることができる。

 そんな綺麗事を、俺も信じてみたいものだなと、はじめて心の底からそう思った。


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